19、狼とポーション 前半戦
グレゴリーは迷宮前受付広間でパーティの二人を待っていた。
周囲には上級生から1年生まで、生徒たちが入り混じってたくさんいて、騒がしい。
昨日は休養日だったが、先日のオーガ出現を受けて、事態の解明の為迷宮は封鎖されていた。
だから、解禁された今日は朝早くから潜りに来る学生が多いのだ。
一年生は午後から集会があるので、なおさら今の内に迷宮入りしようという気持ちになるのだろう。
こうして立っていると、様々な人が目の前を通り過ぎていく。
男も女も、色とりどりの装備品を纏い、時々人間以外の種族もいて、なかなか面白い。
獣人もそれなりにいて、同じ狼族は見つからなかったが、羽の生えた鳥族や、猫族、兎族なんかもいる。珍しいところでは一人、豹族の少女もいて、視線を向けていたグレゴリーを蔑むように睨んでいった。
豹族は誇り高く、力ある者を尊敬する。狼族でありながら、大きな盾に隠れて戦うグレゴリーを軟弱者と思うのだろう。自分でもそう思う。
それなのに、グレゴリーは同じようにこの広間にいても、以前とは全く感じ方が違っている事が不思議だった。
以前は、大きな身体をできるだけ目立たないように縮めて、パーティに誘ってくれた集団の後ろをしょんぼりとついていくばかりだった。自分が情けなくて、恥ずかしくて、どこか投げやりな気持ちが膨らんで身の置きどころがなかった。
獣人、それも狼族なら絶対強いはずだと、よく知らない人たちから向けられる無条件の思い込みに、グレゴリーだってできることなら応えたかった。折角誘ってくれたパーティの一員として、華々しく活躍してみたかった。
でも、どうしても駄目だったのだ。
怖くて怖くて、迷宮に入ることも恐ろしかった。怖くて動けなくなった後、信じられないものを見る目で見られることも苦痛だった。
悪いのはグレゴリーだ。ペトラの英雄たるグレゴの子でありながら、勇敢なアトルム氏族の一員でありながら、一匹のゴブリンに右往左往する情けないグレゴリー自身が悪いのだ。
わかっていたけれど、どうにもできないことが悲しくて、やるせなくて、惨めで。
ここにいたくないと思い始めていたグレゴリーは、あの日、また傷を増やしたところだった。
いらない、と塵を捨てるように迷宮内で放り出されたグレゴリーは、突き飛ばされた格好のまま、ぼんやり床に座り込んでいた。
なんて惨めなんだろう。そう思うと辛くて、ペトラへ帰りたいと思った。思ったけれど、そんなことできないのはよくわかっている。
がんばるしかないのだ。でも、もうグレゴリーはがんばっていた。他人から見れば、何の結果も出せないどうしようもない行為にしか見えなかっただろうが、必死に恐怖心に耐え、剣を振るう為にがんばっていたのだ。
これ以上どうやってがんばればいいのか、グレゴリーにはさっぱりわからなかった。
そこに、二人がやってきた。
マリエルとオーリアスは、これまでの人間とは少し、いや大分違っていた。
今までのパーティ達はグレゴリーを見捨てて置いていった。それは悲しかったけれど、仕方のないことだと自分自身納得している。なぜか催眠にかかるとたくさん敵が湧くので、グレゴリーが催眠状態に陥ると、必然的にパーティメンバーが魔物の襲撃に会うことになる。
誰だって巻き込まれたくないし、そんな事態を引き起こす奴とパーティなんか組みたいはずがない。
二人に組んでみようと声をかけられた時も、グレゴリーがなんの助けにもならないお荷物だということはすぐに露呈した。
いつものようにあっさり魔物の催眠攻撃にかかって、ふらふら踊りだしてしまったのだから。
それなのに、どうして二人はグレゴリーとパーティを組み続けてくれたのだろう。
「グレゴリーくん!」
「グレゴリー!」
すっかり覚えた声が名前を呼んで、グレゴリーは視線をそちらに向けた。
黒ずくめの背の高い魔女と、白いローブの小柄な僧侶が手を振っている。
息せき切って走ってきたマリエルとオーリアスは、やけにせかせかとグレゴリーを引っ張った。
「さあ、行きましょう!」
「行くぞ!」
二人が来ると、いつも周囲の生徒たちは二人を見る。それはどこか畏怖するような、それでいて憧れるようなそんな視線だが、二人は一向に気にしていないらしく、いつだって自然体だ。
なんだかわくわくしているらしい二人は、こちらを振り返っては顔を見合わせ、何か小さな声で言っては笑っている。でも嫌な感じは全くしない。ただ、二人が軽い興奮状態にあることは匂いでわかった。
新調したらしい丸くて赤い石のついた長杖を持ち、つやつやした黒い髪を尻尾の様に躍らせているオーリアスは、一月前までは男だったのだという。
とはいっても、グレゴリーは男の姿を知らないので、男だと言い張られても正直ピンとこない。それでも、オーリアスの意志を尊重し、グレゴリーとしてはちゃんと対応しているつもりだ。
オーリアスには別の見解があるかもしれないが。
何にせよ、二人はグレゴリーの大事なパーティだ。あの辛くて惨めな日々から救い出してくれた女神だ。
本当なら後衛の二人がどんどん前に出て戦ってくれて、いつだってグレゴリーを振り向いて、助けてくれる。それを情けないとは思うが、今はまだ、二人よりもグレゴリーは弱い。
オーガにだって一人で立ち向かうオーリアスの強さと、小さな身体で挑むことを躊躇わないマリエルの勇敢さは、まだグレゴリーにはない。
それでも、決めていた。いつかグレゴリーは二人よりも強くなって、二人の前で戦う。
二人を守る為に戦うと。
「なあ、グレゴリー、今日は絶対びっくりするぞ」
「絶対ですよ!」
「ワウ」
迷宮の中に入っても、戦闘中も、二人の興奮状態は衰えなかった。
回復もそこそこにどんどん進んで、出会った敵集団に片っ端から突っ込んでいく。
剣を手にひらひら飛び回るマリエル、華麗な杖捌きで敵を蹴散らすオーリアス。
その後ろで、二人から漏れた敵を潰し、時にはスキルで注意を引いて戦闘を手助けする。自分にもできることがあるのは、本当にいいものだ。
そうしてどんどん進んでいくと、ほんのかすり傷だが、腕に傷を負った。これくらいならポーションもいらないし、キュアもしてもらわなくていいな、と思っていたのだが。
「おっと、グレゴリー、もしかして傷を負ったのか?」
「あらあら、怪我をしてしまいましたね、グレゴリーくん」
音もなく近寄ってきた二人にびっくりしながら、いや、大丈夫と二人を見たグレゴリーは呆気に取られた。
爛々と目を輝かせたオーリアスが、思わせぶりに腰の道具袋から小瓶を取り出す。
「怪我にはポーションが必要だな」
「ええ、オーリ。怪我にはポーション、これ常識です」
「オレ、平気……」
「いいから飲め!」
「飲んでください!」
「何も言わずに飲むんだ、これを!」
美味しいんだ、嘘じゃない、本当なんです、と言い募る二人に押し付けられた、なにやら明るい橙色に光る小瓶を見つめる。まさか、このポーションを飲ませたいがために、こんなに興奮していたのだろうか。
別にポーションを使うほどでもない傷だが、こうも目を輝かせて差し出されると断りにくい。ポーションは不味いという噂だが、しかし、ここまでお膳立てされて、飲まないという選択肢は無い。
栓を抜いて、おそるおそる口に含んだポーションは、甘酸っぱい果実の味がした。
とろりと濃くて、それでいて爽やか。確かに美味しい。腕の傷もすぐに治った。これは確かにポーションのようだ。
「ね、ね! 美味しいでしょう!?」
「嘘みたいだろ!? おれも信じられない!」
「もうこれはポーションじゃありません! ポーション【新】です!」
「オレ、ポーション、初メテ飲ンダ」
「……え?」
噂は嘘だったらしい。不味い不味いと評判だったが、本当は美味しいんだなと素直な感想を言うと、顔を輝かせていた二人が凍りつく。信じられないものを見る目で見上げられて、思わず首を竦めた。
「不味いですよ! ポーションは不味いんです!」
「死ぬほど不味いに決まってるだろ!」
そう言われても、飲んだクラスメイトがそれはもう地獄を見たとさんざんクラスで吹聴していたので、とても飲む気になれなかったのだ。だから、グレゴリーは今、初めてポーションを飲んだのだが、二人にはそれがよほど信じられなかったらしい。
「そんな……そんな嘘でしょう?」
「なんで飲んだことないんだ!?」
まるで、突然置物が喋りだした、みたいな目で見上げられ困惑する。逆に、そこまで不味い不味いと言われている物を二人はなぜ飲んだのか。
詰め寄られて苦し紛れにそう聞くと、耳が取れそうな声で叫ばれた。
「不味いからですよ!」
「不味いからこそ、どんだけ不味いか知りたくなるだろ!?」
「なんですか、安全策しかとらない主義なんですか、グレゴリーくんは!」
「……おまえだけあの味を知らないとか、そんなこと許されないよな?」
「うふふ、そうですね、そうですよね……」
ポーション【旧】を手に、にじり寄って来る大事なパーティメンバーに、グレゴリーは己の受難を悟った。試練だ。これは強い男になるための試練に違いない。
ならば挑もう。たとえ玉砕することになったとしても、それはあの惨めな日々よりも遥かに素敵なことではないか?
小瓶を手に、グレゴリーは吠えた。やる時はやる、それが男だと父も言っていた。
高らかに吠えて挑んだはいいものの、あえなく撃沈して通路に蹲り、破壊的な味に悶え苦しんでいる狼族を見下ろしてはしゃいでいる撲殺魔女と惨殺僧侶に、鋭い声がかかったのはその時だった。