54、学園祭始まりました
学園祭当日の朝。
いつもより少し早く起き、普段どおり箪笥の引き出しから着替えを取り出そうとしたオーリアスは、ふと手を止めた。
無言で引き出しの中を睨み、そっと閉めると、いつもは開けない引き出しをそろそろと引き出す。
そこに収められている目に眩しいソレをしばし睨み、とうとうがっくりと項垂れるとソレを取り出した。 淡い緑色と繊細なレースに飾られたソレを寝台の上に置き、ため息をつく。
『いつも迷宮に潜っている時に着けているのじゃダメですよ、縞々よりも緑の方を着けて来て下さいね、なんせメイド服ですから。オーリは大人っぽいし、きれいな下着の方が似合いますよ』
そう言ってにっこり笑ったマリエルを思い出し、のろのろと寝巻きを脱ぐ。
つまみあげた肩紐は華奢なレースで飾られていて、なんとなく触るのを躊躇ってしまう。胸を収める部分も全体に金糸と種類の違う緑でこまかな刺繍がされているし、縁の部分も半円が連なった形のレースで飾られていてきれいだ。可愛いよりは大人っぽいかんじで、いつものすぽんと被って腕を通して終わりの下着とえらい違いである。
寝巻きの上を脱ぎ、この頃段々違和感を感じなくなってきている自分の胸と下着を交互に眺め、おそるおそるその華やかな一品を手に取ると覚悟を決めて腕を通した。
紐を肩にかけ、軽く前かがみになって背中の後ろを留める。その後位置を調整して、終わり。
言葉にすれば簡単だが、筆舌に尽くしがたい恥ずかしさがこみ上げてきて顔が熱くなる。
だって、これは物凄く女の子っぽい。被ってすぽん、なら日用品の一種として目を潰れたが、こんなきらきら眩しい下着を着けてしまったら、誤魔化せない。こんな胸しといて、股間の物がなくなって今更なんだと思われるかもしれないが、いかにも女の子らしい下着というのは、ある意味何よりも現実を突きつけてくるのだ。
しょんぼりと上を装着し終わって、被ってすぽんとのつけ心地の違いに居心地の悪い思いをしながら、今度は下の寝巻きを脱ぐ。上は下着を着けないとにっちもさっちもいかなかったので素直に着用していたが、下だけは、これだけはと頑なに男物を愛用している。だが、さすがに昨日見せつけられたあの衣装の下に愛用男下着を履くのは何か違うような気がする。別に中を見せるわけでもないし、いっそこのまま味も素っ気もない四角い男物でいこうかと一瞬思ったが、鏡の中の自分を見てそれを改めた。
被ってすぽんにならおかしくなかったが、このきらきら下着に男物の下着は何かおかしい。
肩を落とすと掃いていた下着を脱ぎ、未着用のこれもレースで飾られた下着を手に取ると、葛藤の末に足を通す。ひんやりして、少し冷たい。
壁掛けの鏡はあまり大きくないので、全体を映そうとすると少し離れなくてはならないのだが、そうして鏡に映った自分は、まるで別人のように華やいで見えた。
似合ってるな、とぼんやりと思う。
それは否定できなかった。ただ、こうして鏡を見ていると、恥ずかしくて早く脱ぎ捨てたいという気持ちと、まんざらでもないような気持ちが両方存在していて悲しくなる。もう何がなんだかよくわからない。こんなのあり得ないという気持ちが元の自分だとしたら、まんざらでもないと思っているのが今の自分なんだろうか。
元の自分とか今の自分とか、一体なんなんだ。
鏡から目を逸らし、もそもそと着替えを済ませた魔女は、落ち込んだ気持ちを振り払うように床に置いてあった杖を手に取り深呼吸した。逃げているだけかもしれないが、考えないのが一番いい。どうにもならなくなったら、山に行って叫んでこよう。
そうして撲殺魔女は自分に気合をいれると自分のクラスに向かった。
校内は至る所に道案内の矢印やら、出し物の宣伝やらが書かれた紙が貼られていて色とりどりだ。ついでに、当日になっても準備が終わらなかったぎりぎり組の連中が、鬼気迫る形相で廊下を走り回って資材搬入やら突貫工事やらに励んでいるので、ちょっと危ない。
「あっ、遅いよオーリちゃん! 早く着替えて! 着替え終わったら看板持って歩き回ってもらうからね!」
「存分にその胸でお客さんにアピールしてきて!」
「……いや胸では釣れないだろ……」
クラスに着くや否や叫ばれたオーリアスが小さく反論すると、仁王立ちのトモエとララの背後にいたヒューイとアモスがそっと魔女の胸に目をやって頷きあった。聞えないように小声で会話を交わす。
「釣られるよな」
「釣られる俺は悪くない」
うんうんと頷いている二人の後ろから、エイレンに押されるようにしてコーネリアがやってきた。マリエルとグレゴリーも奥にいて、手を振っている。
「もう、遅いよ! ふたりともこれ衣装だから、三階の特別教室6で着替えてきてね。もう始まるんだから、早くはやく!」
「お、おはよう、オーリちゃん」
てきぱきと衣装を渡すエイレンとはにかんだ笑みを浮かべるコーネリアに挨拶をすると、ぐいぐいと廊下に押し出された。
「はいはい、早く! 急いで! 駆け足!」
「わ、わかったよ、押さなくてもわかってる!」
「きゃっ、え、エイレン、押さないで」
「急げー!」
二人揃ってクラスから押し出され、顔を見合わせて苦笑いすると歩き出す。
「なんか、凄かったな、教室の中……」
「皆かわいかったですね」
「そ、そう……か……?」
教室内にいた黒曜クラスの生徒たちは、全員メイド服に着替え済みだったので、迫力が物凄いことになっていた。女子はいいとしても男子のメイド服は、ちょっとした人為災害のような気がするのだが。
ただし、そのせいでオーリアスは断固拒否を貫き損ねたのだ。
でかくてごついゴドフリーが悟りを開いたような顔で、オレモキルノニオマエガキナイナンテユルサレナイ、とやさしく囁いたので、頷かざるを得なかったとも言う。
ちなみに、グレゴリーだけはサイズがないという理由でメイド服を免れているが、尻尾にリボンを巻かれ、あちこち花を飾られているので、一概によかったとはいえないかもしれない。コタローに至っては、目から下を変わらず隠しているので、メイドなのかなんなのか、わけがわからないことになっている。
三階に上がっても、一年生のクラスのある廊下とあまり様子は変わらなかった。必死の形相で駆け回る上級生、飛び交う怒声、どちらかというと三階の方が凄いような気がする。そんな混沌とした廊下を足早に抜け、特別教室に駆け込む。入れ違いに中から先輩らしき女子が二人、あごひげとふさふさ眉毛をつけた状態で笑いながら出てきた。それっぽいローブととんがり帽子を着た格好から察するに、『古き魔法使い』ヴェリー・マンタスの仮装らしい。どうせ魔法使い系の仮装をするなら、美貌で有名な『神葬の魔女』の仮装をすればいいのに、と思わなくもないが、あれはあれでとても楽しそうだ。
「まゆげ、ふさふさでしたね」
にこにこしているコーネリアがちらりと出て行った二人を振り返る。
「ああいうのも楽しそうだよな」
「ふさふさまゆげ、つけてみたいな」
「あ、おれも」
布で幾つかに仕切られた教室の中はしんと静まりかえっていた。
もうすぐ開始の花火が打ちあがる時間だということもあって、今頃着替えにくる生徒は少ないのだろう。
手近な布を捲って別々の場所に入ると、足元に置いてある籠に着ていた服を入れていく。さっきの教室内の荒ぶり方を見てしまった以上、もはや覚悟を決めてさっさと着るに限る。
ばさりと衣装を広げ、そのふりふり具合にうんざりしながら、足を通し、ざっと腕を通すと背中の釦を留めていく。色は地味だが、過剰なレースとひらひらしたペチコートが『地味』という単語をこの衣装からぶっとばしてしまっている。何よりも物申したいのはその丈の短さと胸元の開き具合だった。
なぜこんなにも丈が短く、そして胸元が開いているのか?
他の皆はちゃんとしたロングスカートなのに、なぜ自分だけこんなやたらと露出が激しい衣装なのか理解に苦しむ。しかもぴったりサイズ。もしや寝ている間にでも採寸されたのだろうかと戦々恐々しながら釦を留めていたオーリアスは、仕上げの首の付け根の部分の釦と上からつけるエプロンの紐を結ぶのに手間取った。
「オーリちゃん、着れた?」
「もうちょっと……最後の釦が」
「あ、留めてあげますね」
「頼む、自分じゃ無理みたいだ」
ばさりと布を捲くったオーリアスに、コーネリアが近寄ってきて、手際よく釦を留めてくれる。
「後ろの紐も縦結びになっているから、直しておきますね」
「ああ、ありがとう」
「ふふっ、オーリちゃん、とっても素敵です」
「……あ、ありがとう……」
あまり嬉しくはなかったが、背後のコーネリアはとても嬉しそうなのでそう返しておく。
「後ろもとっても可愛いです。わたし、鏡を持ってきているので見せてあげますね!」
「いや、いいよ、気にしなくて……」
それが悲劇、いや喜劇の始まりだった。
いそいそと手鏡を取りに脱いだ衣服のところまで行こうとしたコーネリアが、足元で撓んでいた仕切り布の端っこを踏んでつるりと滑ったのだ。
「きゃっ……!?」
きれいに前にすっ転んだコーネリアを助けようと伸ばされたオーリアスの指先は、跳ね上がったコーネリアのスカートの裾をかすって空を切った。
「わっ!?」
そしてオーリアス自身も前に踏み出したことで布を踏んづけ、滑った。恐るべきは白布である。
油でも撒いたのかと思うほど滑るこの布を踏ん付けた二人の結末はわかりきっていた。
そうそう捲れることのないロングスカートを全捲りしたコーネリアと、そこに突っ込んだオーリアス。
感想は、あ、ピンク色、だ。
「……あ……ああああのっ、ごめんっ!」
慌てて目を逸らしたオーリアスは、目の前にちらつくピンクの残像を必死でかき消しながら、謝り倒した。
「ごめん! ほんとごめん! わざとじゃないんだ! 滑って、そう滑って! ほんとにわざとじゃないから! ごめんっ!」
その時、オーリアスは必死だった。まさかコーネリアの下着を目撃してしまったことが、自分のスカートを捲り上げる原因になるとはこれっぽっちも思わなかった。
無言のまま、真っ赤な顔で振り向いたコーネリアが、蚊の鳴くような声で、だいじょうぶ、と呟く。
「ごめん! 本当にごめんな、その、忘れる! すぐ忘れるから!」
目を逸らしたまま謝っていたオーリアスは、知らない。そっと自分のスカートを直したコーネリアが、顔を赤くして必死に謝っている魔女を見て、何かを考えるように顔を伏せた後、きらりと目を輝かせたことを。
「……オーリちゃん」
「な、なんだ!?」
「あのね……オーリちゃんも見せてくれたら、許してあげる」
「へっ?」
「わたしだけ見られたのは、悔しいから……オーリちゃんも、見せて?」
「……えっ?」
そして反論という反論を涙目と悲しげな声と罪悪感で封じられた現在。
オーリアスは人気のない特別教室の真ん中で、学園祭開始の花火の音を聞きながら、ぷるぷるしながらスカートの裾を持ち上げていた。これは試練だ。試練なのだ。あらぬところに突き刺さってくる視線がどんなに痛くとも我慢。我慢だ。なんだかもうこの為にきらきら下着を身に着けたような気さえしている。 初めて履いてその日の内に他人に見せることになろうとは。
「あ、可愛い……きれいな色……」
「……!?」
こんな激しい羞恥心を感じたのは、人生で初めてである。
むしろ、恥ずかしさの限界を更新した。おかげでしばらくは羞恥心と無縁でいられる気がする。
ミニスカメイド服がなんだ。ちょっと谷間が見えてるくらいなんだ。そんなのもう全然平気。自分で女の子にぱんつを見せるためにスカートを捲くることに比べたらそんなもの。
「も、も、もういいか!?」
「うん。見せてくれたから、許してあげる……これで、おあいこね?」
開始の花火が鳴っても戻ってこない二人をよそに、クラスは大いに盛り上がっていた。
目指せポーションくじ完売、である。
そんな教室の隅で、エイレンたちは三人集まってひそひそと話をしていた。
「ねえ、オーリちゃんに教えてあげた方がよかったと思う?」
「ううん。まだそこまですることないと思う」
「わたしも」
「そうだよね……」
昨日、もしかしたら先に伝えておいたほうがいいのかもしれないと思って声をかけたが、やっぱりそこまでするのはお節介だろう。それに、どう伝えれば友人の恋心をちゃんと理解してもらえるだろうか。
あの子、あなたを好きになってしまったみたいなんだけど、なんて。
でも、できればコーネリアがなるべく傷つかないように、と思うのだ。
「エイレン」
「なに?」
「コーネ、本気だと思う?」
顔を寄せ合って、三人は考え込む。
「本気だと思うな。だって、コーネ、毎晩筋トレしてるんだよ」
「筋トレぇ?!」
「なんで? 僧侶なのに筋トレしてるの? なんで?」
「強くなりたいんだって」
エイレンは小さくため息をついた。
「時間を見つけては武道場にも通ってるし、毎晩、腹筋背筋腕立て伏せと柔軟を欠かさないよ」
「そ、それは……」
おっとりしたお嬢さまであるコーネリアの本気を垣間見て、トモエとララは思わず顔を引き攣らせた。
「幽霊騒動が悪かったんだよねぇ……あれですっかり」
それまで格好良くて自分を守ってくれる相手だと思っていたオーリアスが、魔物に痴漢されて衝撃を受けているところを見て、それが激変したらしい。
「わたしが守ってあげたいの、って言ってたし……」
「どう考えてもオーリちゃんの方が強そうだけどな……」
「だから、その為に鍛えてるんでしょ」
「うわあ、本気だなぁ」
「ここはやっぱり応援しとくべき?」
「そう思って二人で着替えに行くように仕向けたんだけど、全然帰ってこないのはなんで?! もう花火鳴ったのに!」
マリエルとグレゴリーもオーリアスを待って、さっきからそわそわと廊下に出ているし、エイレンたちもコーネリアがこないと校内を回れない。お客さんだってくるかもしれないし、一体あの二人はなんだって戻ってこないのだろうと困惑しているところに、やっとコーネリアが戻ってきた。
廊下に出ていたマリエルとグレゴリーがオーリアスを呼ぶ声が聞える。
「遅いよ、コーネ!」
「ごめんなさい」
どことなく上気した顔でやってきたコーネリアの袖を引く。
「どうだった? 話せた?」
引っ込み思案で大人しく、内気なコーネリアが、筋トレを始めるほど思い焦がれている少女と二人きりの時間を提供したエイレンとしては、気になって仕方なかった。とはいえ、お話できたの、とか、一緒に出かける約束したの、程度の返答を期待していたのだが、そっと顔を寄せたコーネリアの嬉しげに弾む声に度肝を抜かされるはめになった。
「あのね……ぱんつ、見せてもらっちゃった」
「ぱん……えっ!?」
思ったよりずっと肉食だったらしいコーネリアに唖然としたエイレンは、思わず廊下にいるであろう撲殺魔女の方に視線を向けた。
もしかして、やっぱり一言言っておくべきだったのかもしれない。
もっとも、さっきまで思っていたのとは、全く違う一言になるだろうが。
ラビュリントス迷宮学園学園祭、波乱の幕開けであった。