21・唐突な結末
Dが被疑者という線も根拠が薄れ、宇野愛香も無事保護したために捜査は大幅に縮小された。
納得がいかない東十無は個人的に訊きまわっていた。
宇野愛香が依頼していた姉の宇野水香探しで、昇は何かつかんだのかもしれない。
十無はそう思い、この数日間、昇の携帯電話に何度も連絡を取ってみたが、まったく応答がなかった。音江探偵事務所に連絡しても、例のごとく所在がわからないとのことだった。
もしかして、宇野水香を探し当てたのだろうか。
十無は気ばかりが焦っていた。車の運転席に乗り込んだものの、宛がなくなって握り締めていた携帯電話を恨めしそうに見つめて、ため息をついた。その時、着信音が鳴った。
番号非通知。
「アリアから?」
十無に非通知で電話をかけてくる人物。それは、アリアに違いなかった。
「十無?」
電話の向こうから聞こえる、アルトの声。Dの事件で、すっかりアリアのことを忘れていた十無は、アリアからの突然の電話に、戸惑った。
アリアから電話がかかってくることは、滅多にない。十無は胸騒ぎがした。
「何か、あったのか」
「別に……ちょっと」
言葉を濁すアリア。その沈んだ声は、どう考えても、「別に」という感じではない。
「何かあったんだろう」
はっきり言おうとしないアリアに、事件も解決せず、神経が高ぶっていたせいか、十無はいつになくきつい口調になってしまった。
「……昇が、ここへ来た」
「昇が? 今そこにいるのか」
「いや」
「宇野水香を見つけたのか」
「違う」
「じゃあ、どうしたんだ」
「……もう、いい。別に大したことじゃないから」
「おい、アリア!」
電話は一方的に切れてしまった。
わけがわからない。
何か言いたくて電話をしてきたはずなのに、アリアは何も言わない。
昇と何かあったのか。
アリアからの電話は、意味のない不安をかき立たせた。
十無はアリアの様子が急に気になってきた。アリアのマンションへ向かおうと、車のキーを回した。
再び携帯電話が鳴った。今度は液晶画面に昇と表示が出た。
「昇! おまえ、どこにいる」
十無は携帯電話に向かって怒鳴った。
「池袋」
抑揚のない、気の抜けた昇の声が返ってきた。
「いいか、そこを動くな。色々と訊きたいことがある。今から、そっちへ行く」
「だめだ。これから用がある」
「じゃあ、俺も一緒に――」
「それはできない。仕事だから」
「そんなことより、こっちが先だ」
「そうはいかない。大事な仕事だ」
「……今の仕事って、宇野愛香からの依頼だったな。まさか、姉の宇野水香を見つけたのか?」
「まあね」
昇はどうしてそう落ち着いていられるのだ。宇野水香はDかもしれないのに! 昇だって、そのことに勘付いているはずだ。
昇の気のない返事は、十無を苛つかせた。
「お前だけに任せられない。俺も行く」
「兄貴、来ても無駄足だ。宇野水香はDではなかった」
「なに?」
昇の話に納得できない十無は、とにかく宇野水香に会わせてほしいと訴えたのだが、昇は良い返事をしなかった。
「口出ししないと約束するなら、来てもいい」
押し問答の末、昇は渋々承諾した。
これから会うのだという。十無はアリアのことも気になったが、そちらを後回しにして、指定された場所へと急いだ。
地味を絵に描いたような女性だった。
彼女は喫茶店の椅子に姿勢良く座っていた。髪は無造作なショートカット。銀縁眼鏡をかけ、化粧気のない顔。背丈こそあるが、服装はというと、膝丈のタイトスカートにグレーのジャケット。まるで、小さな町役場の冴えない事務職員のようだ。控えめな女性といえば聞こえはいいが、気弱な、影の薄い女性といったほうが、言い得ていた。
予想していた感じと全く違う。
東十無はその外見に戸惑った。宇野水香はこちらに気づくと、不安そうな顔で、軽くお辞儀をした。
「こちら、宇野水香さん。こっちは、俺の双子の兄貴。刑事なんだ」
「刑事さん?」
一瞬、彼女の瞳が見開かれた。
「えーと、そこで偶然会って……」
「ご迷惑でなければ、ご一緒していいですか」
説明に詰まった昇の横から、十無が口を挟んだ。
「兄貴は、愛香さんの誘拐事件の担当をしていて」
「まあ。愛香も無事に帰ったとニュースで聞きました。ありがとうございます」
宇野水香はか細い声でそう言い、座ったまま深々と頭を下げて、同席を了承してくれた。
「ですが、事件はまだ解決していないし、犯人は未だわからずじまいです」
昇と共に向かい合わせに席へ着いた十無は、率直に伝えた。
「そうですか。でも愛香が無事だっただけで、もう充分です」
宇野水香は十無を気遣うようにそう言って微笑んだ。
地味で気弱そうに見えるが、家庭に入ったら、夫を立てつつ家庭の中のことを切り盛りし、堅実に家を守ってくれそうな芯の強さを感じさせた。良妻賢母という言葉がぴったりの女性のように見えた。人の道に外れた、大それたことをするような女性には到底思えなかった。
早合点だったかと、十無は肩を落とした。
「それで、水香さんは妹さんに会う決心がついたんですね」
「ええ。でも、水香に会うのが怖い。何もかも捨てて突然出て行った私のことを、恨んでいるのでしょう」
「多少は。でもそれよりも、愛香さんはあなたの無事を願っています」
昇の言葉に、宇野水香は弱々しく微笑んだ。
「水香さんは今までどちらにいらしたのですか」
「パリに」
「海外ですか」
「父に言いなりの自分が嫌になって。自分の力を試したかったんです。自分の力を試そうと思えばどこにいても試せたのに。あの時はそれがわかっていなかった」
水香は目を伏せて俯いた。
宇野水香は宝飾デザイナーとして、パリで小さいながらも店を構えているのだという。妹、愛香のことはずっと気がかりで、時折、東京に立ち寄っては、誕生日には贈り物を送っていたということだった。
話を聞けば聞くほど、女怪盗Dとはかけ離れた女性だった。十無は口を挟むことなく、最後まで黙っていた。
別れ際に、昇は水香が愛香と会う約束をとりつけることができた。
「来るだけ無駄だったろう」
「だけど、どうやって彼女を見つけ出したんだ?」
「それが、今回の事件のあと、ウノ・ジュエリーがてんてこ舞いだったときに、店のそばで、店のことをあれこれ聞いている女性を見かけて。それが彼女だったんだ。事件を聞きつけて、心配でいても立ってもいられなかったようだ。事件のおかげで、依頼も片付いたし、一件落着だ」
昇のすっきりした明るい声とは裏腹に、十無は何か引っかかっていたのだが、言い表しようもなく、合点がいかないまま昇と別れたのだった。