24・5、その頃彼らは 2
「おい、クロすけー」
どんどん、と扉を叩く音に、無遠慮な声。
炎鈴草の実を磨り潰してろ過した液体と作ったばかりの新鮮な体力回復薬を、小さな硝子瓶の中で今まさに反応させようとしていたクロロスは、ぴたりと手を止めた。水薬作りは繊細な作業なのだ。単に複数の素材を混ぜればできあがると思っている、レシピを知っているだけの連中と一緒にされてはたまらない。
「先輩ー、そろそろお茶にしませんか」
「二人がうるさいから、早く開けてくれクロロス。俺も無理やり引っ張られてきたんだ……」
苦労性なガランドの疲れた声に免じて、渋々、声を張り上げる。
「少し待て」
炎鈴草は保存がきく植物だが、一旦液状にして空気に触れさせるとあっという間に効能が落ちる。新鮮な内に混ぜ合わせてしまわなければならない。
少量ずつポーションを加え、同時に少しずつ、魔力を注いでいく。
鮮やかな深紅の液にポーションが混ざっていくにつれ、色がどす黒く変化していき、しまいには到底飲むことができるとは思えない泥水のようなものになった。そこでもう一種、上級の魔力回復薬を一滴、二滴。
途端に劇的に色が変化する。美麗な羽虫の羽化の瞬間に似たその光景が、クロロスはとても好きだ。
泥水から一転、美しい透き通った赤色の液体が硝子瓶の底で揺らめく。
栓をして軽く目の前で揺らし、濁り、不純物がないかどうか確認する。これで依頼分の20本、完成だ。
「……入れ」
途端に雪崩れこんできたミネリとルーヴが我が物顔で周囲を物色し、どこからともなく折りたたみ式の椅子を引っ張り出してくると、実験台の空いている空間に菓子の入った籠、それに茶の入った水筒を手際よく並べていく。
「クロロス、すまんな」
ガランドが肩を落とすのはいつものことなので、黙って頷く。
「あっ、これ耐寒薬じゃないですか! それにこんなきれいな赤……さすが先輩、いい仕事してるー」
出来立ての上級耐寒薬の入った小瓶を摘み上げて感動しているミネリに、ルーヴが首を傾げた。
「なんで今頃耐寒薬? 依頼でも入ったのか?」
「アルブーンの白氷山脈で、青白猿が大量発生しているらしい」
「白氷山脈に入るなら耐寒薬必須だからな。だが、あそこは地元だけあって耐寒薬は相当抱えているはずだが」
ガランドが眉間に皺を寄せて、ミネリの指先の小瓶を睨む。
「それはあくまで地元民用の軽い奴だろ。コオリザルは略奪に麓まで降りてくるが、群れはかなり高い標高に巣を作る。長時間効果が持続できる質のいい耐寒薬なんて、そうそう数は抑えてないはずだ」
「ポーション各種って必須アイテムな割りに、上級になればなるほど作れる人少ないですからね」
「依頼が回りまわってこんなとこまで来たのか」
「先輩、その筋じゃ有名だから」
代金入ったら奢れとごねているルーヴは無視して、持ち込まれた籠の中身を物色する。マフィンにクッキー。悪くない。
「……何しにきた」
「おっと、そうだよ。おまえ、やらかしたんだって?」
クッキーをつまみながらにやにやと笑っているルーヴに、ミネリも苦笑している。
「わたしは見たことないですけど、相当ひどいみたいですね」
「一年生たちには、ひどすぎないか? 精神的にクるものがあるぞ、あれは……」
どうせそれについて言いに来たのだろうと思っていたがそのとおりだった。なんだかんだ生徒達が可愛いのだ。
「……あれくらいで駄目になるなら、冒険者になど、到底なれん」
「それはそうだが」
「本気で冒険者になるつもりなのは半数くらいだろ。残りは卒業したら軍属か、実家の跡取りの補佐役だろうな」
この学園に来る子ども達は、貴族や裕福な平民の子どもが多い。それも次男次女以下の、家を継ぐことのない、末の子ども達だ。平民はまだしも、貴族の三男、三女、それ以下ともなれば親も進路に頭を悩ませる。
そこで、この学園の出番になる。子ども本人に何かやりたいことがあるならいいが、そうでないなら手に職つけさせようとするのが親心という奴で、実績があり、環境の整ったこの学園には各国から子ども達が入学する。もし子どもが高名な冒険者になれば、その益は実家に十分すぎるほどかえってくるし、軍属するにも跡取りを補佐するにも、実力があって困ることはない。問題は、跡取りが無能だった場合に後継者争いが発生するくらいだろう。もちろん、中には自分から志願して入学するものもいるので、一概には言えないが。
どちらにせよ、ゴブリンに嬲り殺されるオークぐらいで怯んでいては、一人前の冒険者になどなれそうもない。大体、あれは幻影であって、スキルの対象になっていたオークたちには現実そのものだったかもしれないが、ただ効果範囲にいただけの生徒たちにとっては痛くも痒くもなかったはずだ。
「昔はあのえげつないスキルの強化に、大分つきあわされたよなー」
「そうなんですか?」
「ああ、自分で倒した魔物しか幻影に出せないからと言ってな」
「……ちゃんと代価は払った」
貴重なポーションをたくさん渡したと胸を張ると、ルーヴとガランドは昔の記憶を辿って苦い顔をした。
「もう、もう、毒針長虫はカンベンしてくれ……」
「針が、針が……」
呻いているガランドは、そういえば盾兼攻撃役としてさんざん毒針を浴びるはめになっていたなと思い出す。ルーヴは手加減が下手でちまちま削るのに向かないのだが、ガランドだけにまかせるわけにはいかず、できない手加減をして攻撃していたせいで、こちらも針山みたいになっていた。15セムはある大型の芋虫相手に泣きながら応戦する毒針まみれの二人を尻目に、肝心のクロロスは芋虫が瀕死になるまで、木の陰に隠れて二人に回復ポーションを投げつけたり、毒消しを投げたりしていただけだ。おかげでかなり投擲能力は上がったのだが。
「こいつは鬼だ、魔人だ!」
「否定できない……」
「あははー」
ミネリがけらけら笑ってマフィンに齧りつく。
「で、どうです? 問題児たちは」
「……今のところ、問題はない」
「本当なら、オレが引き続き担任するべきだったんだろうけどな、オーリアスもオルデンたちも」
この間の大鬼の件で、またもや揉めに揉めた。分不相応な武具を自分達の実力だと勘違いして思いあがった挙句、遭遇したオーガにちょっかいをかけ、結局命からがら逃げ惑うはめになったオルデンたち。そして怒りに燃える背後の王太后。異物の進入を許したのは確かに学園の落ち度で、既に保護者たちには謝罪の連絡をしてあるが、だからといってここは迷宮学園。普通に迷宮に潜っていても生徒達になんの危険もないなんてことはありえない。そこは入学当初にきちんと確認ととっているし、署名もさせているというのに。
平民出身のルーヴでは、何かあった時むりやり責任を取らされる可能性が出てきたので、クラス替えを機に担任をクロロスに変えたのだ。
オーリアスたちは問題児ではないが、ある意味、あの3人も他の生徒達より飛びぬけてしまっている為と、オルデンがオーリアスを敵視しているので、監視が楽なようにあえて同じクラスにした。クロロスのクラスには、他にも個性的なのを固めてある。
「フォルティスくんたちからも報告を受けてます。クロロス先輩、あれからどうですか?」
「今はまだ様子見だな……さすがに、顔のような目立つところに跡は残さん」
「……あの子達、ちゃんと卒業できるでしょうか」
「わからん。きっかけがあって一皮剥ければなんとかなるかもしれんが」
「せめてもの救いは寮制で、オルデンが直接王太后に会う機会が減っていることだろう」
「……躾なおせるか、せいぜいやってみよう」
「うわっ、まさか『ささやかな脅威』使ったのって、その一環か?」
「周りの生徒達を巻き込むのは、できるだけ控えてやってくれ……」
「何事も、始めが肝心というだろう」
最後のクッキーを素早く口に放り込むと、ミネリが恨めしげな顔をした。
「ま、とりあえずは様子見ってことで。あ、後、オーリアス組にはおまえから連絡よろしく」
「決まったのか」
「ええ。あの3組にはご褒美です」
一年生ながら、オーガを相手に五人でまともに戦っていた二組と、足止めという大役を見事果たしたオーリアスたちを無碍に扱うわけにはいかない。ことに、あの時8階にオーリアス組がいなければ、他のパーティはオーガの犠牲になっていた可能性が高い。
「あん時は久しぶりに、肝が冷えたわ」
「魔女なんて難しいジョブで、よくがんばりましたよね……」
「あそこは連携がとてもいいと、受信組がえらく褒めていたな」
あの場にいた連中は、手に汗握って水晶玉の中のオーリアスたちを応援していたらしい。
オーガを相手に咄嗟の連携もこなす、抜きん出た実力派のパーティと比べて、飛びぬけた攻撃手段が殆どない、魔女、僧侶、盾士のパーティがオーガに立ち向かう様子に、待機連中は呆気にとられて水晶玉に齧りついていたようだ。
「フォルティス、ミュウ組もさすがだがな。ミュウたちと組まされていた一人は、かわいそうに自主退学するはめになったが……」
「……ついていけないと悟ってしまったんでしょうね」
かわいそうだが、早めに諦めるのも道の内だ。無理をすれば命を落としてしまう。
「なんにせよ、間に合ってよかった」
「今後も要注意ですね」
「他に今のところ目立った問題点はあるか?」
「いえ、特には」
「問題ない」
頷きあい、空の籠と水筒を纏めて、三人が立ち上がる。
迷宮では何が起こってもおかしくないということを、教師達は身をもって知っている。学園から外に出れば出たで、もっと色々なことが起こる。それが冒険者だ。だからこそ、生徒達にはきちんと実力をつけ、前を向いて巣立っていってほしい。
「それじゃ、また担任報告会しましょう」
「今度は菓子用意するのおまえな」
「甘くないものも頼む」
「……おまえたちは、なぜ毎回私の研究室に来る……」
答えは返ってこず、にこやかな笑顔を残してぱたんと扉が閉まる。
実験台の上の赤に染まる小瓶を取り上げたクロロスは、その色を見つめながらため息をついた。