2・捜索協力
毎年、誕生日に贈られてくる高価な贈り物。
宇野愛香は始めの数年はその価値がわからず、父親の目の届かないところで、送られてきたブローチなどを身に着けて、出掛けたりしていた。
ある日、父親に見つかり、こんな高価なものをどうしたのかと問いただされた時、初めてその価値を知ったのだった。
ブローチ一つが、時価百万円はくだらない代物だった。
宇野愛香の父親は貴金属店を経営しており、仕事柄、宝飾品には詳しかった。
愛香は父親には友達の親から借りたのだと苦し紛れに嘘をつき、その場は何とか取り繕ったのだが、毎年、贈り物が届く度に、父に心配をかけないように品物を厳重に隠し、見つからないように気を使ってきたのだという。
姉は何をしているのか。
年々、不安が募っていき、とうとう姉からの贈り物の一部を売り、姉探しの資金に当てることにしたのだと、宇野愛香は話してくれた。
宇野愛香の話を一通り黙って聞いていた昇は、難しい顔をして頭をかいた。
「厳しいな。時間がかかるかもしれない」
「引き受けてくれますか?」
宇野愛香の顔がぱっと明るくなった。
「アリアが手伝ってくれるっていうのなら、引き受ける」
「私が?」
「裏に通じていないと、難しいからな」
「裏の、人なんですか?」
宇野愛香が、大袈裟に目を丸くしてアリアを見た。
「昇、嫌な言い方しないでよ。私は何も情報なんてない」
「お前になくても、ヒロは情報を持っているだろう?」
「でも、それは……」
ヒロが協力してくれるとは思えない。アリアは言葉を濁した。
「さっき、俺が引き受けなかったら、変わりに探そうかなって言ったじゃないか」
「そうだけれど」
まさか、彼女のお姉さんが犯罪絡みの人物だとは思わなかったのだ。
面倒なことになりそうだ。
一時的な感情で、軽々しく探してあげるなどと言ってしまい、アリアは後悔した。
結局、成り行き上、アリアはお姉さん探しに協力することになった。
「あの女子高生、まだ何か隠しているようだ」
宇野愛香が事務所を去った後、昇が難しい顔をして言った。
「何を?」
「それはわからないが、俺の勘だ」
確かに、父親と姉の確執の原因は言葉を濁していた。だが、家族のごたごたは誰でも他人には言いたくないだろう。それを訊いたからといって、姉を探す手掛かりになるとも思えない。
アリアはそのことを、気にも留めなかった。
宇野愛香の姉の特徴をメモした写しを昇から受け取り、アリアはマンションへ帰った。
『宇野水香、二十八歳。家を出た当時は二十歳。細身で身長百六十五センチ程度、ショートヘア。依頼人、宇野愛香とはあまり似ていない、地味で控えめな性格。成績は優秀で、スポーツもこなすが、目立つことが嫌いで、クラブ活動は何も所属していなかった。大学進学もしたが、父親とのトラブルで家出、中退している――』
アリアはマンションのソファに寝そべって、宇野水香に関するメモを読み返しながら、どうやって探し出したらいいのか考えた。
依頼人、宇野愛香の話によれば、父親は宝石店をついでくれるものと信じ、宝飾品に関する様々な知識を宇野水香に学ばせていたということだった。
大学入学当時、水香は父親に反抗する様子もなく、素直に従っていたらしい。
愛香も、姉は店を継ぐ気でいるものとすっかり信じきっていたのだという。
水香を家出に駆り立てたほどの父親とのトラブルとは、一体何なのか。
やりがいのある、全く違う職業を見つけてしまったのか。それとも、父親のやり方に不満が募ったのか。
アリアはあれこれと想像してみた。
「難しい顔をして何を見てるの」
柚子が帰宅し、居間に顔を出すや否や、アリアが手にしていたメモをかすめ取った。
「こら、返しなさい。柚子には関係ないことだから」
アリアは起き上がって柚子からメモを取り返そうとしたが、ひょいとよけられた。
「宇野水香?」
柚子は、団栗目で名前を読み上げた。
「柚子、知ってるの?」
「どうして私が知っているのよ。これって人探し? アリア、また余計なことに首を突っ込んだの」
「って、いつも柚子が厄介なことを持ち込んでくるくせに」
「昇に頼まれたの?」
アリアの愚痴には反応せず、柚子は違う質問を返してきた。
「……ちょっと、成り行きで」
「ふうん。……写真はないの?」
「ない。柚子、ひょっとして名前に聞き覚えがあるの?」
「しつこいわね。知らないって言ってるでしょ」
メモに一通り目を通した柚子は、あまり興味を示さず、ソファに座っているアリアにぽんとメモを返し、キッチンへ行こうとした。
何か知っていそうだ。
「実は、まっとうな職についていない可能性が高そうなんだ」
探りを入れるようにそう言って柚子の反応を見たが、柚子は足を止めたものの、驚いた様子もなく「……そう」と返事をしただけだった。
「驚かないの?」
「だって、よくある話じゃない」
「そうかな」
「その人、探すのなら写真がないと無理ね。本名なんて使ってないかも」
「そういえばそうだ」
「高校の卒業アルバムは? 友達とか、学校に問い合わせてみたら?」
「ああ、そういう手があった」
「頼りない、にわか探偵さんね」
柚子はくすりと笑ってキッチンへ引っ込んだ。
何か知っていそうな感じがしたが、思い過ごしだろうか。
「それより、ヒロに訊いた方が早いかもしれない」
柚子は何かを思い出したように再び居間に顔を出してそうアドバイスしてくれた。
「昇にも同じようなことを言われた」
「ふふ。女だし、ヒロの知り合いかもよ」
柚子は意味ありげに笑い、またキッチンへ引っ込んだ。
柚子のあの含み笑いはなんだろう。やはり何か知っていそうだ。ヒロに振るということは、ヒロが昔付き合っていた女の子かもしれない。でも、どうして柚子が知っているのか。
確かめようにも、ここ一週間ほどヒロからの連絡はなく、何処にいるのかわからない状態だった。
「とりあえず、学校にあたってみるか」
アリアは一人呟いた。
少しして、柚子の作る味噌汁の香りが漂ってきた。アリアは一気に空腹感を募らせた。
「今晩は何のご飯?」
「手伝ってくれない人には内緒!」
キッチンから柚子が答えた。
手伝っても、こうしろだのなんだのと文句を言われるのが落ちだった。実際、炊事を満足にしたことがないアリアが手伝っても、足手まといにしかならなかった。
アリアはそれを充分自覚していたので、夕飯が出来上がるまでの間、いつものようにテレビのニュースを見ながら、寝そべっていた。
「そんなわかりきったこと、とっくに調べた」
東昇はアリアの皿に手を伸ばしてトーストを横取りしながら、俺はプロだからなと、少し得意げに言った。
「朝食を横取りするな」
翌朝、アリアと柚子が朝食をとっているところに、いつものように昇が訪ねてきたのだった。そのせいで、いつの間にかアリアは朝食時もサングラスを外さないのが習慣になってしまった。
昇はトーストを口にほおばって両手を空にし、アリアの向かいに座って、おもむろに茶封筒から一枚の写真を取り出した。
それは、宇野水香の高校の卒業アルバムを引き伸ばした、A四サイズの写真だった。
小さい写真を無理に引き伸ばしたので移りが悪いが、ショートヘアの、無表情で大人しそうな、あまり特徴のないセーラー服の女子高生が写っていた。
「何処にでもいそうな感じだ」
アリアは食べかけのトーストを皿に置き、写真を手に取った。
「でも、女の子って変わるから、これを頼りにするのは難しいんじゃない?」
柚子がアリアの横から、写真を覗きこんで言った。
「確かにそうだ」
昇は頷きながら手を伸ばし、アリアの皿から食べかけのトーストまでも横取りしたのだった。
「昇!」
「だって俺、朝飯まだで腹へってふらふら」
アリアが怒っても昇は平気でパンをかじっていた。
やれやれという感じで、横で柚子がため息をついている。
アリアは仕方なく、トースターに食パンを一枚セットした。
「ヒロには訊けたのか?」
「いいや、何処にいるのかわからなくて」
「まったく。いなくていい時にはいるくせに、使えない奴だ」
ヒロを前にしていたら、怖くて口が裂けても言わないようなことを昇は呟いた。
「今日はどうするの?」
「大学、高校のクラスメイトをあたってみようと思っている」
「そう、じゃあ頑張ってね」
「人ごとのように言うな。お前も行くんだから」
「え?」
「え? じゃないだろう。協力するって約束だぞ」
「だって、私はヒロから訊くくらいしかできないよ。尋ねて回るなんて、探偵じゃないんだから、無理だ」
「大丈夫。ベテランの俺が教えてやる」
「別に、探偵になりたいわけじゃないし」
「約束だろう!」
「昇はただ、アリアと一緒にいたいだけじゃないの?」
柚子がニヤニヤしながら横槍を入れた。
「違う! 俺は約束したから……」
パンをほおばりながら、昇はもごもごと言葉を濁した。
「へええ」
柚子は冷やかすように言った。
「さあ、アリア、食べ終わったら出掛けるぞ」
「勝手に決めないでよ!」
「約束、約束!」
昇にせかされて渋々支度をしたアリアが、数分後に居間へ戻ると、柚子が昇と何か話していたのだが、アリアの顔を見て口をつぐんだ。
「……あ、遅刻しちゃう。昇、あんまりアリアを引っ張りまわさないでね」
「なんだよ、それ」
柚子は鞄を持って慌ただしく学校へ行った。
「あいつ、何か知っていそうだ」
「何を話していたの?」
「いや、柚子が宇野水香のこと知っていそうな気がして」
昇は柚子から何か訊いたのだろうか。確かに柚子は宇野水香に心当たりがありそうだと、アリアも思っていた。
だが、どこでどうつながっているのかもわからないうちは黙っていたほうがいいだろう。
アリアはふうんと、うやむやに返事をしておいた。
「アリア、女の格好にならないのか?」
「どうして」
「男二人でうろつくより、女性がいた方が、聞き込みをする時に協力してくれる確率が上がるんだ。柔らかい印象になるからね」
「そういうもの?」
「そういうものだ」
アリアは半信半疑だったが「じゃあ、待っていて」と言い、再び部屋に引っ込んだ。
十分後、出てきたアリアは別人だった。
「こんな感じでいいかな?」
軽いウエーブのロングヘアに、落ち着いた感じのタイトスカートのスーツ。
一見地味だが、女性姿のアリアが昇の側に立つと華やいだ。
「いい感じだ。おい、言葉使いに気をつけろ」
「そんなこと、わかってる」
アリアはショルダーバッグを振り回して昇の背中にぶつけた。
「乱暴な女だなあ」
「昇が余計なことを言うから悪いんだ」
「ほら、まだ男言葉」
「う……」
どうも、初めからアリアだと知られているのに女の姿をするのは気恥ずかしくて、抵抗がある。
照れ隠しをしてしまうと、男言葉がつい口から出てしまうのだ。
「……やっぱり、これ、止めない?」
「だめ、折角可愛いのに……っと。さあ、行くぞ」
「え?」
昇は口から出た言葉を誤魔化すように、アリアの腕を引っ張り、外へと促した。