90、もこもこくんは知っている3
迷宮学園正面玄関から入って右手突きあたりには武道場。左手突きあたりには第一講堂がある。
もこもこくんが武道場から溢れてきているのだとしたら、氷の川は玄関か第一講堂から流れてきている可能性が高い。
「窓を開けて! すぐに外に出なさい!」
駆け寄って部屋の外を見たオルテンシアがすぐさま叫ぶ。直径が50シムはありそうな氷の塊が、ざくざくと押し寄せてきていた。このまま行けば、すぐにもこもこくんと衝突することになる。
それも、ちょうどこの部屋の前辺りで。
叫ばれた生徒たちの行動は素早かった。一番窓際にいた『コタロー』がさっと鍵を開けて、窓を全開にする。
「グ、いやコタロー! クロロス先生の身体を担いでくれ。その身体なら出来る! マリエル、スライム先生確保!」
「はい!」
「ワカッタ!」
「先輩、先にいっ」
「アホ! 年下置いて先に行けっか! ほれ!」
「うわっ!?」
先に行ってください、と言いかけた『マリエル』の身体がひょいと宙に浮く。
「……重てェな! エルマーのヤツ、もうちっと鍛えねーと……」
子どものように抱え上げられて、そのままぽいと窓の外に放り出されたオーリアスは、驚きのあまり固まっていた手足を慌てて動かした。じゃりっと靴底が小石を踏んで、何とか地面に着地する。
続けてスライムを片手に持った『オーリアス』が、ついでクロロスの身体を担いだ『グレゴリー』、身軽に『コタロー』がひらりと窓枠を越え、次に『オリガン』と『エルマー』が飛び出ると、最後にオルテンシアが外に出る。一階でなければ出来ない脱出法だ。暖かい室内でほぐれていた身体が、寒気に引き締まる。外套は救護室の中で、いまさら取りには戻れない。
「マリエル?」
引き攣った顔をしてじっとこちらを見ている『オーリアス』に声をかけた『マリエル』だが、オルテンシアの厳しい声に、視線をそちらに向けた。
「あなたたちは前にもやらかしていたし、今回もそうだと思ったのはわたしの浅慮だわ。武道場で失敗した時、変なポーションがかかったと言ったわね?」
「かかりましたよ。変なドドメ色したポーションが」
あれさえなければ、ただの失敗ですんだ。魔力を練る事に失敗して、『もこもこくん』用の性質付与が上手くいかず、起動した罠はほんのちょっとだけ、足元にしゅわっと噴き出ただけ。
そのちょっぴりのもこっとした泡にかかった、奇妙なポーション。
「あの馬鹿があんなもん、こぼしさえしなけりゃ……」
「そのポーションがなんなのか知りたいわね……わたしが確認したら、あのもこもこには睡眠と魔力吸収の効果があるのがわかったわ。それは元々の効果かしら?」
とんでもない、と三年生二人は首を振った。普段のもこもこくんは、粘着性のある泡を床に噴出し、対象の足止めをして、その隙に一方的に攻撃を加える為の、ほんの軽い罠なのだ。
「とりあえず、あの氷がなんなのか確認しにいかないといけないわね」
「先生! おれたちも手伝います」
じっとこちらを窺う生徒達を見て、救護教諭は頷いた。ちらりとスライムを確認すると、頷くようにぷるりと揺れる。
「そうね、とにかく状況を把握しないと。わたしは状況がわからない氷の方に行くわ。三年生二人は一年生について武道場へ。何かあったらスライム、じゃない、クロロス先生に確認して」
「先生は一人で行くんですか?」
「わたしは教師よ」
そこで少々揉め、結局力の抜きん出ている『グレゴリー』と、俊敏性に勝る『コタロー』がオルテンシアと一緒に講堂側へ、残りが纏めて武道場側へ行くことになった。
クロロスの身体は、精神と離すのが不安だったので、マリエルの入ったオーリアスが担いでいくことにする。スライムを『マリエル』に渡し、最初は恐る恐る、決して小柄ではない成人男性を抱えたマリエルだが、特になんの苦もなく、『クロロス』を担げることに目を丸くした。
「オーリって、ほんとに力持ちですねぇ」
「力加減は大丈夫そうか?」
心配そうな『マリエル』に頷き、魔女が軽々と走り出したのを皮切りに一行は二手に分かれ、途中、教師や生徒を見つけたら事情説明と情報収集を行うことを確認し、動き出す。
本当なら教員室に駆け込みたいところだが、あいにく今日は、聖誕祭という全校あげての休養日だ。教員達の居場所はばらばら、トップの学園長も外出中では、判断を仰ぐにも仰ぐ相手がいないし、下手に校内から攻めれば、出るに出られなくなる可能性もある。よって、どちらも外から現場に侵入して、退路を確保しておいたほうがいい。
「気をつけるのよ! 変なものには近づかない、触らない!」
「オレたちもついてるんで大丈夫ッス!」
白い息を吐き出しながら走っていた先頭を行く魔女が、ふと少し後ろをついてくる僧侶を振り返った。
「マリエル、どうした? さっきも何か言いかけただろ? おれ何かしたか?」
「……いいえ、オーリは悪くありません、ええ、ちっとも」
武道場に向かって走りながら発されたマリエルの言葉は、誰にも聞こえないまま、冷たい空気に消えていく。
「……わたし、重いですか……ふふ……そうですか……」
「今なんて言ったんだ?」
なんでもないですよ、とうっすら微笑む魔女に寒気を感じながら、オーリアスたちはもこもこ発生源の武道場に外から回り込んだ。
校舎内に通じている部分はもこもこに塞がれているので、ぐるっと校舎の外周を回って、外に通じている武道場の大扉の前。大扉前の開けた空間は普段は自主練習などに使われている部分だが、休養日の今日は時間帯もあってか、人影はない。
「これ開けるっきゃねーか。巻きこまれた連中を助けるにしても何にしても、中のもこもこをなんとかせにゃ」
とはいえ、夏は開放されている大扉も冬の時期には閉められ、中から施錠されている。
「どうやって開けるんですか?」
素直な質問に眉を上げ、『エルマー』は『オリガン』と視線を交わした。ついでに、スライム先生も見て、確認する。僧侶の手の上で、スライムは笑うようにぷるんと揺れた。
どうやって開けるか? そんなもの、決まっている。
「壊すしかねェだろ。本当はオレの『解錠』で開けられりゃよかったんだが、それじゃ開かないって知ってるんだよな」
「えっ!?」
「学園内の扉は全部、ガチで何重にも魔法施錠されてて、スキルも効かないんだ。もっと上級の『万能鍵』あたりならイケるかもしれねーけど、オレにゃまだ無理だし。……つっても、エルマーはまともな直接攻撃なんてないし、オレも爆破系の罠なんて難しすぎて無理だし、トランが入ってる『オレ』だって、火力は微妙なんだよな……」
頑丈でぶ厚い大扉だ。開けるはいいが、その開け方が問題だった。
「マリエル」
「はい、オーリ」
スライムの精神入りクロロスを担いだマリエルが、わくわくと自分を見下ろす。
その肩に担がれているスライム入りクロロスはさすがに目が覚めたようで、僧侶の手の上でぷるぷるしている『自分』をじっと見つめていた。
「先生は地面に置いて」
「はい」
「杖で殴ろう」
「はい!」
三年生二人は、金のゴーレムの時に見た魔女のことを思い出した。何の変哲もない杖で、がつがつ壁を抉り、しまいには皹も入れていた光景を。
「おお、すげー物理だな……」
「う、うん……で、でも、だ、大丈夫かな……」
見た目を裏切る怪力ぶりを自分の目で見てはいたものの、年下の少女の細腕で何とかなるのかと寒さに首を竦めながら見ている二人の前で、僧侶の精神が宿っている魔女が、勇ましく杖を握って扉の前に立つ。
「マリエル、いいか。思い切り殴ったらダメだからな」
「そうなんですか?」
「そうだな……まずは軽く平手打ちするくらいの感じで」
「わかりました」
昼を過ぎ、太陽がゆっくりと西に傾いていく空の下。
すうっと息を吸い込んだ『オーリアス』が、杖を構える。つかの間の精神統一の後。
その手に握られた杖が、武道場の大扉に振りかぶられた。
「せぇのっ!」




