44、幽霊騒動 転
どごん!
夜の闇の中、突如響き渡ったその音に、か弱い心を必死に宥めながら探索に励んでいた生徒と教師達は飛び上がった。最近、よく似た音を聞いたことがある。
ナルシィの起こした爆発音。
まさかそんな馬鹿な、と探索組みが顔を青褪めさせる中、その爆音のような音は執拗に何度も弾けた。
どごん! どごん! どごんどごんどごんッ!
そして沈黙。
ひゅうっと冷たい風が彼らの足元を通り過ぎ、静寂が訪れる。
何が起こっているのかわからないが、何かが起こっているのは確かだ。
かなり近い場所で音を聞くはめになったフレイアとグレイが、目つきを険しくして音の発生したと思われる場所へと走り出す。
「旧校舎の方だな」
「やっぱり生徒に見回りさせるなんてやめておくべきだったんだわ!」
駆けつけた二人は、旧校舎の玄関口付近で地面に座り込んでいる二人の少女を発見した。
「怪我はない!?」
「大丈夫か! 気を確かに持て!」
呆然とした顔で杖を握り締め、地面にへたり込んでいる黒髪の少女を守るように抱いていたみつあみの少女が、二人の教師を見てほっとしたように表情を緩めた。二人の足元には支給された光石が転がっている。
「どうした? 何があったんだ?」
「さっきの音は、あなたたちなの? オーリアス・ロンド、話はできる?」
「先生。オーリちゃんは今ショックを受けてるんです! 質問にはわたしが答えますから」
コーネリアにきっと睨まれたフレイアが慌てて頷く。
「ええ、ええ、かまわなくってよ。怖かったのね、もう大丈夫よ」
膝をついたフレイアが労わるように二人の背を撫で、優しく促す。
「出たんです」
噛み締めるように発された言葉に、フレイアとグレイはごくりと息を呑んだ。
一体どんな恐ろしいものに出会ってしまったというのか。
「な、何が出たの? ……幽霊?」
「はい」
こくりと頷いたコーネリアは、今もそこにその存在がいるかのように宙を睨みつけた。
「変態の、幽霊が」
「へ、変態?!」
コーネリアは、悲鳴を上げることもできずにその光景を見ていた。
闇の中から突き出された二本の、異様に長い手。
光石の明かりに照らされたそれは不気味なほど白い。その手がやさしくオーリアスの頬を撫で、するりとその下に下りていく。
恐怖に引き攣った顔をした魔女の胸元を辿り、そして。
むにゅり。
胸を鷲掴まれるその感触に、オーリアスは、生まれて初めてその行為に至った。
我を忘れての、絶叫。
撲殺魔女の声にならない絶叫が空気を震わせ、その手に掲げられていた光石が、ぽとりと地面に落ちる。
そして全力で体に絡みつく腕を振り払うのと同時に、背負っていた杖が目にも留まらぬ速さで引き抜かれ、振り向きざまに地を割る勢いで叩きつけられた。
ドゴン!
黙って話を聞いていたフレイアとグレイは、真顔になって顔を見合わせた。
異様に長くて白い手。
最初に触れた部位が素肌の部分。
そして次に胸部。
その幽霊の特徴には覚えがある。
「……それで、その手は一体どうなったの?」
「穴の底です」
「穴って……うわっ、なんだこりゃ!?」
コーネリアに示された場所を覗き込んだグレイが、ぎょっとして声を上げた。
光石に照らされたそこには、直径2セムはありそうなすり鉢状の巨大な陥没ができていた。そしてその中央部分、一番凹んでいるところには、もはや残骸とも呼べない、ナニかが木っ端微塵に粉砕された液状の汚れがべったり張り付いている。
「こ、これは、オーリアス・ロンドがやったのか」
こっくりと頷いたコーネリアが、地面に座り込んでいるオーリアスをぎゅっと抱きしめる。
「あんな、あんなことされたら、誰だってびっくりして撲殺のひとつやふたつします! 痴漢なんて撲殺されて当然なんです!」
幽霊に胸を鷲掴みされるという衝撃体験に腰を抜かしていたオーリアスは、コーネリアが必死に庇ってくれればくれるほど、いたたまれない恥ずかしさで口を開けずにいた。
パニック状態になっていて思考が纏まらない。
これは恐怖なのか、それとも羞恥なのか?
とにかく感情が飽和していて、わけがわからなかった。
「それは……幽霊じゃなくて心臓喰らいじゃないか?」
グレイの言葉に、フレイアが頷いた。
「間違いないわ、なんてこと! 学園の敷地内に出るなんて……」
心臓喰らいとは闇夜に紛れて獲物を襲うゴーストタイプの魔物で、その手に触れられると耐性の低い者は麻痺して動けなくなる。そうして動けなくなった獲物の心臓を抉り取るのだという。
茫然自失していたオーリアスが顔を上げる。
幽霊じゃ、ない?
「いくらなんでも幽霊は撲殺できんぞ。穴の底に体液も残ってるし、おまえが撲殺したのは魔物だ、オーリアス・ロンド」
「……ま、もの?」
「ああ、迷宮の中で滅された魔物は勝手に消えるが、迷宮外で活動している魔物は、殺せば普通の獣と同じように死骸が残る。おいおい、当たり前のことだろう」
落ち着いて考えてみろと諭されたオーリアスは、はたと思い出した。
殴った感触は、あった。
無我夢中で杖を何度も振り下ろしたが、とにかく、一発目には確かに手ごたえがあった。
幽霊は撲殺できない。
その言葉を、呆けていた頭がやっとのことで飲み込んだ。
つまり、あれは変態の幽霊などではなく、心臓喰らいという魔物で、心臓を抉り出すために胸に手をかけた、と。
「もしかして……危ないところだった……?」
グレイが頭痛を耐えるようにこめかみを指で押さえた。
「非常に危ないところだったの間違いだ」
「麻痺していたら、あなた今頃死体になっていてよ、オーリアス。ハートイーターの麻痺はそこまで高確率ではないとはいえ、運がよかったわね」
「すぐに生徒達を集めよう。とうとう鏡が第二段階に進んでしまったようだ。こうなれば生徒達にはとても見回りなんかさせられない」
「……早めに打ち明けて見回りを頼んでいれば、いいえ、いまさらね」
爆音によく似た音が何度か続いて聞え、その度にびくびく後ろを振り返る相方を蹴りつけたい衝動にかられながら、カティスは無言で歩いていた。
魔道具を探す素振りもなくさっさと歩いていくカティスに、物言いたげな視線を向けるものの、結局何も言ってこない相方が鬱陶しい。
言いたいことがあるなら言えばいいのだ。言えもしないくせに、顔つきだけはこちらを咎めるようなものなのだから、腹が立つ。
カティスにとって、幽霊なんて心底どうでもいいものだった。
追いかけられる? だからどうした。
逃げ切れない奴は捕まってどうにかなるだろうし、逃げ切れたらならただの怖い話だ。
預かりものの魔道具を紛失するなんて間抜けな事態もどうでもいい。魔法耐性が高いせいで、このくだらない見回りとやらに参加させられるなんて、心底忌々しかった。
いっそ、幽霊でも出てきてくれたほうが、まだ気が晴れるような気がするのに。
ペアを組まされた相手はいちいちびくびくおどおどしてばかりで、話をする気にもなれない。
うんざりと足を進める少年の頭上。
星のない真っ暗な空がふと切れ間をのぞかせ、一瞬、眩しいほどの月の光を投げかける。
その光を追いかけるように空を見上げた少年は、月光に照らされた木の上に何かが引っかかっているのを見つけた。




