1、開けてはいけない宝箱
目の前に宝箱がある。
開けますか、と聞かれたら、大抵の冒険者はもちろんと頷くだろう。
たとえ中身が銅貨2枚で買える初級ポーションであろうとも、そこに宝箱が出現したなら回収せずにはいられない。宝を回収しない冒険者なんて、一体なんのために冒険しているかわからないではないか。
そもそも、迷宮のモンスターのドロップだけでは赤字になることも珍しくない。それを補うのがちょっとした幸運によってもたらされる宝箱であり、宝箱から得られる貴重品、珍品を売りさばき、時には自ら装備してその恩恵を受けつつ、高みを目指すのが当たり前である。
だからその時、オーリアスは出現した宝箱を開けたのだ。冒険者を目指す者として、当たり前のことだった。
小部屋の中にあった宝箱に近寄り、蓋に手をかける。
中身は初級ポーションか、毒消しが希望だが、できればレアがでないかなと若干の期待をもって宝箱を開けたオーリアスは、中をのぞいて目を丸くした。
これはちょっと新しいパターンではなかろうか。
現在地は7階層だから、宝箱に罠が仕掛けられていたとしても、コボルト召喚かゴブリン召喚のはずだ。学園迷宮の宝箱に空箱というハズレはないというのがこれまでの常識だったはずなのだが。
どうみても目の前の宝箱の中身は、空っぽだった。
「……ありかよ、そんなの」
まだゴブリンやコボルトを召喚でくれたほうがよかった。倒せば経験値になるし、何かドロップするかもしれない。からっぽの場合はそれもない。ものすごく損した感じがする。
これはひどいと未練がましく空箱の中を探った瞬間、くらりと眩暈がした。
ぐるぐるぐるぐると視界が回り、平行感覚がなくなる。悲鳴も上げられないまま、あ、倒れる、と思った瞬間、意識が途切れた。
頬がひんやりしてざらりとした、平らなものに触れている。
どうやら迷宮の床に倒れているらしいと思うと同時に、眩暈の余韻が引いていき、ゆっくり目を開けた。
起き上がって辺りを見回すと、幸い、気を失っていたのは短い時間だったようで、人影もなければモンスターも接近していない。
一体何があったのかと、おそるおそる立ち上がったオーリアスは、軽く身体を動かして異常がないかどうかを確認した。腕を回し、その場で飛び跳ね、いつもどおり変わりがないことに安心する。
ただ、やけに胸当てがきつい。
いくら成長期とはいえ、さっきまでちょうどよかったものが急に合わなくなるわけはないので、倒れた時に、留め具が外れたかおかしな形にずれたかしたのだろう。
本当なら迷宮内で防具を外すなど言語道断だが、防具が合わないまま潜り続けるわけにもいかない。
さっさと着け直そうと留め具を外し、胸当てを取り払う。開放感にほっと息をつき、もう一度胸当てを装備しようとして。
オーリアスは無言で自分の胸を見下ろした。
何かの見間違いだ、たぶん。
ぶわ、と汗が噴出し、心臓が激しく脈打つ。
「いやいやいや、おかしいだろ。ないない。幻覚幻覚。さっき頭打ったんだな、たぶん」
インナーに不自然な盛り上がりがある。それも、わりと立派なものが。
いくら見下ろしても消えない『ソレ』に青褪め、震える手で、おそるおそる『ソレ』に触れてみると、ふに、とも、むに、ともつかないやわらかい感触がした。
「な、な、な、なに、なんだこれ!? ま、まさか……」
呆然としたまま、足の間に手を当てて、固まる。
ない。
そこには確かに、さっきまであったはずだ。男の証が。
どうしてそれがきれいさっぱりなくなっているのか、かわりに胸板の上に小山が出来ているのか、全く理解できない。
「……あ、そうだ救護室……」
必死に冷静になろうとして、救護室の担当を思い出す。確か、珍しい特技をもっていて、それを買われて雇われたという話を聞いたことがある。
「確か『解呪』スキルもち……!」
そこからは早かった。
つけるのが躊躇われた胸当てを小脇に抱え、緊急退避用の脱出クリスタルを惜しげもなく床に叩きつけ解放する。
ふわっと光に包まれて、一瞬で迷宮入り口前のロビーに転移が完了すると、件の盛り上がりを腕で隠すようにして学生が大勢たむろしている空間を走り抜け、全力で校舎に飛び込み、件の教諭のいる救護室に駆け込んだ。
「扉は静かに開けるように。初顔……一年生ね」
きちんと扉が閉まるのを待ってから、救護室の主がゆっくり近寄ってくる。
「自分で歩ける? そう、じゃあ、そこのソファに座りなさい。一体どうしたの? 人喰い大鬼にでも会ったような顔をしてるわよ」
暗い色味の金髪をひっつめにした救護室の主、レディ・オルテンシアは興味深そうにオーリアスを見た。とても体調の悪い生徒を心配する顔ではない。よろしくない性格の先生だと聞いてはいたが、背に腹は変えられない。
しどろもどろに状況を説明すると、オルテンシアの眉がひそめられた。
「そんな馬鹿な……いくら迷宮とはいえ、10階層にも満たない場所にそんな高度な呪いなんて」
「先生、何とかしてください」
「まあ、私の解呪で、なんとかなるでしょうけど……じゃあ、ちょっとどういう状態か確認したいから、見せてくれる?」
じろじろと隠していた胸や顔を見つめられ、辟易していたオーリアスはすぐに頷いた。
「『汝我が身を知れ』」
唱えると銀色のカードが出現する。混乱のあまり、自分でステータスカードを確認することさえ思いつかなかったことに気づいて恥ずかしくなった。
「オーリアス・ロンド」
「はい」
「今年入学した一年生で、性別は男性、適正職は剣士。間違いないわね?」
「そうです」
「見なさい」
渡されたカードを覗き込んだオーリアスは、思わず叫び声を上げた。
「適正職が魔女!? ……性別女性って、はあぁ!? なんだよこれ!」
激昂するオーリアスの肩を軽く抑え、オルテンシアがスキルを発動する。
「『解呪』、『探知』」
ほのかな光が降りかかってくるが、身体に変化は訪れなかった。
嫌な予感に恐々とオルテンシアを見つめると、軽く肩を竦め、特殊スキル持ちの教師は首を振った。
「ダメみたいね」
「ダメって……え?」
「どうにもならないわ」
あっさりと断言され、唖然とする。解呪のスキルで治らないなら、どうすれば元に戻れるのだ。
「どうにもならないってどういうことだよ。おれは、さっさと元に戻りたい」
「だから、どうにもならないのよ……冗談で言ってるんじゃないの。いい? 私のスキルじゃ元に戻らないということは、それは呪いではないということ。探知にも反応がないということは、魔法でもないということ」
「……つまり」
「だから言ったでしょ。どうにもならない。元に戻す方法がわからない。現時点じゃお手上げよ」
やけくそじみた勢いで両手を振り上げたオルテンシアに、慌てて声を上げた。お手上げの一言で流されては困るのだ。
「こういう不測の事態に対処するためにここにいるんだろ?!」
「今から学園長に会いに行きましょう」
「ちょっとまってくれよ、おれ」
ぶわ、と不意に高まる不安感に拳を握り締める。
「とにかく、私の手に負えないの」
「それでも救護担当なのかよ!?」
「解呪で治らないなら、私にはどうしようもないわよ。それに、男から女になるくらい、40年間ヌメリトカゲで過ごすよりはマシでしょう」
「おかしいだろ、たとえが! 全然ぴんとこねぇ!」
「いるのよ、あたしの知り合いに。精霊を怒らせて40年間ヌメリトカゲにされてたすっとこどっこいが」
「知るか! そんなアホどうでもいい! なぁ、なんとかしてくれよ!」
「だから、無理なの! 治せない戻せない理解できない! とにかく学園長のところに行くっていってるでしょ! いいから来い!」
東方のお面『ハンニャ』のような顔で「今すぐ、駆け足!」と叫ばれたオーリアスは、呆然とオルテンシアに引きずられるようにして救護室を出た。
掴まれている腕が痛い。元に戻れないという現実も、ジョブが剣士でなくなってしまったことも、上手く飲み込めない。
ただ、前を行くオルテンシアのただならぬ雰囲気に、泣きたくなったのは確かだった。