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学園迷宮で会いましょう  作者: 夜行
第4章
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番外、グレゴリーの子守大戦争 前編





『狼族はとても勇敢。誇り高く、気高く、揺るがぬ強靭さを持ち、一度戦闘になれば頼りになる勇猛な戦士として、敵に立ち向かい、そして勝利を引き寄せる。それが獣人の中でも特に勇敢、勇猛で知られる狼族である。

 しかし、そんな狼族にも苦手なものはある。特に苦手なもの代表が繊細な作業で、細かい作業が得意な狼族は殆どいない。稀な例外は同属から尊敬の眼差しを向けられるほどだ。

 次に、彼らは基本的に無口で、言葉よりも行動で何かを示すことが多いので、必然的に細やかな会話力があまりない。おしゃべりな狼族というのもまた、珍しい存在である。


 もしも狼族、特に純粋な狼族と親しくなる機会があったなら、それを念頭に置いて交流を深めてみてほしい。上手く紐が結べなくてしょげている狼族を見かけたら、さりげなく紐を結んであげるといい。話しかけたのに返事が返ってこなくても、自分が嫌われたのではないかと悲しくなる必要はない。笑顔を保ち、朗らかな雰囲気を発しつつ、彼らの言葉を待つのだ。そうすれば、あなたは彼らの少々舌ったらずな、しかし心の篭った言葉を聞くことができるだろう。最初の一歩が上手くいけば第一関門は突破だ。彼らの友情を得るための第一歩は踏み出された。


 だが、彼らを相手にする時何より大事なのは、さりげない手伝いでも、親しみやすさでもない。  

 あなたが彼らの真の友情を欲するなら、彼らの誠意に誠意を持って応えなさい。それが彼らとの距離を縮める一番の近道となるだろう。もっとも、どんな種族であろうとそれは当たり前である。


 しかし、当たり前のことは案外できないものであり、誠実に誠実を返すことの難しさ、異種族間における常識の違いに、長年異種族間通訳として働いてきたわたしであっても、時に苦悩することがある。

 ああ、わたしはどうしてもあれを食べることができなかった。

 あの黒光りして素早く動き、縦横無尽に飛び回るアレを美味しくいただくことができていたなら!

 わたしの前に開かれていた天族との交流の道は閉ざされた。アレの素揚げをどうやっても食べられなかったばかりに、素晴らしき美しき天族との交流の機会を逃してしまったことを思うと、わたしの胸は今でも切なく締めつけられる。


 もしもあなたが天族との交流を望むのなら、日頃からアレに親しみ、アレをばりばりと食べられるように訓練を重ねることをお薦めする。それさえ出来れば、あなたは天族の食事に馴染み、その美味さを語ることで彼らの心を開き、彼らと交流を深めることができるだろう。

 もう一度その機会が与えられるなら、わたしはアレの素揚げに挑もう。そして遙かな天族と言葉を交わし、彼らの文化に触れ、彼らの世界へと飛び込んでいこう。


 それなのに、ああ!


 惰弱なわたしの精神は、今日もまたアレを叩き潰すことに終始し、捕獲して食べようとは微塵も思えなかったのである』


 『真なる架け橋』セイジ・アーキオ

 『万物図鑑が出来るまで』 1729頁 種族の友の章より抜粋 





 ラビュリントス学園迷宮にただ一人の狼族である、グレゴリー・グレゴ・ルーミ・アトルムが実行委員の先輩に引っ張られて迷子預かり所にやってきた時。

 そこはまさしく戦場であった。


 子どもの笑顔は愛らしい。きゃっきゃと笑うその笑顔はまさしく天使である。しかし、その笑顔が泣き顔になった時、地上の天使はあっという間に堕天使へと変貌する。

 響き渡る絶叫、泣き声、飛び散る涙。

 見よ、それをなんとか宥めようと必死に奮闘している実行委員の先輩方の顔を。

 今にも泣き出しそうに震えた声で、大丈夫、大丈夫だからね、と繰り返す先輩女子の顔色はとても大丈夫には見えなかった。


 この学園に通うのは、大体がいいところのお坊ちゃん、お嬢ちゃんである。弟妹がいたとしても、面倒を見るのは専門の召使いか乳母であり、自分で幼児の面倒を見たことがあるものなど殆どいない。

 最初ははりきっていた委員たちも、どれだけ慰めても大丈夫と言い聞かせても泣き止まない幼児たちにどんどん精神を削られ、いまや自分達の方が泣き出しそうになっていた。


「さぁ行け、行くんだグレゴリーくん! あいつらを救えるのは君しかいない! 頼む! 行ってください! お願いします……!」


 こちらも相当神経をすり減らしていたらしい案内役の先輩に、ぐいぐいと泣き叫ぶ幼児たちの真ん中に押しやられたグレゴリーは困惑した。子どもは嫌いではない。どちらかというと好きなほうではある。しかし、グレゴリーに自覚はないが、相当に過保護に大事に大事に育てられた一人っ子であるグレゴリーに、子どもの面倒をみた経験などない。

 びーびーぎゃあぎゃあとつんざくような泣き声に耳をぴくぴくさせながら、とりあえず手近な男の子を抱っこしようと腰を屈めた狼族の少年を見た子守役を務めていた先輩女子が絶叫した。


「みんなー! 狼のお兄ちゃんがきてくれたよー!」


 満面の笑み、しかし目は据わっているという、極限状態にあることがありありとわかる、ヒステリックな叫びではあったが、その悲痛さゆえに大きく、一瞬子ども達の泣き声を上回った。

 その大声に、涙でいっぱいの子ども達の目が『狼のお兄ちゃん』に一斉に向けられる。


「お迎えが来るまでー! 狼のお兄ちゃんが遊んでくれるからねー!」


 その台詞に込められた『お願い、助けて』という精一杯の救難信号を受け取ったグレゴリーは、静かに頷き、子ども達の視線の中心でふさふさの尻尾を振って見せた。


 迷子預かり所として用意された教室の中には小さくしゃくりあげる音が響いていたが、ひっくひっくと顔を真っ赤にして泣いていた男の子が一人、グレゴリーをじっと見上げた。


「……わんわ……?」


 気高い狼族であるグレゴリーは、犬ではないと主張したい心をぐっと抑え、涙の洪水を起こしているまん丸な目の期待に答え、厳かにうなずいて見せた。


 すなわち。

 今この時からこの迷子預かり所から迷子が誰もいなくなる時まで、狼族のグレゴリーは、大きなわんわんになる、という決意の証である。


「わんわ……」


 ぐしぐしとべちょべちょの手で涙を拭いた男の子は、座り込んでいた床からもたもたと立ち上がると、膝をついた『わんわん』の元へと歩み寄り、ふにゃりと顔を歪ませ、しゃくりあげながらその素晴らしきもふもふの毛皮に抱きついて、ぎゅうぎゅうと顔を押しつけた。


「……っく、う、わんわ、うー、うー」


 一生懸命泣くのを堪えているらしい男の子のいじらしさに、グレゴリーは胸を切なくさせてその熱っぽくて汗ばんだ体を抱き上げた。ぐにゃりとやわらかくて小さくて、あんまり脆すぎるように思える小さな生き物を、不慣れな手つきでよしよしとあやす。


「ダイジョウブ、ダイジョウブ」


 終わった後は涙と鼻水でえらいことになるだろうが、それもこの小さな生き物のため。

 汚れたら洗えばいいのだ、洗えば。

 そんな毛皮自慢の狼族と男の子を見ていた他の迷子たちは、頬を涙で濡らしながらも『大きなわんわん』に抱っこされている男の子が羨ましくなったらしい。

 ひとりがおずおずと近づけばもう一人は勢いよく突進する。つられるように他の子どもたちもどんどん走り出し、嵐のような数瞬が過ぎた後には、狼族を王とした幼児ハーレムがそこには出来上がっていた。


 まだ泣き声は聞えているが、それもその内止みそうである。

 今まで少ない人数で必死に子どもをあやしていた委員たちは、力が抜けて床にへたり込み、何時間ぶりかわからない穏やかな空気に涙ぐんだ。


「……ありがとう、ありがとう……!」

「わたし、きみのこと一生忘れない……!」

「迷子が、迷子が」

「……多すぎた……!」


 一人二人ならなんとかなったはずなのだが、今日はなぜだかやたらと迷子が多かった。その上、迷子放送をしても親御さんが迎えに来ない。

 最初の内は大人しくしていた子ども達も、時間が立てば不安になる。そして一人がとうとう泣き出したことでつられ泣きが始まり、悪夢のスパイラルが始まってしまったのだった。


 午後の穏やかな日差しが満ちる部屋の中には、ぐったりと死んだ目をして遠くを見つめている委員たちと、あたたかいもふもふに縋りついて、やっと不安な心を慰められた幼児たち。


 そして両者の救世主となった『大きなわんわん』は、身動きできないほどみっちりと子ども達にしがみつかれ、どうしたらいいかわからないまま、とりあえず全員を抱っこしてあげればいいのだろうか、とぼんやり考えていた。






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