14、大鬼
飛び出した大鬼という言葉に、その場にいた全員の顔色が変わった。
「冗談だろ!? そ、そんなの実習の域を越えてる!」
レニーの叫びは最もで、オーガが1体現れれば、中堅の冒険者がすくなくとも3人はパーティを組んで討伐がなされる。とてもこんな冒険者になってすらいない学園生の実習に出てくるような魔物ではない。
「ま、まさか……なんで学園迷宮にオーガが出るんだよ」
顔を引き攣らせながらダニールが呟く。
「嘘じゃないわよ! あ、あんなの、あんなの間違うわけないじゃない!」
「早く逃げないと」
「コーネリア、もう大丈夫!?」
マリエルに治癒されていたコーネリアが、青褪めた顔で頷いた。
「オーリ」
マリエルとグレゴリーの視線を受けて、誰がリーダーと決めたわけでもないのに、選択する場面で解答を求められるのはなんでだ、と意識の端で思う。震えているコーネリアの肩を叩いて周囲を見渡すと、マリエルの友人らしい少女たちは完全に怯えているし、ダニールたちは女子生徒の手前、なんとか平然としてみせているようだが、顔色は冴えない。
オーリアス自身もオーガを相手になんとかできるとはこれっぽっちも思っていないのだが、まだこの中ではマシなようだ。
「そ、そうだ! クリスタルを使えばいい!」
叫んだダニールが自分のメンバーと顔を見合わせ、当然の選択を口にする。しかし、一斉に泣き声が返って来た。
「使ったの! 使ったけど、ダメなの! 発動しないの!」
「普段使ってるクリスタルも使ったんです……!」
冗談だろ、と返したダニールたちの顔色が変わる。
オーリアスもさすがに焦りを覚えた。道具袋を探り、クリスタルを取り出す。
もし、帰還できないというなら、これは本当に非常事態だ。
今のやりとりで泣きはじめたコーネリアの肩を抱いているマリエルが、縋るようにオーリアスを見上げてくる。ついでにグレゴリーまで助けを求めるような顔をしているので、その鼻っ面を軽く叩く。
「おれが使う」
立ち尽くしている連中に近くに寄るように促し、自分の分のクリスタルを発動させる。
だが、転移の光が広がったかと思えば、それはすぐに弾けるように霧散した。
どうやら本当に、帰還ができないようだ。
「オーガはどっちから来た?!」
「あ、あ……わ、わからないわ」
「パニックになって、自動地図を見る余裕もなくて……」
突然現れたオーガに恐慌に陥り、とにかくめちゃくちゃに逃げ出したという四人に思わず舌打ちする。
恐らく、これは実習ではないだろう。ここまで、少し梃子摺ることはあっても、ちゃんと戦えばなんとかなる程度の魔物ばかりだった。生徒たちが多少苦戦しつつもクリアできる、もしくは成長を確かめられる程度でなければ実習にならないのだから当たり前だ。そこにオーガという明らかにレベルの違う魔物が突然出てくるなんて、常軌を逸している。その上、脱出クリスタルが使えない。
だとしたら、これは事故の可能性が高い。有り得ないはずの、想定外の事態。
ならば教師たちが救出に来るはずなのだ。来ない可能性もあるが、そんなことは今は考えなくていい。
助けが来るまで逃げ続ける、それしかない。
だがどこへ逃げるべきなのか。追い詰められて、逃げ場がなくなることが何よりもまずい。
9階に行くべきか、それとも7階にいくべきなのか。
オーリアスたちはこの階をくまなく探索する前なので、次の9階への転移陣がどこにあるか知らない。わかっているのは7階に通じる通路だが、悪いことにこの階は複雑な迷路状になっている。戻るにしても時間がかかるし、7階に戻ったとしても、そこにオーガがいないという保障がないのだ。
それは9階に行ったとしても同じ事。
できるなら、オーガの後ろをついていくような形に持ち込めればいいのだが。
「おまえらの地図を見せろ」
「ち、地図?」
「こっちと合わせて逃走経路を確認するんだよ」
気の強そうなエイレンが何とか地図を取り出す。
「おれらのも必要だろ」
案外気が利くらしいダニールがさっと差し出した分とオーリアスたちの分、3枚合わせればほぼ、この階の地図は埋まった。
「さっきおまえら、あの分かれ道の左から来たな」
「9階にいくならそちらへ行かなければなりませんね」
「7階二、戻ル」
「ああ、もしかしたら、迷宮内の転移陣も使えないかもしれない。もし7階に行けなかったら」
「い、行けなかったら?」
ずん、と音が響いた。かすかなその音が、近づいてくる。
「ひっ!?」
「いいか、絶対に袋小路に入るわけにはいかない。できればオーガを追いかける形でぐるぐる回るのが理想だ。誰か地図系のスキルは持ってないか」
その質問には、全員が顔を見合わせながらそろそろと首を振る。
迷わず逃げ続けるためには、マッピングに関係するスキルが欲しかったが仕方ない。
「あの」
小さく声を上げたのは、ダニール組の一人、イライジャだった。
「オレ、今見た地図、全部覚えたよ」
「えっ!?」
「今見ただけでですか?」
「こういうの、得意なんだ」
「おまえに先導まかせていいか?」
先導をまかせるということは、ここにいる全員の命を預けるのと同じに等しい。
青褪めながらも頷いたイライジャの背中を小突き、ダニールが声を上げた。
「行くぞ! はぐれないようにメンバー確認しながらだ!」
「おれが一番後ろにつく。マリエル、グレゴリー、前に行けよ」
小走りに駆け出した集団について走りながら促すと、マリエルが唇を尖らせ、グレゴリーが気弱げに鼻を鳴らした。
「パーティなんだからそういうのナシですよ」
「……オレ、オレ、頑張ル。パーティ、ダ!」
「グレゴリー、尻尾縮まってるぞ」
「ワウ!?」
「うふふ、怖いのは仕方ないですよね」
空元気でも三人で笑い会うと、少しは緊張がほぐれる。それでやっと、自分の顔が強張っていたことに気がついた。
だが、地響きに似た音はどんどん近づいてきている。
三人が最後尾をまとまって走っていると、さらに後ろから悲鳴が聞こえてきた。
「うわああっ!?」
「いやっ、いやあぁっ!」
ぎょっとして振り返ると、見覚えのある四人組が必死の形相で走ってきている。
音が、ぞっとするほど近い。
どん、どん、どん、と音が聞こえる度、足の裏に振動が伝わってくる。
それだけの重量のものが走っているのだ。
「くそっ、おまえら連れてきたな……!」
滑稽なほど引き攣った顔をして、オルデンとサキアが前を走る三人を突き飛ばさんばかりに突っ込んでくるのを避け、走るのに邪魔だからと背負っていた杖を抜く。杖を握り締めた手のひらは、冷たい汗で濡れていた。
横を、青褪めたカティスが無言でちらりと視線をくれて通り過ぎる。
「な、な、何してるんだ!? 君たちもさっさと逃げたまえ!」
ひょろりとしたコルキスが悲鳴のような声で叫んだが、歯軋りして足を止める。
「バカ野朗っ! んなこと言ってる場合かどうか、見りゃわかるだろ!」
「オーリっ……!」
「2人とも先に行け!」
スキルを使うところを見られたくないなんて言っている場合ではない。
地響きと共に、巨大なものがぬうっと通路の奥から現れた。
「『巧みな縄』!」