75、彼女の大いなる主張と罠士のひそやかな楽しみ
つまりですね、わたしが言いたいのは、貧しいって言い方は正しくないってことなんです。
だってそうでしょう、大きければ大きいほどいいなんて、そんなことありません。ありませんったらありません。ええ、本当です。僻みじゃなくて事実です。結局ね、一番いいのはほどほどってことなんです。大きすぎず小さすぎず、ほどほど。それが一番いいんですよ。でも世の中は公平じゃありません。恵まれた人も、ちょっとだけ足りない人もいます。それが個性なんです。わかりますか? 個性なんです。その個性を世の男性たちはどう思ってるんでしょうね。いいですか、わたしだってオーリに言われたんだったら、涙を呑んで引き下がりました。だってほら、見てください、これ! ……何ですか、ちょっと揉んだくらいで悲鳴なんか上げて。なんだったら後で満足するまで揉んであげますよ、ええ、わたしが満足するまでですが。 ごめんなさい? 涙ぐんで、どうしました? どうして謝るんですか、オーリは何も悪くありませんよ。ええと、どこまで話したんでしたっけ。ああ、そうそう、こんなね、こんなおっきくてやわらかくて揉んだら気持ちいいモノをお持ちのオーリに言われたんだったら、わたしだって納得したってことなんです。持たざるものは所詮、持てる者を見上げることしか出来ないんですから。そんなことしない? 大丈夫、わかってます。オーリはそんなこと絶対言わないって。それにオーリはできれば小さくなりたいって心の底から思ってますものね。知ってます。だからいいんですよ、ふふ。ああ、ダメですねぇ、脱線してしまって。でもこれだけは言っておきたいんです。貧しいって言い方は正しくないってこと。じゃあ何が正しいのかって? いい質問です。いいですか、心して聞いてください。コレは貧しいんじゃないんです。慎ましいんですよ。それは確かにオーリと比べれば? 確かに? 多少は差があるかもしれませんが、だからといって貧しいって、何なんですか! 貧しいって! ……ああ、ごめんなさい、少し気が高ぶってしまって……正しくないし、わたしと同志の方々の心を、深く傷つける言葉なんです、貧しいって。別にね、普段はそんなに気にしてないんですよ。だって個性ですから。そう、コレは個性ですから。わたしは世の中に主張したい。貧しいって表現はやめませんかって。だってコレは貧しいんじゃありません。慎ましいだけなんです。慎ましくても立派に存在してるんです。それをね、なんだってあんな金属で出来た親指ゴーレム如きに! 山どころかくびれもないくせに! 顔もないし! 身体の全面まったいらな存在に、なぜ貶されなければならないというのか。いや、そんなことは許されない! いいですか! コレは貧しいんじゃありません! 慎ましいんです! 貧乳なんて下品な言葉で表現するのは今日限りにして下さい! いいですか、これは慎ましい……言わば慎乳! そう、今日からわたしと同志たちは貧乳などというおぞましい言葉から脱却します! 慎乳、いい言葉じゃないですか! わかります? この気持ち。全身まったいらな存在に、ひ、ひ、貧乳の小娘呼ばわりされたわたしの気持ちが!
まったいらのくせに! まったいらのくせに!
がちゃん、ごかっ、ちゅいん、どかん、ちゅいん!
乱闘の音が響く空間の片隅で、一年生は四人、隅っこに固まっていた。アルタイルは光線が飛んでこないか見張ってくれている。
荒ぶる僧侶の、言いたいことは非常によくわかるが結局何がどうなってこの状況になったのかは、やっぱりよくわからない演説が終了し、場には沈黙が落ちた。
さらなる説明を求めるコタローの視線に、魔女の肩がはねる。
「つまり、その、罠にかかってくっついた状態のまま、あのゴーレムとやりあってる時に……その……」
蜂蜜色の目が、ちらりと僧侶を見て、気まずげに逸らされる。
「悪口、言ワレタ」
「そ、そう! そうなんだ、つまり、そういうことなんだ!」
しゃがんで輪になって話しているせいで、ショートパンツとニーハイの境目が眩しい魔女が、狼族の簡潔な一言に救われたような顔をして頷いた。小柄な僧侶の少女は、据わった目をして微笑んでいる。
魔女と狼族、ついでに立ったままの格闘家とも目を合わせ、忍者の少年は、僧侶に向かって静かに帳面を差し出した。
『ぼくは小さい方が好き』と書かれた帳面を。
「……ありがとうございます。そうですよね、そういう人だっていますよね。小さい方が走っても揺れないし可愛い下着たくさん売ってるし、悪いことばかりじゃないですよね」
やっとちゃんとした笑顔を見せてくれた少女に、コタローは静かに頷いた。結局、僧侶が大いなる怒りに苛まれているということ以外わからないままだったが、確かなことがひとつだけある。
『でも大きいのも嫌いじゃない』というもうひとつの真理は、永遠に帳面に書かれることはないだろう。
「む、そろそろ動きがありそうだな……四人とも、準備しておけ」
エルマーは不可視の魔力をあちこちばら撒いていた動作を止め、自分にだけは見えるその状況を確認した。なかなかの出来だ、悪くない。
「トランクル、ありがとう。今日も君のおかげでいい出来だ」
手伝ってくれていた地図職人を振り返れば、いつもながら挙動不審なクラスメイトは、がくがくと頷いた。何も知らない人がこの様子を見たら、エルマーにひどく怯えているように見えるだろうが、そんなことはない。見知らぬ人と話さなければいけない時、この地図職人は今の三倍はがくがくしているし、エルマーとオリガンとは目を合わせて話せるが、他の人とは決して目を合わせようとはしないので、別段、エルマーに特別怯えているわけではない。よく誤解されるが。
「う、うん、エルマー、や、役にたったなら、よ、よ、よかった」
『観測者の箱庭』は地図職人のスキルのひとつで、直接戦闘という意味では全く役には立たない。『目視できる範囲にある壁・天井・地面のありとあらゆる情報がわかるスキル』なんて斬って撃って殴ってが当たり前の戦闘に一体なんの役に立つというのか。大体、地図職人は武器を装備できない。つまり、当たり前だが、地図職人が迷宮に潜るなんて自殺行為もいいところだ。だが、その情報を得ることでその効果を最大に発揮できるジョブが、スキルがあるのなら、話は別だ。出来る限り最高の防具で固めていても、所詮紙防御にすぎない三人が、こうして無事に迷宮探索なんかしていられるのには、ちゃんと理由がある。
「今日は時間があったからさ、久しぶりに大きいの仕掛けちゃった」
「いつもはそんな暇ねぇもんな。それにしても、おまえの輝くような笑顔って、何度見ても鳥肌もんだわ……おー、こわ」
盗賊のオリガンが首を竦めて、大振りのナイフをくるくる回す。パーティメンバー二人から送られる、賞賛とも怯えともとれる視線に微笑を深くした罠士のエルマーは、乱闘中の集団と、その合間にちかちか光る、異様な速さで移動している魔動人形をにこやかに見つめた。
「かわいい後輩も見てることだし、はりきっちゃうなぁ。協力しようとは言ったけど、もうオレたちで捕まえちゃおうか」
「張り切らなくていいよ!? 俺たち別に張り切ってほしくないよ!?」
「お、お願いします……! おてやわらかに、なにとぞお手やわらかにいぃ!」
目線を送れば、アルタイルがそれに気づいて固まっている一年生たちに何事か声をかけている。
さすがに動きの鈍くなってきている乱闘集団の囀りが耳に心地いい。罠士はわくわくと胸を躍らせて、ぱちりと指を鳴らした。
「さて、どんな風に踊ってくれるかな」
何が起きても動けるように各々構えているオーリアスたちの前で、一番最初に犠牲になったのは、火球を連発していた魔法使いだった。
「……わっ!?」
振り下ろそうとしていた杖を構えていた手が、空中でぴたりと止まる。
「ラフ、どうした!」
「う、うごけな」
言いかけた言葉は二度と吐き出されなかった。
「ラフ!?」
哀れな魔法使いが、びたんといい音をさせて天井に張りつく。
「一匹目ー」
罠士が指を鳴らすごとに、戦闘中の誰かがまるで吸い寄せられるように天井に飛んでいく。
「ぐえっ、ほ、埃がっ」
「いってぇ、鼻打った……」
「ま、まって、見えちゃう! ローブの中見えちゃうぅ!」
びたん、びたん、びたん!
今まで雄雄しく戦っていた先輩たちが見るも無残に、蜘蛛に捕獲された昆虫のように天井に張りついていくのを、一年生四人はあ然と見上げていた。こんな摩訶不思議な光景を見たのは初めてだ。
握っていた武器も防具もそのままに、潰れた蛙のように天井と抱擁を交わす先輩もいれば、背面を天井に貼りつけられて強制的に下を見下ろすはめになっている先輩もいる。一人明らかに顔色が悪い背面組みの魔法使いは、恐らく高いところが苦手なのに違いない。
オーリアスたちが目を真ん丸くしているうちに、あれほどいた先輩たちは気づけば、大剣使いと大鎌使いの少女が残っているだけになっている。
「おいおい、勘弁してくれよ……おれもあそこに仲間入りすんのかよ……」
「て、天井は、天井はいや……せめて吊り下げてほしいっ」
「理解が早くて助かるよ。吊り下げ方式だとかえって危ないから、君たちの為なんだけどな?」
ぱちん。ぱちん。
「おわ!?」
「んぎゃ!?」
転移陣の前で、天井とゴーレム以外いなくなった空間を交互に見ていた四人と同じく、ゴーレムもまた呆気にとられていた。
何がなんだかわからない。やたらと突っかかってくる大勢相手にがんがん光線を撃っていたら、いつのまにか誰もいなくなっていたとはこれいかに。
ぴゅん、と動いて床に下りると素早く逃げ出す方向を確認する。素手の人間が二人、ナイフを持った人間が一人。奥にいくのは行き止まりだからあり得ないし、この三人はとても弱そうだ。
ワタシノハヤサデ、イクラデモトッパデキルワ。
ゴーレムはちらりと、つい、『言ってはいけない言葉』を浴びせてしまった小柄な人間を見て、こっそりと心に決める。
ヒンニュウ、ナンテイッタッテシラレタラ、プロフェッサーニ、オコラレルカラ、ヒミツニシヨウ。
そうして余裕綽綽で逃げ出そうとしたゴーレムは、三人の手前で、そこにある『何か』に遮られて動けなくなった。
何だコレは。
このべったりまったりと自分の美しい体に纏わりつく感触。これには覚えがある。
「……クモノス!?」