番外、グレゴリーの子守大戦争 後編
泣き疲れておねむの子ども達に囲まれながら、グレゴリーは腕に抱いている一番泣き虫な女の子を揺らしていた。
殆どの子達はもふもふした狼族と触れ合うことで落ち着きを取り戻し、その上で泣き疲れておねむになっているのだが、この子は他の子よりも繊細らしい。ゆらゆらと揺らし、時々ぐりぐりと鼻先でかまってやっている間はぐずぐずしながらも大人しくしているのだが、少し距離を取るとあっという間に大泣きが始まってしまうのだ。
そこで狼族の少年は、毛布に包まってこてんと寝ている迷子たちの真ん中で生身の揺りかごとして活躍していた。元々体力腕力は折り紙つきだ。こんな小さな生き物を抱きかかえていたって、ちっとも疲れやしないので、子守委員たちも申し訳なく思いながらも、ついおまかせしてしまっている。
「困ったな……どうして誰も迎えに来ないんだろう?」
「こんなに迷子がいることがそもそもおかしいと思う」
寝ている子ども達を起こさないように、ひそひそ声で委員達が顔を見合わせる。泣き叫ぶ子どもの世話に追われ、それどころではなかったのでひたすら子どもをあやすことに必死になっていたが、考えてみればおかしな話だ。
ちょっと冷たい床に膝を抱え、先輩委員たちは救世主とその周りに群がっておねむの幼児たちを見つめる。あんなに苦労したのに、彼が来た途端、皆あっという間に懐いてしまった。
ありがたいしとても助かったのだが、何だかちょっと悔しい。
そんな複雑な気持ちを味わいながらも、精神的な疲労感と静けさに委員達もうっかりうとうとし始めた時。
「おーい、迷子連れてきたー」
静かでまったりとした迷子預かり所に、明るい声が響き渡った。
「すげーな!こんな迷子いんの?」
びくっとして顔を上げた委員達が、慌てて鬼のような顔をして口を塞ぐ仕草をする。
「おまえ!さっきやっと静かになったんだぞ!?」
「グレゴリーくんが来てくれなかったらどうなってたことか!」
「救世主の活躍を無にする気なら許さない……!」
出来るだけ声を抑えながらも怒りの咆哮を上げる、という器用なことをする委員達に睨まれ、首を竦めた男子生徒が、後ろにいた子どもを教室の中に押し込む。
「わかったわかった、ごめん。ほら、この子迷子だからさ」
よろしく、と呑気な声を残してさっさと退散を決め込まれ、委員たちはぎりぎりと歯軋りする。
こっちの苦労も知らずに!
「えっと、保護者の人が来るまで、ここでお話してようねー。お菓子もあるよ」
「名前はなんていうのかなー?」
いくら疲労していても、仕事は仕事。今日だけで相当鍛えられた表情筋を瞬時に笑顔仕様にした委員たちが、ささっと新入りの迷子に近寄る。
泣かれる前に確保、そしてお名前住所一緒に来た人の名前その他の情報を聞きださなければ。
「……エリュシー」
新入りの迷子は不思議な雰囲気を持つ少女だった。今おねむの子どもたちよりも、幾つか年上だろう。不安げな濃い灰色の目が、落ちつかなく部屋の中をさ迷う。
「そっかー、エリュシーちゃんていうんだー」
「もう大丈夫だからねー」
にこやかに歓迎され、お菓子もあるよと招かれながらも、その眼差しは不安げだ。
着ているものは普通の子ども服だが、造作があまりにも整っているのでやけに洗練された印象を受ける。こんなにきれいな子どもが一人で歩いていたら、それは確かに危ない。
迷宮学園の人々に不埒な人物はいないと信じたいが、学園祭にはたくさんの外部の人が訪れる。
ふらふらと怪しげな気持ちを起こすものがいないとも限らないので、この子を迷子として確保してきたさっきの生徒はいい仕事をしたなと委員たちはこっそりと頷きあう。
不安げな少女を座らせ聞き出した情報を元に、一人が放送係の元に走る。
「そっかー、一緒に来たのは従姉妹のお姉さんなんだね」
「フミさんていうのねー、大丈夫、すぐ来てくれるからね」
七つか、八つくらいだろうか。少なくとも、今日さんざん苦しめられた『幼児』とはいえない年齢の少女なので、いきなり泣き出すようなことはないだろうと安心した委員の一言を聞いた少女の表情が変わった。
「……だ、だめなのじゃ……」
「ん?」
俯いた少女の小さな頭を彩る、極淡い金色の髪が肩口を滑り落ち、ほんの少し尖りぎみの、白い貝殻のような小さな耳が露になる。
「……エリュシーは」
ひっく、と少女の喉が鳴る。
「が、我慢、できなかったっ……ちゃ、ちゃんと薬も飲んだのにっ……がまん、できなくてっ」
きっとフミは怒ってる、迎えになんか来てくれないんだと肩を震わせて泣く少女に、委員たちは途方にくれた。手加減の欠片もない大泣きも辛いが、こんなふうにひっそり泣かれるのも気まずい。
「えっと、フミお姉さんと喧嘩しちゃったの?」
女子委員がそっと小さな肩に手を置いて覗き込む。ぽたりぽたりと涙をこぼしながら、エリュシーと名乗った少女はふるふると首を振った。
人生で今日ほど『泣いている子どもを泣き止ませて笑顔にするスキル』が欲しいと痛切に思った日はない、と委員たちが苦い思いを噛み締めていると、やっと寝ついた女の子を抱いたまま、のっそりとグレゴリーがやってきた。
この子にももふもふの魔法は通じるだろうか、いや、きっとなんとかしてくれる、と固唾を呑んで見守る委員達をよそに、グレゴリーは少しの間、じっと泣いている少女を見つめていた。
「……我慢デキナカッタラ、怒ラレル?」
エリュシーの横に腰を下ろし、ぽそりと呟く。
「み、みんな怒った……え、エリュシーは、エリュシーは」
俯いたままのエリュシーが、泣き濡れた顔を上げる。花びらのような唇がわななき、苦しげに眉が顰められる。
何か途轍もないことを告白しようとでもしているように苦しげなエリュシーの小さな背中を、女子委員の手のひらがやさしくさすった。グレゴリーとは反対側に座り込み、ぎゅっと肩を抱き寄せる。
「皆怒ッタトキ、フミオ姉サンモ、怒ッタ?」
「……フミ、は」
潤んだ瞳が、ふとぱちぱちと瞬く。おねむの子ども達の寝息が響く教室の中に、か細い声が響いた。
「フミは、怒らなかったのじゃ……」
「じゃあ、大丈夫。一緒にお祭りに来たのよね?」
「……ん」
「楽しかった?」
「楽しかった……」
「一緒にお祭りを楽しんでくれるフミお姉さんが、エリュシーちゃんのこと、怒るかな?勿論、悪いことをしたら叱られると思うけど……」
じっと見上げてくるエリュシーに、にこりと笑う。
「迷子になって泣いてるエリュシーちゃんのこと、怒るよりも前に、心配してるんじゃないかなぁ」
そうだったらいいのに、といわんばかりにエリュシーの瞳が輝く。落ち着かなく自分を囲むお兄さんお姉さんを心細げに見上げた。
「そうそう。きっと今頃エリュシーちゃんのこと探してる」
「迷子放送かけてもらったから、もうすぐ来てくれるよ」
「ダイジョウブ」
片手を伸ばし、ぽふぽふと小さな頭を撫でれば、自分の頭に乗せられたもふもふの手に、少女はやっとのことでくすぐったそうな笑みを浮かべた。
「そ、そうじゃろうか……」
幼い声に不似合いな口調も、浮世離れした妖精のような少女が発すると不思議と違和感がない。本当はかなり身分が高いのかもしれなかった。素性を隠してお忍びで遊びに来る貴人も多い。
「さ、涙を拭いたらおやつを食べ」
「すいませーん!」
廊下を走る荒っぽい足音が、迷子預かり所の前で止まる。
「うちの子来てませんかっ!?」
部屋の中に飛び込んできた女性の目が、部屋の奥で委員に囲まれているエリュシーのところで止まる。
「え、エリュシー! やっと見つけたー!」
叫び声とともに突進してきた女性が、エリュシーをがしっと抱きしめた。
「あああ、もう! 何してたの?! 無事?! 無事だよね!? どれだけ探したと……迷子放送かけてもらっても反応ないし! めちゃくちゃ心配してたんだからー!」
なるほど、保護者が被保護者を呼び出す場合もあるのか、と迷子預かり所待機の生徒たちは感心する。
言われてみれば当たり前だが、ここに来るのは自力で保護者を探せないくらい小さな子ばかりだったので、そちらには考えが至らなかった。
素朴可愛いお姉さん、といった様子の女性はよほど慌ててやってきたらしい。スカートの裾は捲れているし、髪だって乱れている。それだけ急いで、心配して飛んできたということで。
今日初めての『お迎えに来た保護者』に、委員達も心の底から安心した。
ああよかった。何度呼んでも誰も迎えにこないから、まさか捨て子ではないだろうなとおかしなことまで考えてしまっていたのだ。安心したのと同時に、慌てておねむの子ども達に視線を向け、『フミお姉さん』に声を抑えて欲しいとお願いする。
「ああ、ごめんね、もう急いできたもんだから……」
ぽかんとした顔で抱きしめられていたエリュシーの顔が、ふにゃりと歪む。
「ふ、フミ、あの、え、エリュシーは、が、我慢できなくてっ……」
「えっ!?」
顔色を変えた女性に、エリュシーがごにょごにょと耳打ちする。
「いつ頃?」
「……フミとはぐれて、すぐ……」
「あ、じゃあ、もうそろそろ切れるね」
「ん……」
「そっか、それで」
こしょこしょ話していた二人がくるりと委員達を振り向き、ついで迷子預かり所内の迷子たちを見て呻いた。
「エリュシー、この子達で全員? 他にはいない?」
「……全員いるのじゃ……」
「間違いないね?」
「ないのじゃ。一度見たら、エリュシーは忘れないのじゃ」
わけがわからない会話をしている二人を、呆気に取られて見ている委員と、ぴこぴこ耳を動かしているグレゴリーに『フミお姉さん』の眉がへにゃりと寄った。
「この度は! 大変申し訳ありませんでした……!」
深々と頭を下げられ、委員達が恐縮する。
「い、いえ、迷子を助けるのが僕たちの仕事なので」
「エリュシーちゃん、お迎え来てよかったねー」
一番後に来て、一番最初にお迎えが来たエリュシーは、じっと委員達と狼族を見上げ、小さな頭をぺこりと下げた。
「エリュシーのせいで、悪かったのじゃ……」
「本当にすみません。もうそろそろ効果が切れるので、あちらの子達にもちゃんとお迎えが来ると思います」
「えっ」
ぺこぺこと米搗きバッタのように頭を下げる二人に、わけがわからないままなんとなく頷き返しているところに、さっきと同じ足音が駆け込んできた。
「サーシャ!?」
「リック!」
「うちの子いませんか!?」
「マリーア!」
「ああ、なんてこと! ケイン!」
「すいません! リュミエール! うちのリュミエールは?!」
「ネリーっ!」
突然わーっとやってきた保護者たちが部屋の中に駆け込み、迷子預かり所は混乱の場へと突如変貌した。
「お、落ち着いてください!落ち着いて!」
「静かに!お静かに願います!」
「サーシャちゃんのお父さんは!?」
「ケインくんはここにいますよ!」
グレゴリーの腕の中で寝ている小さな少女に、まだ若い母親が駆け寄ってくる。
「マリーア!」
涙声で、ありがとうございます、ありがとうございます、と繰り返されながら、狼族の少年はエリュシーとその保護者がそっと出て行った出入り口を視線で追った。
狼族の耳には、あの二人の会話は全部聞えていたから、グレゴリーはこの迷子大量発生が、誰のせいで起こったことなのかを知っている。
けれど、この部屋の迷子たちにはちゃんとお迎えがやってきたし、自分が今までと同じようにフミお姉さんに受け入れられたと知ったエリュシーの幸福な顔を見てしまったから、まあいいかと口を噤むことにした。
そっとぽかぽか温かい腕の中の小さな生き物を母親の元へ返し、そこここで行われている感動の対面とてんやわんやの先輩方をを見守りながら、一つあくびをする。
なんとなく、今は離れている両親の事を思い出し、そして、オーリアスとマリエルの顔が見たくなって、わふっと笑った。