15・それぞれの前日
翌朝、Dが現れる可能性が最も高い日曜日を明日に控え、東十無は、早朝から数人の私服捜査員と共にウノ・ジュエリーの警備にあたっていた。
「何故、宇野愛香はDをかばうような発言をしたのか」
「はあ?」
共に警備にあたっている若い警官に東十無は質問を投げかけたが、若い警官は意味がわからず聞き返した。
「探偵をやっている俺の弟が言っていた言葉だ」
「ただ、混乱させたかっただけなんじゃないですか」
「そうだろうか。何か引っかかる」
「勘ですか」
「宇野愛香は音江探偵事務所に姉を捜す依頼をしているのは間違いない。ほぼ同時に、Dの偽予告状を宇野愛香が出していることになる」
「別に関連はないんじゃないですか?」
「八年前に家出した宇野水香はもしかして……いや、まさか。もしそうだとしても、何故ウノ・ジュエリーを狙う必要があるのか」
「なんですか?」
「いや、いいんだ。思い過ごしかもしれない」
十無は年配の同僚刑事に、宇野水香の情報収集を頼んでいた。その情報が入るまでは先走っては駄目だと自分に言い聞かせた。
はやる気持ちを落ち着かせようと、十無は開店前のウノ・ジュエリー店内から、通勤で往来が増えてきた歩道に目を泳がせた。
宇野水香がDだ。
一晩考えてその結論が出たのだった。頭の中はその考えで一杯になっていた。十無はそのことにとらわれてしまい、アリアを張り込むことをすっかり忘れていたのだった。
「私服警官がうようよ。物々しい警備ね」
午前十一時。ウノ・ジュエリ―の向かいに建つファッションビルの窓から、カップルが店の様子を窺っていた。
ヒロとDだった。
「仕方ないだろう。Dが狙っているんだから」
ヒロが耳元で囁く。
「ふふふ」
Dは笑いが込み上げてきて仕方がなかった。仕事の前の昂揚感。なんにしても、これが楽しいのだ。
「ここに見に来る必要はなかっただろう?」
「ちょっとどうなっているのか見たくなったのよ」
ヒロは絶えずDの髪を指先に絡めていじっている。傍から見れば、店内でいちゃいちゃしている目のやり場に困るカップルだ。
「本当に明日実行するのか」
「ええ」
「今回は止めないか。嫌な予感がする」
「あら、仕事前に不吉なことをいわないでよ。珍しく気弱ね」
「あまり気が進まない」
「もともと一人で実行するつもりだったから、ヒロは参加しなくていいのよ」
「お前が心配なんだ」
「まっ、心配してくれて嬉しいわ」
「茶化すな。上手くことが運んだとしても、危険なことには変わりはない。警察も馬鹿ではない。きっと宇野水香を調べ始めるに違いない」
「その時はその時。ケ・セラ・セラよ」
もうこれ以上言っても無駄だと思ったのだろう。口の端を上げてヒロは笑った。
「準備は整っているわ。あなたはアリアちゃんの所から、高みの見物でもしていて頂戴」
「俺も、行く」
「いいのに」
「そのくらい好きにさせろ」
そう言いながら、ヒロはDの肩を強く掴んで抱きしめた。ヒロの厚い胸板に顔を寄せて、Dは大げさにため息をつき、「仕方ないわね」と、言ったのだが、その顔は微笑んでいた。
ヒロもまたDのことに手一杯で、アリアへの連絡を怠っていたのだった。
女怪盗Dは宇野水香である。
東昇にはその確信があった。そうは言っても何の根拠もない、ただの憶測に過ぎないのだが、ほぼ間違いないだろうという自信があった。
恐らく、宇野愛香は最初から、姉、水香の正体を知っていたのだ。始めの予告状はDを挑発するためだったのだろう。宇野愛香は、姉を探すのにかなり焦っているようだった。しかし、警察や報道陣が来て大事になって急に不安になったのか、自分がやったと白状したに違いない。
二通目は明らかにDの予告状であると十無も断言していたが、宇野愛香は自分が出したのだと、Dをかばうような言動をした。
そのことが昇の憶測を確信に変えたのだった。
ただ、学生時代の写真を見る限りでは宇野水香は大人しくて地味な少女にしか見えない。以前、冬の旭川で、坂本周――アリアのアパートにいた、長身、長髪の派手な服装をしたDと思われる美女とでは、かなりのギャップがあるという不安は残っていた。
まず、宇野水香がDであるという裏づけと証拠を集め、警察兄よりも先に証拠を掴みたい。
昇は単にそう思っていた。それを警察に話すつもりはなかった。
依頼を受けて調査で知り得た情報を勝手に第三者へ提供する訳にはいかない。たとえそれが犯罪者であっても。
それが東昇のポリシーだった。
警察へ情報提供しなかったとしても、探偵が調査したことなど、いずれ警察もたどり着くだろうと考えていたのだ。
同時に、ある疑問が東昇を悩ませていた。どちらかといえばDの素性よりも、こちらの方が昇にとって重要だったのだが。
アリアは双子である兄と自分を見分けられるのだろうか。
十無と昇は服装の好みも髪型も違うため、普段、直ぐに見分けがつくことは一目瞭然だが、根本のところ、顔立ち等はそっくりなのだ。
昇は冬の旭川で十無に告白した青年、坂本周はアリアだったと思っていたし、アリアは十無のことが好きなのだろうとも思っていた。
アリアが時折見せる、照れくさそうに目をそらすような態度。それは昇を通して、同じ顔をした十無を意識した態度なのだという予想もついていた。
頭ではそう理解しているつもりなのだが、いざアリアを前にすると、どうしても良い方に考えてしまう。昇はアリアの態度につい期待を抱いてしまうのだ。
だって、雰囲気が全く違うから。
宇野愛香の言葉は、東昇が今まで何度も打ち消してきたその考えを決定的にした。
昇は無性に確かめたくなった。
たとえ、それが失恋を確信することとなっても、このままぬるま湯に浸かっているよりはいい。
今、十無はDのことで手一杯だ。今ならアリアの所へ来ることはほとんどないだろう。確かめる絶好の機会かもしれない。
銀座にある宇野愛家宅のマンションを出て十無と別れた夜、昇はベッドに入ってからもそのことをずっと考えていた。そして、翌朝の土曜日、昇はある行動をとることを決心して準備をしていた。それは、十無が絶対に仕事から抜けられない、Dの予告状が指定している日曜日、アリアのマンションへと向かうためのものだった。