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22・桜咲く

 そもそも、女怪盗Dは本当に事件にかかわっていたのか。

Dからの二通目の予告状。あれは確かにDのものにちがいない。そう確信していた東十無だったが、唯一の確信さえも揺らいでいた。

ひょっとして、偶然、カードが似ていただけかもしれない。カードは大量に流通しているものだし、ワープロ文字も何の特徴もない機種だ。インクも然り。カードの大きさや文字が、単に似通っていただけに過ぎなかった。ただそれだけのことかもしれない。

現在、この事件を捜査する者は、東十無と他一名の専任者を置くだけとなった。急速に縮小された捜査。被疑者逮捕につながらなかったこの事件を、内部では蓋をしたがっているような風潮になっていた。それに同調するわけではないが、東十無もまた、捜査の行き詰まりを感じていた。

新たな情報もない。やることはやったのだ。

宇野水香の滞在しているホテルを昇から訊き出して張り込んでもみた。その中で、姉妹の感動的な再会や、父親との未だ続く確執も目の当たりにしたが、それだけのことだった。宇野水香はショッピングに出かけることもなく、家族と会う以外は、ホテルにこもって一週間が過ぎたのだった。ホテルの従業員にそれとなく訊いてみても、食事以外は部屋でノートパソコンに向かい、仕事をしているらしく、掃除に入ることはないのだという。宇野水香が仕事熱心だということがわかっただけで、特筆すべきことは何もなかった。そして、宇野水香は日本を後にしたのだった。

だが、不思議なのは、宇野水香をDではないかと疑っていた昇が、あっさりと引き下がってしまったことだ。ホテルを張り込むと告げても、協力するどころか、そうか。と、気の抜けた返事をするだけで、動こうとはしなかった。

昇は心ここにあらずといった感じで、このところ、何を言っても上の空だった。

宇野水香を見つけたころからだったろうか。そういえば、着るものこそいつものよれたシャツにジーパンだったが、昇の髪は短く刈りそろえられて、こざっぱりとしていた。その時は、別段気にも留めていなかったが、今思えば、その頃に何かあったのかもしれない。

気の抜けた顔をして、毎日、遅刻せずに真面目に出勤する昇を、十無は見守るしかなかった。十無が声をかけるのをためらったのには理由があった。昇は十無を避けている節があるのだ。無言で朝食を摂り、顔をあわせないようにさっさと出勤する。いくら鈍感な十無でも、昇の態度の変化には気付いていた。

昇が仕事で悩むとは考え難い。もしそうだとしても、十無を避ける理由はない。何故避けるのか十無にはわかっていた。

原因は多分、アリア。

アリアからの意味不明な電話以来、十無はアリアとコンタクトを取っていなかった。アパートに行けばアリアに会えるのだろうし、気にかけていなかったわけではないが、足は遠のいていた。

十無は怖かったのだ。もし、アリアから、昇と何かあったと打ち明けられたら、アリアの態度がいつもと違ったら、平静を保っていられるだろうか。自分の感情を仕舞い込むのは無理かもしれない。その後の自分の行動が予測できない。

だが、アリアと昇の間に何かあったとしても、昇と同じ土俵に上がってもいない自分が、口出しすることはできない。じっと見守るしかないのだ。

臆病風に吹かれた十無は、その考えを忘れ去ろうとするかのように、仕事に没頭していた。

そんなこんなで、東十無の中で、Dの事件と供にアリアのことも不消化を起こしていたが、昇に相談することもできずに時が過ぎ、宇野水香への疑いは、他の業務に埋没していった。


「Dに逃げられたんだね」

それからまた数日が過ぎた夕暮れ時、悩みの根源が、東十無にひょいと会いに来た。

泥棒の癖に、堂々と警察署の玄関前で、東十無に声をかけてきたのだ。

久しぶりに会ったアリアは、以前と変わらない態度で、嫌味の一つも忘れない。

 十無は内心、ほっとした。そして嬉しかった。アリアがわざわざ会いに来てくれたのだ。

黒いサングラスに、モスグリーンのシャツ、パンツスタイルというアリアは、何の飾り気もなく、少年そのものだったが、十無の心臓を高鳴らせるには充分だった。

十無はにやけてしまいそうなのを堪え、門前に立つ警官の手前、体裁を保つのに仏頂面で応えた。

「そう楽しそうに言うな」

「別に楽しそうにしていないよ」

「何しに来た」

 そう言いながら、十無はその場から逃げるように、黙ってアリアの腕を引っ張って劇場通りを横断して、近くの公園へ連れて行った。

 広い公園内は、けやきと桜の木がうっそうと生い茂っていた。染井吉野はまだ蕾のままだ。満開の時期ともなれば、花見の場所取りで賑わうのだが、今は都会の喧騒にある公園とは思えないようなのどかさだ。時折、走り回る子供の笑い声が聞こえ、母親が笑顔で見守っている。他には、女子高生の二人組みがベンチに座って話し込んでいた。

 ノスタルジックな気分に浸れそうな夕刻の情景だったが、十無には周囲を眺めている心の余裕がなくなっていた。

「昇が……」

 横断歩道を渡るとき、アリアは何か言いかけた。だが、十無は、聞こえないふりをして、黙って歩いたのだった。

その時十無は、顔が強張ったのが自分でもわかった。

やっぱり、昇のことで来たのか。

「……昇は、元気?」

 アリアは円形の噴水まで来ると、噴水の縁に座って十無のほうを見上げた。

「昇とは最近すれ違いで、あまり顔をあわせていないが、仕事は真面目に行っているようだ」

 嘘は言っていないが、元気がないことを伏せた後ろめたさがあり、十無は視線をそらした。

 夕闇の中、アリアはサングラス越しに十無を観察するように見つめた。

「ちょっとからかいに来ただけだから」

その言葉とは裏腹に、アリアは何か言いたげで、足元に視線を落として沈黙した。

「用がないなら忙しいから、俺は行くぞ」

 十無はこの場を早く離れたかった。昇の名を口にしてから、アリアの態度がよそよそしい。聞きたくないことを聞かされる、十無はそう思った。

十無が署に引き返そうと背を向けた時、アリアがこう呟いたのだ。

「……この前、昇と十無の見分けがつかなかった」

 どういうことか。俺と昇を間違えたのか。今までそんなことはなかったのに。

 足を止めて振り返った十無は、予想外のことを言われてぽかんとその場に突っ立った。アリアは立ち上がって十無をじっと見つめていた。

「だけど、見た感じが違うだろ」

「昇は髪を短くして、十無と瓜二つになっていたし、服装もスーツを着ていて……」

「あいつ、何を考えているんだ」

「途中でわかったけれど」

「それで、何かあったのか」

「何かって?」

「いや、その……」

 十無は弾みで変なことを訊いてしまったと後悔した。

「あったって、言ったら?」

 アリアは視線を逸らさなかった。

 自分で墓穴を掘ってしまった。昇とのことなど聞きたくない。そんな風に見つめるな。

「俺がとやかく言う筋合いではないだろう……ただ、お前は泥棒だし、男だから……」

十無は腕組をして視線を宙にさ迷わせ、しどろもどろに答えた。

「ふーん。私が言っている意味、わかっている?」

 詰め寄るような言い方のアリアに、十無は頭に血が上って何を口走っているのか、段々わからなくなってきた。

「いや、だから、その……おまえ、昇が好きなのか」

「……さあね。じゃ」

 アリアは立ち上がり、ぷいと背を向けた。

「おい、待てよ」

「……私は昇のことを十無だと思ってしまった」

 アリアはそう呟いてから、十無を一瞥して立ち去った。

 取り残された十無は、頭の中が真っ白になっていた。

 まてよ? アリアは昇と俺を間違えたと言った。で、俺そっくりな昇とアリアは何かあった、ということは。

「それって……俺?」

 顔から火が出そうなほど赤面し、棒立ちになっている十無の頭上で、染井吉野の蕾が一つ、咲き始めていた。

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