10、実習、開始
しんと静まりかえった広間に、淡々と教師の声が響く。
「一年生の迷宮実習は毎年内容を変えて行われるが、今年の実習はわかりやすいものにした。いまから退宮時刻までの間に10階層まで行き、印をもってこい。印は10階を探索すればわかるようになっている」
ざわ、と空気が揺れた。やることはわかりやすいが、この中にはまだ10階層まで到達していないパーティだっているはずだ。それでは明らかに探索進度の速い、いわゆる成績優秀組ばかりが有利になってしまう。
「何か言いたいことがありそうだが、心配はしなくていい。現在、学園迷宮の1階から10階層までは本来の迷宮とは違った空間になっている。出現する魔物の種類、罠、宝箱、迷宮の内部の空間、何もかも別物だ」
つまり、これから潜ることになるのは新規の迷宮。
だれもその中身を知らない場所なら、情報面での有利不利はない。
淡々と説明は続き、生徒たちは納得して頷いた。
戦闘が得意なパーティがさっさと進めるとは限らない。未知の迷宮という、情報が皆無の場所で行動する場合の判断力が求められているのだ。
「万が一に備え、一人につき一つの脱出クリスタルを渡す。もし支給されたクリスタルが全部無くなってしまったら、そのパーティは脱落だ。ちなみにこのクリスタルは、普段購買で売られているものとは違う、この実習用に作成されたものなので不正はできない」
じろりとざわつく生徒たちを睨んだ説明役の教師が重々しく頷いた。
「ではパーティごとに受付に行き、クリスタルと携帯食料を受けとれ。受け取り次第、転送を開始する」
「あー、ちょっとその前にお知らせ」
説明が終了しかけた時、台上にだるそうに上がってきたのはオーリアスのクラスの担任、ルーヴだった。いつ見てもぼさぼさの髪は今日も変わらずぼさぼさだ。他の教師たちは、苦笑しながらルーヴを見ている。
「おまえら、今日までよくがんばってきたな」
笑顔のルーヴに不審の目が向けられた。基本スパルタ放任主義のこの学園では、教師と生徒の親密さは割と薄い。入学したばかりのぺーぺー学生に課される鬼のようなスパルタ式体力づくりのせいで、恨みつらみが山ほどあるのもその一因だ。
「オレたちも心を大鬼のようにして、おまえたちを鍛えてきたわけだが」
嘘つけーという野次が飛ぶ。説明役のガランドはがっちり筋肉質で強面の、いかにも凄腕冒険者風なので軽口を叩く気分にはなれないが、ひょろりとしてやる気のなさそうなルーヴには、気安い雰囲気がある。
この野次で、周囲の空気もほどよく弛緩した。
「そこで、折角の前期の締めの実習、がんばってきたおまえたちに朗報がある。この実習の成績の詳しい採点基準は秘密だが、10階層着順に楽しいご褒美を用意した」
『ご褒美』という言葉に、今までとは違ったざわめきが生まれる。
「内容は到着してのお楽しみだ。以上、お知らせ終わり。それじゃ、皆、パーティを大事に実習に励めよ」
じゃーん、と銅鑼が鳴らされるのに合わせて、歓声が上がった。
受付近くで説明を聞いていたパーティが、勢いよく受付に群がりはじめる。着順でご褒美と言われれば、少しでも早くと思うのもわからなくもないのだが。
「怪しさ満点だな」
「逆に怖いですよね」
「ゴ褒美、気二ナル」
「それは確かに」
成績の採点基準は秘密、ということは、一番に10階層到着したからといっていい成績とは限らない。それに、確かに楽しいご褒美は気になるところだが、誰にとって楽しいご褒美なのかちょっと怪しい。
その場から動かないオーリアスたちと同じことを考えた生徒たちは、のんびりと受付前の集団が散るのを待っているし、急ぐ必要はないだろう。
ただでさえ全員ほぼ後衛職なのに全員物理攻撃というわけがわからないパーティ構成なのだ。
急がず確実に進まないと、防御の薄さを破られてあっという間にクリスタルを消費することになってしまう。
「ところで、少し気になってるんですが、迷宮に干渉なんてできるんでしょうか」
マリエルが真面目な顔で首を傾げた。
一階層から10階層まで別物になっていると先ほど説明があったが、確かにおかしい。
「できるとしたら、創作迷宮しかない、とは思うけど」
「そんなことが出来るのはクザハ・ククだけですよ?」
「クザハ・クク、モウイナイ」
五千年前の大聖人、もしくは大悪人クザハ・クク。
大陸中の迷宮を一人で創ったとされる人物だが、クザハ・ククが擁していたらしいスキル創作迷宮については、クザハ・ククが歴史の舞台から消え、現在に至るまで誰一人として発現した者がいない。
そのせいで、迷宮は自然発生したものだという説が根強いが、大陸中に満遍なくクザハ・クク伝説が存在するせいで、やはり、各地の迷宮は創られたものだという説に落ち着いている。
「そのものとはいかなくても、準ずるようなスキルがあるのかもな」
「これって大発見だと思うんですけど、先生たちは皆当たり前みたいな顔してますね……」
一般に知られていなくても国の上層部では周知の事実なのかもしれない。ラビュリントス迷宮学園は国が運営しているし、十分有り得る。
「よし、そろそろ行くか」
大分空いてきた受付前に進むと、いつものお姉さんがにっこりしてクリスタルを三つ、それに三人分の携帯食料を渡してくれた。
「これってクリスタルをどう使うかを試されているような気がします」
一見不公平だ。
三人パーティと五人パーティでは、再挑戦の回数に差が出てしまう。
しかし、パーティ人数が多いほど再挑戦の機会が多く与えられているようにみせかけているだけで、案外そうでもないかもしれない。
五人パーティなら五回挑戦できるわけだが、そもそも五回も脱出クリスタルを使わなければならない事態なんてそうそうないはずだ。それに、使えば使うだけ、危機に陥りましたと証明していることになる。かといって出し惜しみするとこの間のオーリアスたちのように事態が悪化するわけで。
「先生、怖イ」
「性格悪いもんな」
「なんか言ったか?」
頷きながらクリスタルを道具袋にしまっていると、横からにゅっとルーヴが出てきた。
「どわっ!?」
「な、なんでもありません、先生!」
「ナンデモナイ!」
慌てて三人口を揃えて、何でもない、何でもないですと連呼すると、いい笑顔を振りまいて去っていった。
「あれだから性格悪いって言われんだよ……」
「ヤッパリ、先生怖イ」
ぶつぶつ言いながら転移陣の上に移動する。
「オレ、ガンバル。沢山、ヤッツケル!」
「気合入れていきましょう」
「やるからには脱落しないで10階まで行かないとな」
ふわりと転移陣が光を放ち始める。
広間に残っている生徒はもう少ない。
視界の端でマリエルが腰の剣に触れるのが見えた。グレゴリーはじっと自分の盾を見ている。
オーリアスも、ここ一月ですっかり馴染んだ杖をひと撫でして、浮遊感に目を閉じた。
次に目を開けた時には、迷宮の中だ。