59、学園祭初日午後の部 中ー3
旧校舎には、激しい足音と興奮に荒ぶる大鬼たちの叫び声がこだましている。
大変盛り上がった大鬼ごっこだが、大鬼達のレベルの高さに、参加者たちもほぼ狩りつくされ、そろそろ終焉を迎えようとしていた。
「もふもふ! もふもふ!」
「ワウっ!? ワウー!?」
「もふもふ! もふもふ!」
「大鬼ごっこにかこつけて、思う存分もふもふを追い回せる今日に乾杯ッ」
「散開、散開ッ! 二階左角に追い込むぞ!」
「もふもふ! もふもふ!」
「イヤー!?」
二階にもふもふの悲鳴が響き渡れば、一階では惨殺僧侶の悲鳴が上がっていた。
「リーダー! 我々は許されるのでしょうか!?」
「なんか我々犯罪者っぽいです、リーダー!」
「みなの者いいか! これは犯罪ではない! 合意である!」
「いやああ!? 合意してないですう!」
「惨殺僧侶がああ言っています、リーダー!」
「では仕方ない! オレが捕まえて犯罪者の汚名を着ようではないか!」
「ずるい! ぬけがけずるい!」
「惨殺僧侶は!」
「みんなのもの!」
「いやあああ!?」
うってかわって、絶賛迷子中の撲殺魔女と剣士の二人は、うんうんと首を捻りながら脱出の手段を探していた。しかし、何をどうしたらこの小部屋から出られるのか、さっぱりわからない。
「全然わからないな」
「これだけ探してもヒントのひとつも見つからないとは」
またどこかに怪しいでっぱりでもあるのではないかと、四方の壁と床を探しまくったのだが、成果は思わしくない。
「次に誰か来るまで、出られない、とか……」
「不吉なこと言うなよ!」
やっと立ち直ったと思ったら、ろくなことを言わないフォルティスに、撲殺魔女はむくれた。
せっかく夢中で大鬼ごっこしていたのに、わけがわからない小部屋に閉じ込められるわ、脱出手段は思い浮かばないわで、全然楽しくない。その上、空気を読まないフォルティスが不安を煽るようなことをいう。
はぁ、とどちらからともなくため息がこぼれ、ふと後ろを振り返った二人は揃って声をあげた。
「開いてる!?」
「い、いつのまに……!?」
今まで、確かに壁だった一面に、ちょうど人が通るのにちょうどいい大きさの穴が開いていた。
「なんでだ?」
「うーん……時間経過、とかかな?」
出口ができた理由はよくわからないが、とにかくこの小部屋から出られるようになったことは喜ばしい。二人はいそいそと小部屋から出て、どこへともなく繋がっている、長い通路を歩きはじめた。
この通路もまた、小部屋と同じように白一色なので、何だか目がちかちかしてくる。
さて、通路をてくてくと歩き始めた二人だが、ほどなく互いの顔に、ちらちらと不安を浮かばせるようになった。それというのもこの通路、全く終わりが見えてこないのである。
いけどもいけども、白い一本道が続く。
あまりにも続く一本道に不安になって後ろを見れば、いつのまにか小部屋に繋がる入り口は消え失せ、無かったことにされているし、段々二人は怖くなってきていた。
黙々と歩く二人の足音だけが真っ白な通路に響き、前も後ろも果てが見えない。
ここは一体どこなのだろう。どう考えても校舎のどこかではない。垂直落下の罠くらいなら、迷宮学園だしな、で済ませられるが、ここはあまりにも不思議すぎる。
ここにくるまでの経緯を考えると、気がついたら隣を歩く相棒がいなくなっていた、なんてことになってもおかしくないのではないか? 互いに同じことを思ってぞっとした二人の距離は自然と近くなり、足早に歩きながらも互いの存在を確認せずにはいられなくなっていた。
「本当にここ、どこなんだろうな」
「もう、かなり歩いたはずだけど……」
ぽつりぽつりと交わす会話も不安を煽る。自分が今どこにいるのか全くわからないということが、こんなに不安を強くさせるものだとは。
「子どもの頃に連れて行かれたところに、ちょっと似てるような気がするな」
「こんな真っ白なところだったのか?」
不安を隠し明るい声を上げたフォルティスに、オーリアスが乗った。できればおもしろおかしい話などで和みたいところである。
「うん。ボクは昔から、色んな人に色んなところに連れていかれることが多くてね」
「楽しそうだな。旅行?」
「いや、気を失って目を覚ましたら見知らぬ場所だったというのが殆どかな」
「へぇ……え?」
「懐かしいな……目を開けたら彼岸を見てる目をした女の人の血走った眼球が至近距離にあって、こうぎょろりと動いてたり」
オーリアスはそわそわと背中の杖に触れたり、スカートの裾を撫でたりした。なんだか、思っていたのと違う話になってきた。
「一番驚いたのは、目を覚ましたら目の前に拘束された全裸の男性が転がってた時かな。助けようにもこっちも拘束されてて動けないし、猿轡もかまされてるし……目隠しはされてなかったんだけど。床の男性は全身傷だらけでうつろな目をしててね、それでも目を覚ましたボクを見て、逃げろって言ってくれたんだ」
無言の撲殺魔女にかまわず、懐かしげにフォルティスは話を続ける。
「あの時、何歳だったかなぁ……確か、8歳か9歳か。それくらいだったんだけど、拘束されてても僕は無事だったし、どう見ても彼の方がひどい怪我をしてるしで心配でね。なんとか転がりながら彼の横まで行った時に、部屋の扉が開いたんだ」
冷たい汗の浮かんだ手のひらを握り、オーリアスは必死に耳を塞ぎたい衝動を押さえ込んだ。
「ずる、ずる、って音がして、赤いドレスを着た女性が入ってきた。片手に縄を掴んでいて、それを引きずって入ってきたんだ。縄の先には気を失った若い男性が繋がれていて、呆然とするボクに気がついた女性は、それはきれいににっこり笑った。そして」
「そ、そして……?」
思わず聞き返したオーリアスは、後悔の海に放り出されることになった。
「『よかった、目が覚めたのね。あなたがいればきっとあの人はここに来てくれるわ。だって約束したんだもの。わたしと結婚してくださるって。それなのに、どうして何も言ってくれないの? あなたの子どももお腹にいるのに、もうすぐ生まれるのに、わたしずっとまってるのにきてくれないなんておかしいわよねきっと忙しいのよあの人とてもすてきな方だものみんなあのひとのこと好きになるのわたしのものなのにわたしのものなのにわたしのものなのに』」
沈黙と足音だけが通路に響く。
「そこまで一息に言った女性は、ぐるん、と不自然な角度で部屋眺めた後、ボクの横に転がっている血まみれの男性と自分のもった縄の先の男性を交互に見て、微笑んだ。『似てるとおもったけどやっぱり似てないわねこっちのほうがずっと似てるようなきがするわ。ねえあなた、あの人の養い子なんでしょう、あの人あなたにやさしい? やさしい? ねえやさしい……?』今でも思い出せるよ、彼女の目……ああ、これは答えちゃいけないなってすぐにわかった。まあ、答えようにも猿轡があったから答えられなかったんだけどね」
ははっ、と朗らかに笑うフォルティスの横で、オーリアスは冷や汗の止まらない手のひらを擦り合わせ、鳥肌の立っている腕を無言でさすっていた。
「あ、ごめん、ボクばっかり話してるな。ここまでにして」
「おい! やめろよ! そんなとこで切るな! 最後まで聞かないと今日眠れなくなるだろ!?」
涙目の魔女に噛みつかれたフォルティスは、不思議そうな顔で小首を傾げた。そんな怖い話をしていたつもりはなかったのだが。
「そ、そうかな? それじゃ、続きを話すよ。ええと、それでどう見ても彼女の様子はおかしいし、でも拘束されてて逃げ出すこともできないボクの前で、彼女は鞭を取り出して……乗馬用の鞭じゃなくて、こう、太くて硬くて長い一本鞭だったんだけど、それで気を失ってる男性を打ち始めたんだ。すぐに悲鳴が響き始めて……助けてあげたいけどどうすることもできなくて、あの時は辛かったな……」
「そ……それで……?」
ああ、聞くのが怖い。でも聞かないともっと怖い。
矛盾する苦しみに呻く魔女の内心を知らない少年は、にこやかに話を続けた。
「とにかく、意識を失うのはまずいと思って部屋を観察したり、目で横の男性を励まそうとしてみたりしてたんだけど、本当に話せないっていうのは辛いね。慰めることも励ますこともできなくて……そのうち隣の男性は気を失ったようだった。元々ひどく痛めつけられていたし、彼は気を失った方が楽だっただろうから、彼の分までボクが起きていなくちゃと心に決めて、しばらく絶叫を聞き続けたんだ。あれは参ったな……鞭だからすぐに死ぬことはないだろうと思ったけど、見てるボクも辛くて、助けてあげたいのに助けられなくて、悔しくて泣いてるボクを振り返った彼女が、つかつかと近づいてきた。ああ、これは打たれるな、と覚悟を決めて、さすがに思わず目をぎゅっと瞑ったところに」
助けて神様、こんな話が聞きたかったんじゃない、と魔女の心臓が悲鳴を上げて打ち鳴らされる。
「壁をぶちやぶってぼくの義父が飛び込んできたんだ」
「……え?」
「かっこよかったなあ! 愛用の槍で壁をぶちやぶって飛び込んで来たアシュラン様! そういえば、あれ二階だったような……まあ、とにかく助けに来てくれた義父のおかげで、その場にいた男性達もボクも救出されて、凶行に及んでいた女性は取り押さえられたよ。勿論、結婚の約束も義父の子どもを宿してるというのも彼女の嘘、というか妄想だった。ボクに逃げろと言ってくれた男性は、それをきっかけにうちの屋敷に就職したから、そう悪いことばかりでもなかったんだけどね。あ、こんな話、つまらなかったかな……」
照れたように微笑むフォルティスを力一杯殴りたい衝動を堪えてぷるぷるするオーリアスは、未だに収まらない鳥肌を必死にさすり、なんでこんなことになったんだと悲しみに震えた。
この危機的状況を和らげる楽しい話題がほしかっただけなのに。旅行に行って楽しかったよという話が聞けるんだと思っていたのに。
「……色々言いたいことはあるけど、おまえが無事でよかったよ……!」
「ありがとう。面白くなかったよね、こんな話……」
これを面白いというヤツは恐らくいないだろうが、なにやら照れた顔をしているフォルティスに、正直にそれを伝えるのは憚られた。確かに、この話によって現在の危機的状況を忘れられたのは確かである。
それ以上にもっと怖い思いをすることになったが。
「い、いや……ま、まあ、うん、おまえが無事に救出されたってことがわかったから、今夜はよく眠れそうだ」
「そうかな? それならいいんだけど……あ」
「なんだよ」
「あれ」
怪談より怖い実話にぞっとしているうちに、永遠に続くかと思われた一本道は終わりを迎えていた。 ずっと先だが、扉らしきものが見えている。
「あの扉の向こうが学校だったらいいのにな」
「そうだね。期待しておこう」
やっとこの不思議空間から出られるかもしれないということにほっとした二人は、顔を見合わせて走り出した。
「なぁ」
「なんだい?」
「あそこ、開けてまた異次元空間だったらどうする?」
「……怖いこと言わないでくれないか」
「おまえの話の方がよっぽど怖かったからな!?」