64、学園祭二日目午前の部 にわか占い師は冷や汗をかく
あの先輩が悪かった、とお客さんを椅子に招きながら撲殺魔女は思う。
あの先輩の雰囲気に思わず呑まれて、ついずるずると頼みを聞くはめになってしまった。
「ようこそ、魔女の占い小屋へ」
マリエルに仕込まれた台詞を笑顔で唱えながら、戦闘とはまた違う緊張に汗の浮かんだ手のひらを、さりげなく拭う。
実行委員クラスに引きずり込まれた三人は、やたらと迫力に溢れる美人とその他先輩に囲まれ、何がそんなに大変で困っているのかを説明された上で必死にお願いされた。
だが、三人だって初めての学園祭を楽しみたい。午後からは自分のクラスに戻らねばならないのだから、今年の学園祭をお客さんとして楽しめるのは今日の午前中、つまり今この時しかないのだ。
お願い、頼むよ、お菓子いっぱい買ってあげるから、というわけのわからない懇願を必死にかわし、丁重にお断りして、さぁ逃げ出すぞと構えたところで、それまで黙っていた美人が前に出てきた。
「……どうしても嫌? どうしてもだめ?」
麗しくも悲しげな顔で迫られ、年上美人の悲しげな顔に三人の胸はちくちくと痛んだ。
しょんぼりと顔を俯けた美人の儚げな様子に罪悪感を募らせはしたが、やっぱりまだまだ遊びたい気分一杯の三人は何とか首を振り、この場を辞そうとしたのも束の間。
ひゅん、と三人の顔の横の空気が切り裂かれる音がしたと思ったら、今の今まで悲しげだった美人は爛々と目を輝かせ、唇を笑みの形に吊り上げて、そして鞭を構えていらっしゃった。
「実行委員ってけっこう大変。あたしたちだって本当は遊びたいのよ? でも、仕事が恙無く終わらないことにはそんな余裕はないし、仕事を終わらそうにも不慮の事態で自由参加の出し物に出る予定だった連中が複数参加辞退とあっては、とても遊びになんていけそうもないわ。そう思わない?」
「はい、ファルファレッタ陛下!」
「僕たち!」
「私たちは!」
「遊びになんて!」
「いけません!」
調教されたように連携を決めてくる先輩方に囲いこまれ、三人は顔を青褪めさせた。
これはまずい。逃げ出すタイミングを計り損ねたらしい。
「あたしは実行委員長のファルファレッタ。よろしくね、三人とも」
ぴしりと鞭を鳴らした迫力美人は、怯える三人の顎を順々に鞭の柄で持ち上げるとうふふと笑った。
「ちょっとお手伝いしてほしいの。ちゃんと報酬も払うわよ? あなたたちだって学園祭を楽しむつもりだったんだものね。それに見合う対価は払うつもり」
「お願い! いま大講堂で個人の出し物をやってるんだけど、参加者が激減したせいでお客さんが全然入らなくて見るも無残な有様で」
「あれじゃ出てくれてる他の参加者にも悪いし、お客さんにも悪くて」
お願いします、大講堂で何かやってください、とファルファレッタも含めて、教室内にいた全員に頭を下げられた三人に抗う術はもはやなかった。相手は時間を割いて委員をやってくれている人たちであり、自分たちは何も知らず楽しんでいたという負い目、複数の先輩達に頭を下げられているという状況、そして、美人の手に握られたままの鞭。
三人は蚊の鳴くような声で、やります、やらせてください、と言うほかなかった。
そこで何をやるかとなった際、以前オーリアスのステータスカードを見ていたマリエルが、占いしたらどうですかと言い出したおかげで、現在撲殺魔女は大講堂内の特設占い小屋にて、にわか占い師を演じるはめになったのだ。
マリエルとしては、昨日さんざん心配をかけられたのに説明を聞けずじまいで終わらせなければならなかった事への、ちょっとした意地悪だったらしい。一応の抵抗はしたが、昨日の一件を仄めかされ、大きな緑の目にじっと見上げられるとオーリアスは弱い。
泣くほど心配させた申し訳なさが抵抗を奪い、無言で着せ替えの刑に甘んじ、やたら色っぽい衣装も文句を言わず着て大講堂へと連行されたのだった。
実際来てみれば、たしかに折角の大講堂はがらがらで、参加者の生徒たちもしょんぼりしていたし、これは必死になって勧誘もするだろうなと納得の有様だったので、これも人助けと納得した。
もっとも、なんだかんだと参加者を何組か引っ張ってくることができたようで、観念したオーリアスがしずしずと占い小屋に入っていくころには、それなりに参加者が増えていたが。
急遽勧誘された組の中にアルタイルもいて、昨日武道場で大活躍だったらしい彼はいい客寄せになってくれているようだった。
「ええと、お名前は」
「アネモネです」
「アネモネさん、ですね」
甘い香の匂いに満ちた薄暗い小さな空間は、オーリアスとお客さんが座ればもう一杯だ。
お客さん第一号の名前を確認しながら、袱紗に乗った水晶玉を二人のちょうど中心にくるように調節する。
『紡げ恋物語』はスキルを発動するために媒介を必要とする。水晶玉でもカードでもなんでもいいが、いい道具を使えば使うほど占いの的中率も上がるらしい。今手元にあるのは実行委員の先輩達があちこち駆け回って借りてきてくれた立派な水晶玉なので、にわか占い師でもそれなりの結果は出せそうだった。
「利き手を水晶に添えてください」
その反対側にオーリアスの左手が添えれば、二人の手のひらで水晶を挟む形になる。
「では始めます」
スキルを発動すると水晶に触れている手のひらから魔力が流れ出し、淡い水色の光が水晶玉の中でぐるぐると渦を巻く。その魔力が次第に形を取り、オーリアスだけに読める文字として水晶玉の中に浮かび上がってくる。
それを見たオーリアスは、危うく引き攣りそうになる口元を必死に押さえ込んだ。
水晶の中に浮かぶ文字の色は黒。黒は、見込みナシ。諦めたほうがいいでしょう、の印だ。
浮かんできた文章も簡潔ながらそれを決定付けるもので、初回のお客さんだというのに『あなたの恋には全く見込みがありません』と告げなければいけなくなった撲殺魔女は、ごくりと息を呑んでから口を開いた。
「アネモネさん」
「は、はい」
「……『今の荷物を捨て、新たな道を見つけよ。良縁は東の方角にあり』と出ています」
じっと水晶を見つめていた少女は、ふっと目を潤ませると、小さな声で呟いた。
「……やっぱり、そうなんだ……見込みなんて、ないんですよね……」
「あ、あの……」
冷や汗を浮かべた撲殺魔女は、居心地の悪さにもぞもぞした。
占いスキルなんて発動して結果を告げればそれで終わりかと思っていたが、全然違った。いい結果の時ならにっこり笑ってお別れできる。よかったですねと笑顔で送り出せばいい。
だが、悪い結果が出た場合はそうはいかないということに、今やっと気がついたのだ。
今すぐ逃げ出したい気持ちで一杯の、見た目だけはいっぱしのお色気占い師のような格好をした魔女の、そんな心境など知らない少女は涙ぐんだまま健気に微笑み、そっと爆弾を落とした。
「やっぱり……妻子もちの人を好きになっちゃ、いけませんよね……でも、ずっと好きで……ほんとは、占いの結果がよかったら既成事実を作りに行こうと思ってたんです……でも、今占ってもらって、やっぱりダメなんだってわかりました……そうよね、奥さんと子どもを大事にしてる、そんなあの人だから好きになったんだもの……」
物凄い爆弾に必死に微笑を保ったまま無言を貫いたオーリアスは、心の中で呻いた。
もしかして、今、自分は危うい綱渡りしたのではないだろうか?
好きな人は妻子もち。ずっと片思いしていた。体当たりでぶつかって既成事実を作るつもりもあった、そんな少女が、自分の一言で辛い片思いを諦めた。
もし、さっきの占いが彼女の背中を押すようなものだったら。
その可能性に思い至った瞬間、お色気占い師の格好で微笑んでいるオーリアスの背中にぶわりと冷や汗が浮く。自分の占いの結果次第では、どこぞの幸せなご家庭にうっかり修羅場を発生させてしまうところだったのか。
目じりに浮かんだ涙を拭い、何かを思い切ったように清清しい顔をした少女は、ごそごそと腰につけていた小さな袋を探り、何かをつかみ出すと、それをそっと硬直している魔女の手に握らせる。
「これはせめてものお礼です。占ってもらって、本当によかった……これで、やっと……諦められます」
緊張のあまり冷たくなった手のひらに転がる、小さな輝石。
「ありがとうございました」
少女は静かに微笑んで、丁寧にお辞儀して布の外へと出て行った。
自分の恋に決着をつけるきっかけをくれた占い師が、占い怖い、占い怖い、と内心で怯えていることなど知らないまま。
「オーリ、次のお客さんいいですか?」
マリエルの声に、慌てて叫ぶ。
「せ、精神統一するからちょっと待て!」
少し休ませてくれ、そして考える時間をくれ。
初めてのお客さんが重すぎた。
占いなんて、ちょっとやって結果を伝えて、それだけのことだと思っていた。
だが、自分が言ったことが実際に誰かの行動を左右することになるなんて。
明日の天気だとか、落し物の在り処なんかだったらまだいい。しかし、さっきのお客さんのように重たい恋を抱えている人がオーリアスの占いでその恋を諦めるか、諦めずに突進するかを決めてしまう可能性もあるのだということに、今更気がついた。大げさかもしれないが、占うことで、その人の人生の岐路を自分が決めてしまいかねない。
占いだから絶対あたるというわけではないのだが、これは適当なことはできない。全身全霊でやらなければ。
それがせめてもの、お客さんに対する誠意だ。
撲殺魔女はぎゅっと目を閉じると、呼吸を整え、魔力の循環を確認して必死に集中し始めた。
占いって占う方も怖いものだと初めて知った、そんな学園祭初日午前の部である。




