41・5 その頃彼らは 3
「おい、まだ見つからないのか」
苛立たしげに机を指で弾いた神経質そうな男が、身を竦めてその場にしょんぼりと座っていた元凶を睨みつけた。殺気の篭った視線に晒されたぶ厚い眼鏡をかけた女教師が、びくりと肩を震わせる。
「落ち着け、アルゴス」
「落ち着いていられるか! あんなものが今もどこかに無防備に転がっているんだぞ!」
どん、と机を拳で叩いた結界術師のアルゴスはぐしゃぐしゃと頭をかき回した。
死招き鳥の闇鏡は、普通の魔道具とは違う。ラビュリントスの隣、ラウム国からの預かり物なのだ。
発掘されたこの鏡が持ち込まれた時、ラウムの研究機関は戦慄した。尋常でない封印が施されているのに、恐ろしいほどの呪力が漏れ出しているこれは、一体なんなのか。
慌ててこの魔道具の出所が調べられたのだが、判明した事実に王家、研究機関ともども頭を抱えるはめになった。この魔道具、正規の発掘チームが見つけたものではなく、とある盗掘専門の盗賊団が掘り当てたものだったのだが、詳しく調べた結果、とんでもないいわれのある品だということがわかったのだ。
鏡を掘り出した盗掘団は理由不明の仲間割れにより全滅。闇市に流れた鏡は人手に渡るたびに血を流しながらラウム王家へと近づいていき、王家に反逆の意志を持つ貴族の男の手に渡った。男は同志を募りながら密かに打倒王家を目指して活動を続けていたが、突然急死する。現場に残された鏡を見つけたのは、主人の異変に駆けつけた執事で、この執事はよほど影響を受けやすい性質だったらしく、もの狂いのようになって王城に押し入ろうとしたところを兵士に取り押さえられた。身包みはがれて牢屋へ放り込まれた男はまるで夢から覚めたように正気を取り戻したのだが、その過程で尋問に立ち会い、男の所持品を確認していた王宮づきの魔法使いが顔色を変える。
そしてようやく、その鏡は国内の研究機関に持ち込まれたのだ。厳重に封印が施されていながら、あまりにも禍々しい鏡を慎重に解析した研究機関は顔色を変えた。
死招き鳥の闇鏡。
王家に仇なす魔の鏡。国記にそう記された、ラウム王家の血を絶やすと予言された古の魔道具。
記述のみで現物がどう探しても見つからなかったことから、歴史の闇に葬られた遺物だと思われていた闇の魔道具が実在したのだ。
封印されていてなお、この呪力。
戦慄した機関がこの上からさらに封印を施すことの出来る術師を探している間に、その凶行は起こった。
解析に関わっていた研究員の一人があろうことか、封印を解除したのだ。将来を有望視されていたにも関わらず、凶行に走った主席研究員は封印を解かれた魔道具に中てられて発狂し、その後、煙のように消えた。出て行ったところを見たものはいない。
研究機関の主な職員は本来の力を遺憾なく発揮した鏡にのきなみ精神をやられて、未だ教会の保養施設から出てこれない有様だ。突然連絡が取れなくなったことに慌てて人をやった王家は、戻ってきたラウムで最も高位の魔法使いである老人が真っ青になって報告したことに頭を抱えた。
元々、ラウムは一定期間定住している国民はなぜか魔法耐性が下がってしまうことで知られた『呪われた』土地だ。その土地柄のせいで魔力を運用することに対する意欲が低い。それを何とか守り立てていたのが国立の研究機関なのに、それが丸ごと機能しなくなってしまったのだ。
強力な結界で囲まれている研究機関内にある内はまだいいが、この鏡が王家に至ってしまったら、一体どうなることか。
だが、ラウムにあの魔道具を再度封印するだけの技量の持ち主はいない。その上、ラウムの人間では鏡に近寄ることすら危うい。研究機関周辺の地域を封鎖した王家は、再び鏡に封印を施すべく、魔法耐性の高い優秀な冒険者を雇った。そしてなんとか鏡を国外に持ち出すことに成功すると、ラビュリントス王家に話を通し、名高い結界術師であるアルゴスがいる迷宮学園に秘密裏に鏡を運び込んだ。元々迷宮学園自体に強力な結界が施されているし、魔法耐性の高い優秀な教員が何人もいる。もちろん、生徒達はそんなことが起こっているとは知らない。
鏡とラウムはどうやらよほどの因縁で繋がれているらしく、ラウムから持ち出された途端、鏡の呪力は驚くほど弱まった。ひとつところに留まらず、移動し続ければ持ち歩いても問題ないくらいの状態にまで。
鏡の運び屋を務めた冒険者、これは高名な浄化術師だったが、これを持ってラウムの国内は二度と歩きたくないと顔を青褪めさせていた。常に浄化の術を施しながらラビュリントスまでやってきたという青年は、自分ではわずかな時間呪力を抑えることしかできない、早くアルゴスの結界術を施した方がいいと潔く言い残して去った。
青年の言うとおり、アルゴスは全力で封印結界に取り組んだ。
研究棟は見た目は古いが、力場として整えられている上に、建物全体が封印箱のようなものだ。その上、一室一室に個別の結界も張られている。
これ以上ないほど場を整え、自分の気を整えたアルゴスは毎日少しずつ、鏡に蜘蛛の巣のような結界を施した。アルゴスであっても苦しいその作業を何十、何百くり返し結界を重ね、魔道具の因果にまで潜って結界を施し、これ以上どうにもできないほどの封印を施した。その間の授業は他の教師に代わってもらっていたほどの大仕事。
その上でさらに魔力を遮断する特殊な金属で出てきた箱に入れ、後は返却するばかりとなっていたところに、先日の爆発が起こったのだ。
上級魔術師のナルシィの起こした魔力暴走は、とんでもない結果を生んだ。
自分でもどうやったのかわからないという何種類もの属性を融合させた魔力の塊は、生み出した張本人ですら制御がきかず、破裂したその力の余波は研究棟にかかっていた強固な結界をぶち破り、めちゃくちゃにする。
その結果、本来なら自分の部屋の中だけで収まるはずだった爆発に両隣の部屋を巻き込んだ大惨事となり、巻き込まれたアルゴスの努力の結晶はどこかに飛んでいったというわけだ。これ以上の不始末はない。
恐るべきことに魔力を遮断するはずの金属箱はまるで単なる鉄のように溶けていて、中身はどこにいったかわからない。
何よりアルゴスを恐れさせたのは、己の施した封印が全滅しているということだった。おまけに魔力がおかしな絡み方をしているらしく、あれほどの魔道具だというのに存在が探知できないのだ。
土地と因果の強いあの鏡は、ラウム以外の土地を常に移動しているのならさほどのことは起こさない。だが、いくらここがラウムではないとはいえ、ひとつの土地に封印も施さず長時間置かれたなら、確実に呪力を発揮する。
「ここのところの幽霊騒ぎ、あれは間違いなく鏡の仕業だ。幽霊がうろつくくらいならいい! だが、日がたつごとにあの鏡は土地に根を張る。そうしたら、幽霊どころじゃすまないんだぞ!?」
「……っす、すみません……!」
めそめそと泣き出したナルシィだが、庇う教師は一人もいない。彼女には魔法中毒の気があって、危険な実験をしてはもう何度か注意を受けている。その才能を買われて今まで見逃されてきたが、今度はもう駄目だろう。魔法使い組合にも通達がいくはずだ。
「自制できない天才ってのは困りもんだな」
重苦しい雰囲気に包まれている教員室の隅で、ルーヴがだるそうに呟いた。
「コネ就職だしな、あの子。まがりなりにも教師が、自分の欲望優先したらいかんだろ」
「……わかりきったことだ……だから、早く首を切れといったのに」
クロロスがうんざりとした顔で茶を口に運ぶ。
「おまえ、最初からあの子に冷たかったよなぁ」
「学園を実験場程度にしか考えていない人間に、教師が務まると思うか?」
「そらそうだ。いやぁ、参ったね、早いとこ見つけないと……ガキどもが危ないぜ。魔法耐性が低けりゃ、教師だってどうだか」
「ガランドにも辛かろう」
「あー、あいつ幽霊系ダメだからなぁ……」
強面のガランドの、秘密の弱点。昔からの知り合いなので、二人ともそれを知っている。
慌てて駆け込んできたガランドを含む数名の教師と、その後ろからゆっくりと入室した学園長に、その場の空気が張り詰める。ルーヴとクロロスも視線を向けた。
「なーんか、嫌な予感がするぜ」




