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学園迷宮で会いましょう  作者: 夜行
第2章
34/109

30、回想と現実


 椅子にこしかけたオーリアスは、無意識にまだ着慣れない短いズボンの裾を引っ張りながら、ぼうっとしていた。

 ほんのり地肌が透ける太もも半ばまである長い靴下、その靴下の目一杯引っ張り上げた履き口部分よりも、5シムは上に裾がある。動きやすいことは動きやすい。だが、短すぎやしないか。

 昨日買った新しい装備に機能面での問題はない。問題だった物理防御もかなり補正されたし、まぁ、いい買い物だったのだろう、多分。

 それなのに気が晴れないのはなぜだろう。心配そうなマリエルは、様子のおかしいオーリアスに気づいているはずなのに、何も言ってこない。


 薬研。ふるい。色々な大きさの匙。天秤。大小の硝子の小瓶。

 部屋の中には、すうっとする薬草の匂いが満ちている。ポーション作成講義のため、研究棟の一室に連れられてきた生徒達は、おとなしく椅子に座っていた。

 大きな長机が二つ横に並べて置かれ、その周囲を生徒達が取り囲む形になっている。

 机の上には二人に一つずつ割り当てられた道具がきちんと揃えられ、誰一人口を開かない静まりかえった教室内の空気と相まって、ぴりぴりとした緊張感を助長させる効果があった。

 日光が薬草に当たらぬよう、日除けの布が掛けられた窓際の机の一角に、オーリアスたちも座っていた。 マリエルとグレゴリーが向かいあっていて、グレゴリーの横にオーリアスが座っている。他の生徒たちも、各々、いい子の体勢でクロロスの講義が始まるのを待っている。

 クロロスが来るまでの待ち時間の間に、オーリアスの意識は昨日の回想に沈んでいた。


 駄菓子屋のおばさんに案内されて入った隣の店は、なんだか怪しさ満点の店だった。

 よくわからないものがごちゃごちゃとたくさん大きな平台に乗せられ、壁際には空ろな目の人形、黒っぽく汚れた何かわからない骨、折れたままの槍など、不気味な品が満載な上、真っ黒の布があちこちにかけられているので、部屋自体が薄気味悪い。


「姉さんってば! 女の子だよ、ぴちぴちの! それも二人!」 


 その台詞に、オーリアスは否定したい気持ちをぐっと我慢した。  

 わかっている。自分がどんなに主張したところで、この体つきでこの顔では、誰だって女だと判断するだろう。理解はできる。納得はできないが。

 そうして駆け込んできた店主は、やたら厳しい顔をした年配の女性で、オーリアスを見て開口一番に言った台詞には度肝を抜かれた。


「こんないい乳した娘がくるなんて、何年ぶりだろうね」


 唖然と口を開けた二人に構わず、店主は二人のまえにつかつかと近づいてくると、上から下まで穴があきそうなくらい眺め回した後、満足気に頷いた。


「いいだろう。あんたたちにちょうどいいのを見繕ってやるよ。どうせ防御力をあげたいとか、そんなとこだろ? そんな貧相な装備じゃねぇ」


 がくがくと頷いた二人は既に蜘蛛の網にかかった羽虫も同然だった。駄菓子屋のおばさんは、ごゆっくり、と笑っていなくなるし。

 威勢のいい口上と同時に、台の上にかたっぱしから乗せられる布製防具の山。そしてそのどれもが一品物の防具として不足のない品ばかりで、普段使っていた武器屋や校内の売店とは桁違いの品揃えである。 一体誰が駄菓子屋の中からしか行けない店に、これほどの一品が揃えてあると思うだろうか。

 だが、そうそう上手くはいかないものだ。


「こんなの絶対着ないからな!?」


 もう何度目かの魔女の絶叫が店の中に響き渡った。

 マリエルは顔を赤らめてその布切れを見つめている。これはもう、服ではない。布きれだ。多分、これを来て外を歩いたら確実に人垣ができる。痴女だ。これを着て歩いたら、立派な痴女だ。


「何が不満だってのさ! 見な、この防御値! 魔法耐性も物理耐性も、あんたが今着てるその色気の欠片もない服と比べて段違いだよ! 魔法吸収の確率だって高いし!」


 鑑定(ジャッジ)スキル持ちの店主がほら見ろと結果を示してくるが、オーリアスは目を閉じて耳を塞いだ。


「防御力の代わりに人としての何かを失うだろ、それ着たら! おれは痴女になるつもりはない! 断じてない!」

「なんて子だい! たかが学園生が買おうと思って買えるもんじゃないんだよ、この『黒兎の聖衣(バーニィバニー)』は!」


 マリエルは何を言っていいかわからないという顔をして、その小さな黒の布切れとオーリアスを交互に見ている。マリエルだってコレを着て人前にでるのはイヤだろう。


「全く、最近の若いのは度胸が足りないよ、度胸が。こんなもん、一度着ちまえばそれが当たり前になるってのに」

「ならない! 絶対ならないぞ!? 迷宮に痴女が出るって噂されるの間違いだろ!」


 品物は素晴らしいのにさっぱり買う気が起きない理由。

 それは金額ではない。ちゃんと予算内で買えるものを並べてくれている。品質は素晴らしい。あるところには、ちゃんとあるんだなと感心するような品揃えだ。それだけなら文句がつけられない。

 しかし、そのどれもが、着た瞬間から痴女と見なされかねないきわどいものばかりなのである。

 さっきから薦められている『黒兎の聖衣(バーニィバニー)』は着たら確実に胸が半分くらい見えるし、足とかおしりとか、色々むき出しになるだろう。どうしてこれであんなに防御力が高いのか、さっぱりわからない。これで迷宮に挑むのは斬新すぎる。大体、これだけ品揃えがよくて、どうして出してくるのがこんなどぎついものばかりなのだ。


 二人が喧々諤々のやりとりをしている間に、マリエルはとっくに新しい装備を整えずみだった。 

 白の膝丈ローブは変わらないが、裾と胸元に豊穣の女神と動物達を描いた色とりどりの刺繍がしてあって可愛らしい。帯は目の色と同じ緑で、今までの『清らの白ローブ』よりもずっと物理、魔法耐性の高い『豊穣の言祝ぎローブ』に変わっている。いたって普通のいい装備品である。

 オーリアスだって普通の装備がほしい。なのに店主が執拗に薦めるのはとても着られないようなものばかりなので、一向に決まらない。時間ばかりが過ぎていく。

 オーリアスの忍耐はそろそろ限界で、押し付けられるきわどい装備品にうんざりしていた。 

 疲れていたし、マリエルも待たせている。普通の装備がほしいだけなのに、薦められるのはいかにも『女』であることを前面に押し出したものばかり。苛々して、少し無防備になっていた。

 だからかもしれない。いつものように受け流せなかったのは。


「だから、さっきも説明したけど、おれは男なんだよ!」

「だからどうしたんだい!元が男だろうと、今そんな乳しといて、男だって言い張るつもりかい!」


 ずばりと言われた台詞に、オーリアスは歯を食いしばった。

 それは、オーリアスだってわかっている。どうしたって女に見える。見えるということは、そうだということだ。どんなに中身が男なんだと説明したって、体が女なら女として扱われる。

 男と女の区別なんて、結局、中身でなくて肉体で判断されるのだ。だけど、オーリアスだって好きで女になったわけではない。

 体が女になったからって、好みまでは変わらない。喜んで可愛いドレスだの短いスカートだの履くようになんて、絶対ならない。身に着けたいとも思わない。それなのに、こうして着せ替え人形みたいに扱われて、それでも仕方のないことなのか。体が女だから、女として振舞わなければいけないのか。


 そんなの、絶対に受け入れられない。

 だってそれでは、今までのオーリアスは何だったのだ。剣士になりたくて、それは確かに単なる憧れでしかなかったかもしれないけれど、だからこそ毎日がんばって、剣を振って、走って、自分なりにたくさん鍛えてきた。山の中だから友達はいなかったけれど、叔母と二人の生活だって、楽しくやってきた。今まで生きてきた16年は、男のオーリアスのものだ。

 それなのにある日突然女になった、魔女になった、戻れないと言われて、それでどうして納得できる。


 本当は、目を逸らしていただけだ。どうしようもないことなんだから仕方ないと、諦めたふりをしていただけだ。そうして、どこか他人事のように『女になった』自分を見ていた。

 そうでなければ耐えられない。下着をつけるのだって、身体を洗うのだって、用を足すのだって本当は嫌だ。行為には慣れても、心は慣れない。この身体に興味がないといったら嘘になるけれど、恐怖の方が勝っている。

 だって、中身はオーリアスのままなのだ。中身まで『女のオーリアス』になったわけじゃない。

 それなのに。


 言い返したいことが溢れて、口から出てこなかった。

 今、マリエルはどんな顔をしてこっちを見ているのだろう。できるだけ、みっともないところなんて見せたくないのに。


「……何もあんたそのものを否定しようってんじゃないんだよ。あたしゃ口が悪いからさ……いいかい、若いってのはね、それだけで宝なんだ。それは男だ女だ関係なく、その時だけの、過ぎた後でしかわからない美しさなんだよ。それを隠しちまうのが勿体無いだけなのさ。そっちの白いのはこういうのは似合わない。膝小僧を見せとくくらいが似合うし、あんたにはこういうのが似合うって、それだけのことなんだよ。あんたが男でいたって、そんな色気もそっけもない格好をしてたなら、あたしゃ力づくでも着替えさせたさ。まぁ、着替えさせて楽しいのは、若い女に限るがね」


 ため息をついた店主が、仕方なさそうに今までとは違う3枚をオーリアスの前に並べた。

 店主は多少不躾だったとはいえ、本当のことを言っただけだ。女になってからずっと押さえ込んでいたものを、余裕がなくなっていたオーリアスが引っ張り出されてしまっただけで。

 少し頭が冷えたオーリアスは、そっと背中に手を当てられて振り返った。心配そうな顔をしてこちらを見ているマリエルに、何とか笑ってみせる。


 なんでもない、なんでもないことだ。言ったってどうにもならないのだから、このまま、何とかやっていくしかないのだ。きっとその内、もっと慣れる。それに、元に戻ることができる可能性だって、ゼロではないのだから。


「右から順番に、いまいち、ほどほど、かなりいい、だよ。もうこれ以上ないからね」


 そうして、並べられた3枚を前にして、頭が冷えたオーリアスはさっきまでとは違う悩みに唸るはめになったのだった。




 からりと扉が開かれる音に、ふと意識が戻ってくる。

 入ってきたクロロスは、相変わらず黒いローブにぼさぼさの髪を適当に括った格好だ。

 昨日は休日なのにめいっぱいポーションを作らされ、今日は講義でポーションを作るはめになったグレゴリーは目をしょぼしょぼさせて肩を落としている。

 部屋の中はクロロスが入ってきたことで、一層緊張感で満たされたが、それもこれも 前回のポーション作成講義の際、器具を使った実験型講義にはしゃいだお調子者数名のせいである。

 前回、騒いだ仕置きとして、時間一杯、堅いことで有名な木の実をひたすら磨り潰させられるという苦行を与えられていた数名は現在、これ以上ないくらい姿勢を正して講義開始を待っていた。真っ直ぐに伸びた姿勢が美しい。

 講義終わりには腕が痛いと涙目になっていたので、よほど懲りたようだ。クロロス先生に逆らうなってあれほど言ってたのに、とかわいそうな子を見る目でクラスメイトたちに見られたことも効いたらしい。





 

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