恋愛事情
穏やかな春の日差しが降り注ぐ。なんだか楽しいことがありそうな予感。
そう思っていい気分に浸っていたのに。
「お前、まさか男が好きなん?」
昼休み中、高校の屋上で突然、そう尋ねられた。
――ぶーーっ!
「うわっ、汚ね! 何すんだ悠太」
俺は飲んでいたパック牛乳を、目の前の友人にぶちまける。俺が男を好きだと? 何言ってんだコイツ。
シャツの袖口で、吹きかけられた牛乳をぬぐいながら、友人の彰は続けていく。
「だってよぉ、隣のクラスの美雪ちゃんのことフったんだろ? ちっこくて、女の子っぽくて、あんなに可愛いのにさー。俺ぁもう、お前が男を好きだとしか思えねぇよ」
「なっ……お前何で美雪のこと知ってんだ!」
「かなり有名になってるし、噂広まってんの知らないのは悠太だけ。あぁ、美雪ちゃん可哀想に。今日もたくさんの女子が席囲んでさ、慰めてもらってたよ」
はぁ、と俺はため息をついた。道理で今日は、皆からの視線を感じるわけだ。
ったく、美雪のヤツ。そういうところが好きになれないってどうして気づかないのか。
被害者ぶってるけど、一番の被害者は俺だぞ。なんせ、ゲイ疑惑かけられてるからな。
「んで、本当のとこはどうなんだ? 男が好きなのか?」
彰は俺を馬鹿にするような、にやけた目で詰め寄ってくる。
「違ぇよ、バカ! 俺にはのっ……」
――キーンコーンカーンコーン
言葉を遮るように、始業のベルが高らかに鳴り響く。
「やっべ、悠太っ! 今日……は部活あるからダメだ、明日! 明日の昼また詳しく聞くからな。逃げんじゃねぇぞ」
そう言って陸上部の彰は、俺を取り残して一人階段を駆け降りていった。
――・――・――・――
教室の扉を開け、急いで席に着く。
「よし、セーフだ」目を輝かせ、自信たっぷりにそう呟くと「いや、アウトだろ」と、真横にいる国語教師が丸めた教科書でパシンと突っ込みをいれてきた。
さすがにオマケはしてくれず、遅刻カウントがまた一つ増えてしまった。
国語の授業が始まり、古文について教師が熱く語っていたが、俺の耳には入らない。
――のっぽっぽ
授業中、俺の頭の中はそのことでいっぱいだった。
『のっぽっぽ』もしくは『ぽっぽ』。これは中学時代のクラスメートのあだ名だ。
その名の通り、彼女はとても背が高い。親の都合で転校したが、その時点で168㎝あったらしい。
当時チビ助だった俺は、背が高いことを羨ましく思っていたのだが、のっぽっぽにとって背の高さはコンプレックスでしかなかったようだ。
あぁ、ちょうどあの辺の席。
右から三番目の席を見た。この教室では、髪を二つに結った小さい女子がピンと背筋を伸ばして座っている。
のっぽっぽとは正反対。彼女はいつも体を小さく丸めて、まるで大きな猫みたいだった。
――バシッ!
「痛っ!!」
突然頭に衝撃が走る。
「おい、水野。目ぇ開けたまま寝るんじゃねぇぞ」
見上げると、そこにあったのは国語教師の顔と出席簿。
「すんません、気ぃつけます」と小さく頭を下げると、満足そうに教師は頷き、また古文の素晴らしさについて、切々と語りだしたのだった。
――・――・――・――
長い長い授業が今日も終わり、皆はそれぞれ教室から離れていく。部活に行ったり、家へ帰ったり、バイトに向かったり。
教室に残ったのは俺だけになった。
「ねぇねぇ、水野君。ちょっといい?」
バイトもないし、家へ帰ろうとしたその時声をかけられた。そこにいたのは、美雪と気の強そうな美雪の友達。
「本当にちょっとだけならいいけど、何?」
俺は眉を寄せて尋ねる。いい予感なんて、一ミクロンたりともしない。
「なんで、美雪のことフったのよ。ちっちゃくて可愛いし、明るいし、女の子らしいし、友達だって多いじゃない。水野君にはもったいないくらいだわ」
「悠太、私まだ納得できないの。大きくて、大人しくて、友達多くない女のことが気になってるから、私とは付き合えないってどういうことなの? 好きな人がいるなら誰が好きなのか、ちゃんと言ってよ」
俺はため息をついて、鞄を持ち上げた。
「別に、そのまんまの意味だけど。はい、説明は以上。俺は帰るから」
美雪、友達まで巻き込んで、これはいったいどういうつもりなんだ。
「何それ。水野君、それが本当なら趣味悪くない? それに、嘘つくにしても、もっとマシな嘘ついたら? 美雪だって頑張って告白したんだし、納得できるように水野君も好きな人くらい教えなよ」
告白したから、お前の好きな人も教えろってどういう理屈だそれ。女子っていう生き物はそういうもんなのか?
美雪の友人に、俺は詰め寄っていく。
「じゃあさ、君は自分のどういうところが好きなのかを聞いた時に、顔と雰囲気、それに背が高いところが好きだとか言われて、納得できんの?」
顔と雰囲気、身長が好き、これは美雪に言われたことだ。可愛いって言われてる美雪の本音なんて、こんなもん。
どうせ、俺があのチビ助のままだったら見向きもしないんだろ?
ぶりっこがバレりゃいい、そう思って伝えたが、
「それの何がいけないの? 好きってそういうもんでしょ?」
美雪の友人から返ってきたのはこの言葉。
開いた口が塞がらなかった。なんだそれ。
好きってのはもっとこう、きっかけみたいなのがあって、見かけだけじゃなくて内面的に惹かれるものがあってから……ってあぁ! 俺が恋に恋する男みたいでカッコ悪りぃじゃねぇか。
急に覇気を失った俺は、美雪とその友達の横を、とぼとぼと通りすぎていく。
「そうか、そういうもんか。お前らとは話が合いそうにないから、帰るよ。気がおさまらないようだから言っとくけど、俺が気になっているやつはお前らの知らない女。それじゃ」
そう言って俺は、ぽかんと立ち尽くす二人を取り残し、静かに教室を出ていったのだった。