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学園迷宮で会いましょう  作者: 夜行
第3章
57/109

51、幽霊騒動 結




 無言のまま、こちらに視線を向けたカティスが何を思っているかはわからない。

 鏡に飲み込まれかけている生徒を見て、それでもクロロスは幾分安心していた。全て呑まれきっていたら助け出す手立てが正直なかった。助けられたとしても、何十年単位で後のことになっていたはずだ。


「……ホイホイはあとどれくらい持つ?」

「だから……はぁ、もって青い砂時計が落ちきるくらいだな」

「先にカティスをこちら側に引き戻す」


 放っておけば封印を施している間にカティスが丸ごと飲み込まれかねない。本当なら、もうとっくに飲み込まれていてもおかしくないのだ。それなのに、半身とはいえこちら側に体を残している。クロロスたちがここに駆けつける前に、何かカティスの意識をこちらの世界に向けることがあったのかもしれない。

 とにかく、先にカティスの救出だ。それにはまず鏡の呪力を弱め、干渉を可能にしなければ。


「……ほっといて、いいのに」


 力の無い声がそう吐いたのを黙って聞いていたクロロスは、つかつかと半分だけのカティスに近づくとおもむろに拳を振り上げた。


「……っ!?」


 ごつん、といかにも痛そうな音がして、今にも死にそうな顔をしていたカティスが呻く。


「……バカ者め。そんな台詞は30年早い」

「クロロス、中和できるか?」

「ああ、結界を頼む。オーリアス、そこから動くな」


 現在この辺りは鏡の呪力で満たされ、汚染されている状態だ。そこにいきなり浄化だ封印だと結界を張っても、濃すぎる呪力が妨げになって結界が上手く作動しない。その為に、まずは場を自分の力で染めかえる。

 まずアルゴスが結界を張り、その中にクロロスの魔力を注いで、中の空間の呪力の比率を変えるのだ。勿論、並みの魔力では到底不可能なのだが、クロロスにはそれを可能にする手段があった。その為には長年溜め込んできたものを放出しなければならないが、生徒の命には代えられない。


 横たわるマリエルに付き添うオーリアスが、何が始まるのかと見つめる中、クロロスはローブを脱ぎ捨てた。ローブの中は見た目普通の黒い上下だが、その上から直径が1シムほどの水晶玉を連ねたものが首にも腕にも腰にも何連にも巻かれている。今でこそ一粒一粒が黒に近い紫色をしているが、最初は純粋な水晶だった。毎日少しずつ魔力を吸収させ、水晶の中に濃縮して閉じ込める。それを延々と繰り返して、何年目か。

 全て開放すれば、クロロスはラビュリントスを荒地に返すこともできるが、そんなくだらないことに溜めこんできた魔力を使うつもりはなかった。

 いざというとき為の保険として仕込み続けてきたものだが、どうやら正しく役に立つ時が来たらしい。


「……始めるぞ」


 アルゴスが始めに鏡の周囲に頑丈さ重視の結界を周囲100セム程の範囲で張る。あふれ出す魔物をしばらく留めておけるように、それくらいの広さは必要だった。

 手首の数珠を手早く外したクロロスは、水晶を連ねていた糸を引きちぎると、えいやと水晶を空中にばら撒いた。盛大に散った水晶がきらきらと宙に浮かぶ。豪快にどんどん身に着けていた水晶をばら撒いていく呪術師に、結界術師は青褪めた。

 確かに中和できるかとは聞いたが、まさかまさか、こんな方法を取るなんて思ってもいなかった。呪力を操る呪術師だからと聞いてみただけだったのに。


 無数にばら撒かれる、ひとつひとつが濃密な魔力に溢れたあれだけの魔石、値段に換算したらいくらになることか。正直な話、本当に歩く身代金である。というか、小国の国家予算並だろう。涼しい顔して豪快にもほどがあった。これと決めたら一切迷わないその性格は、なぜか生徒に伝染するともっぱらの噂だが、どうか今これを見ている生徒にそれが移りませんように、と真面目な教師は心の底から思う。


「国家予算が……」


 思わず口から出たアルゴスの呟きを聞いて、オーリアスの目が飛び出しそうになった。

 せっせと星のようにきらめく水晶粒を撒いているクロロスと、撒き散らされる水晶粒に呆然としているアルゴスとを、視線が忙しなくいったりきたりする。


「え……こっかよさん、て……」


 まさかそんなと動揺する生徒の目の前で、数え切れないほどの水晶粒がクロロスの意志によって、閉じ込められていた魔力を開放した。きらきら光る濃紫の、目に見えるほど濃い魔力が結界内に一気に拡散する。

 

 普通、魔石は自分の足りない魔力を補うことに使われる。素では扱えない属性の魔力を操ったり、魔法を使えないジョブでも魔石を使えば魔法を発動できる。ただし、込められた魔力が無くなってしまえば終わりの使い捨ての超高級ドーピング道具だ。それをクロロスは山のように使っているのだ。元手が自分の魔力とはいえ、眩暈を起こしそうな金額の魔石を雨霰とばら撒く同僚に頭痛がしてきた。

 あれだけの魔石だ、アルゴスがドーピングできたらよかったのだが、結界術師はその作業の繊細さからドーピングには向かない。無理に普段の自分以上の魔力を補充すると、結界が編めなくなってしまう。


 おうおうと鳴き叫ぶ死霊の咆哮ばかりが聞える中、重苦しくねっとりとした気配の中に、ひんやりした冷たい空気のようなクロロスの魔力が溢れ、満ちていく。息苦しささえ感じるほどの魔力濃度だったが、呼吸自体はずっとしやすくなった。それだけ鏡の呪力の汚染が激しかったということだろう。


「これでいいだろう」


 紫色に染められた結界の内側で、アルゴスが印を切った。


王光結界(セルサスシールド)


 アルゴスが印を組むのと同時に、鏡よりも大きな、金色に光る蜘蛛の巣のようなものが鏡を包み込む。


「これで持たせている間に救出しろ。その間に、封印結界を施す」


 むせかえるような魔力が呪力を相殺とまではいかなくとも、かなり薄めているのでなんとかなりそうだ。


「火蜘蛛の封」


 アルゴスが素早く複雑な印を組むのと同時に、さっきの結界よりも大きな、赤く光る蜘蛛の巣が一枚、鏡の右手に生みだされる。

 浄化結界が効いている間に、とカティスの腕を掴んだクロロスだが、思わず顔を顰めた。よろしくない呪力が流れ込んでくる。

 一旦手を離したクロロスは懐から派手な指輪を二つ取り出すと、それを無造作に指にはめ、がしっとカティスの腕を掴んで遠慮なく引っ張った。指輪に嵌められた石が発光し、それと同時にわずかにカティスの体がこちら側に引き寄せられる。


「水蜘蛛の封……クロロス、一体おまえはどれだけ……!」


 青く光る蜘蛛の巣を順調に編み上げたアルゴスは、頭をかきむしりたくなるのを必死に我慢した。

 この歩く身代金、どうしてやろうか。

 だが、このままならすぐにも引きずり出せそうだ。アルゴスは自分のやるべきことを果たせばいい。

 一枚の封を生み出すたびにごっそりと削られる魔力に顔を顰めながら、そろそろ行き場を失った魔物たちで溢れかえりだした結界に、冷や汗をかく。

 死招結界が切れる前に封印できなかったら、間違いなく詰む。


 鏡面の中はどうなっているのか、力一杯引っ張っても、じりじりとしかカティスを引き出せない。

 苛立ちに耐え、自分の生徒を引っ張り出すことに集中していたクロロスは、ふと不穏な気配に気づいた。

 視線。

 見上げた先で、赤い目玉が、ぐるりと動く。

 禍々しい鳥の群れが、じっとこちらを見つめていた。

 恐るべきは鏡本体であり、今までただの縁かざりでしかなかった鳥たちが、まるで生あるもののように生々しく身じろぐ。

 途端に鏡の周囲に呪力が噴出した。ねっとりと黒い靄のような呪力が鏡を中心にうねり始める。

 最高位の浄化結界と事前に飲んでおいた薬がなかったら、恐らく、立っていることもできなかっただろう。


「な、んだ、あれ……」


 マリエルを庇うように抱きよせたオーリアスは、鏡の縁を飾る鳥たちが目玉を赤く光らせ、ゆっくりと翼を広げていくのを見ていた。その翼が堰を切ったように羽ばたき始めると、その翼が赤黒い触手になって噴出すようにクロロスとカティスに絡みついた。


「先生っ」


 絡みつく触手が、カティスを鏡の中へと引き寄せる。

 ずず、と鏡面へ引きずり込まれる生徒を、クロロスが踏ん張って押し留める。アルゴスが必死に封印結界の準備に励む中、鏡とクロロスでカティスの取り合いが始まった。


「……ぐっ……」

「せんせ……もう、いい、よ」


 今にも泣き出しそうな顔で鏡に呑まれかけているカティスが訴えるのに、クロロスは鼻で笑った。


「もう一度拳骨が必要らしいな」

「……だって」

「後で存分に説教だ」


 いやだな、と小さく呟いたカティスが、かすかにクロロスの手を握り返す。だが、無数の触手が一本に纏まると、クロロスの片腕をへし折ろうとぎりぎりと締め上げた。

 さすがに苦痛の表情を浮かべるクロロスに、アルゴスは焦るが、結界作りで精一杯で手が出せない。


 それを歯噛みしてみていたオーリアスは、咄嗟に声を上げた。マリエルを横たえ、立ち上がる。

 あの触手、あれは動いている。自立して動く、凶鳥。

 ならばそれは、魔物だろう。魔物ならば、アレが効く。だが、自分のレベルでは太刀打ちできると思えない。だったら底上げだ。ドーピングすればいい。


「先生! 水晶を下さい!」


 ちらりと振り返ったクロロスが比較的自由になる方の腕をなんとか懐に突っ込むと、直径5シムはありそうな水晶玉を掴みだした。黒々と輝き、あからさまに逸品の匂いが漂う代物だ。

 そんなものどうやってしまっていたのか、などという些細な疑問はどうでもいい。


「念じれば開放される」

「はい!」


 投げつけられたそれは開放する前から物凄い魔力を放っていて怖いほどだった。これを、自分に扱えるのだろうか。わからないがやるしかない。

 カティスの腕を掴み、痛みに耐えながらクロロスが腰を落として引っ張る。それに反応して光を放つ指輪と、それをさせじと激しく蠢く触手。

 ずるり、とカティスが鏡側に引かれた瞬間。

 恐ろしいほどの魔力を放つ水晶玉を掴んで撲殺魔女は叫んだ。


「カエルピョコピョコミピョコピョコ! アワセテピョコピョコムピョコピョコ!」


 水晶玉の内部に満ちた魔力が眩く発光する。込められていた魔力が沸き立ち、辺りが光に包まれた。

 そして沈黙。


 まるで時間停止の魔法をかけたように、全ての動きが止まった。

 カティスとクロロスに絡みつく無数の触手も、鏡から吐き出されていた魔物たちも、まるで石像のように動きを止めていた。ついでにオーリアス以外の三人も。


 奇跡。奇跡が起きたのだ。

 奇跡の一発成功に打ち震える撲殺魔女の視線の先で、クロロスが、カティスが、アルゴスが、その奇跡を成し遂げた勇者に視線を向ける。

 三人の心は、今ひとつだった。


「……なに、それ」


 なんで早口言葉?


 三人の視線を受けて我に返ったオーリアスは、途端にぶわっと顔が熱くなっていくのを感じて硬直した。

 もうやだ。人前で使うのが恥ずかしいスキルばかり覚えるのはもう嫌だ。もうちょっと格好いいスキルがほしい。お願いです神様。どうか、どうか格好いいスキルを下さい。


「……っパーティメンバー以外で今のスキル見たのおまえが初めてなんだから、ありがたく思え! 誰にも言うなよ!?」

「……せんせーも、みてるんだけど」

「先生も! 口外禁止!」


 ぶふっ、とアルゴスが吹き出した。


「す、すまないッ……だが、わ、笑わせないでくれ! 集中が途切れる!」


 先生、おれは笑わせようと思ってやっているわけじゃありません。本気です。大真面目です。

 心の中で叫ぶ。今、ちゃんと奇跡を起こしたではないか。あの物凄いドーピングの甲斐があって、触手も鳥も大量の魔物も、まるっとひっくるめて固まったじゃないか。ちゃんとスキルは成功したのだ。それなのに、なぜ笑われなければいけないのだ。


「どうしよう、かな……おれ、おまえ、きらいだし」

「鏡から出てきたら、一発ぶん殴る……!」

「……おんなに、なっても、ぼうりょくかよ……これだから、いやなんだ……おまえ、みたいな、やつに、たすけられるなんて、ごめんだな」


 こんな状況にも関わらず嘲笑うようにそう発したカティスに、オーリアスの目が据わる。


「それはこっちの台詞だ! 目の前で死なれたら寝覚めが悪いから助けてるだけだ! どうせマリエルはがんばっておまえのこと助けようとしてあんなになったんだろ!? だったら! おまえ助けるしかないじゃないか! マリエルのがんばりをムダにしたくないって、それだけだ! 大体なぁ! おれはおまえのことなんて何にも知らないけど、だからっておまえにおれの何がわかるんだよ?! おまえ、ニーハイ履いたことあるのか? 着たら痴女間違い無しの服ばっかり薦められたことあるのか? 同い年の女の子に下着屋に付き添われたことは? 生理だってきたことないだろ! 覚えるスキルだってこんなのばっかりで! その上、その上……くそっ、おまえにおれの何がわかるんだよ!」


 ぎりぎりと歯軋りしそうな顔で左半身だけのカティスを睨みつけると、半分吸い込まれたカティスの顔が、それまでの投げやりなものから、ぽかんとした年相応の顔になった。


「……あー……うん、それ、は、ないわ……ははっ」


 ずるずると引きずりだされながら、カティスは目を閉じて僅かに笑っていた。


「なんだ……そっか……おまえもけっこう、くろう、してるんだ……」


 ため息のように吐き出したカティスが、何を思っていたのかなんて知るわけもない。

 その時、アルゴスが叫んだ。


「完成した!『五光封印結界』!」


 鏡を取り囲む五枚の色とりどりの蜘蛛の巣が、五色の光を鏡に向かって照射する。


 そうして、目を開けていられないほどの虹色の光が結界内に溢れた。


 




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