58、学園祭初日午後の部 中ー2
「なぁ、もう気にするなって、おれは全然気にしてないし……」
白い小部屋に慰めの声が響いている。
だが、繊細な青少年を必死に慰めていた撲殺魔女は次第に苛々し始めていた。元々そう気の長い方ではない。
ここに来てからずっと真心こめて、一生懸命とりなしたつもりだ。だって夏までオーリアスは男だったのだ。自分の身に置き換えてみると、確かにショックも受けるし恥ずかしがる気持ちもわかる。
だからこそ、真剣に心をこめて、気にしなくていい、忘れるから、大丈夫だからと言葉を尽くしているというのに、フォルティスときたら一切反応がない。
うんともすんとも言わずに背中に哀愁だけ漂わせて、頑なに膝を抱えて顔も上げないときた。
ここがどこかもわからないし、どうやって脱出すればいいのかもわからないのにだ。
この危機的状況とちょっとしたアレとどっちが重要なのか、もういい加減はっきりさせよう。
甘やかし、よくない。
それまで優しい慰めの言葉をかけていた唇が、きっと引き結ばれ、太ももあらわなミニスカメイドは、つかつかと黄昏ている少年に近づくと、ひらりとその右手を翻してその金色の後頭部を引っぱたいた。
「だっ!?」
これにはさすがにフォルティスも顔を上げざるを得なかったらしい。目を丸くして振り向いたフォルティスの視線が慌てて逸らされるのを見て、眉を吊り上げたオーリアスはがしっとその頭部を掴むと、無理やり自分の方を振り向かせた。
「い、いだだだだっ!?」
「あのなぁ! いい加減にしろよ。そりゃ、今は確かに女になってるけど、ヤーンの月までは、おれ、男だったんだぞ? だから、その、わかるよおまえの気持ち! わかるけど、もういい加減立ち直ってくれ。ここからどうやって出るか考えよう」
そうして、小さな声で呟いた。
「……おまえがいつまでもそうやってると、こっちだって恥ずかしくなってくるんだからな……」
「う……あ、あの……」
「いいか! もうさっきのはナシ! わかったか!?」
少しだけ頬を赤くしたオーリアスに睨まれて、絶賛傷心中だったフォルティスは思わず頷いた。
引っぱたかれた後頭部をそっと撫でる。ちょっと痛かったが、目が覚めたような気がした。
そういえば、忘れていたがオーリアスは元男だった。全く実感がないので、そう言われてもぴんとこないのだが、それならさっきの男子事情も、本当に理解した上で慰めてくれていたのか。それでも気恥ずかしいことは気恥ずかしいが、少し安心した。
ほっとして、唇を尖らせてこっちを睨んでいる撲殺魔女を見上げ、そのさらけだされた足と絶対領域を至近距離で見てしまったフォルティスは慌てて立ち上がると、ぱんと両手で顔を挟んで気合を入れた。
今ちょっとスカートの中が見えそうだったのにとか思っている場合ではない。
「なんだよ?」
「い、いや、わかった、ごめん、ちゃんとする」
これまでの人生、いつだってフォルティスは形は違えど、『愛』に囲まれ、押しつけられ、引きずられ振り回されてきた。極少数の健全な女性の他は、殆どが養い親への愛をこじらせた猟奇的な女性か、フォルティス自身に恋心を抱いて迫ってくる女性ばかり。まっとうな女性陣も、赤ん坊の頃から面倒を見てくれている侍女頭のメリッサ、それに養い親の母、つまり義祖母の公爵夫人くらい。遠慮なく引っぱたいてくるような女性にはあったことがなかった。殺人も辞さない女性や色仕掛けで押して押して押しまくる女性にはさんざん会っているのだが。
そこに登場したオーリアスは、一服の清涼剤にも似ていた。
まず、見た目が好みだ。ちょっと気が強そうで、はきはきしていてメリハリのきいた体つき。こうして間近で見てもそれは揺るがない。それ以上に、フォルティスのことなんてちっとも好きじゃないところがよかった。元が男だからだろうか。すくなくとも、いい加減にしろと頭を引っぱたけるくらい、気軽な気持ちで対している。普通なら好意をもっている女性に適当にあしらわれたら落ち込むところだが、特異な性質を備えているフォルティスには、逆にそこがとても好ましい。
「じゃ、とりあえず捜索開始な。ここからどうやって出ればいいのか、さっぱりわからないし」
落ち込み状態から回復してみると、確かにこれは落ち込んでいる場合ではなかった。オーリアスのいう通りだ。確かにどこかからこの小部屋に放り込まれたはずなのに、入り口も出口も全く見当たらない。完全にこの小部屋に閉じ込められた状態だ。まさかとは思うが、このまま脱出できずに閉じ込められたままなんてぞっとしない。
二人が真剣に白い小部屋の捜索を開始した頃。
ぴりりりり。
数人の教員の懐で軽快な音が鳴り響いた。
騒がしくて明るい学園祭特有の空気感を、見回りしつつそれなりに楽しみ、時に『うちのクラス自慢』で盛り上がっていたところへ、突如連絡用の魔道具が鳴り出したのだ。といっても、その魔道具はどの教員にも配られているものではないし、学園側から支給されたものでもない。ある人物から、個人的に渡されている緊急用の魔道具だ。その魔道具を所持している教員たちは、それぞれさりげなく場所を移動し、人目につかないところでそっと魔道具を取り出した。
そのうちの一人である老クヌートルは、久しぶりに聞くその声にやさしく応答した。
「久しぶりだねぇ……それで、どうしたのかな?うん……それはまた大物だな……悪食ゴーガンなんて、知っていても神話の登場人物扱いだよ……うん、楽しんで帰ってくれるならかまわないけれど、困ったねぇ……そういう人が、いや人じゃないけれど、とにかく入ってこれないように結界はってるんじゃなかったのかい?おや、そうかい、君でもだめかい……で、どんな格好……眼鏡をかけた、ダンディな男性?そこまでわかってるのに、君、自分じゃ声をかけられないのかい?え?今色々やってて手が放せない?迷子が来てる?」
特に焦った様子もない昔なじみの声に、老錬金術師はその知性に溢れた目を好奇心に輝かせながら頷いた。『彼』がこれだけのんびりしているのだ。危険性はそれほどないのだろう。もしかしたら、本当に学園祭を楽しみに来ただけかもしれないし。
「とりあえず、校舎を見回ることにしよう。もし、それらしいのを見かけたら声をかけてみるよ。太古のクレイドルが呼んでるってね」
小さな卵型の魔道具を仕舞ったクヌートルは、休憩しようと座っていた椅子から立ち上がると騒がしくていい匂いがして、黙っていてもわくわくしてくるような喧騒の中へと歩き出した。
毎年生徒も教員も楽しみにしている学園祭だ。お客さんにだって楽しんでもらいたい。早めに発見して、できれば何事もなく穏便にすませられればよいのだが。
「それに、一度見てみたかったんだよねぇ……魔人」
この好奇心と知識欲のせいで、人生の階段を何度か踏み外しかけている老錬金術師は、全く懲りた様子もなく、楽しげに『ヤバイお客さん』を探しに校舎を練り歩いていく。
「あっ、あった!」
壁だの床だの手当たり次第に目を凝らして、必死に脱出方法を探していたオーリアスとフォルティスは、やっとのことで手がかりらしきものを発見していた。
純白といっていい床に、ほんの少しだけ色の違う部分を見つけたフォルティスが、隣にしゃがみこんだオーリアスの景気よくさらされた谷間から必死に目を逸らしながら、手がかりを指す。
「こことここと、ここ」
「あ、本当だ」
材質がさっぱりわからない白い床の片隅に、少しだけ色の違う三つの円がある。
「これ、どうすればいいんだろう……」
見つけたはいいが、どうすればいいのかわからない。
「押せばいいのかな?」
「……お、押すのか……」
押すと大概ロクな目に会わないオーリアスは嫌そうな顔をしたが、それくらいしかできることがない。
覚悟を決めた二人は、何が起こってもいいように、具体的には垂直に落下したりしてもいいように覚悟を決めて、でっぱりも段差もない、つるりとした床の一部の三つの点を、強く押しつけた。
「……何も起こらないな」
「う、うん……」
何か起こるかと思って身構えていたのに、ちょっと恥ずかしい。どうすればいいんだと首を捻る二人の背後には、どこかへと続く入り口がぽっかりと開いている。
それに気がついた二人が驚いて飛び上がるまであと少し。




