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19・悩めるアリア

 Dによる誘拐劇が成功を収めていた頃、アリアは一人、夜のマンションで抜け殻のように呆けていた。

東十無の姿をした東昇が帰ってから、夕食も摂らずに真っ暗な部屋の中、窓辺のソファに座って、星のない夜空を見るともなしに、ただ目を向けていた。

「アリア、いないの? うわ、びっくりしたあ、いるんじゃない」

 帰ってきた柚子が、居間の明かりをつけてアリアの存在に気づいて飛び上がった。

「脅かさないでよ」

「ああ、ごめん。ちょっとうたた寝していた」

「ふうん、そう。サングラスをかけたまま? 何かあって落ち込んでいるのかと思った」

 柚子の探るような瞳。アリアはどきりとした。

柚子はどうしてこうも鋭いのだろう。隠しごとは一苦労だ。

「まあ、いいわ。この調子じゃ、テレビも見ていないわね。ニュースでDと名乗る犯人が愛香さんを誘拐して、身代金を要求したと報道しているわよ」

「誘拐?」

 全神経が目を覚ましたように、アリアは跳ね起きた。

「でも、もう解決。愛香さんは無事見つかったって。だけど酷い騒ぎだったわよ。デパートの店内で万札ばら撒かせちゃうんだもの。Dも派手よねえ。あ、勿論、Dは摑まっていないわよ」

 柚子は感心しているのか、呆れているのか分からないような口振りで話した。

「よかった」

 アリアは胸をなでおろしてソファに座りなおした。

「お腹空いちゃった、続きは食べながら話すね。デパートで美味しそうなローストビーフを買ってきたの」

「ごめん、あんまり食欲がない」

「え〜。折角買ってきたのに」

「……じゃ、少し貰う」

 柚子が口を尖らせて抗議したので、アリアは妥協する返事をした。

「ライ麦パンも買ってきたから、サンドしてあげるね」

 柚子の機嫌はたちまち直り、鼻歌交じりに夕食の用意を始めた。

 Dが愛香さんを誘拐。そんなことをしなくても、愛香さんはDに会ってくれただろうに。他に何か目的があったのだろうか。二人は会って溝を埋めることができたのだろうか。

「ねえ、アリア。誰かここへ来た?」

「いや」

「そう……」

 アリアは咄嗟に嘘をついた。昇のことは話したくなかった。柚子にどう説明したらよいのか分からなかったのだ。

昇に抱き締められて、どきどきしたのは十無と同じ姿だったからなのか。いつの間にか昇自身を十無にして、昇が言ったことや昇の行動、仕草、全て十無の身代わりのように見ていたのだろうか。自分が好きなのは誰か。いつも傍にいてくれるのは、昇。十無は刑事の顔しか見せてくれない。いつの間にか昇を通して、自分に都合の良い十無という架空の人物を勝手に作り上げていたのだろうか。だとしたら、好きなのは、昇なのだろうか。

アリアは夕食が出来るまでの間、さっきまで悩んでいた、出口のない迷宮へと逆戻りしていた。

「なーに、考え込んでいるの」

 柚子がアリアの顔の前に、ローストビーフサンドを突き出した。

「はい、食べる。考えごとは後。ほら、温かいうちに食べる!」

 アリアはパンを受け取り、柚子に促されて一口かじった。

パンの芳ばしさが口に広がる。

「ね? 美味しいでしょ」

「うん」

「お腹が空いていたら、ろくなこと考えないんだから。どうせまた、くらーい考えにとりつかれていたんでしょ」

 図星だ。アリアは言い返せなかった。柚子はアリアの座る一人掛けソファの肘掛部分にちょこんと座り、ローストビーフサンドを口に頬張った。

「ん! おいしー」

 柚子は幸せそうな笑顔を見せた。

柚子がいるだけで心が和む。

その笑顔につられてアリアも微笑んだ。

「アリア、ワインでも飲みなさいよ」

「え?」

 食べかけのパンをテーブルのトレイにおいて、柚子は赤ワインのハーフボトルを開け、ワイングラスに注いでアリアに差し出したのだ。

「いっつも飲みすぎるなって怒るくせに」

何か魂胆がありそうだと勘繰ったアリアは、グラスを受け取らずに、パンをかじった。

「こういう時は飲んでもいいの」

 柚子はなおもワインを勧めてくる。

「こういう時って?」

「寂しい時」

「別に寂しくなんか……」

「顔にちゃーんと書いてある。十無に会えなくて寂しいって」

「そんなこと、ない!」

 柚子の何でもお見通しと言う態度が尺に触った。アリアは食べかけのサンドイッチをテーブルのトレイに戻して、顔を覗き込んでいる柚子からグラスをもぎ取ってワインを一気に飲み干し、空のグラスを柚子につき返した。

「これで気が済んだ?」

「私の前で強がらなくてもいいじゃない。Dの事件もあって、アリアは十無とまともに会っていないし、会っても被疑者扱いだものね。寂しくもなるわよ」

「違う、そんなんじゃない」

 それじゃあ、まるで構ってもらえなくて拗ねている子供みたいだ。

アリアは認めたくなくて強く否定した。

「どんな顔してそんなこと言っているの。サングラスなんか外しなさいよ」

 アリアの顔に柚子の手が伸びて、ひょいとサングラスを掠め取った。

「返せ!」

「アリア、目が真っ赤……」

 驚く柚子に、アリアは顔を隠すように俯き、片手で目頭を押さえた。

「ちょっと、考えごとをして疲れただけ」

「ふうん、そう……」

 柚子はサングラスをアリアに返して肘掛の上に座りなおして、黙々と残りのローストビーフサンドを平らげた。柚子は食べ終わっても黙ってアリアの横に座り、動こうとしなかった。アリアが話すまで、柚子はずっと離れそうになかった。

 受け取ったサングラスを手で弄びながら、アリアは小さくため息をついた。一気に飲んだワインが急激に体を駆け巡り、アリアの鼓動を早めていた。

この程度のアルコールでは、普段であれば酔うこともないのだろうが、空腹に染み渡ったワインはアリアを急速に酔わせて口を軽くさせた。

「……自分の気持が、わからなくなってしまった」

「なにそれ」

「傍にいてほしい。でもそれって、普通、誰でも良いものだろうか」

「ええ?」

「私は十無と昇を間違えてしまった」

「ちょっと待って、アリア。もう少し分かるように話して」

「ごめん。うまく言えない」

 アリアは見る見るうちに赤面した。その顔を隠したくて、持っていたサングラスを掛け、ぷいと窓側を向いた。

説明のつけられない気持ち。何故赤面してしまったのか、アリア自身、分かっていなかった。

「……ふうん。アリアって小学生みたい」

「何が」

 腕組をしてニヤニヤ笑いをしている柚子に、アリアは怒ったように聞き返した。

 どうせ自分の気持もわかってい馬鹿なのだ。

「そんな、怒らなくてもいいじゃない。ちょっと初々しくて可愛いなって思っただけ。アリアの口から十無のことを始めて聞いたし」

「からかうな」

「だって、アリアを見ていたら、こっちまで気恥ずかしくなっちゃう」

 柚子は両手で頬を押さえて、キャーキャー言っている。

「もういい!」

「だめぇ、聞かせてよ。多分、こうでしょ? アリアは十無のことが好きなのか、自信がなくなった」

 立ち上がって自分の部屋へ行こうとしたアリアの腕を引っ張り、柚子は断言した。

 アリアは足を止めた。

 柚子の言う通りなのかもしれない。そこまではっきりと言われ、否定できなかった。

「寂しがり屋さん。本当にもう、どうしようもないくらい寂しがり屋なのね」

 柚子が後ろからいとおしむ様にアリアを抱きしめた。

「そんなことない」

「まーだ否定する気なの。往生際が悪いったら。十無が悪いのよ。アリアを放っているから」

「別に、十無のことを言ったわけでは……」

「寂しいんでしょ、アリア」

 柚子の言葉がアリアの絡まった感情をほぐすように、投げかけられた。

「いい? アリアは十無と会えないから寂しくなっているの。昇と十無を間違えたとしても、それは十無の影を追っただけなんじゃないの?」

「本当にそう思う? 十無とはほとんど会うこともない。会っても十無の冷ややかな視線が投げかけられるだけ。私を犯罪者として、刑事の目で見ている」

 アリアは、柚子の言葉に、とうとう本心を口にした。

「そんなこと、今に始まったことじゃないでしょ?」

 柚子は背後からアリアの顔を覗き込んで諭すように言った。

「それはそうだけれど」

「ねえ、座って」

アリアは柚子に促されてソファに座った。足元にしゃがみ込んだ柚子は、アリアの膝に体をもたれかけて優しく語りかけた。

「大事なのは相手が自分のことをどう思っているかじゃなくて、アリアが誰を好きなのかってことでしょう。辛くなったから自分の気持ちから逃げるの? 昇に逃げ込むの?」

「そうじゃない……私は十無を見ていたのか、昇を見ていたのか、わからなくなって……」

「それは、きっと十無に会えばはっきりするわよ」

「何故?」

「だから、今のアリアには十無が足りないの」

 柚子は立ち上がってウインクした。

納得のいかない返事だったが、柚子に残りのローストビーフサンドを食べるように促され、アリアは黙ってパンをかじった。


アリアが自分の気持ちに悩んでいた夜、東十無は今回の事件の結末に悩まされていた。

 ウノ・ジュエリーで訊いた島崎肇の証言。これがなんとも、十無には信じ難いものだったのだ。

「犯人はどんな女でしたか」

「それが……暗がりで、よくわかりませんでした」

「背格好は?」

「背が高かったということしか……すいません。私も動揺していて、覚えていないんです」

 東十無は唸った。島崎肇の言葉は歯切れが悪い。

宇野愛香も、目隠しされていてDの姿は見ていないというのだった。

「警視庁の刑事さんにも話したけれど、Dと名乗っていた犯人は男の人だと思います」

 宇野愛香は断言した。

「どうしてですか」

「声が男の人みたいだったから」

「それは確かですか」

「きっと、男の人がDの名を騙っていたのだと思います」

 本当にそうだろうか。

二通目の予告状はDのものだと、東十無は確信していた。そうであれば、この二人が嘘を証言しているということになる。二人がDをかばう理由。やはり宇野愛香の姉、水香がDだと言えるのではないか。

「刑事さん、もういいでしょう? 警視庁の刑事さんに充分お話しました。色々あって疲れているので、今夜はもう休みたい」

「どうもすいません。ありがとうございました」

何の裏付けもない十無は引き下がるしかなかった。

 十無はアリアから電話がかかってくるまでの数日間、アリアのことをすっかり忘れていたのだった。

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