料理ができない設定の女の子全員に言えることはお前ら絶対味見って行為を知らないだろってことだ
ゆでーたまごー。ぷるぷるー。
温泉卵も簡単にできるという調理器具を見つけました。だいぶ前からあったみたいだけど、使えるのかな?って思ったらすげー使えるの。水を入れて電子レンジで回すだけ。今の電子レンジって回らないタイプのものもあるんだってねー。それも知らなかったわ。
隣国軍事政権下のロアナードに連れて行かれる恵美。敬介のせいで誘拐されなれている恵美は敬介の救助を待ちつつ、二人の誘拐犯の話に耳を傾けていく。悪人には見えない恵美はアーティファクトに関係しているという二人に奇妙な関係に疑問を持っていると、トラックが恵美を乗せた車に突っ込んできて…。
恵美を連れ去った車の中は静かになっていた。誘拐が成功したと言えども気を抜いていないのか、誘拐犯である二人は沈黙をしている。たまに言葉を思い出したかのように話をする二人の会話を恵美は聞きながら寝ているふりを続けた。
自分が誘拐されそうだったことは既に知っていたわけで、特に驚きもしなかったのだが、やはりこう言う状況は恐ろしい。
私ってこう言うの慣れてるんだけどなぁ…。
恵美は今まで敬介の妹だと言う事で何回も誘拐、拉致されていた。中学になってからはあまりそう言う事はなくなったのだが、今回で六回目だ。いい加減、慣れて来てもおかしくはなかった。
スタンガンを当てられた瞬間、恵美は確かに一瞬だけ気を失っていたが、辺りどころが良かった。ちょうど携帯電話を…。
振り向いた瞬間、携帯電話に電流が走った。
携帯電話は使い物にならない。
恵美はそう思うと「うわちゃー」と心の中で呟く。連絡手段が潰されたのだ。
それにしても車に連れ込むまでの演技は手際が良かったのだが、その後、恵美の所持し品を検査したりしない辺り、プロとは思えなかった。
一回だけプロの誘拐屋に捕まった事があったが、その時は服まで脱がされて検査された後に舌を噛まれないようにされ、部屋に軟禁された後は携帯トイレまで準備されていた。
時間が経過するにつれて拘束は徐々に解かれ、部屋の中に暖かい空気が流れ込み、食事も与えられ、毛布まで与えられた時は安全が確保されているような気がして眠る事まで出来た。犯行グループは命の安全は保障する、と無言で訴え、恵美はその後、敬介の突入で助けられている。
携帯電話が音信不通になって十分で、敬介のところに連絡が行くはずだった。
通常の方式以外で電源が落ちると、そういう仕組みになっているは天才敬介故の身内を守る手段の一つでもあった。
覚悟なさい!お兄ちゃんがあんたらやっつけてくれるんだからっ!
恵美が心の中で勝利宣言をするとちくり、と腕に何かを刺された。
「いたっ」
恵美が思わず声を上げると「しまったっ!」と心の中で呟く。
「え?」
「おいっ」
車が急停車すると恵美の身体が座席から転がり落ちる。恵美が腕を見ると小さな点がぽつり、と赤く出来ていた。
癒杏の手にあるものは注射針で、既に少しだけ血液が抜かれている。
入れられた、のではなく抜かれたのだが、恵美は激しく動転した。
「う、動かないでっ!」
古い形の拳銃を向けられて、恵美は癒杏に両手を上げる。
「いい子だ、座れよ」
利樹に言われて恵美は座席にゆっくりと座ると、癒杏の向けた銃口が小さく揺れている。
こっわ、この子怖い!
いつ暴発してもおかしくない状況で恵美がじっとしていると、利樹が「銃を降ろせ」と命令して癒杏が銃を降ろした。
「私に何か用なの?」
「質問か?普通は懇願するものじゃないのか?」
利樹に言われて恵美はむっとした顔をして窓から外を見る。知らない街なので全くわからない風景だった。
「じっとしていれば危害は加えない」
定型文のような脅し文句に恵美は何も答えない。こういう連中には沈黙が一番いい。黙っていれば自分に都合が良い方向に勝手にこちらを考えてくれる。
すぐにどこかに運ばれるかと思われたが、途中何台もパトカーが通り、利樹と癒杏が顔を伏せるも、パトカーたちはどこかに急いで走って行ってしまう。
利樹がナビを見ると交通事故規制がかけられていることに気付いた。
「こんなときにっ」
利樹がだんっとハンドルを殴る。誘拐しておいて、のろのろと走るわけにはいかないだろう、と恵美は利樹の気持ちを察するも、ざまぁみろとまでしか思えなかった。
渋滞を回避するために道を曲がったのはいいが、こちらも渋滞だった。買い物をする連中や休日で出かける連中でどこも渋滞するのはいつものことだが、今日はやけに道が混んでいる。
道路工事が年末でもないのに行われていて、車線規制が敷かれていた。
さすがにこれは運が悪いとしか言いようがない。
恵美は利樹に「ざまぁみろ」と小声で呟くと癒杏が「むっ」と恵美を睨んだ。
そんなこんなでだいぶ時間が過ぎて、恵美は川沿いを走っている事に気付いて嫌な予感がした。
その予感がすぐに的中して車が大きな橋を渡り始め、ぎょっとする。
何台もの車が三列になって走り、左側を走る反対車線の車はスムーズに流れているがやはり混雑していた。
この先にゲートがある。それのせいだ。
「国境線を越えるつもり?」
「…そうだ」
恵美はそう言われて初めて慌てた。この幅二キロはある河を越えたところにある国家は恵美たちの住む国とは全く別の国家だ。
「っ!」
恵美が車から出ようとしたが、当然、子供が飛び出してしまう様な事故を防止するためのチャイルドロックがかけられていて、恵美は運転席を真後ろから蹴っ飛ばそうとすると腹部にスタンガンを押し当てられた。
「それ以上何かしようとしたらスイッチを入れますよ」
構わない、そう思って運転席を蹴っ飛ばそうとすると、癒杏の外で突撃銃を持った兵士が歩いていた。時折、喧嘩をして発砲し合う、両軍の兵士がここを警戒している。
橋の上だけは中立地帯と名目を付けて両国の兵士がうろちょろしている中で恵美が暴れれば、下手をするとこの橋の上が戦場になってしまう。
恵美が大人しくしていると、真後ろにいるトラックがゴツン、と車をつついた。
「くそっ!なんだ!」
利樹が舌打ちをするとトラックの運転手がドアを開けて出て来る。当分検問で進まない車列だ。問題はない。
「いやーすまんね。だいじょうぶか?」
恵美は聞き覚えのある声に驚き、癒杏はその運転手の視界にスタンガンが入らないようにすっとスタンガンを恵美の背後に回す。
「いや、問題ない」
「そっか…どうしよう、連絡先とか教えとこうか?」
「かまわん」
利樹が早く行けと言わんばかりに手を上げると、運転手だった敬介が「あら、お金出るよ?」とふざけ半分で呟く。
「うるさいから行け!」
利樹が大声を上げると両国の兵士が車を取り囲み、敬介に銃口を向ける。
「あー、ごめんごめん、喧嘩じゃないんだ。俺が小突いちまってね。戻るから怖い顔しないでよ、兵隊さんたち」
敬介はそう言いながら車を二度ぼんぼん、と手で軽く叩いた。
「本当にごめんねー」
敬介が運転席に戻り、恵美の頭をじっと見つめる。
「敬介さん、申し訳ねぇっす」
「お兄さん、あざっす」
千石と大津の姿は見えないのに二人の声が聞こえてくる。二人は敬介の渡した装備で中央座席と助手席に座っていた。
十四トンの大型トラックで三人が並んで座れる場所に三人、後部の休憩できるスペースに二人の女性…夢と儚が乗っている事など誰も気付かなかった。
前の車に近づいたのは敬介のとっさの判断だった。
勝気の強い恵美が暴れて、近くの兵士のごたごたに巻き込まれ、流れ弾に当たったりしたら事だ。自分たちが外交のカードとして使われる事も出来れば避けたい。
「積み荷のアレ、何なんですか?」
敬介は千石の方を見ると、千石の姿が浮かんで見えた。特殊加工したコンタクトレンズを入れているので、千石と大津の姿と名前が表示されていた。HUD搭載のコンタクトレンズなど今まで誰も開発出来なかったものを持っているのは敬介だけだろう。
敬介はここに居る全員にそれを支給して、千石、夢、儚を十三課のクルセイダーズゼロ
隊として招集していた。他にもメンバーはいるのだが、今回は国境を超える可能性があるためにこの少人数での作戦となったわけだ。
恵美の携帯電話が破壊された情報を受けた瞬間、敬介は関係各庁に素早く連絡を入れ、街頭カメラで映った車のナンバーをNシステムで追尾させた。移動はランダムでかく乱する動きを見せていたが、相手の情報が古いためにシステムに引っかかるのも早かった。
敬介はトラックを手配して国境を超える準備を整え、千石と大津も恵美がいなくなってしまったことに気付いて敬介に連絡を入れていたので人員として招集、人為的に交通事故や工事をでっちあげて車の移動を遅らせて真後ろに付くまでそう時間はかからなかった。
「国家権力万歳だ、この野郎」
敬介が呟くと、千石が苦笑する。この前一緒に酒を呑み歩き、萌も連れて歩いて居た時には職務質問をされ「国家の戌は去れ!国家権力ふんさーい!」と叫んで拘置所にぶち込まれたはずだった。逮捕した警察官は結局、上からの圧力で営巣送りにされたらしいが…不憫な話だ。
敬介の使えるものは何でも使う精神はこんな場所にも表れていた。
「敬介隊長、敬介隊長。さっとさらってさっと帰るんじゃだめなんです?」
後ろから声をかけられて敬介は頷く。真後ろに居る夢は敬介よりも二つ上なはずだが、敬介にはどうしても年下にしか見えない女性だった。
「俺の可愛い妹をさらっておいて、無事に済むと思うなよ」
敬介の怨む様な声に大津が失笑する。この兄から恵美を奪う事は何人たりとも出来ない様な気がした。
「敬介くん、落ち着いて」
まったりとした声になだめられて敬介がぐっと奥歯を噛み締める。夢と同い年で胸の大きい方が儚で、小さい方が夢。二人は同じ養成学校の同期で、同じ孤児院を出ているらしい。顔立ちは似ているが、二人の関係は他人だったのだが幼馴染で趣味も似ていることから気が合うらしい。
「おっぱいちゃんの言うとおりですよ、敬介さん」
「お兄さんがここで暴れたらこうしている意味がないじゃないですか」
「セクハラだよ、千石くん。先輩のあたしに対して嫌味?」
夢がむっとした声で言うと、千石は「あっははー」と乾いた笑いをする。夢は同じものを食べて育った筈なのに残念な結果になってしまっている。
「お兄さんも笑って、にっこり」
大津が敬介の隣で言うと、敬介の右拳が見事に千石の頬にヒットして、大津が千石にかぶさり、千石が嫌そうな顔をする。
「誰が義理の兄じゃこらぁ!貴様に恵美をやった覚えはないぞ!」
「ぎゃーっ!」
敬介の拳が何度も大津を襲い、千石もついでに殴られて「なんで俺も?」と悲鳴を上げる。
敬介がすっきりしてハンドルを握ると兵士がこちらを怪訝な顔をして見ていて、敬介は「よぉ」と片手を上げて作り笑いを浮かべる。
車が揺れていて、敬介一人が中で暴れていたのだから不審に思われたのだ。
銃口で左の歩行者通路から敬介の座っている運転手側のフロントガラスをノックされて敬介が窓を開けると、兵士がこちらを見上げている。
「お前はさっきから何なんだ。車の中で何をしている」
「いあ、ハエがいたんだ。ハエ、知ってる?」
敬介が冗談を言うと兵士二人が顔を見合わせる。
「変な行動をするな。我が国の品位に関わる」
品位なんて全くありませんよ。敬介隊長には。
夢が心の中で呟くと、兵士の一人がドアを開けようとする。
「どしたんですか?」
敬介がドアを開けると兵士が敬介の後ろを確認する。当然、誰も見えないわけだが…。
「女がいないか?」
「ああ、昨日の夜そこでしっぽりしたからな」
敬介がぎょっとしながらもポーカーフェイスをしていると、兵士が「うらやましいな、おい」と下卑た笑みを浮かべてドアを閉める。
「いや、せっけんの匂いがしたからな」
お前の嗅覚は獣かっ!
敬介が必死に顔が引き攣るのを隠すと、兵士たちが「変なことはするなよ」ともう一度だけ警告してまた去って行く。
「…」
千石と大津も鼻をくんくんとさせると、夢と儚が赤面する。
「女の匂いってするか?」
「いや、わからんけど、なんかいい匂いはする」
千石に大津が答えると、身を乗り出して夢が二人にチョップを入れる。
「いやだけどあいつら、兵士としては敏感だぜ。誰かいるかもしれない、なんて普通は思わないだろう」
敬介がそう言うと、千石も同意して頷く。確かにあの勘の鋭さは厄介だった。
それもこれも敬介くんの行動のせいなんだけどね…。
儚は言いたい気持ちをぐっと堪える。こんな人間でも自分たちの上司で有能なのから困る。何かに秀でている人間は何かに欠落している人が多いが、敬介は特に秀でている部分が多いために何か人と違う部分も多かった。
「検問をスルーか…」
恵美を乗せた車の運転手が先ほど、どこかに連絡しているのを聞いた。
先ほど車に触れた時に発信器と盗聴器のセットを車体に取り付けたのだ。敬介たちは左耳にインナーイヤホンを装着して、車内の会話を聞いていた。
わかったことは利樹、癒杏という名前の二人が恵美をさらった事。そして…相手が何らかの組織であることだ。殺害された二人との関係は判明していないが、向こうがそれなりの組織ならばこちらの組織からの調査報告でそろそろ身元が割れるころだった。
「真っ白な人間ってことは、裏を返せば真っ黒なもんだ…」
敬介が赤と黒の男二人組を思い出して呟く。二人の出国記録、入国記録には全く問題なく、大学生の留学扱いになっている。この国境線の向こうにある国の出身者ではないが、大学などの教養のための渡航は隠れ蓑として使われていることがあるかもしれない、と言う事で、今回はその案件も含められて調査が許可されたわけだが…。
敬介にとってそんなことはどうでもよかった。
「入国許可証」
敬介が免許証と同時に入国許可証を提示する。兵士と検問官が車のナンバーと敬介の顔と免許証、入国許可証にある顔写真を何度も見比べる。
「俺に惚れるよ?」
「…ああ、青年だったころを思い出しそうだったよ」
脂ぎった太った四十代前半の男の検問官が苦笑すると、敬介も同じように苦笑する。
少しは冗談が通じるらしい。
「積み荷は?」
「人間そっくりの人形。趣味の悪いお代官様が特注で向こうの国に作らせたんだとさ。俺たちは毎日働くのに必死なのにな」
敬介がそう言うと、検問官は「そんなものなのか…見ていいか?」と尋ねられる。
「ああ、こいつはきっと驚くぜ。俺も人間かと思ったくらいだ。まぁそんな感じの趣味の悪い代物ばかりだぜ」
「ふむ…運び先は首都か。あそこは今治安が悪い。デモ隊が闊歩しているらしいからな、気を付けてくれ」
検問官は敬介を完全に自国の人間だと思ったらしく、情報まで与えてくれた。首都の情報は一切国外に流れる事はなく、不法侵入しようものならば拘束されてしばらくは外に出られない。
長いもので一生、短いもので半年。どちらも歩いて国外に出た者はいなかった。
「裕介さん、アンタさっきの車に追突しただろ」
検問官に言われて敬介が頷く。
「ありゃヤバいぜ。政府高官に繋がりのある車のナンバーだったよ。使途は機密。でもよ…お前も運がないな。隻眼の利樹って言えば、国内じゃ有数の暗殺名人だと言われている」
暗殺名人がみんなに知られてるのかよ…。
敬介はそう思いながら、先ほどの男の顔を思い出す。確かに何人殺しても無表情でいられるような冷たい感じの目をしていた。
「荷物の検査はいいのか?」
敬介が尋ねると検問官は「だってお前、これ首都に運ぶんだろ」と口篭もる。
「首都に運ばれる荷物は今、検問するなって言われてるんだ。とっとと言ってくれた方が俺たちも好都合なんだよね」
「どういうことだ」
兵士たちが天井に登ったり、車体の下に入っているのをサイドミラーで見ながら敬介が尋ねる。爆発物を検知するためにミラーまで持ち出していた。
「首都は今DM現象真っ只中だ。ゴーストや化け物に対応するために武器類が持ち込まれてるって話さ。まぁ噂だがね。ゴーストってのは聞いたことあるが化け物の話は初耳だったね」
敬介はこの男、長生きしないだろうなぁ、と思いながら貴重な情報に耳を傾ける。
「お前さんも実はあれだろ?特命を受けた軍属の人間だろ」
「…」
敬介が敢えて黙ると、検問官がにやりと笑った。
「お兄さん、ウソが下手糞だねぇ。長生きしないよ?」
お互い様な、と敬介が失笑する。
「じゃあ俺は隻眼の利樹様に媚でも売るとしようか」
「それがいい。機動隊ならそれも許されてるからな。お前さんが機動隊だったなんて驚きだが、あの人たちは首都近郊の衛星都市に向かったよ。早く言って謝るなりなんなりしなよ。あの女の子もあの顔じゃ拉致されて来たんだろ」
「ああ、あの子か。いい子そうだったけどなぁ」
敬介がそう言うと検問官が苦笑する。
「隣国の女の子だ。色々あるんだろ。まぁ、金持ちのお嬢様か、政府の高官ってところだろ。用済みになったら慰み者になるってことだ。俺も娘がいるがそんなのは想像もしたくないね」
「全くだな…」
敬介はそんなことさせるかよ、と心の中で呟く。
「行き先を衛星都市に変えてくれないか?出来るだろ」
「ああ、ちょっと待ってな。うまくいったら、これ頼むぜ?」
検問官が左手の親指と中指を擦り合わせて敬介に見せる。要するは生活を支援してくれ、と言われている様なものだ。
顔と一緒で心も汚いらしいが検問官の一部にそういう連中がいる事は知られていた。敬介もその為にこうして無駄な話をしているのだが、当たりを引いたようだ。
「ああ、いろいろと世話になったからな。出世も考えて置くか?」
「いや、出世するよりも割のいいバイトがここにはたくさんあるんでね。このままでいいさ」
検問官はそう言うと、敬介は「お互い儲けようじゃないか」というと検問官は書類を持って中に入って行き、すぐに戻って来る。
「衛星都市経由で首都に入れるはずだ。通っていいぞ!」
最後に大きな声を出すと兵士たちが車両から離れて、敬介はアクセルを踏み、電子音が高くなる。
「あくどい」
「きもい」
夢と儚がそう言うと敬介が苦笑する。二人の女性側からして見れば、あの男は生理的に受け付けない顔と性格と体格をしていたようだ。
「ああいう奴の奥さんって美人なんだよねぇ」
「金に糸目をつけないからじゃないっすかねぇ」
千石と大津も気に入らなかったらしく、先ほどまで黙らされていたためか口々にそう言った。
◆◆ ◆◆
隣国の血塗られた壁前
土曜日の十六時十五分
敬介が運転する衛星都市へ向かうトラックの中で、敬介はそこに広がる景色に息を呑んでいた。
トラックの進む前方に、大きな壁が一面に広がっている。橋を渡って五分くらいの場所に高く長い壁が五メートルほどの高さでどこまでも続いているのは壮観だった。
「俺たちの国とここの国を隔てる壁…ブラッディウォールか。戦時中はたくさんの人間がここで死んでいたな」
敬介がそう言うと全員が沈黙する。未だに割れたヘルメットの残骸や燃えた戦車、落ちた戦闘機などの焦げた翼などがオブジェのように転がっている。
「敵の侵入を防ぐ名目で作られたこの壁は今、密入国、海外亡命者を阻む壁になっているのね」
儚もさすがにこれは…と息を呑んだ。話には聞いていたことだったが、幾度となく戦場になったこの国境ラインは既に砂漠の様に砂の海になっており、橋からは舗装路が一本しか伸びていない。途中、分岐路があるものの、どこかへ伸びていてその先は砂のオレンジ色のモヤがかかっていて見えなかった。
敵国の情報を持っているのは敬介と儚だけで、他は知らない。仮想敵国、として情報が与えられるのは一部軍籍にいる士官と十三機関でも長職以上の者だけだ。
壁を刳り抜いたようなトンネルが見えて来ると、千石は高い車窓から見えるガードレールのような有刺鉄線に括りつけられている「地雷原注意」という文字と人の足元が爆発している絵を見てぞっとする。
「地雷って…まじかよ」
「ん、ここら辺は特に道以外の道を走ろうものなら爆発するようにしてあるみたいね。散歩する時は注意してね」
儚の呑気な発言に大津が「頼まれても歩かないっつーの」と突っ込みを入れる。
「案外目を閉じて歩けば踏まないかもね」
夢がけらけらと笑うが、千石や大津にはこの二人の感性に呆れるしかなかった。
銃、爆弾、地雷などというものが平然と周囲に散らばっている国、それがこの国で、その他国へ不正入国しているのにそんなことを言えるのは普通ではない。
「だいぶ離された」
敬介がそう言うと、千石が「まじっすか」と前方を見る。
一般車両よりもトラックなどの車両が多い。まるで深夜の国道のような有り様に敬介はトラックを飯田課長に勧められた理由がよくわかった。
トンネルに入ると重武装している兵士たちがトンネルの両脇を固めていて、敬介も思わず緊張した。自分たちのトラックが止められるとは思ってもいなかった。
「運転手!見たくないなら目を閉じろ!」
兵士の一人がそう叫んだが、敬介は目の前の状況から目を離せなかった。
目の前のミニバンから三人、男と女が引きずり出されて、男が頭を銃で殴られてはいつくばると、女の目の前で三人の兵士がマガジンの全ての弾を男に叩き込み、女を抜いた拳銃で撃ち抜いた。
硝煙の臭いと人間が粉々に砕かれる独特な饐えた匂いが車内に入って来るような気がして、敬介はインパネのタッチパネルを操作して外から入れる空気を車内に循環に切り替える。
窓を開けろ!付近の車両にと兵士たちが叫び、言われて敬介が窓を開けると、返り血を浴びた兵士が周囲の車を見ている。
「たった今処刑された人間は二人とも売国奴だった者だ。彼はそれを見抜き、我が国のために戦った!彼に敬意を示せ!」
周囲の車の中から拍手が聞こえ、敬介も形の上で拍手する。彼、と呼ばれた一人生き残った青年は誇らしげな顔をして車に乗り込んでトンネルから通過していく。
「行っていいぞ」
遺体が片付けられて敬介はトラックを進める。
「儚、恵美を乗せた車はどこだ?」
「今の騒ぎでまた少し離されたけど、監視衛星ではここから少し…ううん、かなり車が減るみたい。どこかの都市部に向かう分岐路があるから、そこを左だね」
敬介は儚に言われて、分岐を左に曲がる。確かに急に車の数が減った。
トンネルを抜けてからと言うものの、視界は開けているには開けているが、ススキ野原が一面に広がっていて所々に木々も生えている。民家もちらほら見え始めると、次第に整備された街の中に入っていた。
国境付近は荒れているが、国内は…と思ったが、やはりどこの建物も古めかしい。荒れてはいないが古い街並みは築何年になるのかわからないマンションや高層ビルが続いており、アスファルトの所々にひびが入っている。
「ここね」
儚が言うと、敬介は信号の発信されている車が立体駐車場の中に止められているのだろうと推測すると、敬介はトラックを路肩に止める。
先ほどまでの兵士の姿はない。その代わりに民間人がちらほらと見えるだけ。
「千石、交代だ」
「はい」
敬介が自分の姿を消して、千石が代わりに助手席側から素早く降りる。大津も車から飛び出す様にしてナンバープレートを素早く変えて戻って来る、敬介が中央席、千石が運転席に移り、大津はダッシュボードにナンバープレートを放り込んだ。
「光学装置、試験運用から実用稼働したらすごく便利そうですね」
大津が感心して左腕にしているブレスレッドをさする。
「すごく危ないっての」
夢に言われて敬介が頷く。今自分たちが行っている行為が犯罪である事は否めないし、こうも簡単に敵に接近出来るのだ。
「人ってのは本来、注目していないと現実には認識していない。その認識、意識を最小限にとどめる事ができるものを考えたら、こうなった」
敬介が言うと簡単そうに聞こえるが、これに実際どれだけの技術が詰め込まれているのかわからない。
「敬介お兄ちゃん、私も動きたい…」
頭上から声が聞こえて敬介がそれを見上げる。天井のロフト部分に潜んでいる萌が泣きそうな声で呟く。何時間もそこでじっとしている萌の忍耐力もすごいが、ぴくりとも身体を動かすな、と言ったわけではない。
「もう少し本を読んでおいてくれないか?」
敬介が申し訳なさそうに言うと本が四冊頭上に落ちて来て大津にぶつかった。
「いってぇ…」
大津が周囲に散らばった本を手に取ると、どれも分厚いハードカバーの本で理系の本だ。物理、生物、有機化合物関連の本だが大津にはどれも外国語で書かれていて意味がわからない。
「もう読んじゃった」
「うわ、萌ちゃんすごい…」
儚が正直に言うと、敬介が苦笑する。
もう少し可愛げのある本を読んでくれているならばもうちょっと考えようがあるものだが、萌の興味があるのは専門書だ。簡単に入手できるようなものではない。
教官…どんな育てた方したんだ。
敬介が呆れると、インパネにあるディスプレイに車両の周りでうろちょろしている少年の姿が映っていて、夢と儚がそれに注目していた。見たところ一般人だが薄汚れたシャツに半ズボン、ぼさぼさの髪の毛で右手にはバールのようなものを持っている。
がんっとトラックの防弾カーゴを引っ叩かれて鉄の音が響く。
「ひゃっ」
萌が悲鳴を上げると千石がおいおい、と窓を開けて後方を見る。
「小僧、悪戯もええ加減にせえ」
少年は千石の声にびくっとしたが、バールをまたカーゴに向けて振り上げた。
「止めて欲しかったら食い物か金をよこせっ!」
「食い物?」
「そうだ!この中に食い物がいっぱい入ってるんだろ!こんな綺麗なトラックは食い物か金目のものが入ってるに違いないって教えられた!だからよこせ!」
「あーあー、このトラックは食えねえモンしか乗ってないぜ」
「どう言う意味よ」
夢がディスプレイ越しに千石の頭を睨み「そういうことじゃない?あってるし」と儚が夢に言う。
「千石、騒ぎを起こすな」
「はい」
敬介の言葉に千石が頷くと、千石がトラックから降りた。少年がバールを千石に向けて走り込んで来てバールを振り下ろすも、所詮子供の腕力。ぱしん、と軽々と千石に受け止められて腕を捻られ、少年が地面に転がるも、少年はすぐに身を起して千石を睨みつけた。
「良い戦いだった。これ持ってけ」
千石がポケットから通貨紙幣を三枚ほど地面に丸めて少年の足元に転がすと、少年が「え?」と目を丸くする。
「お前の根性に敬意を賞して」
千石が背を向けてトラックに乗り込み、少年はそれを拾い上げてどこかに走って行く。
「知ってるか?一般市民の給料」
敬介に尋ねられて千石は首を捻る。
「こっちに来る時に現金渡したけどな…今ガキにくれてやったの、大人が半年間必死に働いても手に入れられる金額じゃねぇんだ」
「まぁ…いいじゃないですか」
千石が呟くと、大津も頷く。
「ガキに罪はねぇっすよ…。子供があんなことしなけりゃならない国を作った奴らが悪いんだ。そうですよね?お兄さん」
大津に聞かれて敬介は何とも言えなくなった。
「腹がいっぱいなら悪い事もしねぇんじゃね?って言った偉そうな昔の奴がいたな」
敬介がそう呟くと、全員がちょっと違う、と苦笑する。
「今じゃどっちかって言うと職なのかもしれませんけどねぇ」
儚が呟くと「だね」と夢が頷いた。
「あんまりゆっくりもしていられないんだけど、妹さんは大丈夫なのかな」
夢が心配そうに尋ねると、敬介は「どうだろうな」と呟く。
危険を冒してまで恵美の前に姿を現して見せたのだから、無茶な行動はしないと思われるも、さすがにあの連中の中に置いておくのは危険だった。
「私が行こう」
儚がそう言うと、敬介が首を左右に振る。
「できれば回収して即離脱したいのもわかりますけど、相手側の情報を入手するのも私たちの任務だからね」
夢が敬介の判断を修正しようとして口を開く。
これは軍事行動だ。個人の感情は優先されない。
「あーもう、いつからクルセイダーズは諜報機関になったんだ?儚、行け。夢は儚の援護、千石はこの車両の兵装コントロールを、大津、萌、俺に続け」
敬介が指示を飛ばすと、千石がトラックから降りてドアを開けっ放しにして煙草に火を付ける。一服している、と見せかけている間に全員が素早くトラックから降りた。
シークレットモジュールを起動して動作をチェック、全員の姿と視界がしっかりと表示されているのを見て敬介は親指を立てて、ゴーサインを送る。
「敬介さん…あれ」
左耳に嵌めたインカムから大津の声が聞こえてくる。ホテルのロビーに隻眼の男…利樹が携帯電話で何か話をしているのを見つけた。好都合だ。
部屋にはもう一人の癒杏という女しかいないことになる。
夢がフロントに飛び込んで無音で作業を開始する。コンピュータをいじって三人の部屋を割り出す。
運良く一部屋に三人がいることが判明。
「三階の非常出口前、一番奥の部屋。部屋番号はサンヒトフタ」
「了解、合流しろ」
敬介たちが既にエレベーターの前で立っている。ドアが開いて全員が乗り込む。
勝手にドアが開いて勝手に閉じ、どこかに向かって行くのを見て利樹が首を傾げる。
「…」
利樹がロビーからエレベーターホールへ向かい、エレベーターは三階で止まった事を確認すると、舌打ちした。
まさか…。
エレベーターのボタンを押すも反応がない。
「くそっ」
パネルを殴って利樹は階段に走り込んだ。
「あいつが気付かないわけがない、急ぐぞ」
敬介たちが三百十二号室に急ぐ。途中で料理を乗せた代車を見つけて、夢が「あれを使おう」とシークレットモジュールを解除して台車を素早く借りる。
紅い髪の強気な顔立ちの女性が目の前に現れて、千石と大津が驚いた。
「若い」
「二十五だもーん」
夢がふふ、と笑うと水色のバトルスーツをその場で脱ぎ始める。
「なんだなんだ?」
下着姿になった夢に大津と千石が目を見張る。胸はないが細くしなやかな体つきはそれだけでも十分魅力的だった。
スタッフルームにそのまま夢が飛び込んで、適当にロッカーを開けて従業員の服を素早く着込んで台車を手で押す。
曲がり角を曲がったところで「あれ、台車どこっ」と叫ぶ女性の声と「おや」と言う男の声が聞こえた。
逢引している最中に代車が盗まれた、と言うことだろう。
三百十二号室のドアベルを鳴らすとドアが開いた。
「ルームサービスでーす」
夢がそう言うと癒杏という大人しそうな少女が明らかに蝋梅している。
「えっと…え?」
「お邪魔しますねー」
カラカラと台車を押して中に入ると、癒杏が「だ、だめです!頼んでません!」と部屋の外から叫び、最後まで進まないうちに夢が「えー」と肩を落す。
「おっかしぃなぁ。ここって…三百十四号室ですよね?」
「ここは三百十二号室です!」
癒杏に怒られて夢が「あー、ごめんなさいっ!またやっちゃいました!他の従業員には言わないでくださいっ!」とぺこりと頭を下げる。
「わかったからもう出て行って下さい!」
癒杏に言われて夢が部屋から出る。
「なんなのよもう…」
癒杏は部屋の奥に入って恵美を見ると、恵美が首を傾げている。
「…どうしたの?」
恵美に尋ねられて癒杏はなぜかほっとした。恵美が落ち着いていて安心するのもおかしな話だ。
ドアベルが鳴らされて癒杏がドアを開くと、利樹が鋭い視線を癒杏に向け、室内を見回す。
「何か変な事はなかったか?」
「いえ…特に変化はないです」
先ほど部屋の中に人を入れてしまった、などと言ったら怒られる。癒杏はそう思うと先ほどのことを黙っておこうと思った。
利樹も先ほど、紅い髪の従業員に「この通路を誰か通らなかったか?」と尋ねていたが、誰も?と小首を傾げられた。あなたが通りましたねっ!と指を刺されたが、阿呆の極みだった。
もう一度、本当に誰も通らなかったんだな?と尋ねたのだが、彼女は本当に何も知らないようだった。
「誰も見てませんってば、それとも新手のナンパですか?おじさん。若い女の子はお金かかるよー?」
夢が利樹にそう言うと、利樹は「ふん」と鼻を鳴らして三百十二号室に入って行った。
心臓止まるかと思ったああああああっ!
夢はない胸を抑えてへたり込むと、非常出口から脱出した敬介たちを追う。
シークレットモジュールを起動して姿を隠して非常階段から外に出る。
トラックの荷台に素早く乗り込み、トラックが動き出してすぐに止まった。
「え?え?萌ちゃん?お兄ちゃん?」
トラックの荷台にはまるで小さな部屋のようで、トレーラーを改造したような私的空間が広がっている。壁には様々な武器が飾られており、まるで小さな武器庫、兼司令所のような場所だった。
「どういうこと?」
恵美に尋ねられて敬介は「助けに参りましたよ、お姫様」とウィンクして見せる。
恵美には何が何だか全く分からなかった。
◆◆ ◆◆
ホテル内
土曜日の十八時丁度
事の詳細を整理するとこう言う事になる。
恵美は部屋に入れられてベッドに寝かされた。
ベッドが二つにソファが二脚あるだけのツインシングルのビジネスホテルだった。
恵美は両手を後ろに回させられて手錠をさせられた後はじっとしていろと言われたが、そうしている他なかった。
じっとしていると余計な事を考えてしまうのだが、敬介が自分たちの乗る車両に突っ込んできたことを思い出して、すぐに助けてくれると思ったのだが、なかなか来ない事が不安だった。
しばらくぼーっとしていると、癒杏が不安そうにこちらを見ている。
「トイレとか…大丈夫ですか?」
「大丈夫、ありがと」
恵美が心配してくれる癒杏に微笑むと、癒杏は「礼を言われることはなにもしてません」と言った。確かにその通りだ。こっちは拉致の犯人に令を言う必要もなかったのだが、言葉が勝手に出ただけだった。
携帯電話の着信音。流行りの曲などではなくて単調な電子音が鳴り響いて癒杏がソファに座っていて、利樹が携帯電話を耳に当てると立ち上がって恵美を見下ろした。
「…癒杏、電話をしてくる。お前はそいつを見張っていろ」
「あ、はい」
癒杏はどことなくほっとしたように頷くと、恵美は癒杏と利樹という人物がそこまで友好的ではないのかもしれない、と直感で感じた。
明らかに癒杏は利樹に怯えているようだったし、今回のこの状況も受け入れていないようだ。
「…あの…不自由があったら言ってください。善処します」
「んー、全部不自由じゃない?」
恵美がそう言うと癒案が「そ、そうですよね」ともじもじとする。二人の間に耐えきれないような沈黙が続く。
あーもう、いないほうがいいよぅ。
恵美がじっと見られていて癒杏にそういう感情を抱く。アーティファクトを使って脱出しようと思えば簡単に出来るのだろうが、あの利樹という男が気になった。本気で戦闘になったら自分では逃げ果せることなど出来ないだろう、これもまた直感で、恐らくこれは正解だった。
ドアベルが鳴って癒杏の両肩がびくんと震え、その様は小動物さながらで恐る恐るドアを開けると、従業員のスーツを来た赤い髪の女が入って来て、癒杏と何か揉め始める。
「恵美」
小さい声で突然名前を呼ばれて驚く。
萌が目の前で姿を現して、手錠を素早くピッキングで解錠し、恵美が上半身を起こす。
「萌ちゃん?」
小さい声で尋ねると、萌はすぐに恵美の左手にブレスレッドのようなものを嵌める。
「儚、早く」
「あん…どきどきしちゃう」
目の前から敬介と知らない女の声が聞こえ、青い髪の胸の大きい女性が姿を現す。恵美と全く同じ洋服を着ている女性に恵美が驚くと、儚と呼ばれた女の綺麗な顔が恵美に近づく。
「ひゃっ!」
「目を開いたまま?んーいっか」
儚が嬉しそうに恵美の唇と自分の唇を重ねる。
やわらかっってええええっ!
恵美が自分が女性とキスしたことに気付いて心の中で叫ぶと、目の前に自分と同じ顔をした女が立っていた。
「はい、こうたーい」
儚がそう言うと、恵美が拘束されていた手錠を自力で開けられるように手の平側に鍵穴を向けて施錠、拘束してベッドに寝かせ、萌が恵美にセットしたシークレットモジュールを起動させる。
「急ごう」
萌に言われて全員がシークレットモジュールを起動、癒杏と夢の傍をすり抜けて、非常階段でステルス状態の大津が非常階段を開けて外に出る。
夢はそれを確認してから癒杏に謝罪して外に出ると、利樹に鉢合わせたのだ。
全員がトラックに乗って発信すると、恵美は自分を助け出した一団の顔をようやく見る事が出来た、ということだった。
「あ、ありがと…」
恵美に言われて敬介と大津が苦笑すると、夢が「どーいたしましてぇ」と笑う。
「これが敬介隊長の娘さん?」
「いや、妹、妹」
大津がこんな大きな子供、敬介さんの歳じゃ出来ないって、と苦笑すると夢は「敬介隊長だもんー」と腹を抱えて笑う。
「あの…あの人は?」
自分の身代わりになった女性のことを思い出して恵美が敬介に尋ねる。
「儚か?あいつのアーティファクトは相手の身体の特徴を完全にコピーする能力がある。蒼月海面模写っていうんだ。相手の情報を得るには体液交換する必要があるんだ」
「いいもの見せてもらったぜ…」
大津がにやり、と親指を立てて恵美に向けると、恵美は大津を蹴っ飛ばす。大津が萌の座っているソファに突っ込んで、大津は萌に膝枕される様な形になり、萌は「いい子いい子」と頭を撫でていた。
「大津、おいしい奴だなぁ」
カメラで後部の様子を見ていた千石の声がスピーカーから流れて来て、大津が「どこがっすか」とふてくされてソファに座ると、萌が残念そうな顔をした。
「ん、儚のモニタリングしますよ」
「頼む」
夢が固定されている椅子に座ってコンピュータをいじり、ヘッドレストに頭を乗せた。ヘッドフォンを装備して盗聴器から聞こえてくる音に集中している。
危険ではあるものの、これが一番情報を入手しやすい。
諜報部員の元に諜報部員を配置するこのやり方はハイリスクハイリターンで、おまけに恵美を救出するという第一目標は見事に完遂することになる。
「家に帰るまでが遠足です、気を抜くなよ」
敬介が大津と千石に対して言うと、大津が頷き「はい」と千石の声が聞こえてくる。
「恵美、だいじょうぶ?」
萌が立ち上がって恵美の前に立つと、恵美が首を傾げる。
「萌ちゃん、身長伸びた?」
ぽふ、と恵美が萌の頭に手を乗せる。伸びた、どころの話ではない。百二十前後しかなかったはずの萌が今は百三十と少しくらいあるのだ。
「成長期だからな」
敬介がお茶を濁すように口を挟むと、カーゴから運転車両に大津と共に移った。
「これからの行動は…?」
「目ぼしい情報が得られないと判断したら帰還する。こちらは少数だ。多勢に無勢だよ」
千石に尋ねられて敬介が答えると、大津も緊張した面持ちで頷く。
「あ、萌。恵美に新しいコンタクトレンズ渡してやってくれ」
「はい」
萌の小さな返事を受けて、敬介と大津がシークレットモジュールを起動する。
「これって、ああ見える様になるんだ」
恵美が運転列の後ろに腰を下ろすと大津が「そういうこと」と恵美を見て微笑む。女の子特有のあの脚を寝かせている座り方から見える太ももに大津が息を呑む。
「大津くん露骨に見過ぎ、すけべ」
恵美が失笑すると大津が顔を真っ赤にして前を向き直る。
「今日は一日動かないかもな、しかし治安が悪そうな街だ」
街の中はどこも薄暗く、派手な格好をした若い女に酔っ払いのような男たちがたむろし始める。どこかで喧嘩が始まっても道行く人たちは関心も示さず足早にどこかに向かって行ってしまう。
「治安がいい街はあんな風にはなってないって」
千石が派出所を指差すと、明らかに燃え落ちた後のようになっていて、そこに野良ネコが入って行く。しばらく使われていない証拠だった。
十九時半になると人通りが一気に消えて、DMが何処からともなく噴出して視界を真っ白にした。
「ここもエリアか。政府からの警告も無くて、全員が自主的に引きこもったみたいだな」
「やば…俺後ろに戻ります」
大津がいそいそとカーゴに移動して、代わりに萌が大津のいた席に座る。大津はアーティファクターでもなければ、DMに耐性があるわけでもないので当然の行動だった。
「違う国でも…DM現象に悩まされているんだね」
「まぁなぁ。スキャニングシステムオン、千石」
「はい」
千石がインパネをいじるとフロントガラスに建物と車両との位置関係が緑色の線で立体的に表示される。対DM現象に特化している十三機関特有の装備だ。
「移動される前に脱出させるか…」
敬介がそう言うと、千石も心の中ではそうしたい、と思っていた。これ以上ここに居てはさすがに…と思う反面、潜入成功の上に敵の懐に布石を撒く事に成功している。情報はすぐに手には入らないだろうが、儚の忍耐力と行動力如何では当初の予想を大きく上回る功績を上げられるはずだった。
「敬介隊長…儚が解放されました…」
カーゴから夢が信じられないと言わんばかりに報告して来る。
「回収急げ…」
「アイサー」
千石がエンジンをオンにしてアクセルをぐっと踏み込む。
「全員武装、および警戒に入れ」
敬介の指示に大津が拳銃を握り、恵美が不安そうにアーティファクトを起動させる。
「カーゴの上に出るよ」
萌は運転席の真上のロフトの窓からカーゴのウィング上に移動して姿勢を低くしている。武装は不明だったが、敬介が止めないと言う事は萌も何らかの武装をしていることになるのだろう。
恵美の姿をした儚を見つけて、敬介は首を傾げる。何かされた様な様子はなく、普通に外に放り出されているのだ。
「掴まれっ!」
大津が腕を伸ばして、減速はするも停車はせずに儚を引っ張り上げると、恵美の隣に儚が素早く飛び乗った。
「どう言う事だ」
敬介が尋ねると儚は恵美の姿を解除して自分の姿に戻る。
「んー、なんでも本部が壊滅的な被害を受けたから、私を引き渡す場所がなくなっちゃったみたいだよ?」
「敵の軍じゃないのか?」
仮想敵国、となってはいるものの、ここに来て敬介は敵と認知していたらしくそう口走る。
「敬介隊長!ターゲット車両が動き出しました!」
「くそ、何が何なんだよ」
敬介が舌打ちするとハンドルを握る千石が敬介の顔をちらちらと横目で見ている。視界が悪い中で車を動かすなど自殺行為だ。
「私は…敵の敵は味方だと思う」
儚に言われて敬介は首を傾げる。
「国内情勢が伝わって来ないから何とも言えないけど…たぶんあれ、私たちの国とも仲良くないと思うけど、本国とも仲がいいとは思えないよ?理想がどうの、とか希望がどうの、とか…まるで反政府運動をしているリーダーみたいな口ぶりだったし」
「でも利樹ってやつは国の中でも有名な暗殺者らしいぞ?それがなんでまた」
大津が首を傾げるも「わからないよ、そんなの」と儚が唇を尖らせる。
「どうする、追います?」
千石に尋ねられて敬介は「一応追え」と告げるとトラックが中央分離帯を突き破って反対車線に出る。
「無茶するね、この坊やは」
儚が目を丸くすると敬介もさすがに驚いたのか千石を睨む。
「無茶と無謀はやめられんのですよ」
千石がはっはーと笑いアクセルを踏み込む。ターゲット車両とこの車両との位置関係は表示出来るものの、残念ながら詳細地図はアウトオブサービスになっている。それも仕方がないことなのだが…。
するりするりと狭い路地の障害物をぎりぎりに避けて要ると、萌がどすん、と大津の膝の上に落ちて来る。
「落ちるかと思ったよ…」
先ほどの急旋回で萌もさすがに冷やりとしたのか、そっと胸を撫で下ろしている。
「ぬぅ、萌ちゃん重たいんだな」
大津が正直に萌の体重にそう言うと、萌がうにーと大津の両頬を引っ張った。
「いでででで、いでぇって」
大津がじたばたと暴れるも、萌は手の力を緩めない。
「女の子に重たい、なんて言ったら怒るわよ」
恵美が苦笑すると、儚がそんな恵美を見て首を傾げる。
「妹さん、さっきまであんな状況だったのによく普通にしていられるわね」
誘拐された直後の反応ではない、と恵美に不思議がる儚に恵美は「慣れてますからー、あはは」と乾いた笑みを浮かべると、儚も「色々あるのね」と深くは追求しなかった。
この兄にして、この妹あり、とか思われたらいやだなぁ。
恵美は敬介の後頭部を見ながらそう思うと、敬介が恵美の視線に気付いたのかこちらを見て来る。
「恵美、もう少し家に帰るの遅くなってもいいか?」
「うん、私は構わないけど…。危ない事するんじゃないよね?」
恵美の心配そうな視線に敬介が口ごもり、全員が返答に困っているのか黙り込んでしまう。
「あの…えっと…助けに来てくれたんですよね?」
恵美が儚に尋ねると、儚はにこりと微笑む。
「ええ、そうよ。敬介くんに言われて私たちも作戦行動に参加したの。みんなも知ってるよね。特捜十三課、ゼロ隊パニッシュメント所属の映し身の儚が私」
儚がよろしくと恵美に手を差し出し、恵美もそれを受け取る。
「後ろにいる赤い髪の子が赤髪の妖精って言われる情報に特化したアーティファクトを持っている夢。私もあの子も敬介くんの部下になるの。萌ちゃんもそうなんだよね?」
儚が萌に尋ねると萌が頷いた。
「私も敬介お兄ちゃんのゼロ隊所属、千石もそうだけど、この人は知らない」
むーにむにと頬を引っ張られてなすがままにされている大津が「助けてくれ」と恵美に視線を送る。
「…家に帰る前にやることがあるなら、ちょっと頼まれてもらってもいい?」
「俺たちは姫様の召使じゃない。が、聞いてみようか」
敬介が尋ねると儚は「妹さんには甘いって本当だったのかしら」と不満そうな顔をする。
「私も手伝いたいから、作戦とかに参加したい」
「ん?ああ、頭数に入ってる。気にするな」
敬介がそう言うとぽい、と内ポケットから携帯電話のメモリーを投げる。恵美がそれを受け取ると、敬介が「セカンダリポケットに入れとけ」と言う。
「あと、これな。携帯電話壊れただろ」
携帯電話も手渡されて、最新機種の携帯電話を貰って恵美が嬉しそうにタッチパネルを操作する。
「圏外だ…」
「衛星通信方式を利用している最近の携帯電話でも、ここはそういう他国の携帯電話はジャミングされていて使えないからな…。セカンダリメモリーポケットにさっきのメモリカードを挿せ」
恵美がそう言われてメモリカードを挿入すると電波状況が良くなった。ついでインストールが自動で始まって十三機関の盾と剣のエンブレムが表示される。
「鳳凰寺恵美特捜官は本日をもって、ゼロ隊敬介隊長主席閣下の直轄部隊に配属されました、おめでとう」
千石が軽い調子で言うと恵美は携帯電話を握り締める。
「無くすなよ、それは身分証明書うにもなってるからな。まぁ部隊員ってPDAを持ってるんだが…女子高生にPDAはないからなぁ。携帯電話で使える様に改造しておいた。千石も持ってるし、大津は特捜官補佐の位置づけだ」
「たのんまひゅよ、上官どのぉ」
萌に頬を引っ張られたまま大津がそう言うと、萌が信じられない様な顔をして敬介を見ている。絶対に自分が協力したいと言っても足蹴にされると思ったのだが…。
「どういう心境の変化なのかな?お兄ちゃん」
恵美が尋ねると、敬介は前を向いたまま何も言わない。
「私たちは守るためにアーティファクトを使うの。それ以外に使う様な連中は許さない。妹さんもそれはしっかりと守ってね」
儚に言われて恵美は頷く。
守るためにつかう。
それは敬介が自分に言った言葉だった。
そして敬介が信念として貫いて居る事でもあった。
同じ考えで、同じ道を歩むなら傍に居た方が安心する、などと今更敬介にはとてもではなかったが、言えなかった。
危険な事は十分承知している。
その上で恵美が引かず、こうして今回の事件に巻き込まれてしまったわけだ。それならば…もっと目が届く場所で自由にさせてやりたい、と思う敬介は兄バカなのかもしれない。
「敬介さん…これ」
敬介が千石に声をかけられてパネルに設置されているディスプレイを見ると、すぐ近くで車両が止められている事に気付いた。
いつの間にか街一つがそのまま打ち捨てられた様な廃墟のようで、牧場跡のような民家がところどころにある平原になっている。
トラックが発信器のある車の真後ろに付くと、車は黒煙を拭いて炎上していた。
いろいろ考えながら作業していると頭がぼーっとしてきますね。そんなときに甘いもの!ということで業務用チョコレート1kgをほおばっていますが、気づいたら全部なくなってました。鼻血どころか血液がチョコレートになってしまいそうですねえ。
さてはて、あとは終わりに向けて進みますかね。
では次回




