83、前途多難
「中身が入れ替わってるだって?」
大概のことは何でも受け入れる迷宮学園においても、人格が入れ替わるというのは驚くに値することだったらしい。
朝起きたら知り合いと身体を交換した状態になっていたこと、今のクロロスの様子を見て、クロロスもそうなっているのではないかということを訥々と説明した『グレゴリー』と、こくこく頷いている『コタロー』を交互に見て、三人の教師はぽかんとしていた。
「つまり、こっちがグレゴリーで」
とん、とコタローの肩をルーヴが叩く。
「こちらがコタロー君なのかね?」
アルゴスがまじまじとおとなしげな狼族を見上げる。オルテンシアに至っては、なんとか縛り上げて寝台の上に転がしてあるクロロスを見下ろし、さにあらんと頷いていた。
「少なくとも、クロロス先生がおかしくなったと考えるよりも、別人格がこの肉体に宿っていると考える方がまだマシね……全く、どうして効かないの?! 眠りも麻痺も沈黙も、どれも全部効かないなんて一体どういうことかしら!」
簡易寝台の上には、両腕で両足を抱えるような体勢で縛り上げられたクロロスが転がり、恨めしげな目をしてこちらを見ている。
そっとその視線から目を逸らし、五人は深々とため息をついた。
クロロスの奇行を止める術として頼りにしていたオルテンシアの魔法は、なぜかどれも効果がなかった。ならばと薬を飲ませようとすれば断固拒否。ぷいと顔を背けて『口が開かなくなる魔法』でもかけられているのかというくらい、頑なに口を閉じている呪術師に、学生時代からの友人であり、パーティメンバーであり、現同僚でもあるルーヴはこめかみに青筋を浮かせていたし、アルゴスは見てはいけないものを見てしまったような顔をしながら、必死に薬を飲ませようと奮闘し、撃沈。魔法が効かないことにうんざりしたオルテンシアは、怯える生徒二人に手伝わせ、こうすればもう動けないでしょうと微笑みながら呪術師を縛り上げたのだった。
「参ったな……中身が入れ替わるなんて聞いたことないぞ」
「何か思い当たるようなきっかけはなかったかい? 何か特別なことをしたとか」
じっとりとした目つきでこちらを見ている『クロロス』の視線を感じて冷や汗をかきながらも、二人は首をふった。コタローもグレゴリーも、昨夜はいつもと変わらず普通に就寝したのだ。
「とにかく、お前達も含めて何とかしなきゃなぁ」
「このままでは、迷宮学園から優秀な呪術師があたら失われてしまうことになる」
「あなたたちとクロロス以外に、入れ替わり症状を訴えにきている生徒も職員もいないし……一体なんなのかしら」
オルテンシアが、細長い光石を使ってクロロスの瞳孔を確認する。
「異常なし……噛みついてこないのがこの子のいいところだわ。それにしても、あなた、一体誰なのかしらね?」
うぞうぞ動いて、床に落ちたパンにあんぐり齧りつくような『誰か』とは一体。
その台詞に気がつく。グレゴリーとコタローが入れ替わっていて、このクロロスの中身が別人なのだとすれば、クロロスの中身もまた、誰かの肉体に意識だけ入ってしまっているということだ。
「ドコカニ、先生ガイルカモ」
『グレゴリー』の言葉に『コタロー』が顔を上げる。互いに見慣れた、だがどこか見慣れない自分と視線を合わせ、二人は力強く頷いた。
「僕タチ、先生ノ中身ヲ探シテキマス」
「そうか、そうだな。あんな偏屈ものでも、長いつきあいだしな……おれも探しにいこう」
「では、わたしは残っている職員に同じことが起こっていないか確認してこよう」
「わたしはここでこの子を見てるわね。同じような症例の子が来るかもしれないし」
やることは決まった。
そういえば、魔女と僧侶は大丈夫だろうか。同じような目にあっているなら、きっと救護室に来るだろう。そうしたら、自分達もこうなっているとオルテンシアが伝えてくれるだろうし、迷うことはない。
行こう、クロロスの中身を探しに。
そうして五人はそれぞれのやるべきことを見据えて、頷きあう。
食堂から逃げ出した生徒たちによって『呪術師クロロスご乱心』の情報が広がっていることも知らず、現在、救護室の中は比較的平和であった。
五人の背後で、『クロロス』がこっそりシーツを齧っていること意外は。
その頃。
魔女入りの僧侶は、途方に暮れていた。
やっとのことで着替えを済ませ、外に出た『マリエル』は、着慣れない膝丈のローブとチュニックが歩くたびにひらひらするのを気にしながら、女子教員寮に向かっていた。
学園祭の時に、これよりずっと短い裾のメイド服も着用済みだったが、これくらいの長さの方がかえって女の子らしくて気を使う。
マリエルは普段、どんな歩き方をしていただろうか。あまりおかしな行動をとるわけにはいかないし、話し方だって気をつけなければ。
結局、下着は着けずに来てしまった。考えてみればこの季節、外に出るなら外套を羽織るのだから、下着があろうとなかろうと外見ではわからない。ならばと思い切ってそのまま外に飛び出したのだが、締め付けもないし、なかなか開放的で悪くない。
外に出ると、ほんのりと温かい日差しが頬に触れた。呼気が白く凝って明るい空気にとけていく。冬の青空は高くて澄んでいて、こんなことにさえなっていなければ気持ちのいい休日になったはずなのだが、今はとてもそんな気分にはなれなかった。
「なんでこんなことに……」
寮を出る時も、知らない女の子や見慣れない寮母に、気さくに挨拶されて戸惑ってしまった。不審に思われていないといいのだが。
どことなく不自然な様子で歩いていた『マリエル』に、意外な顔が声をかけてきたのはその時だ。
「見つけた。寮までいく必要なくてよかったよ」
「……カティス?」
くん、をつけ忘れてしまったことに気がついて『マリエル』は慌てたが、カティスにはさして気にならないことだったらしい。不躾というほど無造作でもなく、どちらかというと丁寧な手つきで、明らかに贈り物とわかる箱をずいと差し出される。
学園祭が終わってすぐに復帰してきたカティスは、特に揉めることもなく、元のようにオルデンのパーティに治まっていた。鏡騒動のあれやこれはあったが、オーリアスの態度も変わらなかったし、カティスの態度も変わらなかった。特に礼もなければ、嫌味もない。
つまり、まるで元通り。
そんな状態だったので特に意識することもなかった相手だが、こうなると話は別だ。
「これ、あげるよ」
「え……」
差し出された、きれいな包装紙のかかった箱は青い空の下、華やいだ雰囲気を纏っている。
聖誕祭の贈り物なのだろうか、これは。
さて、一体どうするべきだろう。
ああ、全く困ったことになった。
今のマリエルは、マリエルではないのだ。中身はオーリアスなのだから、どう反応するのがマリエル的に正解なのか考えて行動しなくてはならないわけで。
今鏡を見たら、さぞかし引き攣った顔をしたマリエルが映るに違いない。
「この間の、お礼。……別に助けてくれなんて言った覚えはないけど、一応」
この間、というのは、鏡騒動のことだろう。他にカティスとマリエルの繋がりは思い至らない。
だるそうにこちらを見ているカティスの顔からは、特に何かを窺うことはできなかった。
「別に大したもんじゃないから。……あの馬鹿力にわけてやってもいいよ。あいつに礼なんか言うのごめんだし、君から適当に言ってわけてやればいい」
あの馬鹿力、というのは、もしかしなくても自分のことだろうか。
曖昧に持ち上がったままの手に、ぐいと四角い箱が押し付けられる。思わず受け取って、カティスの顔を見上げた。
カティスはオーリアスと殆ど身長が変わらない。マリエルから見たオーリアスも、こんな角度で見えているのかと不思議な気分になったところで、はっとする。
受け取ってしまったが、いいのか、これは。
「あのみょうちきりんなスキルもちとパーティ解消したくなったら声かけてよ。じゃ」
困惑しているうちに、ふふんと笑ったカティスは去っていき、後には贈り物を手にぽつねんと立っている『マリエル』だけが残された。
冷たい風が金の髪をさらって、ぱちぱちと緑の目を瞬いた『マリエル』は、はあっとひとつため息をつくと、ぐったりとしゃがみこむ。
とりあえず。
「ばれなくて、よかった……」