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8・想い

 アリアがDの告白を聞いて頭を悩ませている頃、東昇は宇野愛香を前にして困り果てていた。

夜十時過ぎ、珍しく事務所で残業をしていた東昇のところへ、宇野愛香が押しかけてきたのだ。  

東昇は進展なしという途中経過の報告をしたのだが、宇野愛香がそれを聞いて憤慨した。

「わからないって、全く? あなた本当にプロ?」

他に誰もいない静まり返った音江探偵事務所内に、宇野愛香のいらついた甲高い声が響いた。

「まだ二日しか経っていないのに、無茶を言うな。時間がかかるといっただろう?」

 ソファから身を乗り出してきつい言葉を浴びせる宇野愛香に、昇は内心では文句を吐いていたが、依頼主だと自分に言い聞かせて平静に接した。

「あのアリアっていう人は?」

「アリアは調査員じゃない。多少手伝ってくれると言っただけだ」

「でも、裏に通じていて、何か知っているんでしょう? あの人に会わせて」

「無理だ。今何処にいるのかわからない」

「じゃあ、住所を教えて!」

「それはできない。あいつに了承を得ていない」

「携帯の番号くらいは、教えてくれてもいいでしょう?」

「……知らない。こちらからは連絡のしようがないんだ」

「ええっ。友達なんじゃないの?」

「君、何を根拠に友達だと思ったんだ? アリアのこと、何か知っているのか」

「別に、ただなんとなく……」

 宇野愛香は言葉を濁した。

 この娘、アリアのこと最初から知っていたのではないか。ひょっとしてアリアを巻き込むために俺は利用されただけなのかもしれない。もしそうであれば、面倒なことを引き受けたのではないだろうか。

昇は嫌な予感がして、顔をしかめた。

「……ねえ、ただ黙って待つしかないっていうの? そんな暢気なことを言っていたら、見つかるものも見つからないわ。私、いつまで待てばいいの?」

 宇野愛香が詰め寄った。

「随分と焦っているな。何かあるのか?」

 昇は宇野愛香に対して斜に構えた。

「……だって、いつになるかもわからないなんて」

「だから、それは最初に言っただろう? それとも、直ぐにわかる算段でもあったのか?」

「そんなの、ないわよ」

 宇野愛香は口を尖らせて直ぐに否定した。

益々怪しい。

「じゃあ、俺に任せて、大人しく待つんだな。さあ、子供は家で寝る時間だ」

「私、もう子供じゃないわ……ねえ、アリアっていうひとの連絡先だけ、何とか訊き出してくれない? 私、姉のこととっても心配で……手掛かりは何でも知りたい。探偵さんだけが頼りなの。だから、お願い」

 テーブルを挟んで向かい合わせに座っていた宇野愛香が、昇の横へぴったりとくっつくように座り、腕組をしていた昇の腕に片手をかけて上目遣いで首を傾げた。

「な、なんだよ」

 昇は反射的に上体を引いた。

宇野愛香が足を組んだ拍子に、短めのプリーツスカートはめくれ上がり、白い太股が露わになった。

高校生とは思えない、艶っぽい潤んだ瞳。そんな瞳で熱い視線を注いでいる宇野愛香。仄かに香る、シャンプーの匂い。

ここのところ、女性関係がさっぱりの昇は一瞬動揺した。

東十無であれば、耳まで赤く染めたかもしれないのだが、仕事柄、女性の裏表を見ることの多い昇は、冷静さを直ぐ取り戻した。

「そうか、俺のことが好きか。俺もご無沙汰だったからな。ここじゃあナンだし、ホテルにでも行こうか?」

 昇は宇野愛香の腕を引っ張り、抱き寄せた。

「探偵さん? その……順番ってものがあるでしょ?」

 案の定、宇野愛香の顔が引きつっている。やはり、魂胆があって昇に近づいたようだった。昇はにやりとした。

「じゃ、順番として、キスから」

昇は悪乗りして、宇野愛香にキスを迫った。

「いやっ!」

 宇野愛香が昇の頬を平手で一撃した。

「ってぇ……」

 油断していた昇は、まともに平手を食らって頬をさすったのだが、その痛みが吹っ飛んでしまうくらい、昇は呆然とした。

「アリア?」

「昇、高校生相手に、何を……」

 応接室の衝立の側に、サングラスをかけたいつもの姿をしたアリアが立っていたのだ。

「誤解だ! 未成年の子供に、手を出すわけがないだろう? そんなことをしたら、メシの食い上げだ!」

昇は宇野愛香から手を離し、慌てて立ち上がって必死に弁明した。

「アリアさんっ! 探偵さんが……」

 宇野愛香がアリアにしおらしく駆け寄り、泣きそうな声でそう訴えて胸に顔を埋めた。

「ふうん、そう。そうだよね。見られちゃまずい。悪いところに来ちゃったね」

 昇に向けられた、アリアの疑いの眼。

つい最近、アリアに告白したばかりなのに。どう思われただろうか。節操のない男に見られたか。最悪だ。キスを迫っていたのは事実だ。いくら弁解しても悪あがきにしかならないのだ。

「昇も男だからね。でも、高校生は……犯罪になるよ」

 ああ、やっぱり俺のこと信じていない。

昇は頭を抱えた。

 宇野愛香がアリアの腕の中で、こちらに向かって舌を出している。

「こいつ、とんでもないガキだ!」

「とんでもないのは昇でしょう?」

「違う、こいつ今、俺に向かって……」

「大人気ないよ、昇」

 アリアにたしなめられ、昇は無駄に空回りする言葉を仕方なく飲み込んだ。

「さ、家まで送ってあげるから、愛香さんはもう帰りなさい。こんな遅い時間に出歩いていたら、家の人が心配するでしょう?」

 アリアの言葉に、宇野愛香は素直に頷いた。

「じゃ、昇。話は明日にでも」

「おい、待て。ほんっとうに誤解だからな!」

昇は弁解しても無駄だと思ったが、念を押さずにはいられなかった。

 アリアは昇の方を一瞥し、わかったと冷静に一言応えた。

事務所を出て行く二人の背を見送りながら、昇はソファの角をこんと蹴飛ばして肩を落とした。

「ちぇっ、アリア、やっぱり俺のこと信じてないな。見てろよ、あのガキの魂胆も暴いてやる。大人をコケにしやがって」

 と、勢い込んで呟いた後、昇は机の上にうず高く積んである書類に視線を落として、ため息をついた。

宇野愛香の依頼には何か裏がある。昇は直感的にそう思い、普段の昇では考えられないくらい、調査に力が入っていた。夕方、アリアと別れてからも、一人で夜九時過ぎまで、足を棒にして調査していたのだ。その分、他にも担当していた調査書類が滞ってしまっていた。

「さて、片付けるか」

 自分にはっぱをかけるように、昇は声を出して、どっかりと椅子に座って事務机のパソコンに向かった。

「……アリア、大丈夫かな。あいつも結構、女の子に弱いところがあるからなあ」

 一筋縄ではいかないような、宇野愛香と二人きりになっているアリアが気にかかり、結局、昇はなかなか書類がはかどらなかった。

  

「愛香さん、タクシーを拾うから、それで帰れるね?」

「アリアさんが家まで送ってくれるんじゃないの?」

「タクシーだったら安心でしょう?」

「いや、心細い」

「でも、私は車を持っていないから」

「一人になりたくない。気持が落ち着くまで一緒にいて下さい。アリアさんの住んでいるところは近いの? そこで少し休ませて」

 音江探偵事務所から出て直ぐ、アリアは早くも宇野愛香をもてあましていた。

 さっきは抱き合う二人を見て、ついカッとなってしまったが、冷静に考えると変な話だ。

 昇の言うように、この娘の狂言なのかもしれない。第一、男に言い寄られた直後に、あまり面識のない男である、私の家へ行こうとするのはおかしい。

 アリアは宇野愛香の行動に疑問を持った。

「ねえ、お願い。父は帰りが遅いし、それに……実は昨日、喧嘩したの。だから顔を合わせたくない」

「会って間もない私を、そんなに信用するのはどうかと思うけれど」

「そうやって忠告してくれるくらいだもの、アリアさんはあの探偵とは違うわ」

「そんなこと、わからないよ」

「お願い、私を一人にしないで」

宇野愛香が泣き出しそうになり、アリアは人目が気になった。夜遅く、セーラー服の娘と路上でもめていては目立ちすぎる。

「わかった、じゃあ家に来なさい」

歩道に立ち尽くして帰ろうとしない宇野愛香に、アリアはとうとう折れてしまった。

 アリアは宇野愛香を連れて雑司が谷のマンションへ帰宅した。

 

「アリアってば、こんな夜遅くに高校生を引っ張り込んでどうする気? 女子高生がお望みなら、私で充分でしょう?」

 柚子が玄関に出迎えて宇野愛香を見るなり、あからさまに嫌な顔をしてアリアに不満をぶつけた。

 宇野愛香もパジャマ姿の柚子を見て目を丸くし、玄関先に立ち尽くしている。

「なによ。私はアリアと住んでいるの。なんか文句ある?」

 柚子が宇野愛香に向かってキッと睨み付けた。

「こら、柚子。お客さんに失礼なことを言うな」

「人が心配して待っていたのに、そういうこと言うの。連絡もしないで、どこほっつき歩いていたのかと思ったら、女子高生を連れ込んでくるし。なに考えてるの!」

「人聞きの悪いことを言うんじゃない。彼女は音江探偵事務所の依頼人だ。ごめんね、愛香さん、柚子は妹なんだ」

 アリアは宇野愛香を居間に案内してソファを勧めた。

 アリアは柚子が愛香という名前に反応し、一瞬、目を見開いたのを見逃さなかった。

 やはり、柚子は最初からDの本名が宇野水香であることを知っていたのではないだろうか。そして多分、その妹の存在も知っているのだろう。短期間ではあるがDと共に生活していたのだから、知っていてもおかしくはない。

「……謝りもしないのね。アリアのばかっ!」

 謝りそびれたアリアに、柚子はそう言い捨てて居間を出て行き、扉をばたんと勢いよく閉めて、自分の部屋にこもってしまった。

「柚子!」

 アリアは追いかけて部屋の前に立って柚子に声をかけたが、返事はなかった。

「悪かった、ごめん」

 扉を開けずに、アリアはその場で柚子に謝り、居間へ戻った。

「愛香さん、びっくりさせてごめんね。ちょっと怒らせてしまったみたいで」

 愛香は背筋を伸ばし、やや緊張した格好でちょこんとソファに腰掛けていた。

「あのう、あまり似ていない妹さんですね」

「……血の繋がりはないかもしれない。でも、大事な家族なんだ」

 アリアは向かい合わせにソファにどさりと座り、照れながら言った。大事な家族。心底そう思っていた。今ははっきりとそう言い切れる。ちょっと我が儘で大人びていて、さめたところもあるけれど、そんなところもひっくるめて愛しいと思う。アリアの中でとても大きい存在になっている柚子。

 アリアは目を細めて微かに微笑んだのだが、サングラスをかけていたため、宇野愛香にはその表情はわからなかった。

「柚子さんが羨ましいな。こんな優しいお兄さんがいて」

「今の柚子の剣幕、見たでしょ? 私はしょっちゅう怒られている。心配ばかり掛けているし、私は良い家族とはいえない」

 アリアは肩をすくめた。

 人との協調性がない生活を長く続けてきたアリアにとって、行き先を伝えたり、遅くなるからと連絡したりするということは、かなり難しいことだった。ついつい後回しにし、そのうち忘れてしまうのだ。わかっていても実行が伴わない。

「残された家族のことなんか、これっぽっちも考えていないような姉に比べたら……アリアさんの方がずっといい」

「愛香さんのお姉さんは、ちゃんとあなたのことを心配している。その証拠に、毎年、誕生日プレゼントを贈ってくるでしょう?」

アリアはソファを浅く座り直して、両手を膝の上で組み、宇野愛香の瞳をじっと見つめながら、優しい口調で諭した。

「そんなの、違う。義務的に送ってくるだけだわ。自己満足よ」

「もしかして愛香さんは、お姉さんのことを憎んでいるの?」

「あ、いえ……」

 愛香の声が小さくなった。

 宇野愛香は、姉、水香のことを話す時、硬い表情になる。二人の間で何かあったのだろうか。否定はしたが姉のことをよく思っていないのかもしれない。

「そろそろ本当のところを話してくれないかな。じゃないと、うまくいくものもうまくいかなくなる」

「本当のって……」

「愛香さん、まだ何か隠しているでしょう?」

「何も隠してなんかいないわ」

「そうかな」

「アリアさんは姉の手掛かりを何かつかんでいる?」

 愛香は話をそらした。

「いや、何も」

「嘘」

「どうして嘘だと?」

「それは……勘よ」

 強引な考えに、アリアは思わず吹き出した。

 強気な性格は姉妹揃って同じらしい。

「何よ、何がおかしいの?」

 愛香がふくれた。その仕草に、今度は柚子を思い浮かべた。そんなところはまだ子供かなとアリアは思った。

「ごめん。でも、勘だとしても、そう思う何かがあるんでしょう? 私を故意に巻き込んだ理由が」

 アリアは真顔に戻り、いきなり核心を突いてみた。探りを入れるようなまだるっこしいやり方はしなかった。

 愛香は大息をついて観念したように「なんだ、感づいていたの」と、クスリと笑ってあっさり白状した。

それまでの緊張した態度を崩し、愛香は背もたれに寄りかかって足を組んだ。

「ええ、あなたが思っている通りよ。最初から巻き込むつもりだったの。あなた、姉のことをよく知っているんでしょう? 知っているはずよ。本名は知らなくても」

「……誰のことかな」

「今更、とぼけないでよ! 姉は何処にいるの? お願いだから教えて!」

 愛香はアリアの傍に詰め寄ってシャツを掴んで、必死の形相で頼み込んだ。

「愛香さん、落ち着いて」

 アリアは両手で包み込むように愛香の手を握り締めた。

何が彼女をそこまで追い詰めているのだろうか。それがわからないことには、おいそれとDのことを伝えるわけにはいかない。下手に話して、Dの足をすくうようなことになっては大変だ。

「愛香さんの事情がわからないと、手を差し伸べるわけにはいかない」

「姉の居場所を教えてくれる? 約束して……」

「悪いようにはしない。力になってあげるから」

アリアの誠実な態度に、愛香は少し安心したような表情になり、アリアの横に座り直して話し始めた。

宇野愛香の父は愛香に会社を継がせようとしていた。だが、愛香には設計の仕事をしたいという夢があるのだという。

現在十八歳の愛香は、来年、大学進学を控えていた。進学してその道に進みたいと考えていた。しかし、愛香の父は聞く耳を持たず、希望の大学は反対されていた。

そればかりか、愛香を姉の代わりにしようと、父の片腕の男である姉の元婚約者までも愛香に勧めるのだという。

「彼は素敵な人だけれど、姉がいなくなったからって、私に挿げ替えるなんて、そんなの最低! 姉さんもずるい。何もかも中途半端にして逃げた姉を許せない。私がどんな思いでこの八年間を……」

 愛香は怒りで体を振るわせた。

 始めに見せた姉の身を心配する妹という姿は、今は微塵も感じられなかった。

感情を露わにする愛香に、アリアは戸惑った。

「それで、愛香さんはどうしたいの」

「姉に戻ってもらい、しっかりと会社を継いで、今までのことを清算してほしい。私は設計の道に進みたいの」

「それは、現実的じゃないと思うけれど」

 どう考えても、今のDが素直に『仕事』を店仕舞いして、家に戻るとは考えられない。

「じゃあ、このまま私が犠牲になれって言うの? 私のことを好きでもない相手と結婚して、自分の人生を棒に振って生きろというの?」

「いや、そういうことは言ってない」

「じゃあ、どうしろっていうのよ!」

「お父さんともう一度話し合ってみては?」

「今まで何度もやったわ! でも、無駄だった。後は姉さんが帰ってくるしかないのよ」

「……ごめん」

 親との確執。自分もそれがどんなに深い溝なのか、身をもってわかっているはずだったのに。軽々しいことを言ってしまったことにアリアは後悔した。

「決着をつけないと、私は希望の大学へ進学できない。だから、姉さんの居場所を教えて!」

 アリアは困り果てた。こんな状態でDに会わせたとしても、解決するだろうか。話は平行線で口論になって、姉妹は仲違いしてしまい、埋められない溝を深めるだけなのではないか。

「愛香さん、少し時間がほしい」

「もう私は待てない。会わせてくれるまで帰らないから!」

 宇野愛香はアリアがなだめてもすかしても帰りそうもなかった。

 強情で頑固なところもDそっくりだった。

「わかった。でも、家に連絡だけはさせてもらう。それと学校はきちんと行くこと」

「いいわ」

 また柚子に何か嫌味を言われる。

アリアは気が重いまま、宇野愛香の自宅へ電話をした。女性の声色を使って同級生の母親を装い、暫く泊まりたいとのことでお嬢さんをお預かりしていますというようなことを愛香の父親に伝えた。

「びっくり。アリアさんって、女の声が上手いのね。ねえ、もしかして女装もできる?」

「私に興味を持たなくていい。私の生活に首を突っ込まないように」

「は〜い」

 宇野愛香はにっこり笑って間延びした返事をした。

逆境にめげないところもDに似ている。

 アリアには愛香がこの状況を楽しんでいるように見えた。

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