17、レース、花柄、あるいは縞々
気持ちのいい青空の下、表通りの賑やかなざわめきを過ぎ、裏通りを進んでいく。
裏通りといっても怪しげな通りではない。静かな空気の中に品のいい、こじんまりした店が立ち並んでいる。
閑静なその通りを二人の少女が歩いていた。
並んで歩く二人の少女は一人は楽しげで、一人は今にも崖から飛び降りそうな顔をしている。
金髪の小柄な白いローブを着ているのがマリエル、頭からつま先まで黒尽くめの背の高いのがオーリアス。
二人ともラビュリントス王国、ヒュプノ山の中腹にある、ラビュリントス迷宮学園の生徒で、先日、実習中にオーガに襲われるという恐怖体験をしたばかりの一年生だ。
今日はとある理由によって、二人で麓の町へ降りてきていた。
「はい、着きましたよ、ここです、ってもう! そんな顔することないじゃないですか」
「……マリエルにはわからない……」
地獄に落とされる罪人のような気分のオーリアスの前で、容赦なくマリエルの手が瀟洒な取っ手を掴み、扉を開く。
「いらっしゃいませ」
やわらかい女性の声が二人を出迎え、一歩中に入れば、そこは様々な淡い色合いで溢れた特別な空間。
「今日はどのようなものをお探しでしょうか」
「ええと、この子が普段使うものが欲しいんです。激しく動いても大丈夫なものを」
「わかりました。サイズはお分かりですか?」
「いえ、ちゃんと測ったことがなくて……オーリ、何してるんですか」
無言で天井を見上げていたオーリアスは、自分抜きでどんどん進んでいく話に、いまさらながら、どうしてこんなことになったんだろうと昨日の記憶を思い返した。
事の発端は昨日の夕方。
思念操作という、難しい行為を長時間続けていたことによる疲労から目を覚ましたオーリアスは言われたとおり、担任のルーヴの元へ向かった。
教員室ではあれこれ質問もされたが、答えられることは殆どなかった。突然オーガが現れたとしか言いようがない。それはルーヴの方でもわかっていたらしく、質問は形式的ですぐ終わり、その後、世間話のような会話が続いた。
着替えさせてくれたのは誰なのかと気まずい思いを堪えながら質問すると、ぽん、と慰めるように肩を叩かれる。
「大丈夫だ、安心しろ。オルテンシアは怪我の治療にあたってたんで、着替えさせたのはリュシーだ。間違ってもフレイアじゃないから安心してくれ」
おまえの貞操は守られた、と遠い目をするルーヴにそれ以上何も言えなくなったオーリアスは、よくわからないがこの担任も苦労しているんだな、と少々の同情を抱きながら、退室しようとぺこりと頭を下げた。
リュシーは確か、2年担当の先生で、片眼鏡をかけた真面目そうな女性だったはずだ。話したことも一度もない女性に色々見られたのかと思うと気が遠くなったが、逆に顔見知りだったらもっと気まずかったはずなので、まだマシだったのかもしれない。というか、フレイアってどんな先生だったか思い出せない。名前からして女性なのは間違いないが。
「あっ!? そうだ、忘れるところだった……危ねぇ!」
部屋を出ようとした瞬間、ルーヴが叫んだ。
「オーリアス」
「はい?」
「悪いんだけどな、この後フレイアのところへ行ってくれ。どうしても言いたいこと、っつうか確認したいことがあるんだと」
「はぁ、いいですけど。フレイア先生って、どんな先生でしたっけ」
その瞬間のルーヴの眼差しを、オーリアスははっきり思い出せる。あらゆる慰めと励ましを込めた、一種、崇高な視線だった。
「そうか……おまえ、フレイアを知らなかったか……大丈夫だ。あいつだってそこまで常識知らずじゃない、はずだ……多分、たぶんな……」
否が応にも不安をかき立てられる言葉に背中を押されるようにして、指示された武道場に向かう。
一体なんなのかと武道場に行ったオーリアスを待ち構えていたのは、麗しい銀髪の女性と、その周囲を取り巻く女生徒の集団だった。皆きちんと動きやすい格好をしている。だが、一斉に向けられた視線には若干の敵意と値踏みするような色があった。
「あの、一年のオーリアス・ロンドです。フレイア先生に呼ばれてきたんですが」
「いらっしゃい。私がフレイアよ。2年生の杖術を担当しているの」
ああ、それで呼ばれたのか、とこの時オーリアスは思った。撲殺魔女だなんだと呼ばれているオーリアスに、杖の使い方のことで何か思うところがあるのだろうと。
「昨日はリュシーに邪魔をされて、いいところで部屋を出るはめになったし……来てくれて嬉しいわ」
「はぁ……」
にこやかなフレイアに何か不穏なものを感じないではなかった。しかし、まさかそんなことになるとは全く思わなかったのだ。
「あなた、普段下着はどんなものを着けているのかしら?」
「……は?」
「昨日、服の上からしか見ていないけれど、少し形が不自然だったわ。もしかして会わない下着を着けているんじゃなくて?」
この人は一体何を言っているんだろう。
セクハラだとか、そんなことは思わなかった。ただひたすら、ぽかんとしているオーリアスに、そっとフレイアが寄り添う。
「さ、教えてちょうだい?」
煙るような灰色の瞳に見つめられ、呆然としたまま呟いた。
「サラシ、ですけど」
「サラシ? サラシですって? ……いいえ、悪くない、悪くないわね。それもアリだわ……でも」
上から下まで嘗め回すように見つめられ、さすがに我に返ったオーリアスが聞き返そうとした時、フレイアが断言した。
「いいかしら、オーリアス・ロンド。あなたは明日麓に降りて、新しい杖と下着を買ってくるのよ。特に下着を」
「はあ?! 杖はわかるけど、し、下着は」
「上半身用の下着よ。絶対に買いなさい。杖は昨日見た感じ、もうあなたの力と釣り合っていないから新調なさい」
「杖はいいけど! なんでそんなもの買わなきゃならないんですか!? サラシで十分っ」
「戦闘中の動きを制限する可能性があるからよ」
「そんな……」
獲物を前にした蜘蛛のような目つきでフレイアが叫ぶ。
「正しい動きは正しい下着をつけてこそ!」
『正しい動きは正しい下着をつけてこそ!』
そして一斉に唱和する女生徒たち。
そんな馬鹿な。
喉元まででかかった言葉は、喉の奥に逆流した。
言ってることが、何かおかしい。おかしいが、カッと目を見開いたフレイアの妙な迫力がそれを口にすることを許さない。遠巻きにうっとりした目でフレイアを見ている上級生たちも怖い。
「いいこと? もしも新しいサラシなんか買ってきた日には」
儚げな美しい顔なのに、その時のフレイアの顔は獲物を前に包丁を研ぐ鬼婆のように見えた、と後にオーリアスは語った。
「そうね、一人では勝手がわからないでしょうから、あなたのパーティの……マリーウェルだったかしら? 彼女についていってもらいなさい」
「えっ!?」
「気心のしれた相手の方がいいでしょう。あら……それとも私が付き添ったほうがいいかしら? ふふっ、私は全然構わなくてよ」
理解しがたいプレッシャーをかけてくる女性の集団に見送られながら、ふらふらと武道場を出たオーリアスは、ルーヴの視線の意味を知った。哀れまれるわけだ。オーガという恐怖体験の後にフレイアという恐怖体験。誰か替わってほしい。
そして、さんざん悩んだ挙句、脳裏に焼きついたフレイアの視線に負けた。
とぼとぼと校舎に戻りのろのろと歩き回った末、マリエルを見つけ、物陰に引っ張り込む。
「ど、どうしたんですか、オーリ? 顔色が悪いですよ、もう休んだ方が」
さっき目が覚めたばかりのオーリアスを気遣うマリエルに、撲殺魔女は俯いた。
一体どうしてこんなことになったのだろう。さっぱりわからない。何か悪いことでもしたのだろうか。がんばってオーガの足止めをしたのに、ちっとも報われない。別に報われたいからがんばったわけではないが、これはひどくないか。
「……を」
「え? ごめんなさい、よく聞こえなくって。もう一度お願いします」
悪気はなかった。聞き取れなかったから聞き返したマリエルに悪気はなかったのだ。
だが、震えていたオーリアスはそれこそ、血を吐くような思いで吐き出した。
「下着を買いに行くのにつきあってくれ……!」
撲殺魔女、心の底からの悲しみの叫び。
そして現在、二人は町で人気の下着屋さんの店内にいるのである。