16、焼け野の後には花が咲く
ぼんやりと目を開けると、見覚えのない天井が視界に広がった。
薬草を煎じたような独特の匂いが薄く漂う、小さな部屋。正面に扉があって、自分が横たわっている寝台と小さな椅子が一つ、上には手提げが置いてある。枕元にちょっとした机があって、その上に水差しとコップ。
いまいち状況がはっきりしないまま、水が飲みたい、と思って身体を起こすと、つきん、と軽い痛みが額の奥に走る。その痛みは一瞬で、すぐに消えた。
起き上がって、寝台の両側にマリエルとグレゴリーがそれぞれ凭れて、目を閉じていることに気がついた。これは、もしかして随分心配をかけたのかもしれない。
そっと水差しからコップに水を注ぎ、生ぬるいそれを一口飲み込んでほっとする。
これはつまり、無事に戻ってきたということでいいのだろうか。
つらつらと記憶を辿ってみると、どうやってもあの気色悪い雨に打たれたところ以降の記憶が無いので、多分、そうなのだろう。
それにしても、いきなりオーガが目の前で真っ二つになるところで記憶が途切れるなんて、ちょっとひどい。どうせならその前に意識を失いたかった。そうすればあんなもの見なくてすんだものを。
あの悪夢のような光景を作り出したのが助けに来た教師の誰かだとすれば、やはりあのオーガは実習のために迷宮内に放たれたものではないということになる。
一体どうしてあんなことになったのか、気にならないといえば嘘だが、今はどうでもよかった。だるいし、いまいち頭が働かないので、考えないことにする。
それよりも、何よりも切実な問題が今ここに。
「なんでだ……」
結っていた髪が解かれて背中に流れているのはいい。寝台に寝かせるなら当たり前だ。
着替えさせられていることについてもいい。いくら『浄化』したとしても、眠るには適さない格好なので、それについてはよしとする。
だが、がっちり巻きつけていたはずのサラシが無いのはなぜだ。
見下ろすと、やわらかくて着心地のいい寝巻きの生地越しに、小山がこれでもかと自己主張している。
誰かサラシをくれ。全力で巻くから。板になるまで押さえつけてやるから。
こんなモノを出して人前になんて出られるわけがない。目立つのだ。生地が薄いだけにこう、存在とか、先端部分とか。
抑えないと揺れるし、走ると痛いし、寝返り打つとむにってするし、なんでこんなムダに大きいんだ、ちくしょう。
問題は、サラシが解かれているということはつまり、誰かに見られたということで。
それはないんじゃないだろうか。寝ている相手の下着を剥ぎ取るなんて、そんなこと許されるのか。たとえ善意だとしても許しがたい。
男の胸板ならさらけ出してもなんら恥ずかしくないが、コレは、今のこの状態は出したらダメだろう。見られていいもんじゃないはずだ、絶対。
やり場のない恥ずかしさと悔しさに歯噛みする。
だが、この恥ずかしさは男の面子としての恥ずかしさなのだろうか。それとも、女としての羞恥心なのだろうか。
最近ふとした拍子に違和感を覚えることが時々あって、怖くなる。この身体になってもう一月を過ぎ、慣れたくないが、慣れてきているのも確かだった。
見たくないし考えたくないので、黙って布団を手繰り寄せる。
その拍子に、マリエルが小さく呻いた。
起こしてしまったかとそっと顔を上げたが、むずかっただけらしい。
いっそ二人を起こせばいいのかもしれないが、なんとなく、そんな気になれなかった。自分の寝顔を見せるのはあまり好きではないけれど、誰かの寝顔を見るのは悪くない。
「無茶するよなぁ……」
思わずこぼれた呟きに、それはお前もだと突っ込む相手はいなかったので、オーリアスは存分に自分を棚上げして二人の寝顔を眺めた。
僧侶がオーガに片手剣で突っ込んでいくなんて、誰かに話しても笑われるだけだろう。絶対冗談だと思われる。アレはきっと加護のせいではなくて、マリエルの性格というか、嗜好というかなんというか。
あの時のマリエルの顔を見ていたら、ある意味オーガよりも怖かったかもしれない。夢に見そうだ。
見なくてよかった。怒らせないようにしよう、と金色の小さな頭に思う。
反対側ですぴすぴ言いながら寝ているグレゴリーは、時折、尻尾を動かしていた。悪夢を見ている様子はないので、何かいい夢を見ているらしい。
ある意味、一番無茶してがんばったのはグレゴリーだろう。
『誰でもできることが誰よりもがんばらないとできない人もいる、ってことを忘れちゃだめだよ』
叔母の顔と言葉がふと思い浮かぶ。
盾士になって、確かにグレゴリーは変わった。戦闘にだって参加できるし、オーリアスとマリエルの前に出る事だって出来るようになった。
それでも、ゴブリン一匹に大騒ぎして、ぶるぶる震えていた怖がりが、あのオーガの前に戻ってくる為には、オーリアスよりも、マリエルよりも、あの階にいた誰よりも勇気を振り絞らなければならなかったはずだ。
もしかしたら、結構すごい奴なのかもしれない。寝顔は、狼どころか犬っぽかったが。
むにゃむにゃと何事か呟いたマリエルが、重たげにぼんやりと頭を上げた。
「……オーリ!?」
「うわっ!?」
「ワウっ!?」
がばりと飛びつかれ、寝台に倒れこんだオーリアスの上にマリエルが飛び乗ってくる。グレゴリーはびっくりして目が覚めたらしい。
「ああ、よかった!」
マリエルは確かに小柄だが、人間である以上それなりに重量がある。胸の上にどしんと乗られて、ぐえっとなった。あと、押し潰された胸がちょっと痛い。
「ま、マリエル、重い」
「ご、ごめんなさい」
マリエルが慌てて退くと、じっとオーリアスの顔を見つめて、深々と息を吐き出した。
「よかった……丸一日寝てたんですよ。いくらそのうち目が覚めるって言われても心配で」
「オーリ、ズット寝テタ」
「丸一日!?」
二人揃ってこっくり頷かれて、驚く。
「精神力と魔力の使いすぎだってオルテンシア先生が」
「二人は大丈夫だったのか?」
二人とも、骨の二本や三本、折れていたはずだ。
「はい。わたしたちもわりとひどい怪我だったみたいで、隣の部屋に運ばれて寝てたんです」
寝ている間に治癒されたのでよく覚えてないんですけど、と二人は顔を見合わせて笑う。
教師たちには、逃げていた連中が色々説明してくれたらしい。
「コーネリアたちもダニールくんたちも、オーリのおかげで逃げ切れたって。後でお礼に来るそうです」
「あー……全員無事だったか?」
「はい。あ、着替えたらルーヴ先生のところに行ってくださいね。詳しい話を聞きたいそうですから」
「了解」
「わたしたちも根掘り葉掘り聞かれたんですよ、オーリが寝てる間に」
ふと沈黙が落ち、三人の視線が絡み合う。
「あの時」
気がつけばぽつりと口から言葉がこぼれていた。
「二人が戻ってきてくれて嬉しかった。二人が無事で、よかった……」
言ってしまってから、ひどく恥ずかしいことを言ったような気がしてがしがし頭をかき回すと、勢いよくマリエルが飛びついてきた。
「オーリ!」
グレゴリーの尻尾がぶんぶん揺れている。
ぎゅっと抱きしめられて、恥ずかしいような、いたたまれないような気分になった。女の子とこんなに密着したのは初めてだ。この身体なので、マリエルにとっては男だと思われていないのだとは思うが。
「ふふふ、嬉しいです。三人でパーティですもんね」
「ワウ!」
そういえば、というようにグレゴリーが椅子から手提げを取り上げる。
「あ、そうそう、これオーリのです」
「着替エ、渡サレタ」
手提げの中に入っていたのは元々自分が着ていた服で、安心した。ただ、このまま着るわけにはいかないのが問題だ。
「ところで、オーリ」
マリエルが上目遣いにそっと、腹の辺りににわだかまっていた掛け布団を胸元に引き上げる。
はっとして慌てて布団を抱えると、ちらりとグレゴリーの方に視線をやったマリエルが、耳元に唇を寄せて呟いた。
「その……オーリって、あれですね、なんというか」
「な、何だよ」
「……胸、おっきいなーと思ってましたけど、実は、すっごいおっきいんですね」
ぶわ、と顔が一気に熱くなる。
「な、な……」
ぎくしゃくとグレゴリーの方に視線をやると、いつのまにやら礼儀正しく耳を塞いで、後ろを向いている。
「……もう、なんでもいいから、誰かおれにサラシをくれ……」
鬱々と布団の中に潜り込みながら、少し笑った。
生き残ったのだ。
その実感が、やっと湧いてきた。
明日からはまた、いつのまにか当たり前になってしまった、三人でこつこつ迷宮に潜る日々が始まるのだ。
それが、なんだか嬉しかった。