12・細工
その日の午後は、東十無の宣言どおりにアリアのマンションにはずっと張り込みがついていた。
柚子はソファで寛いで暢気に雑誌を見ていたが、その向かいに座っている宇野愛香は、まんじりとせず、早くどうにかしてと言わんばかりにアリアの行動を目で追って、逐一観察しているようだった。
そんな愛香の責めるような視線に、アリアは息が詰まる思いだったが、東十無が張り込みをしていて、外出することもできなかった。
アリアは取り敢えず女性姿を解いて、いつものサングラスに男の姿へと戻っていたが、じっとしていることもできず、何度も窓を覗いて東十無の様子を伺っていた。
十無はマンションを離れそうにもなかった。
何があったのか知らないが、いい迷惑だ。隙を見てここを抜け出し、暫く違うマンションに潜むしかない。
アリアはそう考えるほど困り果てていた。
日も暮れかけ、いよいよ居心地が悪くなった頃だった。
アリアはDに電話をしようとして自分の部屋に引っ込み、携帯電話を手に取ったその時、着信音が鳴ったのだ。それは、とんでもない事態を知らせるものだった。
「アリア、お前何をした? Dを困らせるなと言った筈だぞ!」
ヒロだ。それも怒鳴り口調で。
「え? 何もしていないけれど」
Dに愛香さんのことを話したのが、そんなにいけなかったのかと、アリアは憮然とした。
「お前、本当に何もやっていないのか? じゃ、あれは本当にDが一人で……」
「何のこと?」
「ウノ・ジュエリーの騒ぎを知らないのか。予告状が届いたらしい……Dからの」
「えっ!」
アリアは思わず大声を上げてしまった。
自分の父親が経営する店に予告状を出すようなこと、Dがするだろうか。でも、Dではないとしたら、一体誰が。
アリアの声を聞きつけて、愛香が部屋に入って来た。居間へ戻るように身振りで指図しても、愛香はアリアをじっと見つめて出て行こうとしない。
アリアは仕方なく、声を落として話した。
「予告状には何て書かれていたの」
「そこまでの情報はない」
予告状と言う言葉に反応し、愛香の瞳が大きく見開いた。
もしかして、まさか愛香さんが絡んでいるのか。
「ヒロ、それで当の本人とは話した?」
「いや。Dに連絡がつかない。もし連絡があったら、マンションにじっとしていろと伝えてくれ」
「わかった」
アリアは携帯電話をズボンのポケットにしまいながら、自分の二、三歩前に立っている愛香の様子をうかがった。
愛香は硬い表情できつく腕組をして、アリアのほうをじっと見つめている。
「愛香さん、もしかして……」
「ええ、そうよ。私が予告状を出したの」
愛香はベッドサイドにある一人掛け椅子に足を投げ出すようにして座り、それが何か問題なの? とでもいうように簡単に白状した。
「愛香さん、どうしてそんなことを」
「アリアさんがなかなか動いてくれないから、予告状を出したらプライドの高い姉はきっと姿を現すと思ったの」
「お姉さんの正体、最初から知っていたのか」
「確証はなかったけれど、Dという女怪盗のことを聞いた時、もしかしたらって思ったの」
「ウノ・ジュエリーは今、大変なことになっているらしい」
「でも、予告状は偽物だって直ぐわかると思う……」
「もしわからなかったら? もしDが意地を張って、本当に現れたら?」
「それは……」
「警察が包囲している中にDが来たら、摑まってしまうかもしれない」
「でも、うまく逃げ切るかも……」
「愛香さんの言うとおり、逃げ切れるかもしれない。かも、というのは、百パーセント確実だという保証はないということ。一パーセントでも、逮捕はありうるということだ。愛香さんは、お姉さんを刑務所送りにしたいほど憎んでいるの?」
「違う! 憎んでなんか……私はただ、お姉ちゃんと会って決着をつけたいだけ」
愛香は体を乗り出して大きく頭を横に振った。
「きっと十無もDの件でここに来たのだと思う。予告状というのは、警察に対する挑戦状みたいなものだ。警察は威信をかけて捜査に乗り出す。きっと、かなりの捜査員が動員されているだろうね」
「どうしよう、アリアさん。このままじゃお姉ちゃんが捕まっちゃうかも」
ことの重大さに気づいて急に不安になったのか、愛香は泣きそうな顔をしている。
「何とかしてあげたいけれど、Dと連絡がつかない」
「そんな……」
「Dが先走って、行動に出なければいいけれど。今はただ祈るしかない。それで予告状にはなんて書いたの?」
「ワープロで、『今度の日曜日にダイヤを頂きます・D』って書いて、夜、店の中の防犯カメラにぺたんと貼ってきたの。今は外部の警備会社だから無人だし、暗証番号で忍び込むのは簡単だった。ちょっと身なりを泥棒らしくして、わざと防犯カメラに映ってきたの」
何てことをしたんだ、この娘は。
アリアは額に手を当て、ため息をついた。
愛香がとった行動は明らかに警察に対する挑発行為だ。警察が躍起になって警備することになるだろう。益々、Dが危険な状態だ。
「どうしてそんなことまでしたの」
「だって、やるからにはそれなりにDらしくしなきゃ……だめだった?」
愛香が不安そうに首をかしげた。
「ねえ、アリア! 大変。テレビでウノ・ジュエリーがDに狙われているっていうニュースが!」
柚子が血相を変えて部屋に飛び込んできた。アリアと愛香も居間に走って愕然とした。
テレビには防犯カメラに映ったモノクロ映像が流れていたのだ。
それは愛香扮するDが、目元にマスクをしてレオタード姿で防犯カメラに向かって手を振っているものだった。
愛香の行動には全く悪意がないのだろうが、それは思わぬ波紋を広げていた。今まで派手に動いていなかったDを、確実に追い詰めているのだ。
この事態をどう収めたらいいのか。愛香が転がし始めた騒動は、もう手の届かない修正のきかない大きさになっていた。
「あのテレビに映っているDは愛香さんなの?」
アリアは無言で頷いた。
「愛香さん、ここまで大事になってしまったら、これはもう警察に本当のことを言うしかない。悪戯でしたでは済まないだろうけれど、そうするしかない」
「まだ間に合う? Dとは連絡がつかないんでしょう?」
柚子は今回も立ち聞きしていたのだろう。話は全て知っているようだった。
「予告状で指定した日曜日は二日後か。早い方がいい。まず、お父さんの所へ戻って……そうだな、こんな風に。『これは全て自分がやった。嫌なことがあって、親を困らせようと思って悪戯した』とか、適当に言ったらいい」
「アリアさんも一緒に来てくれる?」
「私はついていくことはできない」
「一人で帰るの?」
心細そうに愛香が言った。
「でも私が出て行くとまた複雑なことになりそうだし……そうだ、十無に頼もう」
「え? さっきの刑事さんに?」
きょとんとしている愛香の手を引き、アリアは車の中で張り込みを続けている十無の所へ連れて行った。
「もう一度聞くが、予告状はその娘の狂言だったと?」
東十無は納得できないという顔をして、運転席から顔を出し、もう一度聞き返した。
「そう。で、親元へ連れて行ってあげてほしいんだけれど」
「どうして俺が」
「だって、その件でここに張り込んでいるんでしょ? だったら、この娘を連れて行けば、それで一件落着になる」
「すっきりしないな。ウノ・ジュエリーの社長の娘が、どうしてアリアの所にいるんだ。一体、どういう関係だ」
柚子が言った『アリアの新しい彼女』という言葉を確認したいのか、十無はなかなか納得しなかった。
「それは……話すと長くなるから、また今度」
アリアはもごもごと言葉を濁した。
「きちんと説明しろ」
「あのねえ、愛香さんは私の友達なの。それで了解?」
柚子がアリアと愛香の背後から助人した。
「でも違う高校の制服だな。他校生だろう?」
「だから、友達だって! ほら、ぐだぐだ言ってないで、さっさと愛香さんを送ってよね」
柚子が愛香を後部座席に押し込んでドアを勢いよく閉めた。
「俺をタクシー代わりに使うな」
「あら、お手柄じゃない。これで事件が解決するんだから」
「そう簡単にいくかよ」
柚子の言葉に文句を返しながらも、十無は言われた通り車を発進させた。
「うまくいくかな」
「さあね。でもこれで愛香さんのいない平穏な生活に戻れるわ」
アリアの心配をよそに、柚子はせいせいした様子で思いっきり伸びをした。
「ねえ、アリア。そういえば十無は一人で車に乗っていたよね」
「そうだね」
「刑事って、単独行動しないはずだよね。十無ってば、本当に仕事でここにいたのかしら? ただ、アリアのことが気になっていただけだったりして!」
「柚子、いい加減なことを言わない」
「だって〜。十無が愛香さんと一緒にいるアリアを見てショックを受けていたもの」
「面白がるな」
アリアはこつんと柚子の頭を小突いた。
「まんざらでもないくせに」
照れ隠しをするように、必要以上に真面目な顔をしたアリアを見て、柚子はふふんと笑った。
十無が自分のことを少しは気にかけてくれている。そう思うと、アリアはほんの少しだけ心が温かくなった気がした。
夕暮れではあったが、暖かな春風がそんなアリアの頬を撫ぜていった。