65、学園祭二日目午前の部 水晶玉にうつるもの
「うん、いいですね」
「ほ、本当に!?」
「『結ばれた糸は解けることなし 難問、押せばなる』 と出てるので、いいんじゃないですか、相当」
「そうかぁ、彼女、いつもつんけんしてるけど、ほんとは凄い甘えたでさ……なのに、最近全然甘えてこなくて、オレ冷たくされてばっかりで……もしかしたらもうオレに飽きたのかもしれないって不安だったのに……」
オレがんばるよ、押す、押してみる、押してだめなら引いてみろ、引いてだめならさらに押せ、それでもだめなら押し倒せって言うもんな、という、おおいに不安の残る台詞を残し、笑顔で出て行ったもう何人めだか忘れてしまったお客さんに、若干引き攣った笑顔を向けていた撲殺魔女は、さすがに疲れを感じて手元の魔力回復薬をぐびっと呑んだ。ポーションほどではないとはいえ、不味い。しかし背に腹はかえられない。
第一号のお客さんを何とか無事に占い、送り出したオーリアスはその後、一生懸命占いに励んだ。
やるからには全力でやらぬのだ。その甲斐あってか、いい占い結果ばかりが続いて、一安心したのだが、立て続けに数人を占って気がついた。魔力の減りが異常に早い。
数人占っただけでほぼ枯渇とは普通のスキルでは考えられないことだった。魔力容量はかなり多いほうだし、普段の戦闘でも、魔力回復薬の使用頻度は低い。多少スキルを使ったところで問題ないくらいの魔力量を保有しているのに、『紡げ恋物語』は何度か使っただけですっからかんだ。
慌ててマリエルを呼んで、実行委員クラスに走ってもらい、魔力回復薬をひと籠預かってきてもらった。使った分は必要経費、余った分は返却する予定だが、お客さんが意外なほどやってくるので、もしかしたら余らないかもしれない。
水を得た魚のように生き生きと呼び込みしているマリエルの楽しそうな様子を思い出して、つかの間和んだ後、グレゴリーはどうしてるかなと思う。今頃グレゴリーは迷子預かり所で大活躍していることだろう。
人手が足りない上に現在全く泣き止まない子がいて、放送で呼んでもお迎えが来ないし、係の生徒が逆に泣きそうだという理由でそちらに回されたのだが、あの素敵なもふもふを見れば、どんな子どもだって泣き止むはずだ。もふもふをこよなく愛するオーリアスとマリエルは、そう信じて気のやさしい狼族を笑顔で送り出した。
「オーリ、次のお客さんいいですか?」
「いいぞ」
午前の部ももうすぐ終わりだし、後少しがんばろう。気合をいれるために、ぱちんと顔を挟む。
段々占い師を演じることに慣れてきた魔女が迎えた客は、見覚えのある眼鏡の男性だった。
「あ」
「おや、これはこれは……占いもやるのだね。いや、楽しみだ」
「ええと、恋占いだけなんですけど、いいですか」
「もちろん、いいとも」
立派な身なりの男性が座るには、いささか簡素な椅子に躊躇いなく座ったお客さんに、笑顔を向けつつ、水晶に利き手をあてるように告げた。甘い香の匂いが身じろぐたびにくゆる中、にこりと笑った男性の手が水晶玉に添えられる。
「では、始めます」
スキルを発動して、占いの結果を待つ。
「……え」
今日何度目かの占いに挑んだ魔女は、小さく声を上げていた。水晶玉の中では自分の魔力がぐるぐると渦を巻いている。それはもう何度も見た光景だが、水晶玉の中の魔力は不自然に揺らぎ、途切れ、激しく渦巻いたかと思えば凪のように動きを止める。
不自然に動き続ける魔力は何かに抵抗するように震えていたが、やっとのことで歪な形を取り始め、魔女の唇は無意識に水晶の中に浮かぶ文字を読み上げた。
「塔」
文字が揺れる。崩れていく。
「囚人」
絶え間なく動く文字を見ていたオーリアスの目から、光が消える。
「茨」
「女」
「永遠の」
いつもは勝気な光を湛えている琥珀色の目は亡羊として焦点を結んでいない。華やかな衣装に包まれた肢体から陽炎のように魔力が揺らめき立つ。
体内を循環しているはずの魔力は器から溢れ、布で仕切られただけの狭い空間一杯にたゆたい、密度を上げていく。
薄く開いたままの唇から、小石のように言葉が零れ落ちた。
「欲望」
かしゃん、と儚い音を立てて水晶玉がひび割れ、蠢いていた文字は千々のかけらとなって飛び散る。
魔女の体から溢れ、空間一杯に広がっていた蜂蜜のような色をした魔力は無表情に座ったままの男の前に収束していき、飴玉ほどの小さな玉になった。
「なるほど……わたしを『読む』か。優秀だな」
ぼうっとした表情のまま動かない少女の前で、男はぱかりと口を開いた。吸い込まれるように魔力の塊が男の口の中へ飛び込み、ほどなく、がりがりと飴玉でも噛むような音が響く。
「こちらもなかなかに、甘い。口直しにはちょうどいいな」
くつくつと喉を鳴らした男は、ほんの少しだけ、爪の先ほど、己が『纏って』いたものを捲り、そして。
びくり、とオーリアスの体が震えた。ぞくりと肌が粟立つ。
生臭い、獣の呼気に似た何かが鼻先をかすめ、全身に重たい何かが絡みついているような、そんな感覚に体が動かない。わずかな間飛んだ記憶が混乱をもたらし、自分がどこで何をしていたのかがわからなくなる。だが、確かなこともある。怖い。何かはわからないが、ひどく怖いのだ。かちかち、と不規則に聞える音が歯列がぶつかりあう音なのだと気づいても、どうすることもできない。息を呑むことさえできず、ひび割れた水晶玉を見つめたまま硬直しているオーリアスの前で、大きな欠片の内部にわずかに残っていた魔力が、何かに耐え切れなくなったように霧散した。
「……う、あ……!?」
不意にぞっとするような圧力から開放されたオーリアスは、がくり、と小さな机の上に上半身を倒した。その衝撃で袱紗から転がり落ちた水晶玉が、床に落ちて砕け散る。同時にそれ以外の何かが、幾つも床に落ちて、高い音を放つのが鈍く耳に響いた。自分の胸の下にも何かひやりと冷たいものを敷いているようだが、体を起こすことさえ出来ない。ぼやける視線の先で、力の入らない指先が震えているのが見える。
「オーリ!? 今の……オーリっ!?」
突然響いたがたんという大きな音と、さらに何かが割れるような音。声をかけてもない返答。
特設占い小屋の外で、愛想よくお客さんをさばいていたマリエルは、顔色を変えて濃紫の布の中に飛び込んだ。
中に入って目に飛び込んできたのは、机に伏せたまま動かないオーリアスと、床にきらめく水晶玉の成れの果て、それに、咄嗟に目算できないほど床に散らばった金貨。中にいたはずの客の姿はない。
重たげに長い髪が揺れ、のろのろと友人が体を起こしたことで、強張っていたマリエルの体が弾ける様に動き出した。
「オーリ! ああ、どうしたんですか、こんな……手が、手が冷たい、お、お願いです、こっちを見て! ちゃんとわたしのこと見てください!」
投げ出された魔女の手を取ったマリエルは、その手の冷たさにぎょっとして尋常ではない様子の少女の肩を抱き寄せた。むき出しの肩は冷や汗でしっとりと濡れている。
両手で掬うようにオーリアスの頬を挟んだマリエルは、何度かぱちぱち瞬いた友人の目が、いつものように意志を宿したのに気づいて、ほっとした。
「学園祭が始まってから、オーリはわたしを心配させてばっかりです……!」
「……悪い、でも今回のは、おれにも何がなんだか……悪い、魔力回復薬とってくれ。空っぽなんだ、さっき飲んだばかりなのに」
慌てて小瓶を差し出したマリエルは、甘い匂いの中に一瞬何か異質な匂いを嗅いだような気がして眉をひそめたが、それが何かを捕まえる前に、香の匂いにかき消されてしまう。
「冷や汗びっしょりですよ、何があったんですか? ……それも、言えませんか」
「いや、後で話すよ。今回はおれも何がなんだか……厄日なのか、もしかして」
かわいらしい花の刺繍がしてあるハンカチで、額に浮かぶ汗を拭ってもらったオーリアスは、床に目をやって小さく叫んだ。
「うわっ、なんだこれ!?」
床と机の上に散らばる、無数の金貨。ねっとりと濃い色に輝くそれを改めて見下ろしたマリエルも、何とも言えない顔になる。
「……本物、ですよね」
「お、おれ、本物の金貨なんか見たことない。叔母さんはもってたかもしれないけど……」
「どうしましょう」
「とりあえず、片付けよう。水晶玉も割れてて、もう占えないしな」
「そういえば……! わたし、お客さんに説明してきます!」
「あっ、そ、そうだよな、おれも行く!」
外で待っているお客さんのことを思い出した二人は、慌てて外に飛び出てた。
並んでくれているのに今日の占いはここまでと告げるのは心苦しいが、どうしようもない。
何せ、肝心の水晶玉は床で粉々になっているのだから。
二人の少女がいなくなり、がらんとした甘い空間の中、夥しい金貨だけが、冷たくつやつやと光っていた。




