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学園迷宮で会いましょう  作者: 夜行
第5章
103/109

91、もこもこくんは知っている4









 後に、彼らは口を揃えてこう言った。

 それはさながら、空から落ちてきた竜が地面に激突したような音だった、と。

 

 まさに轟音。

 その場にいた全員が反射的に耳を塞ぎ、殴った当人でさえ悲鳴をあげたほどの凄まじい音と衝撃だった。

 音の衝撃がびりびりと空気を震わせ、身を竦めて破壊的な音への防御態勢をとっていた生徒たちは、涙目で鼓膜をじんじんさせながら音を発生させた黒髪の少女を見た。


「か、軽く平手打ちって、言ったのに……!」

「ご、ごめんなさ……」


 血の気を引かせている『オーリアス』は冷たくなった指先で、ぎゅっと杖を握りこんだ。

 言われたよりも力をこめてしまったのは確かだが、全力で殴ったというわけではないのだ。

 それがまさか、こんなことになるなんて。

 蒼褪めたまま、自分が杖で殴った大扉を見る。みしみし、めきめき、という不穏な音をさせているそれ。杖がぶちあたったところを中心に、べっこりと凹み、武道場側に折れ曲がっているといっても過言ではないその扉は、危うい音をさせながら振動している。


「……やべェ! 全員退避! できるだけ散れ!」


 盗賊入りの罠士が叫び、手近にいた『オリガン』と『マリエル』を引っつかんで逃げ出す。硬直していた面々も、それにつられるように動き出した。


「マリエル!」

「は、はいっ」


 扉前から踵を返した僧侶入りの魔女が、地面に転がっているクロロスの身体を抱えると、転がるように駆け出す。

 ばたばたと武道場大扉前から逃げ出した五人と一匹が、背後で響いた一際危うい金属音に思わず振り返った時。

 なんとも形容しがたい音と同時に、べっこりと凹んだ扉を内側から弾き飛ばし、白いもこもこが激流のように噴出した。


「ぎゃーっ!?」


 上がった悲鳴は誰のものでもなく、全員のものだった。

 橙色に染まりつつある空の下、哀れなほど変形した大扉が舞う。それは修練用の広場を囲む木々を何本か巻き添えにしながら、生徒達の視界から消えた。というか、飛んで行った。

 恐々と武道場に目をやれば、扉が固定されていたあたりの壁一面に皹が入り、えらいことになっているではないか。


「あ、あ……」

「ぶど、武道場……」


 一年生二人は揃って青くなった。生徒たちの訓練用に地面が均された場所も、練習に使用する巻きわらや、魔法を吸収する素材で作られた案山子も、積み上げられていた木材も縄も、武道場前にあった何もかもが吹き出すもこもこによって、見る間に汚染されていく。そして、何より恐ろしい現実に震え上がった。


 どうしよう。武道場、壊しちゃった。


 『武道場の扉を壊す』のと『武道場を壊す』のでは全然違う。

 やらかしてしまったマリエルも、自分の体がやらかしてしまったオーリアスも、無意識のうちに頼るものを求めてか、よろよろと互いに歩み寄り。

 止まらないもこもこ、そしてどこか遠くから聞こえてきた、どおん、という大きな音と若干の地面の揺れに呻いた。今のはもこもこによって飛んでいった扉が着地した音に違いない。わずかに遅れて、凄い数の鳥が飛び立ち、空の彼方に消えていく。

 ああ、どうか誰も巻き込まれていませんように。ここから外側は山中なので、大丈夫だと信じたい。


 慄く生徒達の視線の先で、まるでこの世の全てを汚染するかのように噴き出ていたもこもこが、次第に勢いを弱くしていく。


「お、おさまっ……た、か?」

「え、エルマー、エルマーは大丈夫かな……」


 動揺を隠せずに、四人は呆然と大扉前の空間をを埋め尽くすもこもこを見つめた。

 焦点のあっていない地図職人入りの自分の身体を軽く蹴飛ばして正気付かせ、罠士の身体に入っているオリガンは頭をかき回した。


「エルマーっつーより、おまえの身体の心配しとけ! あーくそっ、どうすっかな……」


 これはやはり、地道にもこもこを処理していくしかないだろうか。だとしてもその為の道具を借りてこなければならないし、もこもこを一体どこに移動させればいいものか。触れば睡眠、その上魔力吸収されてしまうのでは下手に触ることも出来ない。

 元凶の一因ではあるが、もはや一生徒がどうこうできる問題ではないだろう。素直に教員寮に行って教員を叩き起こし、特別棟に篭っている引きこもり教員を引きずり出して来る他ない。

 二手に分かれる指示をオリガンが出そうとした時、ばたばたと足音が近づいてきた。


「おい、大丈夫か!」

「怪我はない!?」

「な、なんだこれは……」


 固まっている生徒達に近寄ってきたのは、ルーヴを先頭にした教師達だった。


「おまえら怪我してないよな?」

「あー……まだちょっと耳が遠いくらいっすかね。先生たちにもあの音聞こえました?」

「ああ、こっちもひどいが、今校内はすごいことになっててな、学園敷地内にいる教員は全部叩き起こして引きずり出しての大騒ぎだぞ。そっちの二人も大丈夫だな?」

「は、はい」

「大丈夫です」

「うっ……クロロスも、無事みたいだな」


 魔女に担ぎ上げられている『クロロス』のじっとりした視線に怯んだルーヴに苦笑する間もなく、魔女入りの僧侶が握り締めていたスライムが、ぴくぴく儚く震えた。


「あっ、せ、先生、すいません!」


 武道場の扉がふっとんだ時とは違う冷たいものを感じて、オーリアスは慌てて握っていた手を開いた。

 危ない。危うく先生を握り潰してしまうところだった。

 薄紫のスライムは、慌てて降ろされた地面の上で、ぷるぷる震えていたが、しばらくすると、てろんと通常の形に戻った。よかった、もしこの身体がマリエルでなかったら、本当に握り潰してしまっていたかもしれない。それはもう、ぶちゅんと。


「中には誰かいるのか?」

「うちのエルマーとグレイ先生と、正義の剣とあと5,6人てとこっすね」

「グレイも巻き込まれてるのか!? このもこもこ、効果は?」

「元はただの足止め用粘着泡なんですけど、今は睡眠と魔力吸収が付与されてるらしくて」

「ふむ……この手の罠は、解除用の薬剤でなんとかするのが一般的だが、これだけの量となると……」


 顔はわかるが、あまり馴染みのない教員たちが顔を見合わせる。


「薬剤ならお手の物のクロロスはこれだしな……」

「地道に運び出すしかないんじゃない?」


 もこもこに近寄った教師達はしげしげと白くもっちりとした密度の濃い泡を見つめた。その後ろからそろそろと近寄った生徒達が首を伸ばす。


「魔力吸収ってのはどの程度なんだ?」

「ひとまず、ひとすくい持っていって確認しよう。それによって対応が変わる」

「先生っ」


 一塊になっている教員と生徒たちの後ろから、複数の足音が駆け寄ってきた。


「何があったんですか!」

「なんですかあの音、ってなんだこりゃ!?」

「すごーい! なにこのもこもこ!」


 駆けつけてきたのはあの凄まじい音を聞いてやってきた生徒たちで、人手が足りない今は非常にありがたい。こればかりは怪我の巧妙か、と少しばかりほっとした魔女と僧侶は、いい加減冷え切った腕をさすり、くしゅんと小さなくしゃみをした。

 緊張で高まっていた興奮が冷めてくると、外気の寒さが身に沁みる。


「おまえたち、外套も着てないじゃないか。この寒さじゃ風邪を引くぞ。それに、エルマー、じゃないんだよな? そっちの二人もだ。とりあえず何か着てきなさい」

「はい」

「クロロスとスライムは置いてけ。おまえたちが来るまでは俺が見ておくから……」


 至極嫌そうにルーヴが言い、マリエルはそっとクロロスの身体を地面に置いた。


「先生、寒いでしょうから、毛布を持ってきますね」


 じっと『クロロス』が自分を覗き込む僧侶入り魔女を見つめる。中身がスライムだとわかっていても、いや、だからこそ、その視線にそこはかとない圧力を感じ、マリエルはそろりと視線を逸らしたが、今度はその様子を見ていたらしいスライムと対面して、引き攣った笑顔を浮かべた。それを見ていた魔女入りの僧侶が、慌てて声をかける。


「す、スライム先生にも、持ってきますから……」


 スライムには、当然だが眼球はない。だというのに、どうしてこう、見られている感があるのだろう。

 集まってきた先輩たちに軽く頭を下げつつ、二人は来る時も走っていた道を、また走りながら引き返した。とりあえず、今は飛んでいった扉のことも、皹の入った壁のことも忘れてしまいたい。


「っくちゅ!」

「へくちっ」


 とにかく外套、それに毛布。

 寒さに頬を赤く染めた少女たちの頭上から、どこからともなく時鴉(クロッククロウ)の鳴き声が聞こえてくる。


 ああ、全く今日はなんて日だろう。


 




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