Chapter.6 (Secret Track)
「そういえば、羽燐ちゃんに逢ったよ」
目の前に座る那木さんが水滴のついたグラスに入った氷を、からりとストローでかき混ぜる。
ツインテールの黒髪が愛らしい、高校生にしては背の低い女の子だ。
「乱刃さん?」
「そ、羽燐ちゃん。ホームルームが終わってすぐ、大急ぎで廊下を走ってったから声は掛けなかったけど」
「道理で教室に顔を出してもいなかったわけだ」
「お、笹ちゃん。羽燐ちゃんのところに行ったんだ」
「結局、夏休み中は二、三回しか遊べなかったからねー」
喫茶店『キューティクル』は今日も大勢の人で賑わっていた。
始業式を終え、一度家に戻ったあと、私こと雁葉笹は、友だちの那木さんに連絡をとってこの場所で落ち合った。ここは紅月君や那木さんが学校帰りによく寄っている、行きつけのお店なのだ。
「久々に顔を見られると思って、楽しみにしてたんだケドな」
向こうはそれほどでもなかったらしい。
乱刃さんとは一学期の半ば、紅月君を通して知り合った。
以来、親しくしているつもりだが、他人に気を遣って自分の主張はあまりしない娘なので、私のやっていることは友情の押し付けに過ぎないんじゃないか、とときたま思うことがある。
「にしても、廊下を走るだなんて乱刃さんらしくないよね」
「それだよそれ」
那木さんが指を差す。
それほど頭の回転が速いわけではない私には、何のことだかさっぱりだ。
「それって――何が?」
「そんなに気落ちしなくて良いと思うよ、笹ちゃん。羽燐ちゃんはあたしのことも笹ちゃんのことも、きちんと大切な友だちとして見てくれてるからさ」
ね、と小さな頭を軽く傾げ、私に対して笑い掛ける。
「ありがと、那木さん」
「どういたしまして」
――この娘はすごいなぁ。他人のコトをよく観察している。
「でも羽燐ちゃんの場合、大切な友だちであるあたしたちを差し置いても、『久々に顔を見られると思って、楽しみにしてた』相手が他にいるんだよ」
だから『それ』なのか。
女の子が友だちよりも何よりも、長期休み明けに逢いたい相手といったらひとつしかない。
「……好きな人」
「そういうこと」
なるほど、段々と那木さんの言わんとしていることが見えてきた。
「笹ちゃんに負けず劣らずサボり性の紅月のことだから、夏休みの宿題はほぼ確実に終わってない。そうなると、誰かに助けを求めるのは必定だよね。そんなとき、紅月が真っ先に頼りそうなのは――」
「乱刃さん」
学年トップクラスの成績を誇る乱刃さんならば、その役目には最適だ。おまけに乱刃さんは紅月君に激甘い。他の人が相手ではそうはいかない。
「正解。そして羽燐ちゃんが紅月から宿題の手伝いを頼まれるには、紅月がやって来る前に探偵部の部室で待機してなくちゃならない。もし間に合わずに紅月が先に諦めちゃったら、羽燐ちゃんは紅月に逢えずじまいで終わっちゃうからね」
「それで廊下を走ってまで先を急いだんだ」
「実際、一年生の教室から部室棟の探偵部まで行こうとしたら、十分そこらだもん。時間との勝負だよ。あれだけ急げば汗も掻いただろうし、喉も渇いたと思うよ」
「けど、わざわざそんな回りくどいことしなくても、乱刃さんが自ら宿題の手伝いを申し出れば良いんじゃないの? それこそ、うちらのクラスを訪ねてきたりしてさ」
「羽燐ちゃんがそんなことすると思う?」
「しない、かな」
乱刃さんは快活そうに見えても自分の主張をあまりしない娘なのだ。
たぶん、そんなことをしたら紅月君の重荷になるとでも考えるに違いない。
「幸いというべきか不幸にしてというか、紅月は紅月で人を呼び出してまで頼ろうとするタイプじゃないしね」
那木さんが意味深に私の顔を見る。
「普段はミステリしか読まない羽燐ちゃんが部室にSF小説を置いてるのも、紅月との話題づくりのためだよ」
「――何ていうか。健気だねえ」
「だいぶ七面倒くさいけどね」
そこまでの舞台裏があって、初めて『宿題の手伝いを頼みに来た紅月君を、部室で出迎える乱刃さん』という構図が成り立つのだ。これを健気と言わずして、何と言うのだろう。
恋愛沙汰なんて無縁な私にしてみれば、少し羨ましい。
「さ、休憩は終わり。紅月よりタチの悪い呼び出し魔さん、さっさと残りを終わらせるよ」
「何気に言い方キツくない!?」
テーブルの上にどちゃっと置かれた参考書とプリントの束が視界に入る。
せっかく現実逃避して目を背けていたのに。
「ほら、今日から生まれ変わった笹ちゃんなんでしょ? 心を入れ替えて真面目にやる!」
「うわーん、那木さんがこんなにスパルタだと思わなかったよぅ」
夏場のクーラーの効いた盛況な店内に、私の後悔の悲鳴が空しく響き渡った。
< fin.>
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