疑惑の彼女
「じゃ、小宮さんの席は……。おっ、水野君の隣が空いているね。なぁ水野君、悪いけど今日だけ彼女に教科書見せてあげてくれるかな?」
先生は俺を見つめ、にこにこと微笑みながら聞いてきた。柔らかい笑顔が憎たらしい。
正直なところ、のっぽっぽ疑惑の彼女が隣に座ってくるのは困るんだよ。
電車で会えたらこう話しかけようとか頭の中でシュミレーションしていたのに、教室で突然再会するなんて。こんなの予想外だ。
せめて、のっぽっぽの本名を覚えていれば良かったのに、あだ名がしっくり来すぎていたせいか、本名はまるで思い出せない。
転校してしまったから卒業アルバムを見るという、作戦も役に立たなかった。
気になっている女の本名を忘れるなんて、世界広しと言えども俺くらいのもんだと思う。
隣に座って欲しくないと思いつつも、先生の「教科書見せてあげてくれるかな?」という問いに、yes以外の答えができるはずもなく……
「まぁ、俺のでよければ」と気のない返事をするしか出来なかった。
俺を見てぺこりと礼をした後、ゆっくりと小宮さんは俺の方に向かって歩いてくる。
背筋を伸ばし、颯爽と歩く小宮さんの姿は俺の知るのっぽっぽの姿からはほど遠いが、その眼差しは良く似ている。
何でもない表情を作ってはいたものの、小宮さんとのっぽっぽは同一人物なのか、はたまた別人なのか、と俺の頭の中は混乱を極めていた。
彼女の出方を窺う。のっぽっぽなら俺を見て「懐かしいね」とか「海島中学の水野君?」とか声をかけてくるかもしれない。
俺の横に立った小宮さんは、俺を見て緊張したように微笑んだ。……のっぽっぽ、なのか? そう尋ねようとした時、彼女は小さく頭を下げてこう言った。
「はじめまして。今日からよろしくお願いします」
のっぽっぽと、小宮さん、別人だったのか……?
彼女にはじめましてと挨拶されてからというもの、ちっとも楽しくない加法定理の時間は、さらに楽しくない時間になった。
のっぽっぽでなかったなら、それはそれで悲しいけれどまだいい。問題は、のっぽっぽでありながら、俺の存在をすっかり忘れ去られている場合。
それを考えると、どこまでも憂鬱になれる。のっぽっぽの本名忘れた俺が、こうやって落ち込むのはおかしいんだけどさ。
あーもう! がしがしと俺は頭をかいた。
小宮さんはそんな俺を不思議そうな目で見つめている。
うじうじ悩むなんて俺らしくない。この授業が終わったら男らしく小細工なしでビシッと聞いてやろう。シャーペンをぎりぎりと握りしめ、そう決めた。
待ってろ、のっぽっぽ疑惑の小宮!!
俺から殺気でも出ていたのか、小宮さんは小さくビクッと震えたのだった。