72、噂のゴーレム
「あっ……!?」
「どうしました?」
転移陣に戻る最中、突然声を上げた魔女に驚き、先頭のグレゴリーが首を回して背後を確認する。そして目を丸くした。
「ワウ!? イター!」
「えっ、えっ!? ゴーレム? ゴーレムですか!?」
グレゴリーの腕にぺたりと貼りついたまま、忙しなく辺りを見回したマリエルだが、その視界には噂のゴーレムらしきものは見当たらなかった。
「どこ? どこですか!?」
「そこだ!」
「先輩、そこってどこですか!?」
アルタイルは視認しているらしく、オーリアスの肩に触れている手に力がこもる。オーリアスにもその姿は見えていた。元々目はいい。グレゴリーも同様で、視認できているらしい。
「マリエル、ソコ!」
「グレゴリーくんまで! ソコってどこなんですかぁ!?」
その場で足踏みしてあっちこっち視線をさ迷わせるマリエルだが、金のゴーレムらしきものは見当たらない。せめて指で指してくれればわかるのに、と三人の様子を窺えば、三人とも真剣な顔つきで、盛んに視線を動かしている。
右、左、下、右、右斜め、左上、左上、右!
くいいるように何かを見つめながら同じ方向に視線を動かしている三人に、惨殺僧侶は困惑すると同時に少し恐くなった。自分の目には何も見えない。普段と同じ、四角い石作りの通路に見える。足元には砂利の感触がして、空気は少し乾燥気味。閉所恐怖症の人なら、この延々と続く通路に耐えられないかもしれない、そんないつもの迷宮だ。
しかし、どうやらこの三人には、マリエルには見えない何かが見えているらしい。
三人は無言のまま、視線だけをひたすら動かしていて、息詰まるようなその『何か』との攻防に全く参加できないマリエルは、もふもふしたグレゴリーの左手にくっついたまま途方にくれる。
声をかけたいが、かけられない。こんなにも真剣に何かを観測している人たちに声をかけたら、明らかに邪魔になってしまう。
見よ、あの恐るべき速さの視線移動を。
右下、右、左上、左、左下、右、左斜め上!
だが、マリエルには何も見えない。ああ、見たい、とても見たい。何かが確かにそこにいるのに、一人だけ何も見えないなんて。
尋常ならざる三人の様子に少々恐れを抱いていたマリエルだが、段々悔しくなってきた。
金のゴーレム、わたしだって見たい。
しかし、どんなに目をこらしても、見えるのは砂粒と埃くらいだ。それに蜘蛛の巣も、と逃避気味に視線をさ迷わせていたマリエルは、その時、天井の近くに張られていた蜘蛛の巣が消え去ったことに驚いて息を呑んだ。
そして、やっとのことで三人が見ていた『何か』の正体を目にすることができた。
「あ、あー!?」
全身に蜘蛛の巣を纏わりつかせた『ソレ』は、床の上でもぞもぞと動き、なんとか絡みつく蜘蛛の巣を取り去ろうと必死になっているように見える。
「き、金のゴーレム……」
野生の獣のような目つきで床の上の『ソレ』を見下ろしていたグレゴリー、オーリアス、アルタイルの三人は、マリエルの声にはっと我に返った。
「つい、真剣に追ってしまった」
「目を離すと逃げられるかと思って」
「速カッタ」
石の地面の上を、蜘蛛の巣まみれでじだばたしている『ソレ』は、確かに金色をしている。蜘蛛の巣のせいで残念なことになっているが、きらきらというよりもねっとりとしたコクのある光り方からして、恐らく構成物質は純金。頭部、胴体、腕、足。そして各関節。顔は無い。人型に近いが、頭部に顔らしきものはなく、胸部に赤い石が嵌めこまれている。
「魔動人形って、こんな姿をしてるんですね……」
まじまじと観察しながら呟いたマリエルに、アルタイルが首を振る。
「おれが知っているゴーレムとは違うな。見た目は似ているが、ゴーレムは、グレゴリーよりも大きいのが普通だ。これはせいぜい……10シムもないだろう」
「小さいですねぇ……あの、じゃあ、捕まえますか? この状態でも、コレなら捕まえられますよね?」
「ワウ、オレ、捕マエル」
「気をつけろ! まだ何をしてくるかわからないからな!」
さっと辺りを見回し、まだ他のパーティがいないことを確認して、捕獲作業に入ろうとしていた四人だが、全然『がしゃーんとして、ぐわっとして』いなかったことに、若干がっかりしていたオーリアスが吐息と共に吐き出した台詞によって、事態は変わる。
「なんだ……金のゴーレムってあんまり格好よくないんだな……」
「 うふふ、オーリはグレゴリーくんよりも大きいって言ってましたもんね」
さて、捕獲に必要な縄はどこだと腰の道具袋に手を突っ込んだグレゴリーの頬を、ちゅん、と何かが焦がして通り抜ける。
「警戒しろ!」
叫んだアルタイルが、ぎゅっと魔女の肩を掴み、前方の二人に注意を促した。
「ゴーレムの胸部から、何かが射出された!」
せいぜい中指くらいの大きさしかない蜘蛛の巣まみれの『金のゴーレム』は、じりじりと距離を取る団子状の四人の前で、じたばたもがいて立ち上がると、不意にぴょこんと飛び跳ねた。
「ワタシ、カワイイノヨ!」
「……え」
「カッコウヨクナンテ、ナリタクナイノ! カワイクナリタインダカラ!」
甲高い、不思議な音声が通路に響いた。ぽかんと一年生たちは口と目を丸くして、さすがのアルタイルも目を瞠る。
ゴーレムが、喋った。
口もないのに、どうやって。いや、これは現実なのか?
「ナニヨ! ワタシガカワイイカラッテ、ミンナデオイマワシテ! クモノスマミレニ、ナッチャッタジャナイ! サイテイ!」
「……え? あ? えっ」
オーリアスの肩を掴んでいるアルタイルの指が、くっついたままそわそわと動く。落ち着かない気持ちはわかるが、あまり動かさないでほしいと思いながらも、口に出せないオーリアスはうろうろ視線をさ迷わせた後、結局、小さくて金色で、喋る何かに視線を落とした。
「ナンカ、イイナサイヨ! ナニヨ、アンタナンカ、ブスノクセニ!」
両腕を振り回しながらきーきー叫ばれ、固まっていたオーリアスは思わず言い返した。
「どこが!? マリエルは可愛いだろ!」
「ソッチジャナイワヨ! アンタヨ、コノ、ブス! ドブス! ムネナンテ、トシトッタラタレルダケダッテ、プロフェッサーモイッテタンダカラ! ムネガオオキイカラッテ、イイキニナラナイデヨネ!」
「……!?」
生まれて初めて、面と向かって「ブス」と罵倒されたオーリアスは複雑な衝撃に言葉を失った。
元々、顔の作りをどうこう思う性質ではない。男だった時から、自分の顔に頓着していなかった。
そもそも、自分の顔はいいのか悪いのかなんてことを気にしたことがなかったのだ。
たとえ、オーリアス・ロンドは不細工だ、と誰かが言っているのを聞いてしまったとしても、ちょっとは傷ついただろうが、さして気にしなかっただろう。
剣を振るうのに顔など関係ない。人間、肝心なのはやはり中身だ。そんなことを大真面目に思っていたのだ。いや、今でもそう思っている。
それなのに、なぜ今こんなにも衝撃を受けているのだろう。
自分はこんな小さなゴーレムにも断言されるほど不細工だったのだろうか。いや、顔の造作など人間的な魅力とは関係がないはずだ。それに、顔は変えられないし、たとえ変えられるとしても、この顔を変える気はなかった。
そもそも、ブスというのは女性に対する悪口であって、とそこまで考えて、今の自分は女性なのだとはっとする。
ああ、だがしかし、この衝撃はなんと言っていいものか。
混乱しているオーリアスが我に返るより先に、マリエルが叫び返した。
「失礼な! オーリがブスですって!? だったら大抵の女の子は立つ瀬がありませんよ! 大体、あなたなんか顔がないじゃないですか! 不細工も何も、それ以前の」
ちゅん!
マリエルの金髪が、一筋、途中から切れてはらりと床に落ちる。
「確認した。奴の胸部の石から光線が出て、それでマリエルの髪を焼き切った。直撃すると拙いな」
落ち着いたアルタイルの声に、オーリアスが我に返る。
「せ、先輩」
「ナニヨ! ナニヨ! チョットカワイイカラッテ! バカ二シテ!」
怒りのオーラを纏った金のゴーレムは、蜘蛛の巣まみれのまま、小さな腕を振り上げて叫んだ。
「ナイタッテ、ユルサナインダカラ!」