20、狼とポーション 後半戦
「なにをしてるんだ!?」
オーリアスとマリエルはぽかんと声の主を見つめた。
いつのまにか、通路の奥にパーティらしい三人が立っている。
厳しい顔でこちらを見ている、マリエルよりもずっと濃い金色の髪の少年は、つかつかと近づいてくると、ぽかんとしている二人に詰問した。
「彼に、一体何をしてる」
なかなかいい装備をしているが、分不相応という感じではない。しっくりと身についているし、身ごなしがきびきびしている。その後ろからは、同じく剣呑な顔をした少女が二人。
少年の方には見覚えがあった。オーリアスがまだ剣士だった時に、何度か迷宮で見かけたことがある。確か、フォルティスと言ったはずだ。多分、剣士としては学年で一番だろう。悔しかったが、頭一つは完全に飛びぬけた腕だったので覚えている。
そのフォルティスが、どうして怖い顔をしてこちらを見ているのだろう。
「……何って……」
ポーションを一気飲みさせたところだが、何かまずかっただろうか。
足元で悶えているグレゴリーを見下ろし、顔を見合わせた二人は、はっとした。
薄暗い迷宮の中。
人気のない通路。
はやし立てる人間の魔女と僧侶。
その足元に蹲る獣人の少年。
もしやこれは、人間が獣人を虐げている場面と思われているのか。それともいたいけな少年、というには大きいが、とにかく少年を苛める少女の図だと思われているのか。
「何を思ってるかは大体わかったが、誤解だ!」
「そうですよ、わたしもオーリも、もふもふは大好きです!」
「えっ」
「オーリも好きでしょう?」
当たり前のように聞き返されて、どうしてバレたのだろうとオーリアスは薄ら寒い気持ちになる。
オーリアスは動物が、特に犬がとても好きだ。だが、さすがにパーティメンバーを、それも勇猛果敢で知られた狼族をそんな目で見るのはよくないと自制して、尻尾に触らせてくれとねだったこともなければ、撫でさせてくれと頼んだこともないのに。
「誤魔化さずに答えてほしい」
柳眉を逆立てた少年を左右から少女が挟み、油断なくそれぞれ、錫杖と杖を構えるのを見て、さすがに慌てた二人を守るようにグレゴリーの腕が持ちあがった。
「大丈夫か!?」
さっとしゃがみこんだ少年が心配そうに覗き込む。
「一体あなたがたは何をしたんです?!」
「恥ずかしいとは思わないの!?」
これは完全に勘違いされている。悪ノリしたのは確かだが、グレゴリーも合意の上でのポーション一気だ。こんな非難の目に晒されるほどのことではないはず。しかし、違うんだと否定すればするほど、信じてもらえなくなるような気もするし、一体どうやってこの窮地を乗り越えようと途方にくれた二人を救ったのは、撃沈していたグレゴリーだった。
なんとか地獄の淵から生還したグレゴリーが、顔を上げ、ぶんぶん首を振る。
ただ、まだ口が痺れているらしく、話し方がいつもよりぎこちない。
「……オレ、苛メラレテ、ナイ」
「それなら、どうしてこんなところに蹲って……」
無言で空の小さな小瓶を差し出したグレゴリーに、フォルティス以下3名の顔が引き攣った。
「ま、まさか」
「まさかお飲みになりましたの!?」
「死ぬ気!?」
勇者を見る目でグレゴリーを見ている三人に、オーリアスが呟いた。
「……ということは、おまえらも飲んだことあるんだな」
はっとした顔をした三人がそわそわと顔を逸らし、互いの顔を見合わせる。
「いや、それは、その」
「不味い、というのはどのくらいのものなのかと、つい……」
「まさか地獄を見るはめになるとは思わないじゃない?」
「わかります。わたしもそのクチですから」
マリエルが頷くと、3人は親近感に満ち溢れた様子で、口々に、ですよね、若気の至りだ、飲んじゃうよね、と頷いた。
雰囲気が和んだので、オーリアスも経験者だと自己申告して、ひとしきりポーションの不味さを力説したところで事情を説明する。
探索中にふとポーションの話になったが、グレゴリーが飲んだことがないということが判明、一人だけあの味を知らないという事態を重く見た二人がポーション一気を迫った。グレゴリーは勇敢に挑んだが、撃沈。三人が見かけたのはちょうどその場面だったと。
グレゴリーもうんうんと頷く。
「なんだ、そうだったのか……すまない、誤解だったようだ」
素直に頭を下げられて、オーリアスとマリエルはいやいや、と手を振った。確かに傍から見ると、あまりよろしくない場面に見えたことだろう。連れの二人の少女も申し訳なさそうな顔をして謝ってくれた。声をかけられた時はどうなるかと思ったが、案外話のわかる三人である。
フォルティスが背筋を正して新ためて名乗り、二人の少女もそれぞれ所属と名前を教えてくれたので、オーリアスたちも自己紹介した。
「ああ、撲殺魔女の方ですわね」
「君が噂の」
「あたし一回会ってみたかったんだ」
一斉に視線を向けられ、怯んだオーリアスの胸元に、三人が一瞬釘付けになる。
サラシを外して快適になったのは確かだが、サラシで抑えていた分が解放されるということは、ただでさえ主張していたものがさらに主張するということで。
「な……なかなかのものをお持ちですわね……」
「これで元男とか女に喧嘩売ってんの?そうなの?」
無言でそっと視線をそらした後、またちらり、と見て顔を赤くしたフォルティスに、いかにもお淑やかそうな、長い黒髪を背中に流したアイトラと、ちゃきちゃきした雰囲気と猫のような瞳が印象的なカリンが素早くその耳を左右からきりきりと引っ張った。
「い、いたっ、痛い! な、何? なんだ!? 僕はなんで引っ張られてるんだ!?」
オーリアスとしては、別に見られるくらいならどうということもない。自分が男だった時にこの大きさの胸が目の前にあったら、間違いなく見ていたと思う。目の前に胸があったら見るのが男の習性で、各人好みはあれど、そこに胸があったら見る。それは空をドラゴンが飛んでいたら見上げる、と同じくらい、どうしようもないことなのだ。
もちろん、無遠慮にじろじろ見るのはダメだ。あくまで紳士に、さりげなくでなくてはならない。
とはいえ、悲しいかな、ちょっと視線をやっただけでゴブリンを見るような目をされることもある。
確かに見られるのは不快かもしれないが、大抵の男に悪気がないのも確かだろう。
許せないほど不快な思いをした時には、遠慮なく籠でも杖でも剣の柄でもいい。
頭以外の場所をがつんとやってほしい。
「先程はごめんなさいね、上の階で少しあったものですから」
「嫌なモノ見ちゃったところでさ。てっきりあんたたちもそうなのかと」
悲鳴を上げるフォルティスにかまわず、にこやかに微笑む二人に怯えながら、三人はお気になさらず、と呟いた。かわいそうだが、触らぬ神に祟りなしという格言もある。
「実は、さっきの階で」
フォルティスたちは、明らかに不適切な行いをしているパーティを見てしまったという。
オーリアスたちの場合は単なるじゃれあいだったが、そちらの方はじゃれあいなどではなく、一人を二人で一方的に殴るという明らかな暴行だった。
「そんな……」
絶句したマリエルがオーリアスとグレゴリーを見上げる。二人も気持ちは同じだった。
パーティは、学年が進めば進むほど揺るぎないものになっていく。何度も戦闘を共にし、互いに信頼を深め、結束を強くして、難敵に挑み、迷宮のより深い場所へ潜ることを可能にする。単純な強さだけでは越えられない壁をパーティであることで乗り越えるのだ。実力があればソロで潜ることは可能だし、実際、有名な冒険者にもソロで活躍している者はいる。ただ、それはやはり、ほんの一握りだ。よほどの実力がなければ、一人で戦い続けることは難しい。だからこそ、冒険者はみなパーティを組む。
だというのに、一年生のこの時点でパーティ内の暴力のはけ口にされてしまっているとしたら、その対象になっている彼、もしくは彼女は、戦闘よりもパーティ内の不和で命を落とす可能性が高い。
「それで、ものは相談なんだが、そういうパーティを見たら声をかけてくれないか? 見ているという主張だけでもいい。もちろん強制はしないし、僕達ができることでもないんだが」
確かに、そんな状況にあるパーティがいるとしたら迷宮内でも注意を払わなければなければならないだろう。もしかしたら、迷宮外でも日常的に暴力が振るわれている可能性もある。
やっと解放されたフォルティスは真っ赤になった耳を撫で、先ほど見たという光景を思い出すように顔をしかめた。
「僕達も声をかけたんだが、まるで野良犬か何かのように対応されたよ。聞く耳をもたないとはああいうことを言うんだろうな」
そういった思い上がりの強いパーティだけに、下手に止めに入ればとばっちりを食う可能性もある。逆恨みをされることになるかもしれない。ただ、誰かが見ている事を伝えるだけでも、少しは抑止力になるかもしれないから、と控えめに頼まれたオーリアスたちは、顔を見合わせて頷いた。
「いや、止めとくよ。見てみぬフリはできない性格なんだ」
「そうです。それにわたしたち、自分で言うのもなんですが、けっこう強いんですよ」
「グレゴリーも人間が相手なら怖くないんだよな?」
「ワウ」
「いざとなったらグレゴリーくんが、盾でどーん! です」
「いや、マリエル、それはちょっと」
「ワ、ワウ……」
人間を圧殺するのはやめてもらいたい。気軽に唆すマリエルに顔を引き攣らせるオーリアスとグレゴリーに、フォルティスたちが笑った。
「よかった。君達は本当に仲がいいんだな」
一応教師には報告するつもりだというフォルティスたちは、午後までにもう少し潜ってみるという。オーリアスたちもそのつもりだと話しながら歩き出す。
そういえば、と、どんなパーティだったかを教えられ、眉を寄せたオーリアスを心配そうにマリエルが見上げた。
次の分かれ道が来たら、別れて進もう。そう話している時だった。
「うわっ!?」
滑る要素のない通路で、つるんと足を滑らせたフォルティスが後ろに倒れこむ。前にいたアイトラとカリンを掴めば転倒は避けられただろうが、女子二人に掴まることを躊躇したらしい剣士の少年は、本来の運動神経もどこへやら、頭から後ろに傾いだ。
「おいっ」
慌てて支えようと前に出たオーリアスにフォルティスが倒れこみ。
「ああっ、オーリ!」
「何してんのよフォルティスうぅ!?」
「ワウ」
「……あとどれくらいレベルを上げれば呪いスキルが手に入るのかしら、ふふ、ふふふ……」
ぽふん、と胸でフォルティスの後頭部を受け止めるハメになったオーリアスは、騒がしい外野とは裏腹に、別にわざとではないので許してやろうと寛容に思う。もしもこれが触りたい故の演技だとしても、たかが後頭部の一瞬の感触のためにすってんころりんを演じたなら、切ないし、もはや面白い。そこまでするなら、やはりこれくらいは男として許してやろうと思う。とはいえ、どう見てもわざとではない。
「い、今……いま……!?」
慌てて体勢を立て直し、顔を真っ赤にして後頭部を抑えたフォルティスは口をぱくぱくさせていた。
「……協定を結ぶべきね……」
「……よろしくてよ……」
真っ赤になって、忙しなくオーリアスの顔と胸を交互に見ているフォルティスの肩に、ぽん、とグレゴリーが手を置く。
「……はっ!? い、今僕は何を?!」
「ワウ」
あれを見ろ、といわんばかりに指されたもふっとした指の先を見たフォルティスは、ひっ、と悲鳴を上げた。
「行くわよ、フォルティス」
「行かないとは言わせませんわ、フォルティス」
ぎりぎりと指が食い込むほど、片腕ずつアイトラとカリンに握られたフォルティスが青褪めながらずるずると引きずられていく。
それでは皆様、ごきげんよう、と優雅に礼をしたアイトラの眼差しに、オーリアスが寒気を覚えたのは仕方のないことだった。