52・5、その頃彼らは 4
50シムはありそうな大きな籠の中から目当ての瓶を引っ張り出した部屋の主は、ごとりとそれを机の上に置いた。目的は瓶ではなく、その中身である。
瓶の中のソレを眺め、つらつらと今後の予定を考える。与えてみたい素材なら山ほどあるが、手当たり次第というのはあまりよくない。一定の傾向を持ちつつ、なるべく幅広い素材を与え、反応を見たい。取りあえず抗魔性のある素材を与えてきたが、なかなか興味深い反応をしている。
研究心を刺激してやまない未知なる存在に、いつもの如く餌を与えようと箪笥の中身に思いを馳せていると、遠慮も会釈もないノックが響き渡った。
「おーい、開けていいかー」
「せんぱーい、お菓子の用意は万端ですかぁ? 私お腹減ってるんですけど!」
「……早く開けてくれ……」
まだ約束の時間までは間があるというのに押しかけてきた三人に、未練がましく瓶を見下ろした後、さりげなく黒い布を瓶に被せ、目立たないよう隅に置く。この三人を放置すると両隣の部屋から後で文句を言われるのだ。
「……うるさい」
仕方ないので、遠慮なく叩かれている扉を開けてやる。
この礼儀しらずどもめと呟いてやったが、二人はこちらを歯牙にもかけず我が物顔で部屋に突入し、残る一人は申し訳なさそうな顔をしながらも、今日の菓子には塩気のあるものも用意されてるんだろうな、と確認をしてきた。
今日のおやつはバターをたっぷり使った焼き菓子に、塩味のクッキーだ。一人で貪ってやろうかと思いながら、いつの間にか人数分用意されていた椅子に腰掛ける。
「あ、お茶煎れますね」
渋々布巾をかけて置いておいたお盆とお茶菓子、茶器を出してやると、ミネリがいそいそと各自の器に茶を注いだ。
注がれたお茶から立ちのぼる湯気が目に暖かい。今年も、もうそんな季節なのだ。
「えー、じゃあ一応解決した鏡騒動を祝ってかんぱーい」
気の抜けた音頭をとったルーヴが熱い茶をものともせずにぐびぐび飲み干す。
「よかったな……何事もなくて、本当によかった……」
しみじみとガランドが頷き、ミネリもほっとした顔をする。
「よかったですよねぇ……クロロス先輩が鏡を爆破したおかげでなんとかなって」
この場合の『なんとかなって』は、単にあの呪いの鏡が封印されたことを指しているのではないことをクロロスも知っている。
「大喜びだったもんな、ラウムの連中」
「踊り狂わんばかりに喜んでいたな」
「クロロス先輩とアルゴス先生に跪かんばかりでしたね」
呪力で爆破され、呪力の結合を弱められた鏡はその力を殆ど失い、アルゴスに念入りに封印を施されてラウムへと運ばれていった。引き取りにきた使者は五体投地してそれを喜び、男泣きに泣いてラウムへ帰っていったのだ。クロロスの人生でもあれほど全力でお礼を言われたのは初めての経験だった。鏡を壊してしまったことに対する文句は爪の先もでなかった。壊してくれてありがとう的な事は叫ばれたが。
あの時。鏡が爆破された瞬間、爆音を上回る女の絶叫が響き渡った。破れた三枚の結界の内、二枚は確実にあの絶叫が破っていた。まだ研究途中の方法とはいえ、あの場の魔力は七割がた呪力に変換できていたし、着火した呪力も問題なく爆発してくれた。そのクロロスの溜め込んだ呪力で破れた結界がたった一枚ということを考えれば、さすがアルゴスと感心せざるを得ない。何だか鏡を封印するための結界よりも時間をかけてねっちりと術を組んでいたような気がするが。
とにかく、そのアルゴスの念入りなねっちりした結界を二枚もぶちぬいたあの絶叫には、肝を冷やした。結界が無ければ即死だっただろう。あれほどの怨念、古のラウムはどれだけ恨まれていたのか。
「で、どーよ? カティスの治療は順調にいってんのか?」
元生徒が気になるらしく、塩味クッキーをばりばり食べていたルーヴがちらりと視線をよこした。
「ああ……概ね順調だ。まだ悪夢に魘されたり、不安感に苛まれたりはしていたが、それもこのままいけば抜けるだろう」
様子を見に行ったクロロスに、寝台の上でぼんやり天井を見上げていたカティスは、誰かに聞かせるといった感じでもなく呟いた。
「おれ、あいつのこときらいなんだ」
曰く。
王子を殴ってもお咎めなし。スカした顔でソロの剣士なんかやって、おまけに結構モテていた。本人が気づいていたかどうかは知らないが。今となっては、もしかしたら本気で気づいていなかった可能性もあるような気もするが、あの頃はそうではなかった。自分がモテてることに気づいていながらそんな素振りも見せない格好つけ野朗に見えていた。その上、報復できないことに苛立ったオルデンがクラスメイトに圧力をかけてクラスから総無視されても全く変わらなかった。だからどうしたと言わんばかりに涼しい顔をしていて、尚更苛立ちは募るばかり。
そこに女になる呪いを受けたと聞いてほくそ笑んだのは仕方ない。これでやっとあいつの涼しい顔を見なくてすむ。
そう思っていられたのは僅かな時間だった。ジョブが変わってしまったとかで魔女になったオーリアスは、今まで孤高のソロを気取っていたくせに、あっさりパーティを組んだ。そしてソロの時となんら変わりなく、いやそれよりもずっと順調に毎日を過ごしているようだった。少なくともオルデンだってそう思っていたのは間違いない。結局、男だろうが女だろうが、恵まれてるヤツは何をやったって上手くいくのだ、とたっぷり山盛り僻んでますます嫌いになった。神様に愛されてるヤツは違うね。そして決定打が実習。
オーガを足止め? はいはい凄いですね、こっちは無様に逃げ出しましたが、何か?
そんな僻みがたっぷり募り、これまでの環境で与えられた山盛りのストレスが爆発、金で爵位を買った豪商の末っ子で、生贄的にオルデンパーティに差し出されたコルキスに向くのは時間がかからなかった。
「でも、違ったのかなぁ……」
あの時の早口言葉とそれに次ぐ告白は、カティスの心の何かも打ち破ったらしい。
教えてはやらなかったが、オーリアスはカティスが思うほど幸せな育ちはしていない。両親を早くに失くして、どこぞの山に引きこもった城崩しの女丈夫と隠遁生活。愛情面では確かにカティスより恵まれていただろうが、普通の子どものような育ち方はしていない。
今まで溜め込んでいたのだろう胸の内を吐き出してぼうっとしているカティスに、担任の教師としてクロロスは告げた。
帰ってきたら説教をすること、週に一度は個人面談をすること、そして、無事でよかった、と。
カティスはそれを聞いた後ひとしきり泣いていたが、後で元気になったら、あの性格からして相当恥ずかしいに違いない。
道を踏み外すことは誰にでもある。自分と誰かを比べて羨むことも。周囲が塵に見えることも。
でも、間違えたら引き返すこともできるし、別の道を歩くこともできるのだ。もし、今回の件で誰かが取り返しのつかない怪我を負ったり、死亡したりしていたらそれは叶わぬことだっただろう。
自分の子どもを駒のように扱う親からは落伍者として切り捨てられ、家から放逐される可能性もあった。だが、まだ取り返しがつく。巻き込まれたマリーウェルもオーリアスも、それにグレゴリーもカティスの件については口を噤むと誓ってくれた。
ならば、周囲には呪力に惑わされていたんですで押し通せば、なんとかなる。してみせる。というかアルゴスも巻き込んでなんとかしてみせた。専門家にもっともらしく説明してもらえば、ことは割と簡単だった。
あの鏡の呪力はあまりにも強く、ラウムの解析書にも書かれていないことがあったのです。相性が良すぎると、なんと鏡に操られ、自我を失ってしまうのですよ。あれはあまりにも強すぎます。なにせ私でさえ封印ができなかったのですから。だから持ち出した生徒を責めるのは酷というものでしょう。このアルゴスとてクロロス先生の薬剤がなかったらどうなっていたことか。
アルゴスが案外達者に演技してくれたおかげで、経過観察は義務になったが、カティスはお咎めなしだ。オルデンたちにも余計なことは告げていないので、戻ってもなんとかやれるだろう。
「全部ひっくるめて、怪我の功名ってやつですかね」
笑ったミネリがいつのまにか最後の一切れだった焼き菓子を口に放り込む。
「誰も死ななかったから言えることだけどな。終わりよければ全てよし」
今回の件は、主にアルゴスの髪の毛と胃と精神と一部の生徒達に多大な影響を与えたが、終わってみれば、なかなか悪くない結果を残してくれた。ラウムは大喜びでラビュリントス万歳を唱えてくれたし、よくない方向を向いていた一人の子どもに、進む方向はひとつではないと気づかせてもくれた。
「で、結局理事のアレな行動はなんだったんだ?」
「さぁ……ちょっと探りは入れてみましたけど、わかりませんでした」
しがない教員が理事にいれられる探りなどたかがしれている。わかっているのは鏡騒動の折に理事側が取った行動があまりにも不合理であり、どう見てもおかしいというだけだ。
「理事派も、さすがに今回のことはよくわからないみたいですね」
疲れたように眉間を揉み解していたガランドが、ため息をついた。
「早朝にクレイドルから連絡があってな」
「……なんと?」
「どうも迷宮に干渉してくる馬鹿がいるらしい。どうもオーガの時と同じパターンらしくて、全部弾いているから問題はないが、ちょうど迷宮週間に入るから調整するといっていた。今回の理事の件もそれがらみじゃないかと」
「すげー問題を落としていくな。さすがクレイドル」
「まさか学園祭に何か起こるとは思わないが、何もないとは言い切れないところが辛い」
では今後も要警戒、ということを確認しあった四人は、小さな茶会をお開きにするために立ち上がった。
「次はガランドな」
「……甘味を用意しろ」
「わたしも甘味希望」
「おれが甘いものを嫌いだと知ってその発言か」
「やだー、当たり前じゃないですか」
無言で肩を落とすガランドに、きゃっきゃとミネリが絡んでいるのを生暖かく見つめながら、さて、この後はアレに餌をやらなければ、と呪術師は小さな楽しみに思いを馳せた。