カップ麺にお湯を入れて三分待ってる間って意外と暇なんだけど、何かしてると後悔するくらい時間が過ぎてるよね。でも五分は待ちきれないんだよねぇ
結局、人間って見た目だけじゃないんですよっ。
って言ってる奴ほどそんなに何かあるわけじゃないけど、ねぇ。
今回は天才と呼ばれている敬介(現ニート)と萌の出会いと萌が戦う理由ですね。
「…中身はなんだろうな、これ」
量の頬に手形を付けて千石が恵美の珠と同じ物を取り出す。大きな箱の割には大したものが入っていなかった。装飾グローブと二個の珠だ。
「あ、それグローブつけて、珠をセットしてください」
恵美に言われて千石はグローブを嵌めると、革製の様な触り心地がフィットして心地良かった。指出しグローブとは洒落ている、と千石も満足しながら珠をセットすると、カチカチカチと音がしてグローブが鋼鉄製に代わる。
「ナックルか?」
前拳を防御する様な珍しいそれに千石は首を傾げる。
「アーティファクト…だ」
恵美が確か萌がそう呼んでいた部類の武器だろうと思うと、千石が首を傾げる。
「なんだそれ」
「わからないけど、機械変形機構を持った武器です。知り合い…がそう言ってました」
恵美が自分の月影弓砕覇を同じように変形させて見せると、千石が目を細める。
「敬介さんも同じようなものを持ってたぜ?それもいくつも」
「え、そうなんだ」
そう言われても恵美は敬介が武器の類を扱っている様な話は聞いた事がなく、実感が沸かない。
「まぁ良いモノも見れた…じゃなくて良いお尻…でもなくて」
千石の言葉にじとりとした目で恵美が睨みつけると、千石は「あはは」と笑う。
「良い物を拾ったから先に進もうか…」
恵美は渋々頷きながら千石の後を続く。目つきが鋭くて怖い印象を受けるが、そうでもなく気さくで楽しい…人なのかもしれないと恵美は印象を改める。
金髪の人も同じクラスの茶髪の奴も、本当は良い奴だったのだろう。いつも教室の隅でガラの悪い連中が自分達の思い通りにやっているのを見て、気分が悪かったのだが、暴れたりせずにクラスで協力する事はしっかりとやってくれていたのも事実だった。
「あの二人、無事かなぁ」
「あの二人は根性があるからな、ああ見えて。だから大丈夫だ」
自信満々に言われて恵美は何故だか安心した。
「まさか恵美、どっちかに手を出されたんじゃねぇだろうな…」
「大丈夫だよ、そこは心配しないで」
睨み付けられて恵美が「ないない」と手を振ると、千石がほっと胸を撫で下ろす。
「俺のツレが妹さんに手を出した、なんて言ったら…やべぇことになりかねねぇからなぁ…。敬介さん伝いで京さんに話が行って、俺もどやされる」
千石はそう言って何かを想像したのか、ぶるりと身震いしているのを見て、恵美は変な人だなぁと思う。あの二人の前では毅然としていたのだが、ここでは面白い人だ。
ひょっとして…私が不安だったり怖がらないように気を使ってくれてるのかな…。
恵美はそんなことを思うと、なんだか嬉しく思えた。
「千石さんって変ってますね。みんなの前では親分!って感じなのに…」
くすくすと恵美が笑うと千石が「うーん、そうだなぁ」と考える。
「男社会ってのは舐められたら終わりなのよ。だから、やっぱり場所で違うって感じじゃないかね。そうだろ?」
「私に聞かないでくださいよ」
恵美が女の子ですもの、と言うと千石がうんうん、と頷く。
「素晴らしいヒップラインの水色のしまっ」
ごんっと月影弓砕覇のフレームで千石の後頭部をド突くと、千石が頭を抱える。
「悪かった、もう言わないから」
「はい、約束して下さいね」
恵美の笑顔に千石は敬介と同じ種類の畏怖を覚えたのは、これが最初だった。
◆◆ ◆◆
同通路
午前二時四十九分
恵美と千石は話し声が聞こえて通路の壁際に沿って移動していると、はぐれた四人が大きな両開きのドアの前に揃っているのを見つけた。
「開かないのか?」
何事もなかったように千石が尋ねると、四人は驚いた様な顔をして振り向く。
「千石さんっ!無事だったんですか!」
金髪が嬉しそうに千石に駆け寄ると、茶髪もすぐに金髪の後を追って駆け寄って来る。
「メグも無事でよかった」
茶髪に言われて「千石さんが下敷きになって助けてくれたの」と言うと、茶髪は何処となく面白くなさそうな顔をしていたが、すぐに笑顔になる。
「…で、これはなんだい?」
千石が無事だった二人を見てから教師たちに尋ねると、響と茜も安心した様な表情から気を引き締める様に難しそうな顔をした。
「何とも言えないわね…」
「俺たちだってこんな場所があるとは思わなかったくらいだ」
茜、響も知らない、と言う事は千石の予想通りで大分古くからこれは存在する事になる。
「この扉…開かないんだよな?」
「響先生が殴ってもダメだったわ」
「殴ったんだ…」
茜の強引な案に恵美が空笑いして茜の意外性を知った様な気がした。理知的で知恵の輪をしっかりと見てから解除する人間だと思っていたのだが、けっこう振り回すタイプなのかもしれない。
「ん?」
二つの拳に装着してある紅蓮の珠が突然、淡く光って溢れ始めの見て千石がぎょっとする。
「なんだこれ…」
「私のもだ…」
恵美の左手に嵌めた月影弓砕覇の珠が同じような色を発して、光が火の粉のように溢れ始めた。二人が腕を伸ばしてその光を全員に見せると光が収束して、珠の中で小さな光源が残った。
「あれ?」
「なんだよ…驚かせやがって」
千石が手を握ったり開いたりして、自分自身には何も影響がないと確認すると安心する。
「今までこんなことなかったのに…」
「そうなのか?」
響に聞かれて恵美がもう一度自分が使って来た月影弓砕覇がこんなことになったことはないか考えたが、記憶には該当するような事象はなかった。
「アーティファクト…っていうらしいです。こういうの」
恵美が左手を千石に見せると、千石が「そうなのか?」と尋ね返す。と、言われても萌がそう言っていたのを聞いた事がある程度のことで、詳しい事は何もわからない。
「どうやって使うんだ?」
「私は普通に部活でアーチェーリーとして…」
「それだけのものには見えないっすよね…これ」
茶髪が恵美の珠を見て「うーん」と首を傾げる。
「ひょっとして、今の変化で強力になってたりしそうだぜ、メグ」
茶髪が思い付いた事を口にして恵美は「そんなことあるわけ…」と失笑する。
笑われて茶髪はつまらなさそうにするが、千石は黙考しているのか目を閉じてじっとしている。
「非現実的過ぎるのよ」
「でもそれじゃあ何で光ったんだよ」
茶髪がふてくされるように言うと、恵美は「わからないけど…」と先ほどまでの勢いを失って小声になる。
「恵美は元々持ってたんだろ?俺はここで見つけた…なんか関係あるんじゃないのか?」
「確かに、関係ないとは言い切れないッスね」
金髪が千石に同意し、茶髪も自分の肩を持ってくれる千石の発言に恵美に「ふふん」と自慢げに胸を張る。
「じゃあどうすんのよ」
恵美が三人に尋ねると、三人は「さぁ」と声を揃える。
「ここにいても仕方ないし…」
茜が三人の会話が一段落するのを見計らって口を開くと、ゴゴゴゴンと地響きがした。
「地震かっ!」
響がその揺れに声を上げると、全員が立っていられない程の揺れに蹲る。
「ひゃっ」
恵美が背中から落ちそうになって千石が腕を掴んで抱き寄せて屈むと、揺れがすぐに収まった。
「ありがと」
「二度目だな」
恵美は頬を赤くして千石から離れると、全員がゆっくりと立ち上がる。
「ありがと」
「どーも」
千石は左手をひらひらと振って気にするなと無言で恵美に言っている様な気がした。
「今の揺れは何?」
「さぁな…地震、というには短い。そして…崩れる音が聞こえた」
響が扉の向こうを見ると、茜も同意した。
「この向こうから?」
「うまくいけば大穴が開いてグランドから脱出、とか?」
そんな都合よくは行かないかな、と金髪が苦笑いするも、全員はそうあって欲しいと思うしかなかった。ここから脱出するには扉の向こうに行く必要がある。
「恵美…いる?」
小さい声だったが扉の向こうから声が聞こえてぎょっとする。
「誰だ!そこにいるのは!」
茶髪が声を張り上げると、返事がしばらくしてから帰って来た。
「萌だよ。恵美、いるの?」
「萌ちゃん?」
恵美が怪訝な顔をするとその場にいた全員が恵美を見る。幼い声に高校生だとは到底思えない。
「いるわよ!降りた人は全員無事だったの!」
恵美が声を上げると、向こうで息を呑む声が聞こえた。
「今開けるから、離れて」
「開けるってどうやって」
千石が首を傾げると、ゴン!ガン!と扉が大きな音を立ててこちら側にハンマーで殴りつけている様な出っ張っている逆クレーターのようなものが現れる。
「え?」
響の鉄拳でも開かなかった扉がひしゃげて、ドアがはじけ飛んだ。
「ぷぎゃ!」
「うわっ!」
金髪と茶髪が弾け飛んで来た二枚の扉に当たって通路の向こうまでふっ飛ばされる。響と茜は回転している扉の残骸を恐ろしいほどの動体視力と反射神経でするりと回転に合わせて身体を回転させて回避、千石と恵美は天井まで跳躍して一回転して、地面に着地してから、すとん、と綺麗に着地してドアのあった場所の向こうにいる萌を見る。
プシューッと圧搾空気の抜けるような音がして萌の肘、膝などの関節部分から温風が吐き出されて、もうもうと煙が立ち込め、その中から萌が涼しい顔をしてこちらにやって来た。
「あの子もすごいけど、二人とも…そんなに運動神経良かったのか?」
響が人間業ではないことをやってのけた千石と恵美を見て茫然とする。
「俺に言わないでくれ…、俺自身驚いている」
千石が素直な感想を口にすると、恵美自身も自分が何をしたのか、分かっていない様子だった。しきりに自分の身体を見て茫然としている。
「アーティファクターが増えてる。あなた誰?」
萌が千石を見上げて首を傾げると、茜が全員の名前を紹介した。
「萌は何故ここに…どうやって来た」
響が尋ねると、萌はすっと右手で上を指差す。上から来た、と言いたいのだろうがそれはわかっている。
「方法を知りたいの、教えてくれないかな?」
茜が尋ねると、萌は恵美の後ろに回って腰に抱き付いて黙り込んでしまう。
あら、この子かわいい。
恵美がそう思うと、他の全員はため息を吐いた。どうやら懐いている人間以外にはあまり口を開かないのかもしれない。
「恵美…敬介お兄ちゃんの妹さん…だから来た」
「またぁ?」
恵美は萌からも敬介の名前が出て来て呆れる。あの人は一体何をして来たのだろうか。
「ねぇみんなさぁ…お兄ちゃんとはどういう知り合いなのよ」
恵美が千石と萌を見て尋ねると、二人は何も答えない。
「そんなに敬介さんが気になるか?」
千石に試される様な言われ方をして恵美が顔を真っ赤にする。ブラコンだなどと思われているなら心外だった。
「別に私は、あんな人のこと…なんとも思ってないけど!ほら、たった一人の家族だし、こんな状況で萌ちゃんまでお兄ちゃんの知り合いだから!」
「そうかそうか…俺と敬介さんはさなえさんと…」
「話は後だ」
響が緊張した声で言うと、全員は背中を合わせる様にして一か所に固まった。突然ミストが何処からともなく噴出して来て、一瞬にして視界が真っ白になる。
そして通路がミストで満たされた瞬間、サークルがいくつも壁や天井に現れた。瞳はないものの、触手がうねりながらぎゅるりと伸びて来る。
「この先に広い場所がある。ここじゃダメ」
「待って!」
萌が走り出して恵美がそれを追う。
「くそ、離れるなよっ」
千石も恵美を追い、金髪と茶髪も千石の後を追う。響と茜が触手が伸びて来るのを打ち落としつつも、その広い場所、とやらに向かった。
全員がその場所に到着すると結構な高さのある広い空間が広がっていた。手入れはされていないものの土が剥き出しになっている壁は今までとそう変わっていない。天井からぶら下げらている電球が揺れる。
「落ちて来る、な」
千石が上を見上げると、案の定電球が激しく揺れて吊るしている劣化したワイヤーが切れてガシャン、ガシャンといくつも落ちて来る。
校内にいたときと状況はそう変わらない。霧のお陰で明るさは確保できているものの、薄暗かった。
「お…い…おい」
響が天井を見上げると、大きな紅い瞳が壁や天井伝いにこちらを追いかけて、全員を見下ろしている。闇色のサークルからぎちり、と黒い粘度のある液体と同時に何かが出て来る。出て来る、と言うよりも生まれて来る、と言った方が正しいのかもしれない。
「…う」
恵美が余りの生々しさに気分が悪くなった。肉の塊がどくん、どくんと脈打ち、筋肉繊維の赤黒さや脂肪のような白い塊が直に見えている。
「アーティファクトが解放されているから、恵美と千石、戦うよ」
萌がしゃああんと光の粒子を撒き散らしながら、断罪剣黒牙を両手で構える。
「萌、俺とお前だけでいい」
「はい…敬介さん」
全員の間を人影が通り抜ける。一瞬の出来事で誰もが風が通り抜けたようにしか思えなかった。
萌がいない。
恵美がそれに気付くと野太い触手が恵美たちに向かって十数本伸びて来る。
「あぶねぇ!」
「避けなさい!」
金髪と茜が叫んだ方を見ると、すでに萌ともう一人の背中が中空に上がっていた。萌が断罪剣黒牙を横薙ぎ一線すると、周囲の触手が全て叩き落とされ、恵美たちに到達する事はなかった。
「造形の前に終わらせる」
キン、とその人物が懐刀を抜き、触手を足場にして肉塊に迫る。
「有象無象は現世に足りて、闇は光と果てる」
どすっと懐刀を刺した瞬間、肉塊が弾け飛ぶ。弾け飛んだ肉塊がサークルと化して、逃げる様にして通路の方へと一斉に移動した。
二人がすとん、と着地すると青年は懐刀を逆手に持って腰を低くし、下から上へと刀身を振り上げた。
「雷刃一閃…っ」
ごごんっと雷が落ちる様な音がして、刃から紫電が放たれると瞳に直撃するも、瞳は閉じられていて、サークルがずぶり…と天井に消えた。
「あら皆さん、元気そうで何よりだ」
カチン、と鞘に刃を収めながら青年、敬介がまるで道ですれ違った古い友人に会ったかのように微笑んだ。
「お兄ちゃん…?」
「敬介さん」
恵美と千石が目を丸くすると敬介が困ったように微笑む。
◆◆ ◆◆
新校舎三年四組
午前五時二十分
さなえと三咲は萌がいなくなっておろおろしているところに戻った恵美、萌、千石、敬介はとりあえず落ち着いていた。
金髪と茶髪、萌と三咲が教室にあったトランプで遊んでいるのを横目で見て、さなえは小さくため息を吐く。
「萌ちゃんが校内に入って来た車を見つけて、飛び出して行ったんです。敬介さんを見つけて喜んで…ここから飛び出して」
さなえが窓を指差すが、もう誰も驚かなかった。ここから飛んでも彼女ならば平気だったのだろうとしか思えない。
「その直後にグランドに大きな穴が開いて…」
そこから二人が地下通路に侵入した、と言う事なのだろう。実際、全員が脱出したのもその穴からだったわけで…。
「あと、空に模様が浮かんでいるんです。敬介さん、説明してくださいな」
さなえが敬介に微笑むと、敬介が「えー」と渋い顔をする。
「あれは特殊なフィールド形成の陣だよ。アーティファクトの原理を応用して、ここら辺のゴーストの活動を一時的に緩和されるためのね」
敬介に言われて恵美が首を傾げる。
「範囲はごく限定されちゃうからね。あんまり使えるものでもないんだけど、萌がここは危ないって言うからさ、撃った」
敬介は簡単に言うが、千石にはどうもわからなかった。
「俺たちが地下通路にいるって、どうしてわかったんですか?」
千石の質問も最もで、自分たちが誰も知らなかった地下通路にいたのにピンポイントでこちらに向かって来ていたのだから、気にならない方がおかしい。
「愛、かな?」
ふふん、と敬介が恵美を見ると、恵美は背筋がぞわっとした。
「やめてよ…もぅ」
泣きそうな恵美の声に千石は「あはは」と笑う。数年会っていなくても敬介は敬介、ということだ。
「うわー、萌ちゃんつよーい!」
「くっそぉ、もう一回だ!」
「運が違うってか…運が…」
三咲、茶髪、金髪の騒々しい声が教室に響、さなえが苦笑する。
「無事で良かったですけれど、無茶はなさらないようにお願いしますね」
さなえに敬介が言われて、敬介は「ほいほーい」と返事をする。
「お兄ちゃん、萌ちゃんはなんなの?」
「行き成り核心だね、さすが俺の愛した女」
「言い方がいちいち嫌なの」
恵美が慣れたけどね、と肩を竦める。
「萌はサバイバーだよ。かわいそうな子さ…」
敬介がいつになく真摯な瞳で萌を眺めると、全員が黙り込む。
「ゴースト化して生き残るってことは…耐えがたい苦痛なんだ」
「あんなになってしまうんだものね…」
恵美が見たゴーストたちは人間とは思えない形相をしていた。
身体の感覚が徐々に失われて行きながらも、まるで炎に炙られている様な激痛が永遠と続くのだと言う。痛みでショック死するわけでもなく、倒れてからしばらくはそれが続き、朦朧とした意識の中でふと痛みが消える。痛みが消えた後は身体が勝手に動き出し…他人を襲う。
敬介のゴースト化による被害を説明されて、トランプ遊びに興じていた四人もいつの間にか話に混ざっていた。
「死ねない苦痛、永遠に続くそれが終わったかと思ったら、今度は人を身体が襲い始める。身体は自分で動かせないのに、意識と五感だけは残ってるんだ。自分が誰を殺したのか、とか覚えてる」
ぞっとする話だった。自分が他人を殺している風景を見せつけられるのだ。友人、知人を傷つける自分をどう足掻いても止められないのだ。
「泣き叫びながら、自分の子供を殺したゴーストもいる。それらに耐えられなくなった奴からサークルに変わる。萌もそんな被害者の一人だ」
萌が敬介の隣にちょこんと座り、小さく頷く。
「私はお父さんとお母さんを殺したの」
その萌の発言に全員が何も言えなくなった。
「敬介お兄ちゃんが助けてくれたんだ」
敬介は「そうだな」と微笑むと、萌も嬉しそうな顔をした。
「死にたいって思った…もう殺して欲しいって思った」
「俺はこいつに聞いたんだ。死にたいか?って」
敬介がその時の記憶をたどる様に話を始めた。
◆◆ ◆◆
DM指定市街地エリア 初期対応
約二年前
ゴーストの中を敬介はひたすら走っていた。閑静な住宅街、外を出歩いている人間は既にゴーストと化し、サークル化直前の動く屍だった。
敬介は懐刀真言絶句の刃を鞘から放ち、単身で動いていた。
殲滅班と清掃班が既に街の中に入り込み、鎮圧と作業を進めていた。これで避難命令を受けて外に出ていない人間は朝になれば、何事もなかったかのように生活を始められる。
特定の条件下でDMは人を深い睡眠に落してくれるのが幸いだった。恐怖心を煽られる様な事がなければ全員が深い眠りに落ちたまま、朝には爽快な気分で起き上がることだろう。
不眠症にはもって来い、ってか。
敬介は必死に焦る気持ちを落ち着かせようと先を急ぐ。
つい先ほど、DM前線対策本部に入って来た機関からの要請が一つ。
「娘がおかしくなった、娘を助けてくれ」
父親だろう。その悲痛な叫びが受話器から漏れて来た。
「落ち着いてください。娘さんを…殺害してください」
オペレーターの冷静なその返事に、父親が何かを叫んでいた。
「そんなことできるか!貴様!娘だぞ!助けてやってくれ!早く!」
自分が殺されるかもしれない状況下で、娘の身を案じる父親に敬介は居ても立ってもいられなくなった。住所を聞いてこうして走っている間にも、あの父親は娘をどうにかしようと奮闘しているのだ。
敬介が聞いた住所に走り込んだ時、教官は他の対応に当たっていて誰もいなかった。二人一組が原則のこの状況で単身出動した自分が後で咎めを受ける事はわかっていたが、どうしようもなかった。
普通の一軒家。教えられた住所の玄関を蹴っ飛ばして中に入る。入った瞬間目に入ったのは寝間着姿の女性の無残な姿だった。首の骨が折られているようだが、どこか悟りきった様な寝顔のようにも見受けられる。表情と相反して腕などには小さな手形の痣が出来ていた。
「くそっ」
あれが母親か。
敬介は階段を見ると、階段には血痕が二階に上っている。警戒しながら二階に進むと部屋から物音がした。
「…」
部屋のドアを左手でゆっくり開けて、右手でしっかりと懐刀真言絶句を握り締める。寝間着姿の少女の背中が見え、その向こうにぐったりとしている中年の男性が見えた。
何度も何度も拳を振り上げては、その父親の頭部を殴打する少女。
「やめろっ!」
敬介が飛び込んだのと同時に少女が振り向いて、こちらに飛びかかって来る。父親らしき男は頭を何か所も凹ませて、唇から血を流していた。
明らかに舌を噛み千切っている。それも自分の意思で。
娘に殺されるくらいならば、と自決したのかもしれない。
「死んで何になるってんだよ」
敬介は押し倒されて首を強力な力で締め上げられながらも、声を張り上げる。
少女の両拳の骨は既に粉砕骨折しているのか、歪な形に曲がっている。
「おりゃ!」
敬介は下半身で反動を付けて馬乗りになっている少女を揺らすと少女の軽い身体が浮いた。その間に膝を入れて、少女の腹を蹴飛ばすと、思ったよりも簡単に少女の身体が浮いて寝室の本棚に激突した。少女が這いずりながらもこちらにやって来る時に、本棚が倒れて少女の下半身を押し潰した。
「くそっ」
敬介が本棚を起こして少女を見ると、少女の腕が敬介の胸を掴んだ。
「殺して…ください」
少女が小さな声で呟き、両目から涙を流す。サークル化する直前、自我が肉体を凌駕することがある、という。強い意識で彼女が訴えたのは自分の死を望む言葉だった。
「お父さん、ごめんなさい。お母さん…ごめんなさい」
ぼろぼろと涙を流しながら、少女は自身がぼろぼろになっている激痛の中で、まるで絶対存在に対して自分の罪を打ち明けるように、少女は声を絞り出していた。
このままでは死ぬ。
敬介は少女の身体を抱き抱えた。
四肢がだらりとしていて、まるで力が入っていない。
敬介はゴーストの群れの中、少女を抱き抱えて走り続ける。殲滅班が敬介を見てぎょっとする。
「車借りる!」
敬介は近くにあったジープを奪って病院に向かう。
「サークル化しねぇってことは、生きろって言われてるんだよ」
後部座席で横になっている少女に敬介が怒鳴る。清掃班が道を塞いでいて、敬介はクラクションを力任せに引っ叩いた。道を塞いでいた清掃班が何事か、とこちらを見て道を慌てて開ける。敬介はアクセルを強引に踏み込み、クラッチレバーを強引に押しこみ、加速、加速。
病院の門が見えた。
敬介は病院のゲートを押し破って中に入ると、救急車が何台も止まっていた。
「オペをする、手術室を開けろ!」
敬介が少女を抱えて入る。
「死んだ方がいい。私なんて…」
手術台に寝かされた少女がまだうわ言のように呟く。
「最後に選ばせてやる…お前には闇を狩る力がある。サークル化しなくなったお前は…アーティファクターになれる素養がある。お前を…両親をこんな目に合わせた闇を…お前が狩れる」
敬介は全身麻酔を調節して少女に尋ねる。ゴーストの影響が強く残っているからまだ生きているが、それが終わってしまえば、瞬間的に生命力は低下するはずだった。
「お前は生きて、両親の敵を討てる!それでも死ぬか!ここで!」
敵を討て、などとは言いたくなかった。今、辛いかもしれないが生き抜いて、幸せになって欲しかった。だが、絶望が大きすぎる…。自らの手で最も大切な存在を消してしまった彼女には…希望など持てと言っても無理だった。
復讐すること、が生きる術になるのならば、今はそれでいいと思った。
「私…嫌だ…死ぬの怖いよ…」
少女が口にすると、敬介は頷いた。
医療スタッフが敬介に向かって頭を下げる。
「お前はもう普通の人間には戻れないかもしれない…だけど…生きてくれ。俺の願いだ」
敬介がそう言うと、少女は小さく頷いて目を閉じた。
麻酔が全身に回った。
敬介は手術着を素早く来て手袋を嵌める。
「緊急オペを開始する」
◆◆ ◆◆
十四時間が経過して手術が終わった事を知らせるように、オペルームの電灯が消え、敬介はそこから出て来た。
「傷害罪、だぞ?」
勝手に執刀した、などと言えばそうなってしまう。
「俺、人間の身体って初めて開けたよ」
敬介は三十代前半の胸板の厚い筋肉隆々の男性に苦笑して見せる。
「医師免許も持っていなくても執刀させてくれたってことは、教官が命令してくれたんだろ?」
教官は「ふっ」と獰猛な笑みを見せて鼻で笑う。
「車に忘れものだ、ほれ」
敬介は教官に投げ渡された懐刀真言絶句を受け取り「ありがとさん」と頷く。
「あの子の身柄は機関本局付けになるだろう…」
「そりゃそうだ」
敬介は教官の隣の長椅子に座って腰を深くする。疲れ切っていた。
「お前はいつまでそうやって無理をするつもりだ?」
「無理はしてないさ。無茶はしてるかもしれないけどね」
敬介の大仕事の後だというのに、相変わらずの態度でいるその精神力に教官は「そうか」と頷く。
「お前も本局に来い、お前の力はやはり、人を救える」
「いや、俺は俺の限界を知ってるからな。期待されても困るよ」
「そうか」
教官は残念そうに頷くが、それ以上無理強いはしなかった。敬介は教官のそう言うところが気に入っている。自分が勝手に動いても咎められないのも単に教官のお陰だった。
「あの子をどうするつもりだ」
「あの子の意思次第…なんだけど…俺は間違ったかもしれない」
「ああ、オペの始まる前のアレか」
教官はオペのビデオを見たのだろう。最初の会話も記録されていたようだ。
「お前のオペは素晴らしいものだったそうだ。絶対に死んだ、と思われる少女を救った功績は大きい」
「生きてない、あんなの…生きてない」
敬介は自分が行った事を悔むように頭を抱えている。
「あの子の意思は、生存を願った。理由は何であれ、な。お前は間違ってない。あの子がそう思わなければ、お前は正しい」
気休めの言葉に敬介は安心した。
「これからどうする、か。俺はあの子のことを何も知らないし、あの子も俺を知らない。これから少しずつ話をして、二人でどうするか決めないとなぁ」
「保護者になったようなものだ。確かに産んだのはあの両親かもしれないが、これからの人生を与えたのはお前だからな。しっかり責任を取れよ」
「ニートの俺が?責任なんて嫌いだってぇの」
敬介が苦笑するも、教官は長年の付き合いでこれが口先だけで、しっかりとした青年であることはわかっていた。
「教官…あの子にアレを準備してくれ」
敬介の慎重な声に教官は眉を潜めた。
「必要になるかはわからないけど、あの子の意思でアレをする」
「本気、なんだな?」
「これは…神への挑戦だ…」
敬介の発言に教官は深く頷くと、立ち上がって壁を見つめる。
「お前が決めた事に口を出すつもりもない。だけどな、あの子の将来は決して良いものではないかもしれない。それを良いものに変えてやれるのは、お前たち若い世代かもな」
「…におうぜ、おっさん」
「風呂に入らないとなぁ」
敬介の言葉に教官が苦笑して敬介を見ると、敬介が長椅子で倒れて眠っていた。
「お疲れさん」
目の前が通学路なんですよねぇ。
わいわいきゃあきゃあ学校に行く小学生が楽しそうだなぁとか思ったり、いいなぁと思ってはいたんだけど、今日は…なんかすごい勢いで泣いて…。
何かなぁと思ったらケンカですよケンカ。
男の子が三人の男の子を泣かしてるとこでしたね。うん、しかもなんか、女の子を守ってるように見えました。まぁいっかぁ。あんまり見てると変質者に思われてしまうので退避退避。
んでちょっとゆっくりと更新するので次はおそくなるかもー?




