70、そんな罠に出会いました
浮遊感が治まると、もうそこは迷宮の中だった。
「よし、行こう」
「やっぱり迷宮の中は過ごしやすいですね」
「ワウ」
先日28階を攻略したので、今日は噂の29階層を初めから攻略していくことになる。
手元の自動地図に一応目を落とし、現在地が赤い点として記されているのを確認して、歩き出した。
涼しくもなく、暑くもない、生温いような少し乾いた空気が冷えた体を包んでいる。
「金の魔動人形って、どんな姿をしてるんでしょうね」
いかにも僧侶らしいローブ姿なのに、腰に下げた剣がしっくりと様になっているマリエルが、楽しげに口を開いた。
「わたし、50シムくらいの金色のお人形みたいなのかなって、勝手に思ってるんですけど」
「へえ、マリエルはそうなのか」
「オーリはどんなのだと思います?」
靴音と抑えてはいるが弾んだ声が石造りの通路に響く。油断なく周囲に気を配りながらも、三人の目は噂のゴーレムを想像して、きらきらしていた。
「おれは、大きいと思う。グレゴリーよりも大きくて、こう、がしゃーんとして、ぐわっとしてると思う!」
あまりにも抽象的なゴーレム像だったが、『がしゃーんとして、ぐわっとしている』のだろうなということだけは伝わったので、マリエルは頷いた。オーリアスの想像どおりのゴーレムだったら、捕まえるのも倒すのも大変そうだ。
「グレゴリーはどう思う?」
「マリエルクライノ大キサデ、羽根ガ生エテル」
「それは……ゴーレムというより、妖精とか、天使とか言いませんか」
「凄く……倒しづらいな」
「倒しづらいです……」
「……ワウ」
三人の脳裏に、羽根が生えたかわいらしい金色の少女、もしくは少年が浮かぶ。もしも金のゴーレムがそんな姿をしていたら、とても倒せない。撲殺も惨殺も圧殺も惨すぎる。グレゴリーが聞いたように、握手でもしてもらって、お別れするしかないだろう。
金のゴーレムへの期待を胸に、てくてくと迷宮の通路を進んでいく三人だが、その内段々顔が引き攣ってきた。
「……なぁ」
「言わないで下さい。わかってます」
「……出ナイ」
出ないのはゴーレムではない。ゴーレムも出ないが、それ以前に、一匹も魔物が出てこない。いや、出てきてはいるのだが、戦闘まで持ち込めないのだ。
てくてくと地図を埋めつつ進んできた三人には、その理由がよくわかっていた。
今も10セムほど奥で、霧状の魔物が湧いたが、三人が何をするまでもなく、前方を進んでいた先輩パーティから火球と突風がぶつけられ、湧いた瞬間に瞬殺された。
「血染めの霧には、やっぱ炎よねー」
「風で散らすのも有効だ」
「懐かしいいですね。初めの頃は、よく逃げ回りましたっけ」
「物理が効かない魔物だからな」
「んじゃ、行きますか」
「いつもこう楽だといいんですけどねぇ」
足を止め、無言でその光景を見ていた三人は顔を見合わせ、とぼとぼと歩き出した。
有益ではある。どんな魔物が出るか、どんな特性があるのか、見ていればわかるし、戦い方も参考になる。
しかし、これではただの散歩と変わりない。先輩たちは既に攻略した階に来ているのだから、気楽に戦闘できるし、攻略という意味でもがつがつする必要がないだろう。
だが、オーリアスたちは違う。この階に来るのは初めてで、本来なら一から道を切り開き、魔物と戦い、ああでもないこうでもないとやりあった末に、知識と経験を見につけていく、そういうはずだった。だが、通路を曲がれば先輩、真っ直ぐ進んでも先輩、引き返そうと後ろを振り返っても先輩というこの状況では、とても無理だ。沸いた端から倒されてしまうのだから、そもそも戦闘にならない。
「せ、先輩たちいすぎだろ……」
金のゴーレム出現の噂は、こんなところに弊害をもたらしていた。
迷宮の通路は狭くない。少なくとも、集団の魔物と戦闘できるくらいの広さはある。それに迷宮自体、とても広い。あっちでもこっちでも、いくらでも魔物は湧いている。ところが、魔物が湧く早さと多すぎる先輩達が魔物を倒す速度がほぼ同時なせいで、湧いていないのとと変わらない状況なのだ。迷宮に潜ってからそれなりの時間が立ったのに、未だに剣と杖、それに盾の出番は訪れないままである。
「どうしましょう、これじゃただ地図を埋めてるだけになっちゃいますよ」
「とは言っても、倒さないで下さいとは言えないしな……」
「ワフン……」
もういっそ割り切って、今日は金のゴーレム探しに費やしてしまおうか、と三人は途方にくれた。
戦闘がないせいで、やたらと地図が埋まっていく速度が速い。どうせ戦闘できないなら、できないことを逆手にとってどんどこ進むのもひとつの手ではある。
困りながら通路を進み、行き止まりにぶつかったり、先輩達の戦闘を観察したり、罠に引っかかった先輩達の悔しがる姿を見てこっそり笑ったり、姿形のわからないゴーレムを探したりしている内、ちょうど視界から先輩パーティの姿が途切れた。もしかしたらこのまま初戦闘できるかもしれないとわくわくしていた三人だが、戦闘よりも先に小部屋を見つけて足を止めた。
「お、宝箱!」
「久シブリダ」
「うわぁ! 本当に久しぶりですね!」
中を覗くと、小さな部屋の真ん中に古ぼけた木箱が置かれている。
うきうきと中に入った三人は久しぶりの宝箱に顔を綻ばせ、お互いの顔をちらちらと見ては、誰が開けるかを無言で争った。
「全員で開けよう」
「そうです、それが公平です」
「ワウ!」
互いに譲る気がない。だって久しぶりの宝箱だから。
別に中の物が開けた人の物になるわけではない。三人とも、単純に宝箱を開けるのがお楽しみなのだ。
それなら全員で開ければいいやという結論に達したのは早かった。いそいそと三つの手が上蓋にかけられる。
「それじゃあ、せーの」
「せーの!」
「セーノ!」
さして大きくもない宝箱の前にみっちりとしゃがんだ三人が、ぱかりと蓋を開く。
「……あれ?」
中には、何も入っていなかった。
「えー……」
「……ヒドイ」
「これはないだろ」
久しぶりの宝箱かと思えば、中身が空。持ち上げられて落とされる。逆ならいいが、これは嫌だ。
あからさまにがっかりしている三人の頭の上で突然、ぱん、と緑色の光が弾けた。
「うわっ!?」
「きゃっ!?」
「ワウっ!?」
小部屋の中に眩しい光が溢れ、耐えられない眩しさに三人が咄嗟に目を瞑る。激しい光はゆっくりと薄れ、ぎゅっと目を閉じていた三人がおそるおそる目を開ける頃には、小部屋はいつもどおりの迷宮に戻っていた。
「今の、なんだったんでしょう」
「どこも変になってたりしないよな?」
慌ててあちこち確認してみるが、特に変わったところは見られない。ちょっとした悪戯罠だったのかもしれないと納得したところで、異変は起こった。
「ワウ?」
「グレゴリーくん、どうしました?」
「手ガ、取レナイ」
「取れない?」
グレゴリーの手は宝箱の蓋に触ったままで、動かそうとすると空の宝箱がずるずるとついてきてしまう。
「こういう罠だったんでしょうか?」
「本当に取れないんだな、どうする?」
「……えっ」
「マリエル、どうし……うっ?!」
ぺたりと蓋にくっついた手と格闘するグレゴリーの背中に触れたマリエル、そのマリエルの肩に触れたオーリアス。
「取レタ!」
グレゴリーは蓋から外れた手のひらを見て喜んでいるが、撲殺魔女と惨殺僧侶は事態を悟って青褪めた。
悪戯罠? とんでもない。これは非常に悪質な罠だ。
「お、オーリ」
「マリエル、どうしよう」
手が、外れない。