31、ポーションからポーション?へ
逆らうな、呪術師だけには、逆らうな、と呪文のように心の中で呟いている生徒達をじろりと眺めたクロロスが、満足気に軽く頷く。
「では、もう一度初級ポーションを作る。前回も言ったが、水薬作りは繊細な作業だ。ほどほどに会話するのはかまわんが、使用している器具の側でふざけあうような真似をした者は……」
ふ、と暗い笑みを浮かべたクロロスはそれきり黙り、生徒達は必死に頷いた。前回泣くはめになった生徒たちは青褪めている。
「必要な薬草はこちらで用意してある。前から順番に取りに来い。器具の数が足りないので、向かい合った二人一組で使うように。薬草が用意できたら、前回と同じ手順で作成開始だ。手順を忘れたという不届き者には、特別に、もう一度、絶対に忘れないように教えてやるので、手を挙げたまえ」
生徒達は微塵も動かなかった。クロロスの目配せを受けた前列の生徒が立ち上がって前に進み、教卓の上に置かれた大きな籠から一束、乾燥した薬草をつかみ出す。そのまま順番に薬草を取り、自分の分を用意できたら、ポーション作成開始だ。
「オレ、ポーション作ルノ、苦手」
器具の触れ合うかちゃかちゃいう音と衣擦れの音だけが聞えている教室の中に、ぽつりとグレゴリーのしょんぼりした声が響いた。昨日も今日もポーション作成とは少々かわいそうだが、どんなにコツを教えても上達しないのでどうしようもない。
「そうですね……得意とは、いえないですねぇ」
「前回のもひどい色してたしな」
オーリアスたちが話しだしたのをきっかけに、やっと小さな声での会話があちこちで始まった。
不器用な手つきで薬草の葉を薬研に置いているグレゴリーの頭と耳に出来ていた小さなハゲは、やっと毛が生え揃ってきて目立たなくなりつつある。
教室中から、ごりごりごりごり、という薬草を擂り潰す音が聞えてくる中、薬研をひっくり返しそうになって慌てるグレゴリー、身を乗り出してそれを押さえ、ほっとしているマリエルをいつになくぼんやり眺めていたオーリアスは、ここのところなんとなく消えない熱っぽさにだるさを覚えていた。
戦闘していたり笑っていたりすると気にならないのだが、ぼんやりしているとはっきりわかる。風邪をひいているわけでもないし、まさか知恵熱ではないだろうし。
とりとめなく思考に沈んでいたオーリアスは、ふと向かいに座っている生徒に視線をやって、吹き出しそうになった。グレゴリーも昨日ポーション作成に励んでいたとは思えない手つきだが、向かいの少女も大概だ。獣人はポーション作成が苦手という特性でもあるのだろうか。補修のメンバーの中にこの子も入っていたに違いない。
ごりごり擂るのはいいのだが、物凄い力を込めて擂っているらしく、中の薬草がどんどんおかしな色に変化していっている。適切な力で擂らないと中に蓄えられている成分が破壊されて使い物にならないと説明されたはずなのだが。
色がおかしくなるたび、首を捻って新しい薬草を追加するのだが、それでどうなるわけもなく。
これは完全にグレゴリーと同じタイプだな、と笑ってしまいそうなのを耐え、さりげなく二人を見比べる。やっぱり獣人はポーション、というより繊細な作業が苦手なのかもしれない。
「なぁ」
「……なっ、なんだい、アタイになんか用か」
びくっとして顔を上げた豹族の少女カロニアの後ろから、特徴的な模様が印象的な尻尾がちらりと覗く。グレゴリーは全身毛皮に覆われて顔も人間とは違う、かなり種族の血の濃い獣人だが、この少女はそうではない。剥き出しの腕、頭の上の耳、尻尾に膝から下は特有の柄の毛皮に覆われているが、顔は人間と変わらない。気の強そうな、つんとした顔立ちをしている。
「そろそろ、おれもポーションを作りたいんだが」
このままでは割り当て分の薬草全部擂り潰しても無駄になるだけだろう。前回は席が離れていたので、他人事として気にしていなかったが、今回は向かいの席なのだ。放置しておくといつまで立っても自分の番が回ってこない。
「ちょ、ちょっとくらい待てないのか!?」
「ちょっとって言うけど……おまえ以外、皆擂り終わってるぞ」
グレゴリーでさえ、向かいのマリエルに逐一指示されながら、なんとか若干変色した粉を擂ったというのに。他の生徒たちは粉末にした薬草に聖水を加えて練っているところだ。
マリエルが二人のやりとりを聞いて、おっとり微笑んでいるのが視界の端に映る。右隣のコーネリアとカロニアの隣のトモエもこっそり笑っているが、バカにしたような笑い方ではなくて、微笑ましいもの見るような感じだ。
「……そ、それはっ」
ぴん、と上に伸びていた尻尾が、ふにゃりと力なく項垂れた。顔は相変わらずつんけんしているが、尻尾が色々動くのでとてもわかりやすい。
「おれがコツを教えるから、試してみないか?」
「そっとやれって言うんだろ? もうやってる!」
「いや、もう少し具体的なコツ」
小さい頃はわからなかったが、オーリアスも人よりずっと力持ちで、子どもの頃はよく食器を壊していた。叔母もそうだったらしく、『そーっとそーっと』する練習をよくやらされたものだ。
グレゴリーにもそれを教えてみたのだが、上手くいかなかった。手を添えて一緒に擂ってやるとちゃんとできるのだが、手を離すと途端にごりごりやり始めるのだ。自分でもどうにもならないらしい。
「……どうしても試してほしいんなら、や、やってもいいけど」
つんつんしているカロニアに笑って立ち上がる。
振り返ってクロロスに移動してもいいかどうか目で確認すると、小さく頷いた。
ぐるりと長机をまわってカロニアの隣に立つと、円盤状の金属の中心から突き出た左右の握りをぎゅっと握り締めている手を一度開かせ、そのまま手のひらを握りの上に乗せる。握らず乗せるだけだ。
そうしてカロニアの後ろから腕を回し、上から手のひらを重ねて、そっと転がす。
「な、なんだよ、全然擂ってる感じがしないじゃないか……うう、力が入ってなくて気持ち悪い」
「入ってないくらいでいいんだ」
手のひらで軽く転がすだけで順調に薬草は粉末になり、色も変わらない。力がありすぎる獣人やオーリアスが普通にごりごりやると強すぎるのだ。
オーリアスが手を離しても、カロニアは順調に粉末を作っているので、グレゴリー症候群は発症しなかったらしい。後ろから腕を回していたので自分の胸が邪魔で押し付けることになってしまったが、これは嫌がらせじゃないぞ、と自分に言い聞かせているオーリアスの太ももを、柄つきの尻尾がするん、と撫でた。
「……あ、ありがと」
「おう、気にするな」
これでやっと自分の分に取りかかれると安心したオーリアスの耳に、叫び声が飛び込んで来た。
「ワウッ!?」
「な、な、なんですか、それ!?」
「うわっ、何つくってんだ!?」
「そ、それ、動いてない!?」
周囲の生徒達が釘付けになっているグレゴリーの手元を、何事かと覗き込む。
「……なんだこれ」
小鉢の中で、ナニかが動いていた。
そのポーション色のナニかは突き刺さるような視線の中、うぞうぞと机の上に這い出て来て、うねうね進んでいく。生徒達は息を呑んでソレを見ていた。オーリアスだって釘付けだ。この妙なシロモノは、一体ナニがどうなって誕生してしまったのか。
「先生! 先生!」
「騒いでないです! 騒いでないですけど、先生! これなんなんですかぁ!?」
悲鳴が飛び交う中、反対側の机の様子を見ていたクロロスが、眉を寄せながら足早にやってきた。
「一体何を……」
うねうね、うにうに。
ナニかが机の上を動いている。
「……グレゴリー、おまえは一体何を作った? ポーションの材料しか渡していないというのに」
小さなスライムそっくりのぷにぷにしたものが、机の上で動いている。
クロロスが唖然とした顔でソレを見下ろしている中、ソレはどんどん動いていき、ぽとりと机から落下した。
「うわ、落ちた!?」
「なになに!? なんなの!?」
騒ぎの張本人のグレゴリーはおろおろして口ごもっているので、代わりにマリエルが小さな声で事の詳細を告げる。
「あの……さっき、小鉢の縁が欠けていて、グレゴリーくんはそれで指を切ってしまったんです。それで血が一滴、混ざってしまったんですけど……」
余分な材料はないし、失敗したらしたでもういいやと開き直ってそのまま混ぜていたらしい。失敗慣れするのも考えものだ。
「そうしたら、アレができた、と」
「……ワ、ワウ……」
「水薬作りは繊細だといったはずだが……それにしても、なぜ自立して動くものが出来上がる……本当に他に余計なものは入れていないだろうな」
ぶんぶん首を振って縋るような目をしているグレゴリーにため息をつくと、クロロスは作業の手を止めてこちらを窺っている生徒達を睨み、いいから作業を続けるように、と促した。
「先ほどのアレを回収して持ってこい」
「ワウ……」
「!? 何、何?! なんか入った! やだぁ!?」
響き渡ったカロニアの悲鳴に、一旦静かになりかけていた生徒たちが飛び上がる。至近距離で叫ばれたオーリアスはことさらどっきりした。
「とって、お願いだからとってえぇ!」
悲鳴を上げながら縋りつかれたオーリアスは、さっきのアレがカロニアの服の中に入ってしまったのだと理解したが、取ってと言われて気軽に女子の服に手を突っ込むわけにはいかない。今なら許されるのかもしれないが、そんなの自分で自分が許せない。慌ててマリエルに助けを求め、半狂乱で跳ね回っているカロニアを捕まえる。
「マリエル! マリエル!」
「は、はいっ」
「とってっ! とってよぉ! 何でもいいから、早くっ!」
「動くな! 動いたら取れないだろ!」
服の中にいるナニかから逃れようと暴れるカロニアをオーリアスが押さえ込み、トモエとマリエルが慌ててカロニアの服を探る。
「うわっ、いたよ! いたけど気持ち悪っ!?」
「お、オーリ、オーリ! 取れました、とれました……!」
うねうね動いているソレを、涙目のマリエルがぷるぷる震える手で掴んで差し出してくる。
「お、おれ?! おれが持っていくのか!?」
涙目のマリエルからソレを受け取り、手のひらの中でうねうねしているその感触に鳥肌を立てながら、手近の硝子瓶にソレを押し込むと、細い匙でそれを瓶の底に押し付ける。
「先生、これ!」
オーリアスが鳥肌を立てたまま叫んだ時、ごーん、ごーん、と鐘が鳴った。
ぐだだぐのまま終了を迎えた講義に、クロロスはうんざりと混沌とした室内を見渡す。
必死の形相でナニかを差し出してくるオーリアス、呆然と突っ立っているグレゴリー、よほど気持ち悪かったらしく、しゃくりあげて泣いているカロニアとそれを慰める女子の集団、こちらも涙目でごしごしとローブの裾で手を擦っているマリエル、その他大勢の気もそぞろな生徒達。
満足のいくポーションはひとつも出来ていない。
「先生! 先生っ!」
切羽詰った叫びを受けて、クロロスは瓶詰めのナニかを受け取った。興味深いことは興味深いが、本来やるべきだったことは全く為されていない。しかし、時にはこんな日もある。今までにも抜き差しならぬ理由で講義が潰れたことは何度もあった。
ただし、ポーションを作っていたはずなのに生命体らしきものを生み出した生徒は今日が初めてだが。
「片付けたら解散。グレゴリーは後で私の研究室に来るように」
項垂れているグレゴリーが力なく頷いた。自業自得とはいえ、相当しぼられるに違いない。なんだか最近、グレゴリーはしょんぼりすることが多いな、とオーリアスは愛すべきもふもふのしょんぼりした姿に苦笑する。
カロニアには悪いが、講義が始まる前のもやもやした感じが今の騒ぎで飛んでいったので、なんとなくほっとしていた。考えれば考えるほど深みに嵌まりそうで、不安だったのだ。
でも、考えたって仕方ないのだから、考えないのが一番いい。女の身体になっても、ここまで順調にやってきている。戦闘だって方法は変わってしまったものの、問題なくできているし、パーティメンバーにも恵まれて、毎日なんだかんだと楽しく過ごしていて。
器具を片付けるがちゃがちゃした音と話し声に包まれながら、オーリアスは気合を入れるように拳を握った。
大丈夫、このままやっていける。文句といえば、早く新しいスキルを覚えたいというくらいだ。
だから、大丈夫。
自分に言い聞かせていたオーリアスは、知らない。
マリエルが緑色の目を心配に染めてこちらを見ていたこと。振り返ったオーリアスには、何事もなかったような顔で笑って見せたことを。