93、聖誕祭の夜は破壊光線とプチケーキで締めくくられる
豪華な聖誕祭特別メニューが並ぶ食堂の片隅。
きらきらと眩しいほどの明かりで照らされたその場でただ一人、項垂れている男がフォークを握り締めたまま呻いていた。
「……悪かった……」
さくり。軽やかな音をたて、こんがりと食欲をそそる色目のついたパイ生地を突き崩すと、ふわりとこくのある匂いとともに熱々の湯気が上がる。パイ生地の中に詰まっていた、見るからに美味しそうなシチューには、ごろごろとあえて大きく切られた鶏肉と野菜が彩りよく、ほかほかと魅力的な白いソースの中に浮かんでいる。
その中から、たっぷりとソースを絡めた鶏肉を選ぶとフォークを突き刺し、無言でしばし待つ。
「悪かったよ……ああ、おれが悪い……」
重苦しい気配を漂わせるその一角以外では、生徒達が美味しい食事に目をきらきらさせていた。
元々聖誕祭用に飾りつけられているので、否が応にも食堂の雰囲気は華やいでいる。その上、大多数の利用者が少し前まで氷だの泡だのを運ぶ肉体労働に従事していたせいで、普段と違う遅い夕食になっている。そのせいもあり、生徒達は若干興奮気味だった。
「おいしー! すっごいおいしい……!」
「聖誕祭なめてた……!」
「おいしい。これはおいしい」
「オレ、けっこう舌肥えてるほうだけど、これは美味い」
「働いた後だから、余計に美味しいわぁ!」
「くっ、空きっ腹に美味さが染みる……!」
次から次へと聖誕祭の料理が育ち盛りのお腹へ詰め込まれていく。
香ばしくかりかりに焼けた皮付きの鶏肉、ねっとりとしたこくのある野菜を潰し、この辺りでは珍しい赤身の魚を小さく刻んだものと混ぜ合わせ調味したもの、いい匂いを振りまく豚肉を煮込んだもの、爽やかな酸味の野菜の酢漬け、さくさくのパイ生地と一緒に食べる熱々の具沢山シチュー、野菜を何種類も使って作られたまろやかな旨味のスープ、それぞれ中身の違う小さなパイは七種類もあり、荒く挽いた肉をぎっしりと詰め込んだソーセージも、食欲をそそる香辛料の匂いを立ち上らせながら、大皿の上にたっぷりと盛られているし、焼きたてのパンも、籠にぎっしりと詰められてそこかしこに置かれている。
気取らない、庶民的とさえいえそうなメニューだったが、疲れてお腹を空かせている生徒たちには、美味しくて量があって、気を使わずに食べられるものが何よりご馳走だ。
はしゃぎながらも、夢中になって夕食をがっついている生徒たちの中に、同じく、泡と氷に奮闘していた残酷物語の姿もあった。
「あの、先生……もう、冷めたと思いますけど……」
食事は文句なく美味しい。だが、すぐ傍から発されるおどろおどろしい気配のせいで、食事を純粋に楽しむことができない。見てみぬふりをしよう、と近くの生徒たちはそっと目を背けていたのだが、鶏肉を突き刺したフォークを掲げたまま、彫像のようになってしまったルーヴが視界の端に存在し続けているのに耐えられなくなったマリエル入りの殺魔女の言葉に、ごくりと息を呑んだ。
おお、なんという命知らずよ。神様、どうかお守り下さい!
生徒達の緊張をよそに、一人重苦しい気配を漂わせていたルーヴが死んだ目を向ける。
「……わかってるさ。おれが悪い。そうだ、確かに言った……言ったな、確かに」
「……ルーヴ、そんなに嫌ならわたしが代わろう。そのフォークをよこしたまえ」
結界術師には無縁の肉体労働に励んだせいで、疲労困憊といった様子のアルゴスが、生徒達の必死の視線を受けて、生贄をかってでた。
「……男に二言はない。責任は、おれにある」
ルーヴの持つフォークの先に向けられる、焼け焦げそうな熱意に溢れた視線。
その視線の大本を死んだ目で見下ろし、剣豪の教師は無言でフォークを『そこ』へと移動させた。
「確かに言ったな……後でいくらでも食べさせてやるって」
すなわち、食堂の椅子を四つほど占領して、その上に横になっている『クロロス』の口元へと。
「クロロス、耐えてくれ。またあんなことになっては、さすがに教師としての威厳が……」
無表情ながら至極満足そうにシチューの具をがっついている己の姿に、現在、テーブルの上にちょこんと乗っているスライム体であるクロロスの精神は、まさに苦行に耐える修行僧の如く、そのぷるぷるとした身体から苦悶の気配を濃厚に漂わせていた。
本人たちも辛いが、『食堂の椅子に寝転がりながら同僚にあーんしてもらっている呪術師』という存在は、生徒たちにとっては笑うよりも恐怖の対象、もしくは、見てはいけないものとして認識されたらしい。近くにいる生徒達は必死で視線を逸らし、意識の外に追い出そうと努力して、そうできずに苦しんでいるが、見ようとしなければ見えない位置にいる運のいい多数の生徒達は、あっさりとその光景をないものとして意識から弾き出し、にこやかに食事を進めている。
やけに恨みがましい目で睨まれるなと軽い気持ちでいたことがこんな事態になろうとは。
「……食べ物の恨みは恐ろしいって言うが、それは確かだな。ああ、確かだ……お前らも気をつけろよ。安請け合いするとこういう目にあうからな……」
その台詞が聞こえた生徒、及び教師の視線が、一斉に食堂の壁に向けられる。
そこには、直径30シムほどの穴が開いていて、現在板を打ち付けて簡易補修されている状態だった。
「まさかな……まさか、クロロスがあんな……」
アルゴスの疲れきった声に、スライムが震える。もうぷるぷるというより、ぶるぶると表現した方がいい揺れ方だ。クロロスの受け持ち生徒である残酷物語は、尋常ならぬスライムの様子にはらはらしていた。
「せ、先生、落ち着いてください」
「テーブルカラ、落チソウデス!」
「……!」
あわあわと魔女入り僧侶と忍者入り狼族、狼族入り忍者が今にも落ちそうなスライムに慌てる。
「それにしても、先生のアレ、凄かったですねぇ」
僧侶入り魔女が最前の光景を思い出し、しみじみと呟けば、周囲の人々も同じような顔をして、スライムの精神体が収まっている呪術師の方を見た。
「呪術師って、凄いな……わかってたけど、まさか破壊光線を出せるなんて」
魔女入りの僧侶が目を輝かせて言った台詞に、少数派が同じように目をきらきらさせて頷く中、大多数は無言で食事を口に運び、スライムに至っては、もはや震えることすら放棄したらしい。スライムの剥製のように静かにテーブルの上に固まっていた。微塵も揺れていない。
『クロロス』だけは、至って満足そうにもぐもぐと美味しい料理を食べていた。食べさせているルーヴの精神はもうそろそろ磨り減って、残りが少なくなっていたが。
ことの起こりは、泡と氷に疲れきった教師と生徒たちが、遅い夕食を食べようといそいそ食堂にやってきたところから始まる。
残酷物語四人は自然と集合し、同じ席についた。ついでにスライムと本体の面倒を見るはめになっていたルーヴと、スライムと入れ替わっているクロロスを心配したアルゴスもやってきて席につき、いい匂いと暖かさにほっと息をついた時のことだった。
はしゃいだ声と、食器の触れ合う音、ひっきりなしに運び込まれる聖誕祭の特別メニュー。
きゅるきゅるとお腹も鳴り、ああ、お腹が空いた、さあご飯だと喜び勇んでいい匂いと湯気を振りまく料理に目を輝かせ、残酷物語も料理に取りかかった。
「おいしい!」
「これ、なんていう料理なんだ? 見たことない……でも美味しいな!」
オーリアスとマリエルが美味しいご飯ににこにこしている向かいでは、入れ替わり中のグレゴリーとコタローも料理を頬張って目を細めていた。身体を動かした後のご飯は、ことのほか美味しい。
そんな生徒達のすぐ横、ルーヴとアルゴスが座り、生徒達に聞かれてもかまわない程度の情報を互いに交換していた。
「原因になった生徒はまだ目が覚めていないそうだ。女性陣が今夜一晩ついているらしい」
「何事もなけりゃいいが……第一講堂が半壊したって本当か?」
「半壊、というよりは半壊しそうだというのが正しいな。一体何をどうやったらあんな……壁が半分ほどの薄さになっているそうだ。危ないので、既に立ち入り禁止になっている」
「泡も大概だと思ったが、むしろそっちの方がひどいな」
「ああ、それに目覚めない生徒のパーティメンバー二人が精神的に不安定になっているので、そちらにも教師がつくことになっている」
「この後どうせ教員連中は呼び出しかかるだろうから、今の内にゆっくり飯食っとかないとな」
気遣いに溢れるアルゴスが、ふとさきほどまで目の届くところにいたスライムを探して、辺りを見回す。
「おや、クロロスは……」
そしてそれは起こった。
二人の教師の背後の床に敷かれた毛布の上に転がされたクロロスの体、その胸元に潜り込んで、何かを引っ張り出したスライム。
ぽてっと床に滑り落ちたスライムから、かすかに硬質な音が鳴る。食堂の喧騒に紛れてその音は誰にも聞き取られることはなかったが、横たわる『クロロス』の顔の前にころころと転がったのは、小指の先程の小さな丸い物。濃紫のそれは、いつぞや盛大にばら撒かれたことのあるクロロス製の魔石だった。
何をしているのだろうと見守るアルゴスの前で、やれやれといわんばかりに一揺れしたスライムが、魔石に触れようとした瞬間。
それまでルーヴの背中に恨めしい視線を突き刺していた『クロロス』が、目の前に転がる魔石をにぱくりと食いついた。
「く、クロロスっ!? あ、ああ、クロロスというか、クロロスには今スライムが入っているわけで、なんて呼べば、いや、一体何を!」
「クロロス、おまえ明日腹壊してんじゃないか」
噴き出しそうな顔をしてスライムと横たわるクロロスを振り返っていたルーヴの顔が凍りついた。
もぐもぐと口を動かしていた『クロロス』が、ぺっと透明になった水晶を吐き出す。
「え……」
何事かと視線を送る周辺の人々が見守る中、スライム入りの『クロロス』は、ルーヴの顔をじいっと見つめた後、ぱかりと口を開けた。
「え、おまえ、それ」
しゅんしゅんと湯が湧くような音が、華やいだ食堂の片隅に響き渡る。
ぱかりと開いた呪術師の口。そこに収縮していく、恐るべき魔力。
誰もがぽかんとそれを見ていた。
そうして。
轟、と吐き出されたものは、紫色の光線となって食堂の壁をぶち抜いた。
どごっ、という破壊音と同時に、冷たい風が吹き込んでくる。
無言で壁に開いた穴を見た人々が、振り子のようにそれをなした存在に視線を戻す。
「……クロロスおまえ……とうとう、人間やめたのか……」
ぽつり、とこぼされた言葉に、固まっていたスライムが飛び跳ね、てや、と同僚兼元パーティメンバーの脛に体当たりをかました。
口から破壊光線を吐いた呪術師は、ひたすら恨めしい目つきでルーヴを睨んでいる。
「る、る、ルーヴ、きみ、に、睨まれてるぞ!?」
「お、おれかよ!? なんでおれ?! おれなにもしてな」
華やかな喧騒は無音になり、寒風が吹き込んでくる音だけが響く食堂の中、ルーヴはややあって絶叫した。
「あーっ!?」
「な、なんだ!?」
「う、嘘だろ、おい……」
愕然と恨めしげな呪術師、いや、中身がスライムなのだから、この恨めしさを全面に押し出しているのはスライム精神体ということなのだろうが、とにかく『クロロス』を見下ろして、ルーヴは思い出した。
『そんなもん、後で好きなだけ食べさせてやるから!』
確かにそう叫んだことを。
もぐもぐ、と現在満足そうにパンを頬張っている『クロロス』は、焼きたてパンをすでに五個食べおえ、六個目も半分ほど攻略ずみだ。
十年以上のつきあいである友人を餌付けするはめになったルーヴは、自分の食事もそこそこに、給餌に励むはめになっていた。
「なんだか、聖誕祭というか、やたら疲れた日というか……」
「ああ、まだ元に戻らないしなぁ。どうしよう……」
混沌とした光景から目を逸らし、ため息をつきあった魔女と僧侶だが、運び込まれてきたデザートに目を輝かせた。
マリエルは元々甘いものが好きだし、もともと嫌いではなかったオーリアスは女になって以来、以前よりもはるかに甘いものが好きになっている。
可愛らしいプチケーキが山のように盛られた皿が何枚も運び込まれると、食堂中がわっと湧いた。
「オーリ、食べましょう! 今は何もかも忘れて、食べましょう!」
「ああ! 食べよう! マリエル、何個いる? おれとってくるよ。グレゴリーとコタローもいるだろ?」
「ボクモイクヨ。グレゴリー、座ッテテ」
小柄な僧侶と狼族がとふさふさと尻尾を振りながら皿を手に立ち上がり、生徒達が群がっているケーキの山に突撃していく。
食堂の中は喧騒で満ちていて、今この瞬間だけは、確かに皆は楽しい気分で一杯だった。
クリームたっぷりのプチケーキが灯りに照られされて素敵に輝く。
お腹も一杯、甘いものを食べたら、後は眠るだけというこの至福。
美味しいご飯、美味しいデザートがあれば、皆幸せになれるのだ。
すくなくとも皆今は忘れている。
明日になれば、また氷と泡と格闘しなければならない、という現実を。
そんな聖誕祭の夜だった。




