66、学園祭二日目午後の部
ポーションくじ。
それは時に人を惑わせ、深みに嵌まらせる魅惑のくじ。
「くうっ、またチュパドールの足か!」
「おい、もうそろそろやめとけよ」
「せめて五等を当てるまでは……!」
銅貨を握り締めてぷるぷるしている先輩組に少しばかり困った笑顔を向けながら、マリエルがそっと先輩に声をかける。
「先輩、もう13回目ですよ」
どことなく不吉な回数だな、とマリエルの横で景品の『血吸い人形の足』を袋につめながら撲殺魔女は思った。
「まだ一等も特等も出てないんだろ?!」
「はい、まだあるのは確かですが……」
「もう一回……も、もう一回だけ……!」
ぐい、と銅貨二枚を握った拳を突き出され、オーリアスはありがたくそれを受け取った。
「では、お好きなポーションをどうぞ」
惨殺僧侶のかわいらしい声で促され、ポーションの小瓶が詰まった箱に手を伸ばす。
さんざん迷った末に一つを選び出し、それを受け取ったオーリアスが小瓶につけられている紙片を開く。そして、食い入るような目でこちらを見ている先輩に申し訳なく思いながら、静かに告げた。
「ハズレ、 二つ目玉の右目」
「……うおおお…… 運命神さま、なぜですか……」
ころりと手のひらに転がる目玉を袋に追加して、ぱんぱんの袋を床に崩れ落ちている先輩ではなく、その横で爆笑している先輩に渡す。
「あ、どーも。おら、行くぞー」
「……なぜだ……」
「アホ。くじなんてな、当たらないから楽しいんだろが」
おまえいつか賭け事で身を滅ぼすぞ、ほどほどにしとけと至極全うな忠告を与えているが、袋を持った片割れの方は、一回目で見事4等の中級ポーションを当てている。
「おまえにわかるもんか! くそう、俺だって、俺だって……!」
袋一杯のハズレ景品を当てて、よろよろと教室を出て行く先輩の背中には哀愁が漂っていた。それを見送る他のお客さんたちもにやにやとその背中を眺めている。他人の不幸は蜜の味。あれだけ盛大に楽しんでもらえると、ポーションくじを出し物としてやっているこちらも楽しい。
「じゃあ、次の人な」
先ほどの二人の後ろに並んでいた小さな女の子に笑いかけながら、一人だけ占い師姿のままの魔女は元気よく、声を張り上げた。
「ポーションくじ、一回銅貨二枚でーす!」
午前中の占い小屋は大盛況だった。それはよかったのだが、終わり方がよろしくなかった。
少し飛んでいる記憶、気がつけば水晶玉は床で粉々、散らばっている金貨、消えた客。
わけがわからない上に、ひどく恐ろしい思いをしたような気もして、とにかく不可解なまま、にわか占い師を終わらせることになってしまった。
山のような金貨は、とりあえず無限倉庫を使ってその中に全部突っ込んであるが、明日辺りクロロスのところにでも行って相談するつもりだ。
何せ、黙って自分のものにするには額が大きすぎる。
普段使うのはせいぜいが銀貨で、金貨などまともに見たことがないのだから当然かもしれない。
マリエルだって何だかよくわからないものを見るような目をして金貨の山を見ていたので、自分が田舎者だからというわけではないはずだ、とオーリアスは思う。
そんな金が突然目の前に降って湧いたのだから、喜ぶよりも困惑の方が先に立ってしまう。
あの眼鏡の男性を占おうとしたところまでの記憶しかないので、尚更だ。状況から考えて、あの金貨の山は占いの代金なのかもしれないが、占いの対価としてはあきらかにおかしい。紡げ恋物語のお値段は、一回銅貨五枚なのだから。
結局、並んでいてくれたお客さんに謝ったり、水晶玉の持ち主の先生に話をしに行ったりとばたばたしている内に昼休憩が過ぎていき、急いで昼ごはんをかきこみ、メイド服に着替える暇もなく慌ててクラスに戻るはめになったのである。午前中ポーションくじ担当だったパーティと、周りで手伝いがてら休憩していたクラスメイトたちが思いのほか占い師の格好を喜んだので、オーリアスは、現在一人だけメイドではなく占い師である。それが少し恥ずかしい。あのメイド服も恥ずかしいが、周りがみんなそうなのだからまだマシだった。
「お、四等当たりー」
「おめでとうございます」
からんころんと小さな鐘を鳴らすと、女の子の手に初級ポーションと中級ポーションを渡してやり、よかったなとぐりぐり頭を撫でてやる。目をきらきらさせて大事そうに色違いの小瓶を受け取った女の子が、軽い足音を立てて、両親の元へ駆けていった。
しばらくそうしてくじを引きに訪れるお客さんの相手をして過ごし、その内休憩していた連中がそれぞれ遊びに出てしまうと、教室の中はひっそりと静かになった。
ちょうどお客さんも途切れて、急に静かになった教室の中、マリエルとオーリアスはやれやれと息をつく。本当ならグレゴリーもここにいるはずなのだが、どうしてもグレゴリーがいないと泣き喚く子がいるとかで、気のいい狼族は結局、迷子預かり所に貸し出されたままになっている。
「グレゴリーくん、大人気ですねぇ」
うふふと笑ったマリエルが、残り少ないポーションの小瓶と景品の表を見比べた。
「グレゴリーだからなぁ」
保護者とはぐれて心細いお子様には、安心安全の癒し物件だ。自分のことでもないのに、誇らしげに頷きあいながら二人は顔を見あわせる。
「特等も一等もまだ出てないんですね」
「もしかしたら、残るかもな」
そうしたら、確実にクラスの皆で盛大な争奪戦が始まることだろう。
「まだ二等も一個残ってますし」
「実は引きたいんだよな、おれ」
「ふふ、わたしもです。くじってどうしてこんなにわくわくするんでしょう?」
「なんでだろうな? こう、やらずにはいられない気持ちがふつふつと」
校内のざわめきを聞きながら、まったりと話していた二人の元に、突然人影が飛び込んで来たのはその時だ。
「た、たのもう!」
ぽかんと飛び込んできた人物を見れば、そこには見覚えのある顔がしゃちほこばって立っているではないか。
「……ダニールくん?」
久しぶりに見たダニールは、マリエルだけを見つめてひっくり返った声を張り上げた。
「ざ、残酷僧侶に用がある! い、一緒に来てもらおうか!」
今から決闘でもするかのような物言いだが、ダニールの顔は真っ赤、右手右足が同時に出ている状態なので、そういうわけではなさそうだ。
声をかけられたマリエルはと見れば、どことなくむっとした顔をしている。
「……わたし、今働いてるんです。後にしてもらえますか」
やらかした、とオーリアスは頭を抱えたくなった。ダニールの方は見るからに一杯一杯なのでそんなこと頭からすっ飛んでいたのだろうが、今は誰もいないとはいえ、まだ仕事中。来いと言われて、はいと行けるような状況ではないのだ。その上、悪気はないのだろうが、ああも上から言われると、かわいらしい見た目で受ける印象よりも結構気の強いところがあるマリエルはむっとしてしまう。筋の通ったことなら問題ないが、仕事中に突然やってきて、突然来いという上から目線の呼び出し。
好感度はばっちり下がったに違いない。元から大して高くなかったとは思うが。
しかし、少々かわいそうではある。マリエルに拒絶されて死にそうな顔になったダニールの背後、教室の入り口あたりで様子を見守っている三人組に免じて、少し手を貸してやることにした。
「マリエル、行ってきていいぞ? 今ちょうどお客さんもいないし……くだらないことでの呼び出しだったら、すぐ帰ってくればいいだろ」
ちょっと考え込んだマリエルは、渋々といった様子で立ち上がった。
「わかりました。すぐ帰ってきますから」
ぷんぷんしているのを隠そうともせず、清楚なメイド姿のマリエルがダニールの側まで行って唇を尖らせる。
「何してるんですか。早く行きましょう。わたし、仕事中なんです」
「あ、ああ!」
ダニールよかったな、校内デートだ、がんばれよと聞えてくるパーティメンバーの応援も耳に入らない様子でマリエルを伴ったダニールの背中を見送り、一人になったオーリアスは、椅子に腰掛けたまま、ぐっと背伸びした。
昨日からなんだか不思議なことが立て続けに起こっていて、気が抜けない。
この後は何事もなく過ごしたいものだ、と昨日も思ったような気がする。
よいしょ、と立ち上がって軽く体を解し始めた撲殺魔女だが、さっきから気になっていることがあった。
あいつは一体何をしているんだ。
教室には、前と後ろに二つ出入り口がある。どちらも今は開け放しているので、さっき一度オルデンが教室の前の廊下を通り過ぎていったのが見えたのだ。
そしてもう一度、今度は帰って来た。一瞬だけ教室の中に目をやるのも同じだ。そして今また通り過ぎていった。
なんだあれ、と首を傾げた魔女の視線が、足元のポーションくじの箱に落ちる。
「あ」
もしかしたらわかったかもしれない。オルデンが、行ったりきたりしている理由。
「……やりたいなら素直にくればいいのに」
とはいえ、学園祭後に余ったくじを引くならともかく、まだ午後の部が終わるまで少し間がある。だが、あのオルデンのことだ、皆に混じって余ったポーションくじ争奪戦でおおはしゃぎなどしないだろう。たとえやりたくても、興味ありませんみたいな顔をするに違いない。
別に、やさしくしてやる義理はこれっぽっちもない。むしろ関わりたくないし、苛めてやってもいいくらいな気もする。
しかし、あのオルデンが、バカみたいにプライドが高くて血統主義で、どうしようもないオルデンが、小さいこどもみたいにくじを引きたくてうろうろしてるなんて、ちょっと面白いではないか。
折角学園祭なんだし、少しくらいやさしくしてやってもいいかな、とオーリアスの中で天秤が傾いた。
「そこの挙動不審なメイド」
「……!?」
出入り口から顔を出し、また廊下を往復しようとしていたオルデンに声をかける。
これでいなくなるならそれでもいい。
「今誰もいないけど、引くか?」
まるで金縛りのスキルにでもかかったように固まっていたオルデンは、ぎくしゃくと顔を覗かせているオーリアスと、ざわつく廊下を見比べた。
結局のろのろと教室に入ってきたオルデンに、噴出しそうになるのを耐える。顔を合わせてから初めて、オルデンの好感度が爪の先くらい上がった気がする。
「先に言っとくけど、特等と一等が出てもおまえにはやらないぞ」
それはお客さんが当てるべきもので、こっそりくじ引きしたい抜け駆け野郎が手に入れていいものではないのだ。
むっとした顔はしたものの、オルデンは無言で銅貨を突き出してきた。
嫌っているオーリアスを相手にして、この態度。こいつそんなに引きたいのかと思えば腹筋が苦しいが、なんとか笑いの衝動を耐え、箱を指差す。
「じゃ、好きなの引けよ」
無言でかちゃかちゃと小瓶をかき回していたオルデンの選んだ小瓶を受け取り、紙片を開いたオーリアスは顔を顰めた。
「うわ、二等だ……」
勝ち誇ったようにオルデンが顎を上げ、偉そうに片手を差し出してくるので、仕方なく二等の上級魔力回復薬を渡してやる。
ちょっとズルイような気もしたが、当たり外れは運だし、これでもしかしたらオルデンとの仲を少しは改善できるかもしれないと思ったオーリアスは、クラスの皆の顔を思い浮かべて心の中で謝罪した。
仲良くなりたいとは思わないし、なれそうもないが、少なくとも、後ろから殴りつけられるような関係はやめたい。
じっと手の中の小瓶を見下ろしているオルデンに、ふと気になっていたことを思い出したオーリアスは、オルデンでもいいか、と口を開いた。
「おい、おまえちょっと後ろ向けよ」
「……なんだと」
「別に? 背中を見せるのが恐くてできないならいいけどな」
歯軋りしそうな顔で睨んでくるオルデンに、つい、ふんと笑って顎を上げてしまって、固まった。
やってしまった。今のでさっきまで5リムくらいは上がっていた友好度がまた元の位置まで下がってしまった気がする。仲を改善したい気持ちはあるのだ。嘘ではない。嘘ではないのだが、こちらばかりが下手に出るのも腹が立つ。
オルデンも例によってメイド服だが、ゴドフリーのように大きくもムキムキもしていないし、膝下の至って清楚なメイド服だということもあって、そこまで見苦しくもない。いっそゴドフリーくらい突き抜けていれば、逆に面白さで注目を集められるのに、オルデン程度では単なる仮装である。つまらないヤツ、と内心で思いつつも、憤然と背中を向けたオルデンに近寄った。
そのまま首の辺りに顔を寄せて、すん、と匂いを嗅ぐ。
「……!?」
淡い香水の匂いと知らない他人の、男の匂いがした。
すんすんしながら、やっぱりな、と思う。
確かめたかったのは、昨日フォルティスと密着している時に感じたことだ。
抱きしめあうような形で密着していれば、いやでも感じるのが相手の匂いだが、それについて思うところがあった。別にフォルティスから異臭がした、臭かったというわけではない。ただ違和感を感じて、そんな自分に驚いたというか、なんだこれはと思ったので、もう一度確認してみたいと思っていたのだ。
グレゴリーもふんふん嗅いでみたが、グレゴリーからは日向ぼっこした犬のような匂いしかしなかったので、確認できなかった。あれはいい匂いだ。あのもふもふした動物の匂いはオーリアスにとって好きな匂いなので、確認にかこつけて嗅ぎたかっただけとも言う。
そこでちょうどよく目の前にオルデンが来たから、試しにやってみたのだが。
「な、な、な……!?」
「もういいぞ」
ばっと首筋を押さえてこちらに向き直ったオルデンの顔は、びっくりするくらい赤くなっていた。
「き、貴様、いったい、何を……!」
「何って、別に」
「別に!? 嘘をつけ! 今、今何かしただろうが!」
いきなり顔を真っ赤にして怒り出したオルデンに、首を竦める。一体何をそう怒っているのだろう。別に後ろから殴ったわけでも首を絞めたわけでもない。こっちは後ろから殴られても我慢してやったというのに。
「何怒ってるんだよ。ただ匂いを嗅いだだけだろ」