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学園迷宮で会いましょう  作者: 夜行
第1章
17/109

15、大鬼始末





 スキル発動と同時に、魔力で編まれた縄が光る蛇のように宙を滑っていく。

 この時ばかりは、魔女というジョブに、『巧みな縄(バインド)』というスキルに感謝した。

 剣士だったなら、あっさり追いつかれて、恐らく何もできないままに死んでいたはずだ。それとも一太刀くらいは浴びせることができただろうか。


 異形。

 まさしく異形だった。


 コーネリアたちがあれだけ怯えるのも無理はない。

 初めて目にした大鬼(オーガ)は、ぞっとするような威圧感をオーリアスに与えた。

 天井に頭を擦らせながら前進してくるその姿は、いかにも魔物らしい矮子鬼(ゴブリン)や、二つ目玉(アイズ)、ちょっとした愛嬌さえある動く茸なんかとは全く違う。人型でありながら、人では有り得ないおぞましさを全身から溢れさせている、肉の塊だ。


 ねじくれた角の生えた額の下、殺意と狂気に光る眼と視線を合わせてしまったオーリアスは、今すぐこのおぞましく恐ろしい存在の前から逃げ出したいという衝動をなんとかねじ伏せる為に、へし折らんばかりに杖を握り締めた。

 地響きを立てて迫り来る大鬼の威圧感に、勝手に震える身体に歯を食いしばり、宙を飛ぶ縄を操作する。

 ずん、と腹に響く音を立ててこちらに一歩踏み出したオーガに後じさりそうになるのを必死に耐え、ぐっと魔力を注ぎむ。オーガとの距離は、もう10セムくらいしかない。


 このスキルを使うと通常なら自動的に例の形に縛り上げてしまうが、今それをしたら、縄がとんでもない長さになってしまう。その上でこの大鬼を抑えておくだけの魔力は、オーリアスには無い。

 その上、ただでさえ、使いこなしているとは言えないスキル、難易度の高い思念操作であることもあって、長時間は保たないだろう。


 一瞬の思考の合間に、縄がオーガの首に絡みつく。巨体に纏わりつく縄はまるで紐のように見えた。


 オーガの巨大な身体と、歪な腕。

 その身体とさえ釣り合わないほど大きい右腕に対して、左腕はあまりにも小さい。

 その大きすぎる右腕が、伸びてくる。

 全体での突進力はかなりのものだが、発達しすぎた腕の動きはさほど早くない。


「ガアッ!?」


 目前まで迫っていた巨大な腕が、びくりと震え、ゆっくりと引き戻されていく。


 全身を拘束することは出来ない。

 だったら、一箇所に絞ればいい。

 急所の首を、締め上げろ。

 全身を拘束するのではなく、一点集中して。


 殺す。


 オーガが咆哮し、縄から逃れようと身を捩る。全身を打つようなその咆哮にびりびりと鼓膜が痺れた。丸太のように太い指が、縄を引きちぎろうと己の喉を掻き毟る。


「ぐっ……!?」


 冗談のようだが、今の抵抗だけで魔力を半分以上持っていかれた。

 あわよくば絞め殺せるかもしれないと思ったが、無理だと悟る。とてもそこまでの魔力が無い。  

 こうして足止めしているだけで精一杯だ。

 道具袋に片手を突っ込み、初級魔力回復薬を取り出して中身を適当に浴びる。

 頬に流れた一滴がその途中で蒸発するように消え、魔力が戻ったかと思うと、縄に喉を締め上げられたオーガが身を捩るたび、削られる。


 ぎりぎりの綱引きに似たその攻防は、元々数の少ない魔力回復薬が尽きたことによって、オーガの方に傾いた。


「……っくそぉっ……!!」


 魔力で編まれた縄に、細かな皹が入り始める。このままではいくらも保たない。

 杖を握り締め、最後の魔力を注ぎ込む。ずきん、と額の奥がひどく痛んだ。


「オーリぃっ!」


 その時、叫び声と忙しない足音が後ろから近づいてきた。

 ぱしゃん。

 小さな水音と同時に、魔力が戻ってくる。


「ま、魔力回復薬っ、あるだけ毟ってきました!」


 あの子達、けっこう持ってましたよ、とぜいぜい息を切らしながら、駆け寄ってきたマリエルが次の小瓶を開ける。


「一人で頑張ろうとか、そういうとこ、男の子ですね、オーリ」

「……おれ、はっ、男だっ……!」


 乾ききった喉に声が掠れる。それでも何とか右に並んだ白いローブに言い返せば、左にのっそりとグレゴリーが並んだ。ゴブリンにさえ手玉に取られていたほど怖がりのくせに、なんで戻ってきたと見上げれば、その灰色の毛皮に覆われた身体は見てわかるほどに震えている。


「グレゴリー……! 無理、するな!」


 オーガが咆哮して、ずん、とこちらに踏み出してくる。さすがに急所を締め上げられれば苦しいようだが、かえって殺意を煽ってしまったようだった。こちらにこれ以上の強さでの絞め上げができないと理解したらしく、直接オーリアスを排除するつもりらしい。

 がしゃん、とグレゴリーが盾を持ち、二人の前へ出た。


「おいっ!」

「……オレ、二人、守ル……! オレハ、勇敢ナアトルム氏族ノ長、グレゴノ子!」


 ふーっ、ふーっ、と荒い呼気の合間に、自分に言い聞かせるように言い放ったグレゴリーが、盾を構え、吠えた。

 爛々と殺意に光るオーガの目がこちらを向き、再び伸ばされた腕にグレゴリーが突進する。

 真正面から、と血の気の引いたオーリアスの前で、獣人特有の俊敏さで腕の横に回りこんだ盾士が、側面から盾ごと突っ込んだ。あの異様に大きな金属盾と、膂力に優れる獣人だからできる芸当だ。


「グガァァ!?」


 轟音と同時にオーガの腕が通路の壁に叩きつけられる。


「これ、入れときますね」


 オーリアスの道具袋に、あるだけの魔力回復薬をつっこんだマリエルが、前に出た。

 まさか戦うつもりなのかとぎょっとする。いくら加護つきとはいえ、マリエルは僧侶なのだ。オーガを相手に近接で戦うなんて正気ではない。


「わたし」


 マリエルの小さな背中は、雄弁だった。

 たぶん、いまその唇の端は吊り上っている。ぺろりとピンク色の唇を舌先が舐め、緑色の目がぎらぎらとオーガを見つめているはずだ。


「強い敵と戦えるのが、嬉しいみたいで」


 敵わないのわかってるんですけど、とやさしい口調で囁いた僧侶が、片手剣を構え、す、と姿勢を低くする。


「きっと、加護のせいですね」

「……単なる、性格だと思うぞ……!」 


 オーガが腕を引き戻そうと吼えるが、グレゴリーが死に物狂いで押さえつけているせいで思うように動かせない。

 とん、と軽く地面を蹴りだしたマリエルが、その隙に一気に速度を上げ、伸びきった腕の上を駆け抜けた。

 縫うようにしてオーガの肩上に駆け上がると剣を逆立て、一気に飛び上がる。


「ああああっ!」


 一撃を狙うなら最も弱く、防御できない部位である眼球。


 そう、グレゴリーと連携を決めていた動きだった。

 せめてもの補佐にオーガの首に絡みつく縄を締め上げ、動きを制限する。その度にオーガが身を捩るが、マリエルが毟りとってきた魔力回復薬を次から次へと使うことでなんとか張り合う。


 オーガの殺意に満ちた眼球に剣先が食い込むかのように見えた瞬間。

 歪な左腕が、右腕とは全く違う速さで飛び上がったマリエルを払いのけた。


「マリエルッ!」


 払い飛ばされたマリエルが、オーリアスの横を飛んで転がった。

 反射的に振り返りそうになるのを必死に耐える。今オーガから視線を逸らしたら、拘束が解けてしまう。


「……う、ぐッ……!」


 頭の中が、鼓動と同じ拍動で痛んだ。焼け付くようなその痛みに視界が揺れる。

 瓦礫の崩れるような音がして、グレゴリーが押さえ込んでいたオーガの腕が浮き上がる。


「グレゴっ……!?」


 押さえ込む役割を果たしていたグレゴリーが、反対側の壁にそのまま叩きつけられた。

 通路に飛び散る壁の成れの果て、ひしゃげた金属盾と、投げ出された手足。


「マリエルっ! グレゴリー!」


 オーガの目が、一人立ち尽くすオーリアスに向けられる。

 頭の痛みはどんどん激しさを増していた。だが、今意識を失うことはできない。このまま、できるだけ長い間『巧みな縄(バインド)』を行使し続ける、それだけが今できることであり、やらなければいけない事だった。


「グオオアァ!」

「グレゴリー!?」


 壁に叩きつけられ、横たわっていたはずのグレゴリーが天に向かって咆哮した。

 みしみしとグレゴリーの上半身が盛り上がり、顔つきが変わる。唸りながら牙を向き、獣の仕草で起き上がる。

 普段は薄黄色の瞳が赤い。


「『狂化(バーサーク)』……!?」


 繋がった。

 どうして意識がない状態で放置されても無事に迷宮から戻ってくることが出来るのか。


 特殊スキル『狂化』は、ジョブにつくことで得られるスキルではない。何が発現条件なのかははっきりしていないが、死にかけたり、精神的に追い詰められることで発現しやすいと言われている。

 発動条件は死に瀕すること。

 熟練の『狂化』使いには、自分の意思で狂化することができる者もいるという。


 だが、グレゴリーの『狂化』は、今得られたものではないだろう。

 今まで意識が無い状態で無事に帰還できているのがその証拠だ。

 催眠状態のままこつこつ体力を削られ、一定以下になると『狂化』が発動。周囲の敵を一掃して、そして正気に戻るのだろう。

 ステータスカードに記載がなかったのは、一定の条件を満たさなければ発動しないスキルだからか、狂化していることを意識できていなかったせいか。


 牙をむき出したグレゴリーが手のひらを床につけ、四足で走り出した。獣人と獣は違う。だが、今のグレゴリーは動きも体つきも獣そのものだった。

 俊敏に飛び回り、噛みついては飛びのく。その度に、オーガの腕からはわずかな体液が飛び散る。

 だが、それだけだ。

 いくらグレゴリーが強靭な獣人でも、狂化していても、オーガには勝てない。グレゴリーがもっと上のレベルだったらそれも有り得た。自身の能力を倍化させるこのスキルなら、オーガの喉笛に食らいつくことだってできただろう。

 けれど、今の自分たちのような初心者に毛の生えた程度の力では、オーガの肉体を貫くほどの攻撃力はどうやってもないのだ。基本の能力値が違いすぎる。このままではどうすることも出来ないまま、グレゴリーの体力が尽きてしまう。


 がんがんと鳴り響くように頭の中で激痛が踊る。

 目を開けて立っているのがやっとだ。


 何か。

 何かできないのか、何か!


 発狂しそうになったオーリアスの目の前で、オーガの動きが止まった。

 その巨体の真ん中に、すっと黒い筋が現れる。

 その線は、頭頂から額へ、額から首へ、首から胸、腹、股下へと真っ直ぐに伸びていた。


 ぷつり、と注ぎ込んでいた魔力の道が途切れる。搾り出すようにして注ぎ込んでいた魔力が行き場を失い、頼りなく流れ出す。


「……な、に……」


 スキルを『切断』されたのだと気づいた瞬間。


 オーガの巨体が二つに割れた。

 縦真っ二つの巨大な肉片となって、崩れ落ちる。

 地響きと同時に大量の体液が飛び散り、腐臭に似た匂いが瓦礫だらけの通路に充満した。


 霞む視界に、マリエルに結い直された髪に、顔に、生暖かい液体が雨のように降りかかる。


 悪夢のような光景と同時に、オーリアスは気を失った。



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