9、実習当日プレリュード
迷宮受付広間に入ると、周囲の視線が一瞬こちらを向いた。
いつものことなのだが、今日はすぐに散ったので気分がいい。さすがに関わりのない他人をこんな日まで気にしていられないのだろう。
まだ開始時間には早いので、広間はそれほど混みあってはいない。
普段ならあらゆる学年が入り混じって混みあう迷宮前だが、今日は一年生の迷宮実習なので、普段早朝から迷宮入りしている上級生たちも今日ばかりは入宮禁止なのだ。
教員たちの本音は、ろくに戦えない一年生の面倒を見るだけでも大変なのに、その上他の学年の奴まで面倒見てられねーよ、このやろう、ということらしい。あっけらかんと担任が言っていたので、たぶん、本当のことだろう。
ざわめきと硬い緊張感が漂う中を進み、目当ての人物を見つけた。
「オハヨウ」
「おはよう。早いな」
大きなグレゴリーはどこにいても見つけやすい。
周囲の注目を集める巨大な盾、腰に巻いた道具袋、膝あてのついた濃い緑色のズボンにごつごつしたブーツ。ふさふさした毛に覆われた上半身には房飾りのついた皮のベストを羽織り、オーリアスの親指くらいある緑色の牙に穴を開け、紐を通したペンダントをかけていた。
「緊張シテ、早ク目ガ覚メタ」
「おい、今から緊張してどうするんだ」
「ウ……」
「大丈夫だって。もうちゃんと戦えてるだろ?」
「ワウ!」
グレゴリーは盾士になってから、それなりに戦闘に貢献できていることが嬉しいらしい。ふさりふさりと揺れる尻尾に、ちらちらと主に女子たちから視線が送られている。
「マリエルはまだ来てないのか」
「来テナイ」
いつも先に来てクラスの友人たちと話しているか、待ち合わせ丁度に来るマリエルにしては珍しい。
どうしたんだろうなと二人で首を傾げていると、聞き覚えのある声が何か聞こえてきた。
ざわついていた広間が一瞬、静まり返る。
「だから、もうお断りしたじゃないですか」
「どうせろくなメンバー見つけられてないんだろ? 惨殺僧侶じゃなぁ」
「折角誘ってやってるんだから素直に入れよ」
「結構です!」
「なんだよ、わざわざこっちが誘ってやってんのに」
「だからもうパーティなら組んでるって言ってるじゃないですか!」
どう聞いてもマリエルの声だった。
グレゴリーと顔を見合わせ、声のする方に近づいていく。声からして、マリエルは大分怒っているようだ。
足早に進んでいくと、広間の中ほどでいつもの白いローブに剣を装備したマリエルが俯いているのが見えた。会話からして、パーティに入れとしつこく勧誘されているようなので、ここははっきり言っておくべきだろう。
「どうせ惨殺僧侶と組むような奴は落ちこぼれだろ?」
「ああ、あれだよ、ゴブリンも倒せない獣人」
「あとオカマちゃんだろ、魔女の」
「すげえイロモノパーティ」
げらげら笑っている男ばかりの四人組には見覚えがないから、オーリアスのクラスメイトではない。
グレゴリーを見上げると、しょんぼりした顔でその光景を見つめていた。
「胸はれ」
どん、と硬い腹に肘を入れ、しょぼくれているグレゴリーを睨む。すくなくとも、今のグレゴリーはもう立派に戦えているのだ。いつまでも弱気でいる必要はこれっぽっちもない。そしてオーリアスも自分に向けられた悪口雑言を放置しておくつもりはない。
ぐ、と頷いたグレゴリーがのしりと前に進んだ途端。
「……しつこいんですよね」
「ああ!?」
「いきなりなんだよ」
「断ってるのに何度も何度も! あなたたちと組むくらいなら実習だろうがなんだろうがソロで潜る方が千倍マシです!」
静まりかえっていた広間に威勢のいい啖呵が飛んだ。
周囲の視線がますます、揉めているマリエルと四人に集中する。さすがにこれだけ見られていると、連中もそれに気がついたらしい。怒りを滲ませながらもそわそわし始めた。
四人組に非があるのは明らかなので、この場にいる殆どの学生は非難の目を向けている。中には面白がっているような少数派もいるが。
「てめえ、調子に乗って」
「存在が気持ち悪いんですよ! 話しかけないで下さい!」
鬼のような形相で四人組を睨みつけているマリエルは、惨殺してる時とはまた違った怖さだった。
オーリアスの怒りはしわしわと萎んで、若干の哀れみに変わっていく。
女子って怖い。気持ち悪いとか言われたら、結構傷つく。話しかけるなとか、心を抉る。しかもこんな衆人環視の状況で断言。容赦無し。さらに周りの女子からの好感度も大幅に下がった気配が漂いはじめている。最も、自業自得なので同情はしないが、若干の哀れみは感じる。
声をかけるタイミングを完全に逃してしまったグレゴリーが、きゅーんと鼻を鳴らして見下ろしてくるのに肩を竦めた。オーリアスだっていまさら声はかけられない。
「すみません、遅くなって!」
どうしようと中途半端に固まっていると、立ち尽くしている二人に気づいたマリエルが小走りに駆け寄ってきた。二人を見上げ、さっきの顔が嘘のようににっこり笑う。
グレゴリー若干たじろいでいるが、その気持ちはオーリアスにもよくわかった。
たとえ、今自分が女になっていたとしても、やっぱり違う。女子って怖い。
置き去りにされた四人組みはこれ以上注目されるのは避けたかったらしく、怒りか恥ずかしさからか、顔を赤くしながら足音も荒く広間の隅の方へと退いていった。
「ええと、大丈夫か?」
「平気です。ほら前に言ったじゃないですか、今までにパーティに誘われたことがあるって」
「ああ、もしかして」
こくんと頷いて、嫌そうに眉を寄せる。
「断ったのにしつこくて! もう何度も嫌だって言ってるんですよ」
「あー、まあ、なんだ、機嫌直せよ。ほら、グレゴリーもなんか言え」
「……オレ、怖カッタ……」
正直なグレゴリーにひやりとしたが、マリエルは慌ててぱたぱたと手を振った。
「わたしだって理由も無く怒ったりなんかしませんよ! あの人たちがあんまりしつこくって、つい……これから実習なのに縁起が悪いったら」
余裕をもって早めに集合したのが裏目に出たようだ。
やっとまたざわめきを取り戻した広間にほっとして、受付に行き、パーティ登録を済ませる。
目立たない隅に下がると三人揃って壁によりかかった。オーリアスが真ん中だ。
揉めている間に人が増え、ざわめきが大きく、装備品の触れ合う音が強くなってきた。
「あいつらと実習中に会わないですむといいんだけどな」
「こればかりは、迷宮に入ってみないとわからないですからね」
ぷりぷり怒っていたマリエルが、じっとオーリアスを見上げてくる。
「あの、オーリ」
「なんだ?」
「前からずっと気になってたんです。お願いします! 髪を結わせてもらえませんか!?」
思い切りよく頭を下げられて、オーリアスは呆気に取られた。
「……マリエル、もしかして寝ぼけてるのか? おれはもう結ってるぞ」
「あっ、違うんです、そうじゃなくて、今オーリは首の付け根で結んでますよね」
ここ、と指で示されて頷く。
「そこじゃなくて、もっと上の方で結ってほしいんです」
「はあ?」
「絶対その方が似合うと思うんですよ。もう、ずっと気になってたんですけど、なかなかいい出せなくて……あの人たちとの悪縁を祓うと思って、ぜひ!」
全く意味がわからないが、真剣なことは伝わった。
髪を結ぶ位置なんてオーリアスにとっては正直どうでもいい。毎朝適当に結っている。これっぽっちもこだわりはないので、別にかまわない。
「別にいいけど」
「ほ、ほんとですか!」
ぱあっと顔を輝かせたマリエルが、いそいそと手招きするのに合わせて床に座り込む。周囲の視線が気になったが、元々ちらちら見られていたので、不快ではあったが気にするほどのこともない。
「うわぁ……これは、すごいです。つやつやです。なんかちょっとイラっとするほど髪がきれいですねオーリ」
「なんでイラっとするんだよ!?」
「うふふ、気にしない気にしない」
「髪なんか邪魔にならないようになってりゃいいだろ?」
「オーリ」
「おう、どうした」
「毛並ミハ、大事ダ」
なぜかグレゴリーに諭されて無言になる。髪、というか、全身もふもふの獣人にとっては確かに人の髪というのは毛並みという認識なのかもしれないが。
「はい、できましたよ!」
「おう」
立ち上がって軽く首を振る。なんだか、首筋が涼しい。
いつもより、かなり高い位置で結ばれたようだ。
「思ったとおりです! オーリ、これからはここ、この位置で結んでください」
「いいけど……」
今度は可愛いシュシュを、とか何とかぶつぶつ言っているマリエルから距離を取る。
シュシュってなんだ。可愛いってなんだ。断固拒否の匂いがする。
今後に嫌な予感を覚えていると、派手な銅鑼の音が鳴り響いた。
入り口から実習を担当する教師たちがぞろぞろと入ってくる。
「がんばりましょうね」
「おう」
「ワウ!」
三人で軽く拳を合わせ、どこからでも見えるように中央に設置された台の方に向き直る。
「これをもって実習参加を締め切る。特別な事情無く、この実習に参加しなかったものについては後期の授業への参加を認めない」
台の上に上がった説明役の教師が脅すようにぐるりと周囲を見回した。
「では実習について説明する。死にたいなら聞かなくていい。死にたくない奴だけ聞け」