24、逆らうな 呪術師だけには 逆らうな
「あ、あなたたちっ、どういうつもり!? このわたくしにっ……」
薬草を入れていた籠を蹴飛ばされた挙句、突き飛ばされてしりもちをつく羽目になったサキアが甲高い声で叫ぶ。
ちょうどオーリアスたちのいる場所とは反対側の森の中から、派手な音を立てて飛び込んできたのは、男子四人組のドニ、ブラン、アレク、ゴドフリーだ。
たまたま、四人が飛び込んで来た位置で薬草を摘んでいたオルデン組が悲鳴と怒声を上げる中、顔を引き攣らせた四人が、一目散にクロロスの元へ駆けていく。
「無礼者ども! 礼儀も知らぬか!」
オルデンの叫びにも目もくれず、四人はクロロスの元に行くと息を切らせて矢継ぎ早に何か言っている。
場所が少し遠いのと四人が声を潜めていることで、何を言っているかは聞えない。それでも尋常ではない様子に、動きを止めて野原の中央に視線を向けた。
オーリアスも蹂躙された憤りを一旦横におき、クロロスの動きを注視する。
「どうしたんだろ?」
「シッ、静かに」
はしゃいでいた余韻を引きずって、さほど気にした様子もなく呟いたトモエに、エイレンが鋭く声を上げた。さすがにパーティリーダーだけあって、周囲の気配に敏感なようだ。
レラも自然な仕草でオーリアスを捕まえていた腕を解く。マリエルとグレゴリーもじっと担任教師の方を確認しているようだった。ただし、グレゴリーは相変わらずくしゃみをしているので、締まらない。
「集合しろ」
そのクロロスの声は、不思議と野原に散らばっていた生徒たち全員にはっきりと聞えた。しっかりとパーティメンバー同士、目を合わせたオーリアスたちも駆け出す。
わっと集まってきた生徒達の不安げな顔を見たクロロスは、無造作に言い放った。
「醜豚鬼が出た。わたしの周囲にいるように」
「オーク!?」
その言葉に生徒達がざわめくが、一番動揺がひどかったのがオルデン組で、相当大鬼に追いかけられたのが堪えているらしい。格上の魔物に対する恐怖が抜けないようだ。
「結界が張られているといったはず!」
「張られている。強大な力を持つものは進入できないようになっている」
「ならばなぜ、オークが来るんですの!?」
噛み付いてきたカティスをいなし、恐慌状態に陥っているサキアに、クロロスはやれやれとでも言いたげな眼差しを向けた。
「君たちはオークが『強大な力を持つもの』だとでも思っているのかね?」
「そっ……それ、は……でもっ」
「……せいぜい、教師らしいところを見せることだな」
それでも顎を上げて言い放ったオルデンに、素性を知らない生徒たちは目を剥き、知っている者も白けた顔をする。生徒達は殆どが不安げな顔をしているが、教師であるクロロスが傍にいることで安心してもいるようだった。
しかし、呪術師といえば直接的な攻撃方法を持たない後衛職のはず。
勿論、学園の教師として雇われているのだからその能力に疑う余地はないが、一体どうやってオークと戦うつもりなのか。
すとんとした足元までのローブのおかげで、クロロスが一体どんな装備をしているかはわからない。だが剣や槍を装備していないことは確かだ。ある種の魔法職と考えれば、懐に入れておける小さな杖あたりが妥当だろう。
不安と警戒でざわついた野原の端に、ぬっと醜豚鬼が現れる。
森の中で出会ってしまったドニたちを追いかけてきたのだ。始めはそろそろと、しかし、固まっているのが一人前には程遠い存在ばかりだと理解したらしく、すぐに大胆な動きで接近してきた。
ゴフゴフと鼻音を鳴らしながら近づいてくるオークに、恐怖と同時に殆どの生徒の顔が歪む。生理的な嫌悪感を覚える外見にひどい異臭。それにオークという魔物の性質がそうさせるのだ。女子はことさら嫌悪が強いようで、誰かがひっと小さく息を呑んだ音が聞えた。
近づいてきたオークの、残忍な性を露にする小さな目が値踏みするようにその場の人間達を見る。
他種族の雌を攫って母体にするオークは、全ての知性ある存在から忌み嫌われる魔物だ。攫われた被害者が正気を保っていることは殆どなく、故に、哀れな被害者を出さない為にも積極的な討伐が推奨されているし、討伐の依頼が出ると、どこのギルドでもある意味、どんな魔物よりも機敏な対応がなされるのだ。
存在の格自体はオーガよりも遙かに下なのだが、それでも一年生が気軽に討伐できるような魔物ではない。
異臭と共に近づいてきたオークは、一匹一匹がグレゴリーよりも20シムは大きい。まず目に入るのは潰れた巨大な鼻。そして、小さな残忍な光を宿した目の下にしわしわの垂れた頬、開いた口内に、汚れた牙が見えている。体つきは丸々としていて、腕も首も、何もかもが太い。その膂力は人間の腕くらい、簡単に千切ることができる。
三匹は冒険者から奪ったと思しき武器をそれなりに装備していた。どす黒い何かで汚れた棍棒、刃先が欠けた槍、中ほどから折れた剣。防具は恐らく、大きさが合わずに装備できなかったのだろう。腰周りを覆う汚らしい襤褸以外は着けていない。だが、その膂力と同時に、連携して襲ってくるところがオークの厄介なところだった。
オークを前に、クロロスはなんの気負いもなくその場に立っていた。
背後にいる生徒たちからすると早く武器を構えるか魔法を唱えるかしてほしいのだが、黙ったまま動かない。
じろじろと目の前の獲物を眺めまわしたオークが満足気に鼻を鳴らした。
人間ばかりの集団、時に手痛い反抗をする獣人はわずかであり、目の前に立つ一匹も自分達の脅威にはならない。
3匹が素早く見交わした目がそう言っていた。
漂う異臭に息を詰め、じりじりと後ろに下がり始めた生徒達を見る目が、大量の獲物を前にした興奮に輝く。動かないクロロスが恐怖に固まっているとでも判断したらしく、15セム程の距離にじりじりと詰めてきたオークが、そのまま一気に3方向に展開しようと動きかける。
だが、オークに先んじてクロロスが動いた。
「『ささやかな脅威』」
前方に左腕を突き出し、指で素早く印をきる。
あらわになった手首には、黒い石を連ねた数珠のようなものが何重にも巻いてあった。
発動されたスキルがどんなものであるかを知る生徒は、この場に誰一人としていない。呪術師というジョブ自体、選ぶ者が殆どいないせいでよく知られていない。いくら上級後衛職とはいえ、回復役でもないのに一つも攻撃スキルを覚えないジョブの人気がないのは仕方のないことだし、そういったデメリットの噂ばかりが広がって、ますます呪術師になるものが少なくなる。おかげで呪術師自体が珍しいのだ。
「……なんだ、あれ……」
思わず、というように誰かが呟く。
目を逸らしていたわけではないのに、どこから湧いてきたのか、いつのまにかゴブリンがオークに群がっている。
それは、蟻の襲撃に似ていた。
一匹一匹は弱いが、まるで雲霞の如く、どこからともなく湧いてはオークに飛びかかって行く。オークは始めのうち、寄って来るゴブリンをなぎ払い、掴んでは放り投げ、蹴り飛ばして暴れていたが、ゴブリンは一向に減る様子を見せない。まるで地中から無限に湧き出てくるように、どんどん増えていく。
その内、オークの暴力をもってしても一向に減らないゴブリンに、三匹の動きが段々鈍くなってきた。
次第に身体に纏わりつかれるようになり、もつれ始めた足がゴブリンで埋もれ、動けなくなる。
突然の理解不能な事態に逃げようともがき始めるが、既に動けない。鳴き叫び、もがき、動く腕で斬りつけ、振り払うが、数の多さがそれを凌駕する。全身にゴブリンをぶら下げたオークが絶叫した。
数え切れないゴブリンに噛みつかれ、肉を食いちぎられる激痛に喚きたてるオークの動きがどんどん鈍くなるにつれ、ゴブリンはさらに数を増し、いまやゴブリンで作られた生ける像がおぞましい蠢動を繰り返しているようにしか見えない。ゴブリンたちの不快なギィギィという鳴き声だけが、何重にも重なってその場の音を支配している。
涼しい顔で立っているクロロスの背後では、恐怖で身動きも出来ない生徒達が凄惨な光景に冷や汗をかいていた。
「コーネっ!」
真っ青な顔をしたコーネリアが気を失って倒れたのを、慌てて両側にいたリラとエイレンが支える。他の生徒たちも気を失いこそしないが、今にも吐きそうな顔をしているもの、青褪めているものと多数が顔色を悪くしている。だが、目を逸らすことができない。目の前の地獄絵図から逃れたいが、視線を動かすことすら恐ろしい。多勢に無勢という残酷さを、無数のゴブリンたちが生徒達に存分に見せつける。
顔を前に向けたままのマリエルに、無意識にか、ぎゅっと手を握られたオーリアスは、黙ってその手を握り返した。 どちらの手も、冷や汗で冷たく濡れている。オーガと対峙した時とは、全く違う恐怖がその場に満ちていた。
後から後から湧き出るゴブリンたちに食いつかれていたオークの姿は、もう見えない。ただ数え切れないゴブリンの群れだけが、蠢いている。
ちらりと背後を振り返り、生徒達の様子を確認したクロロスは、ふむ、と頷くと、ぱちりと指を鳴らした。
その音が響いた途端、視界から数え切れないゴブリンが消えうせる。
そこにいた痕跡は、何一つなかった。空からは穏やかな日差しが降り注ぎ、静かな緑の野原を穏やかな日差しが照らし、草花を輝かせているだけだ。ぽつねんと3匹のオークだけが立ち尽くしていたが、目を疑う生徒達の前で、鈍い音を立てて倒れた。
ぴくりとも動かない三匹に何の躊躇いもなく近づいたクロロスが、倒れたオークを覗き込む。
「生きてはいるが、それだけだな。ドニ」
「……は……は、はいっ」
「私は森の中に入ってはいけないとは言わなかったが、入ってもいいとは言わなかった。そして、オークを連れてきたのはおまえたちだ。止めを刺すのはおまえたちがするように」
強張った顔で、四人が倒れているオークを見る。
「返事はどうした」
「は、はいっ!」
ぎくしゃくとそれぞれ武器を抜いてオークへ近寄る四人を放って、残りの生徒達を見たクロロスは、あまりにも生徒達が怯えすぎていると思ったらしい。
宥めるように一言呟いた。
「あれは幻影だ」
凍りついたままの生徒達の空気を打ち壊すように、ワフッ、とグレゴリーのくしゃみが響く。
まるで返事のように野原に響いたそれに、ようやく生徒達の強張った顔がかすかに緩んだ。
だが、男も女もパーティもソロもなく、全員が今日のこの光景を忘れることはないだろう。
同時に、全員が心に刻み込んだ。
絶対にクロロスに逆らったりしない、と。




