92、もこもこくんは知っている5
「おーい、スコップもう2,3本ないかー?」
「そこ気をつけて! 泡に触らないで」
すっかり暮れた空の下、太陽の代わりとして燃え立つように光っているのは、疎らに置かれた暖房用のアイテムだ。校内から持ち出されてきたそれらのおかげで、武道場の周囲はぽかぽかと暖かく、明るい。
もっちりした密度の濃い泡を手際よく泡をスコップで掬い、大きな桶に投げ入れていたオーリアスは、火照った頬に流れる汗を拭い、ふうっと大きな息をついた。細い金髪が額に張りつき、くすぐったい。手の甲でそれを拭って、ローブの首元をぱたぱたする。現在、まだ入れ替わり現象は治っていないので、オーリアスは『マリエル』のままだ。
「暑い……」
周囲ではたくさんの生徒と教師が、同じようにもこもこくんと奮闘している。
あるものは桶を担ぎ、あるものは手押し車を使い、黙々とひとまず仮の泡置き場とされた旧校舎前の運動場へと運んでいく。
あの後、用意を整えたもこもこくん対策メンバーは、とにかく被害者たちを確保しなければということで、人海戦術でひたすら武道場の外に泡をかきだしはじめた。まずは武道場前に通路を作るところから。
地図職人には、区画を指定して生体反応を調べることが出来るという便利なスキルがあるので、こんな時こそ出番だったのだが、肝心の地図職人が泡の下である。とにかく皆でひたすらもこもこくんを掘り進め、運び、やっとのことで武道場の中で泡に埋まっている被害者たちを、どうにかこうにか引っ張り出した時には日が暮れていた。その上、うっかり泡に触れてしまうと、もこもこくんはその威力をいかんなく発揮したので、昏倒する被害者が少なからず発生した。そしてもこもこくんがさらにもこもこして大騒ぎになった。
「あっ、こらっ」
「わっ………!?」
泡を山盛りにした桶を両手に提げて歩いていた生徒が、足元をよろけさせて前方に泡をぶちまける。運悪くそこに居合わせた生徒二人が犠牲になって、ふらふらと地面に倒れこんだ。そして、もこもこくんは爆発するように二人を飲み込む。
「水撒き班、水撒き班!」
「大至急あそこ! 暖房器具の横!」
叫び声が響き渡るが、それを聞いている人々はちらりとその光景を見ただけで、また黙々と泡との奮闘に取り組み始めた。
「またかよ。何人目だこれで」
「だから気をつけてって言ったのに……もう、片付ける泡が増えたじゃないの」
「魔力の高い奴は気をつけてくれよー」
もちっ、もちっと泡を掬うオーリアスも、実のところ一度倒れている。
「あ、オーリ」
「マリエル。グレゴリーたちの方はどうだった?」
空になった手押し車を押しながらぱたぱたと駆けて来た『オーリアス』に声をかけると、撲殺魔女はいかにもマリエルらしい表情でにこりと微笑んだ。感心するほど、普段のオーリアスと雰囲気が違う。
「あっちもまだ全然片付け終わってないみたいです。いくら片付けても終わらないような気がするこちらも大変ですけど、あちらはあちらで大変ですね。何せ、氷の山でしょう? 暖房装置があっても寒くて寒くて。皆さん凍えてましたよ。グレゴリーくんになってるコタローくんはなんとか大丈夫みたいでしたけど、コタローくんになってるグレゴリーくんが……」
ぶるぶる震えながら氷を運んでいてかわいそうだったという。
確かにこの寒空の下、氷の塊を必死で運ばねばならないのも、それはそれで大変だ。
「あーっ!?」
「あー、もうっ! またかよっ」
ぼわっと視界の端で膨らむ夜目にも白いもっちりした泡、そして倒れる生徒。
「……いつまでたっても片付け終わらないのと、どっちがマシだろうな?」
「……甲乙つけがたいですねぇ」
一息つく間にも、マリエルの手元にあった手押し車には泡が山のように盛られた桶が乗せられ、新しい押し手がごろごろと押していった。
がんがんに焚かれている暖房装置、肉体労働で熱を発する身体、のしのしと半裸で桶を担ぐ筋肉自慢の汗に濡れる男子生徒たちから立ち上るむわっとした白い湯気。
さすがに女子生徒はそこまで脱いでいないが、皆外套などどこへやら。上着を脱いで腕まくりして、それでも暑い暑いと呪文のように唱えながら、肉体労働に従事している。
「……もうそろそろ、七の鐘が鳴るよな」
「……さすがに、今日の作業はそこでお終いですよね?」
「……たぶん」
「……多分、ですか……」
一向に冷めない現場の熱気と、疲労感にしょんぼりしながらも、そこらへんに転がっていたスコップを拾い、マリエル入りの撲殺魔女は、無言でもっちもっちと泡を掬い始めた。オーリアスもせっせと泡を片付ける作業に戻る。
「水撒き班ー!?」
「至急! 至急水撒き求むー!」
ばたばたと走ってきた大きな如雨露とバケツと柄杓を装備した生徒と教師が叫んだ。
「いい加減にしてよ! 薬剤作った端から消費して!」
「君たちもう少し慎重に作業したまえ! あっちでもこっちでも無駄に泡を増やすんじゃない!」
ばっしゃばっしゃと泡に振りかけられるふわんと甘い香りの水。
「今夜は徹夜だな……」
消泡剤は現在、人が10人は入りそうな大釜でぐつぐつ煮られている最中だ。
武道場前に設えられた大釜の前で、薬剤を作る教師が遠い目をして呟けば、横でスコップを使っていたルーヴが重いため息をついた。
「……腹減ったなぁ」
「ああ、しかし、こんな時にクロロスがいてくれたらな……」
「なんで、スライムなんだ。よりによってこんな時に」
「さっきは、まさか死んでしまったんじゃないかと焦ったねぇ……」
ぷるんぷるん跳ねてきたスライムは、じっと泡を見つめた後、何を思ったのかそのぷるぷるした身体を泡に押しつけたのだ。そして、しびびびび、と奇妙な震え方をした後、でろり、と地面に広がってだらりと垂れた。
「あれには焦った。どうせあいつのこったから、食ってみたらどうなるかとか、スライムが触ったらどうなるかとか試したつもりだったんだろうが」
皆がもちもち泡と格闘する中、でろでろのスライムを救出するという無駄な仕事をするはめになったルーヴはため息をつきながら、『クロロス』とスライムのいる方を振り返る。
邪魔にならないように、と薄暗い隅に、毛布に包まれて転がされている『本体』の恨みがましい目と視線があってしまい、ルーヴは泡を掬う作業に没頭するフリをした。なんだってあのスライム入りクロロスは、自分のことばかりあんな目で見てくるのだろう。
クロロスの精神が入ったスライムは、その横で同じように毛布に包まり、どうせぷるぷるしているに違いない。
「元に戻ったら、なんで俺ばっかり睨んでくるのか聞いてみるかな」
「ははは、スライムの考えてることなんかわかりっこないさ。わたしは彼がスライムを飼っていたということにこそ驚いたんだがねぇ」
和やかな教師達の会話が弾んでいる場所から少し離れたところで、『オーリアス』は汗を拭い、暑さに負けて、上着の釦をひとつ外していた。
「あっついですねぇ……」
外套を脱ぎ、刺繍の施された黒いシャツの腕を捲くっていてもまだ暑い。もっち、もっちと泡を掬いながら、その合間にシャツの首元を引っ張り、ぱたぱたする。
こんな時には、胸が大きいと実に邪魔だ。汗は谷間に溜まって不快だし、重いし。
なるほど、いいことばかりじゃないんだな、としみじみ普段の自分には手の届かない小山を見下ろしていたマリエルは、ふと何かを感じて視線をそちらへ向けた。
見知らぬ男子生徒が、マリエルを、いや撲殺魔女をじっと見つめていた。なんだろう、と思う間もなく、はっとした様子で目を逸らされる。
髪の毛でも咥えていたかと口元を触ってみるが、なんともない。不思議に思いつつ、また泡を掬い始めると、また視線を感じた。
もう、なんなのかしら、と眉を寄せ、マリエルはぴたりと手を止めた。
これは、これはもしや。
すこん、と地面にスコップを突き立て、何気ない仕草で釦をもうひとつ外す。
「あー、暑い暑い……」
一瞬だけ横に目をやれば、目が落ちそうになっている男子生徒が見えた。
「や、やっぱり……!」
マリエルは確信する。
コレはアレだ。いわゆる『男を手玉に取る』という、今までもこれからも自分にはとんと無縁だと思っていた行為を今自分は体験しているのでは。
そうとわかれば躊躇いは一瞬だった。
「あついなー……」
釦をもひとつ、ぷちり。
半分ほどはだけた胸の谷間を、ちょっと気恥ずかしく思いながら、ちらりとさせる。
「……!!」
うわあ、食いついてきた。
凄い。オーリアスの身体でなければできない行為だった。普段の自分がやったところでこんな反応が返ってくるはずもない。
ちぇっ。心の中で舌打ち。
大きいだけが全てじゃないんですよ、女の子は!
ぷんとむくれながら、釦を嵌め直す。でも、このちょっとした優越感を覚えておこう。そうか、男を手玉に取るというのはこんな感じなのか。
そういえば、夜会でも姉さまがたには熱の篭った視線を向けるくせに、自分が挨拶に出向くと微笑ましげな顔をされるばかりだった過去を思い出した。
「ち、小さくたっていいもん、別に……」
「な、な、な、何やって……!?」
「あ……」
「釦をっ、外すの禁止っ!」
顔を真っ赤にして走りよってきた『マリエル』が、ぐいぐいとシャツを掻き合せ、力ずくで釦を嵌めてくるのに、照れ笑いする。
「え、えへへ……見てました?」
「見てたよ! オレの身体でそういうのは禁止だ! ダメ、絶対! どうしたんだよ、マリエル!? そ、そんなことするマリエルじゃないだろ!?」
「ちょ、ちょっと男性を手玉にとってみたくて……」
「お、オレの身体で何する気だ!?」
普段と逆転している身長差なので、真っ赤な顔で恥ずかしいんだが怒っているんだかわからないという顔をした『マリエル』を見下ろして、現撲殺魔女は気まずくもじもじした。
「な、何にもしません。ちょっと……お色気路線のオーリもいいかな? って」
「いいわけあるかー!」
「だ、だって普段のわたしじゃこんなこんなことしたって鼻で笑われるだけじゃないですかー! 一回くらいすんごいことしてみたかったんですもん!」
「す、すんごいこと!? ……マリエルの『すんごいこと』って、釦を三つ開けることなのか」
「こ、これ以上はムリですよ! わたしだって恥ずかしいです!」
「そ、そうか……そ、それなら、まぁ、今回は……許すけど……」
「……ごめんなさい……つい、嬉しくて調子にのってしまって……」
ぎゃあぎゃあ叫んでいる下級生を、その近くで上級生の女子数人が何気なく見ていた。
女を全面に出す同性というのは、正直あまり好かれないものだ。撲殺魔女が何を思ったのか突然胸をはだけはじめた時にはなんだこの子、と若干引いたのだが、その後の会話で、この二人の少女の中身が入れ替わっていることを知る。
ちらり、と怒っている白いローブの女の子の胸元を見て、先輩達は素早く視線を交わした。
判決を言い渡します。
はい裁判官。
判決は?
無罪にしましょう。
そうだね、本当のところ、皆一度くらいはセクシー系に憧れるもんねぇ。
よし、無罪。
厳かに頷きあい、誰にも知られることなく、裁判は終了した。
無事無罪を勝ち取ったことなど知らず、撲殺魔女と残酷僧侶は、もっちもっちと泡を掬う。
「あの、オーリ、ほんとにごめんなさい」
「いや、いいんだ。あれくらい、オレ夏にはよくやってたよな、考えてみれば……ちょっと過敏になってるんだ、こっちこそ怒鳴ってごめん」
しばし、喧騒ともっちもっちと泡を掬う音だけが響き、そろそろ七の鐘が鳴るころだと皆が思い始めた頃。
「あー、もうまたぁ!?」
「水撒き班、出動ー」
いい加減うんざりした声で消泡剤を撒く係が呼ばれた。
「だからねぇ! 気をつけてって言ってるじゃない! 薬剤ちょっとずつしかできないんだからぁ!」
柄杓を突っ込んだ桶を抱え、水撒き班が目をつりあげながら駆け寄ってくる。
「いい加減にしないと、釜に頭から突っ込んで茹でるわよっ……!?」
「うわっ」
「きゃあ!?」
悲劇はそこで起きた。
泡の入った大桶を抱えた男子生徒が、ふいに走る水撒き班の前を横切ったのだ。
慌てて膨らむ泡に対処しようと走っていたところでの、急停止。そしてぶつかるまいとした方向転換。
ばっしゃあ!
「え……」
上手い具合にと言うべきか、不幸にしてというべきか。
いつもの二人の空気を取り戻していた魔女と僧侶の二人に、薬剤が大量に降り注ぐ。
スコップを握り締めたまま硬直している二人は、容赦なくびしょぬれになり、あ然とした。ついでに辺りの泡がしゅわっと消える。
「ご、ごめん!」
「ちょっ、大丈夫か?!」
「うわあ……」
滴り落ちる薬剤、漂う甘い匂い。嫌な匂いではないが、これだけ大量に被るとかなりきつい。
「こっちの子の方がひどいわね、ローブ脱いで、乾かすから」
「いくら今暖かいっていっても、風邪ひいちゃうよ。そっちの子も大丈夫? 今、着替え取りにいってあげるから、脱いで外套羽織ってて」
「は、はい」
顎の先からも薬剤がぽたぽた滴っているし、中の薄いチュニックまでびっしゃりだ。
これは一度全部取り替えるしかないだろう。ぐっしょりと濡れて張りつくローブをなんとか引き剥がし、オーリアスはぶるぶる首を振って水気を飛ばした。
「きゃっ」
「あ、ごめん」
「冷たい、ほんとに風邪ひいちゃいそうです……ね……」
愕然とした顔で見つめられた『マリエル』は、チュニックの裾を絞りながら首を傾げた。
立ち尽くしている撲殺魔女の向こう側にいる男子生徒が、食い入るような顔をしてこちらを見ている。
「……?」
「やだっ、ちょっとこれ着てて!」
慌てた様子で近くの先輩女子が自分の着ていた上着を脱いでかけてくれた。
「ありがとうございます」
よくわからないままお礼を言えば、ぐいと顔を近づけられ、耳元で囁かれる。
「あのね、いくらちっちゃくても、ちゃんと着けなきゃダメだよ。透けてる」
「……え?」
「お、オーリ……」
「え?」
優しい先輩に促されるように下を見下ろした『マリエル』は、ばっと上着の前をかき合わせた。
「ちょっ、あのっ、ちが、これはっ……」
ぷるぷる震えているびしょぬれの僧侶入り『オーリアス』の絶叫が、武道場前に響き渡る。
「そ、そっちの方がずっとダメですよおぉぉー! お、オーリの、オーリのバカアアァァー!」
その悲鳴の余韻が消えぬ間に、ごーん、ごーん、と七の時を告げる鐘が鳴った。




