47、幽霊騒動 乱
「いい加減にしてくれ!」
叫んだアルゴスは、それきり糸が切れたように机に伏せてしまった。
「なんだってこんな馬鹿なことがまかり通るんだ? ここは迷宮学園だろう! 他国からの留学生だって多い! なぜこの状況で、まだ外部に洩らすななどと……! 生徒達に何かあったら……」
元々神経質で真面目なアルゴスには現在の学園の状況こそが呪いのように思えるらしい。
いくら探しても見つからない魔道具、夜が訪れるたび、学園の敷地内に溢れかえる魔物、にも関わらず、全く状況を理解していないとしか思えない王家の対応。
確かに預かり物を紛失するなんて、国家として請け負った以上、どうしようもない汚点ではある。だが、ギルドに介入してもらって失せ物さえ見つかれば、手のうちようはある筈だった。ラウムとの関係に少しのズレは生じるかもしれないが、ことを公表せず、万が一他国からの留学生に何かあった時よりはよほどマシなはずだ。
「……おかしいな」
ぽつりと呟いたクロロスに視線が集まる。ここにいるのは派閥に属さない、いわゆる一匹狼の教師達だ。
これでなかなか、教師達にも面倒な関係というのがあって、現在、理事長派と学園長派が派手に争っているせいで教員室では自由に話すこともできない。仕方ないので、この事態が始まってからというもの、わざわざ校舎一階の玄関の隣の部屋を仮眠室がわりにして、何か起こってもすぐに対応できるよう始終詰めているアルゴスの元に集まっての話し合いが持たれていた。とはいえ、はっきり派閥に属してはいないが、ここにいる連中は心情的には学園長よりだ。
本来なら理事と学園長では勝負にならないところだ。しかし、そこは現学園長の実績が物を言い、理事とまともに対抗できる武器になっているせいで理事も一方的に決定を押し付けることができないでいる、というのが、いつもの力関係なのだが。
学園長側が、どんなに強硬にギルドの介入の許可を求めても却下され続けているのは、どう考えてもおかしい。
「国王まで、情報が上がっていない可能性が高い」
現国王は愚物ではない。学園のこの状況を放置しておくのがまずいことくらい、当たり前にわかる人物だ。それなのに、頑なに外部に洩らすなの一点張りで上からごり押ししてくるなんて、どう考えてもおかしい。王家からと言われてしまえば国立の学園であるこちら側としてはできるかぎり、それに添うように努めなければならないが、理事長側が情報をそこで遮断して、適当な返事を返してきている可能性もある。
「そんなことして何になるんだ?! それよりも、もういっそ独断でギルドに駆け込んだほうが……」
呻いたアルゴスの背中に、フレイアが勢いよくてのひらを叩きつけた。
「だっ!?」
「しゃんとなさいな。今わたしたちに出来ることを考えるの」
「だがもう、やりつくした……」
「……気になっているんだが」
「なんだ?」
「いくらなんでも、おかしくないか? これだけ探して見つからないとなると、誰かが既に所持してるとしか思えない」
「それは皆思ってるさ! だが、どうすればいい?」
ちょっと気の利いたスキルを持っていれば、隠蔽は簡単だ。そしてそれを見つけるのは容易ではない。
おまけにナルシィの魔力のせいで気配を追うこともできない。だからこそ、持ち物検査になど踏み切れないし、効果も期待できないのだ。
「ああ、多分、誰かが取り込まれてるのは間違いない」
「それにしては、状況の推移がゆるやかだし、ラウムから回ってきた鏡の調査書に書かれていないことがあると考えた方が自然でしょうね」
がさがさと解析結果が記された紙を机の上に広げたミネリがため息をつく。
「呪力による精神汚染、所有者に凶事を引き寄せる、魔法耐性の低い者への軽い魅了、負の感情を喰らって幽霊、魔物を生む……この他にもまだあるんでしょうか」
十分すぎるほど凶悪な効果なのに、この上まだあると考えるとうんざりだ。
「一人、行方不明になってるのがいたはずだがねぇ」
それまで黙ってあごひげを撫でていた老クヌートルの発言に、全員が調査書を覗き込んだ。
昨日まで西のアルバンスの大図書館に出張していたこの老錬金術師の博識さは誰もが認めるところだ。その知性は疑いなく、道理のとおった人格者の発言に皆が注目する。
「ええ、封印を解除した研究員が行方不明に」
「それなんだけどねぇ、出て行くところを見た人はいないんだろう?」
「はい」
「中にいるんじゃないかい?」
「……なかって、鏡の中ですか?!」
「うん。確かねぇ、50年くらい前にもあったよ、こういう事件。あの時は、呪いの水晶玉だったなぁ、確か」
占い師が何人も行方不明になったので大騒ぎになったのだと言われた教師達は、互いの様子を窺って俯いた。
「……すみません、何分、私達生まれていないものですから……」
「いやぁ、いいんだよ。ただ、たぶんそうじゃないかと思ってねぇ」
おそらく鏡は所有者と波長を合わせて、同調が最も高まった瞬間に取り込もうとしているのではないか、とクヌートルが落ち着いた声音で告げた。誰でも彼でも簡単にとりこめるなら今頃この学園はとうに機能しなくなっているはずだ。
武器や防具でもそうだが、魔道具には相性というものがあり、それによって使用効果が強力になったり弱まったりする。所有者が皆短期間で変わっていることを考えると、この鏡は所有者との相性がよくないと次々に持ち主を変えて、それによってラウム王家へと近づいていく。だが、今回はこの学園から出ていく気配がない。
「逆に相性がよかった場合には、多分、操り人形にされるか、魔力の源にされて鏡の呪力を強める為に使われるんじゃないかな。まあ、後者の可能性が強いと思うよ」
だとしたら、このままでは行方不明の生徒が出ることになってしまう。それでは遅いのだ。
「なんとか、何とかなりませんか、先生!」
「そう言われてもねぇ……探知できないからねぇ」
重苦しい沈黙を破ったのは、ノックもなしに勢いよく開かれた扉だった。
「だ、誰だ!?」
自分より大きな狼族を軽々と肩にかついで勢いよく飛び込んできた少女に、教師達の目が飛び出しそうになる。
「先生っ!」
まっしぐらに飛び込んで来たその生徒は、部屋の中にみっちりと詰まっている教師達にぽかんと口を開けたが、その中に見知った教師を見つけて思わず叫んだ。
「く、クロロス先生!」
呼ばれた担任は音もなく立ち上がると、オーリアスの肩の上でもがいている狼族の様子を見て、アルゴスを呼んだ。
「あてられている。正気に戻せるか」
「あ、ああ」
椅子を蹴立てて立ちあがったアルゴスが、素早く両手で印を組む。
「『平常なる精神』」
淡い緑の正三角形が、オーリアスごと灰色の毛皮を包み、しみこむように収束する。
「先生、様子のおかしい生徒が外に」
「誰かわかるか」
「後姿だけだったのでちょっと……マリエルが追いかけてます。おれはグレゴリーがおかしくなったので、アルゴス先生に見てもらおうと思って」
「……いい判断だ。グレゴリー、気分はどうだ」
少女の肩の上で目をぱちぱちさせていたグレゴリーは、きょろきょろと辺りを見回した。
「オレ、何デ、オーリノ肩ノ上?」
「おまえは呪力にあてられておかしくなっていたんだ。グレゴリー、おかしくなる前のことは覚えているか?」
ふらふら学園から出てきてしまったカティスは、ぼんやりと山道を下っていた。
「どうしようかなぁ……」
何もかもが面倒くさい。家にも戻れないし、寮に戻るのも嫌だ。
普段の自分って、どんなのだっただろう。戻るまでこなくていいって、それってつまり、戻らなかったらもうくるなということだ。
ポケットの中に入れたままの鏡を取り出して、手のひらで玩ぶ。
そもそも、これが魔物生んでるなんて本当なんだろうか。毎日夜になると外は魔物で一杯になるらしいが、教師達が片付けてしまうのでいまいち実感が湧かないし、ただの鏡にしか見えないので、つい手元に置いたままになっていて、いまさら持ってもいきづらい。持っていって違うと言われたら、それはそれで恥ずかしい。
そういえば、絶対に触るなと言われたような気がするが、こうして触っていてもなんてことはない。やっぱりこれはただの鏡で、魔道具なんかじゃないのかもしれない。
「はぁ……めんどくせ」
生きるのなんて、嫌なことばかりだ。やりたいこと、思ったことを何でも出来て、言えて、それで世の中渡っていける奴には絶対わからないだろう。自分の足元が砂山で出来ている人間の気持ちなんて。
見上げた空はこってりとした橙色に染まっている。東の空はもう暗い。もうすぐ夜になるのだろう。今から麓の町へ降りたら、着いた頃には夜中になっていそうだ。かといっていまさら学園にも戻りたくない。
「どっか遠いところ行きたいなー……」
鏡を手に持ったまま、ふらふら歩いていると、後ろから足音が近づいてきた。
「ま、待って下さい!」
面倒くさく思いながらも振り返ると、見たことのある女の子が息を弾ませて立っていた。
「あのっ……鏡を」
強張った顔で、白いローブ姿の僧侶が口を開く。
「鏡を……お持ちではありませんか」
『あの』オーリアス・ロンドと組んでいる僧侶の子だ。顎までのくるんと内側に巻いた金髪が似合っていてかわいい。オーリアスの仲間でなければお近づきになりたいところだが、いや、いっそお近づきになってみようか。
だがそれも面倒くさい。やる気がこれっぽっちも起きない。ただひたすらどうでもいい気分だった。
「……持ってるけど?」
鏡を振って見せると、目をまん丸にしてこちらを見た。どうせ自分からは持っていきにくかったところだ。
「あ、あの、それ……」
「欲しいの?」
血の気の引いた顔に、揺れた木が影を落とす。
暗く翳った山道の真ん中で、小柄な少女は小さく頷いた。
「ふーん……別に持っててもなんともないし、これが探してる魔道具だとは思えないけど、欲しいならあげるよ。そのかわり、おれが持ってたって内緒にしてよ」
そう言うと一瞬迷った顔をしたが、結局こくりと頷いた。
からからと乾いた音を立てて、枯れ葉が足元を飛んでいく。時鴉の鳴き声が、やけに近くで聞えた。
「……あっそ。じゃ、これ……」
渡そうと手を差し出したカティスは、鏡を掴んでいたはずの右手を見下ろした。
「……あ、れ?」