表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

魔法プログラム

作者: tagajo

魔法とは、組んだプログラムを人体の魔法的器官である「臓器コンピュータ」で実行することである。

現代の人間は全て魔法を行使することが出来る。

その昔は「プログラム」などというコンピュータ上の概念は無かったので、呪文といった言葉や魔方陣という図形を利用して概念を強化しそれを無理やり臓器コンピュータに読み込ませて実行していたようだ。


その後西暦1940年代頃になると、弾道計算のための計算機(いわゆる普通のコンピュータ)が登場して「プログラム」というものの概念が出来た。

それとほぼ同時期、アセンブラでプログラムを考えていたプログラマいた。このプログラマは情報処理科学の学者でもありコンピュータの仕組みに詳しかった。

彼は臓器コンピュータ(当時は「魔法器官」と呼ばれていたが)を擬似的なコンピュータとしてしまうことを思いついた。

コンピュータには五大装置と呼ばれるデバイスがある。「入力」「出力」「制御」「演算」「記憶」の各装置である。

彼はこれらの装置を「入力を視覚」、「出力を口でしゃべること」、「制御と演算は魔法器官」、「記憶を記憶」に割り当ててみた。制御・演算装置を一緒にしたのは、彼にしてみれば面倒だったと言うことなのだが、これは後のマイクロコンピュータという概念の先駆けでもあった。

これで一応ハードウェアがそろったので、彼はプログラムを書くための命令セットを考え、それと対応したニーモニック(CPU命令の記号のこと)を定義しアセンブラとした。

アセンブラプログラムの最初の例としては「speak "Hello, World"」と彼は紙に手で書きそれを読むことで口から「Hello, World」と自動的に結果が出力された。


彼は次に自分の好きなようにアセンブラのニーモニックを定義し、現実界に魔法が出力されるか試すためのプログラムを作ってみた。

長くなるのでプログラムの全文は書かないが、大雑把に言えば「空気中の水分子を抽出し、目の前のグラスがいっぱいになるまで集まれ」という内容のプログラムだった。このプログラムを臓器コンピュータへ入力し、実行すると実際にグラスにすぐ水が満ちた。

彼は同僚の学者やプログラマに「魔法器官をコンピュータとみなすこと」と「グラスへ水を満たすプログラム」を読ませ魔法を実行してみてくれるように頼んでみた結果、水の量の差はあれども皆実行可能なことが分かった。


この結果を踏まえ、彼は「プログラム=呪文・魔方陣」理論を研究することとなった。

それから時は流れ、2010年代の現在では魔法は「プログラム」で実行することが普通となっている。



現代人が全員使える魔法として「物質生成」魔法がある。

現代の人間には大体日に10キログラム程度の物質を生成できる魔力が備わっている。現在確認されている魔力の容量が少ない人でも日に5キログラム程度の物質を生成することが出来る。


この「物質生成」という魔法は非常に汎用性が高く、周りの空気などのあらゆる物質を原子構造から変換することが可能なものだ。

この魔法自体はプログラムの数十年にわたる研究で非常に効率よく、臓器コンピュータによる演算も少なく、短時間に結果が得られるようになっている。

物質生成を行うときは、このプログラムに欲しい物質の「名称」をパラメータとして渡し実行すれば数秒以内に魔法による演算が終了し結果が現実界に出力される。


たとえば、魔法を実行するものが物質生成魔法のプログラムに「カレーライス」というパラメータを渡し、実行すれば数秒以内にカレーライスが現れる。また、「カレーライスを器に盛った状態」というパラメータを指定すれば器ごとカレーライスが現れたりする(ただし、余計に魔力を使ってしまうが)。

このように便利な物質生成魔法であるが欠点がある。それは、人間が認識できていない状態の物質は普通のコンピュータ言語と同じように「定義されていない」という状態になってしまうので、物質生成魔法プログラムがエラーを吐いて魔法は異常終了してしまう。

しかし人間がはっきりと認識している物質であれば魔法は成功する。名前を知っているだけではダメということだ。


日本人が思う「カレー」とインド人が思う「カレー」では違うものなので、同じ物質生成魔法を使っても結果が異なってしまう。

こういう事情のため日本政府は将来の産業育成のために、子供たちの学校教育で世界各国の物産や名物を積極的に与えられたり、いろいろなモノ・コトに接する機会が与えられ、原子の構造や物理法則も叩き込まれる。知識があればあるほど物質生成魔法で作れるモノが増えるからだ。


魔法プログラム理論が開発され研究され、それに合わせた教育方法になったのが1970年代以降なので、それ以前の世代、いわゆる団塊の世代から40歳代までの人々は物質生成魔法自体は知っているが現代のようにいろいろなモノ・コトに接する機会が得られたわけではなかった。

なので、この世代の人々は今の子供たちを非常に羨んでいることが多い。幼い頃から世界中の美味しい食べ物、美しい美術工芸品をイヤと言うほど与えられ、それを認識している子供たちはそれを自由に作り出し楽しむことが出来る。しかし自らはアルコールの原子配列などは高校の物理で教わってはいてもそれで「高級で美味しいお酒を味わったことがない」だけで作り出すことが出来ないのである。

その状況を陳情で知った日本政府は、子供たちに「週末カルチャースクール」を開設してもらい、物質生成用の教育を受けられなかった世代にモノやコトを教育してもらうことにし補助金を出した。

カルチャースクールは設置当初から盛況で教師役の子供たちには補助金から「お小遣」として月数千円の給与が渡された。


カルチャースクールが全国に設置された頃から子供たちの物質生成魔法で出来るモノやコトが変化が現れるようになった。

それまで、子供たちは一度見たモノやコトを「再現」するのはうまく出来ていたがそれを「応用して別なものを作り出す」能力に欠けていた。

ある宝石デザイナーの60歳代の男性が、子供たちに「ダイヤモンドをまん丸にできるのかい?」と聞いたことがあった。子供たちは学校教育で「ダイヤモンド」は「ブリリアンカットされたモノ」と教えられる。つまり他に発想の飛躍が無く、アイディアが硬直化していたのだ。

ここでカルチャースクールが役に立った。通っているのはモノづくりをしている日本人の職人ばかりなのである。

いろいろな業種のいろいろな職人・技術者などが子供たちを訓練してゆき、ガンガン子供たちの作るものの幅が広がっていった。カルチャースクールはいつしか子供と大人双方向の教育の場として社会全体を巻き込んで発展していった。


日本政府はカルチャースクール自体、特定の大人世代に対するガス抜きの政策で苦し紛れのものだったが、1980年代になるとこの状況を見てカルチャースクールを五番目の学校(小、中、高、大が第四の学校)「文化大学校」として位置づけ教育基本法を改正した。義務教育を終えたら基本的に国民全員が「文化大学校」の学生となり週末にカルチャーセンターへ通いカルチャースクールをレジャーとして、教育を授けたり授けられたりするようになった。


こうして変態的な技術力を子供の頃から叩き込まれとんでもない品質のモノやコト、それにアニメ・マンガといったサブカルチャーをも生み出せてしまう次世代が養成されてしまったのだった。


おしまい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ