死んでくれ :約2000文字
「――んでくれませんか?」
「え?」
「あの、死んでくれませんか?」
「……はい?」
夜、駅近くの通り。おれはスマホの画面を眺めながら、ぼんやり帰り道を歩いていた。日付が変わるまであと数時間。また明日も仕事。そんなことを考えながら、ため息をつこうとした、その瞬間だった。
突然ビルとビルの隙間から男がぬらりと飛び出してきた。
おれは思わず「うおっ」と声を漏らし、足を止めた。驚きはしたものの反射的に軽く会釈し、そのまま男の横をすり抜けようとした。
だが男はずいと一歩踏み出し、こちらの進路を塞ぐように距離を詰めてきた。そして呟くように言ったのだった。死んでくれませんか、と。
「え、死んでくれってどういう意味ですか……」
おれは眉をひそめ、露骨に怪訝な顔をして問い返した。黒いスーツを着た陰気そうな男だ。背中を丸め、やや俯いている。
「あなたに死んでほしいんです……」
「えっと……初対面ですよね?」
おれは訊ねながら男の顔を覗き込んだ。血の気がなく、今にも消え入りそうな薄い表情だ。見覚えもなく恨みを買った覚えもないが……。
男はこくんと頷き、ゆっくり顔を上げた。おれは一歩後ずさった。
「会ったこともないのに、なんでそんなこと言われなきゃいけないんですか……」
「あなたにも死んでほしいんです……」
「……“も”? それって……一緒に死んでほしいってことですか? ええ、いや、いやいや……」
「もう、よくありませんか……?」
「何がですか……人生もう終わりにしてもって?」
「はい……もう十分でしょう」
「いや、まだまだ全然ですよ」
おれは苦笑しながら首を振った。
「彼女もいないんでしょ?」
「まあ……今はいませんけど」
「これからもできませんよ。ブサイクですし」
「失礼だな。そんなのわからないでしょうが。今はマッチングアプリだってあるし」
「仕事も安月給なんでしょ?」
「まあ……はい」
「ほらね。結婚なんてあなたには無理です。婚活しても傷つくだけですよ。およしなさい……」
「いや、だからそんなのわからないじゃないですか。てか、あんたに言われる筋合いないよ」
自殺志願者かと思い、ちょっと親身になって話を聞いてやろうとした自分が馬鹿だった。ただただ無礼で陰湿なやつだ。関わるもんじゃない。
おれはそう判断し、男を避けて歩き出そうとした。しかし男はまたすっと一歩前に出てきて、ぴたりと進路を塞いできた。
「ちょ、邪魔ですよ。どいてください」
「ねえ、死にましょうよ」
「だから、そんな気はないって言ってるじゃないですか。あんた、なんなんだよ。死神かよ……」
――えっ。
呆れ、吐き捨てるように言うと、男はこくんと頷いた。
その次の瞬間だった。男の顔がゆっくりと透け始めた。皮膚が薄れていき、肉が消え、白い骨が現れたかと思うと、その向こう側の景色が歪んで見えた。
「あ、あんた……本物の死神……?」
おれは震えながら問いかけた。
「はい……」
「おれの……魂が欲しいのか……?」
「はい……。たくさん回収しないといけないんです。ノルマがありまして……」
死神はちらりと夜空を見上げ、深いため息をついた。
「……じゃあ、下手だよ」
「はい……?」
「いや、死んでほしくてさっきみたいなことを言ってたなら、下手。全然死にたくならなかったよ」
「そんなこと言わずに……。ねえ、死にましょう? ほら、あなた臭いですよ。トイレの匂いがします」
「いや、あんたがやってるのはただの罵倒なんだよ。不快なだけだ」
「鼻毛出てる……」
「それで死にたいってなるわけないだろ……」
「存在感薄いですね」
「あんたほどじゃねえよ」
「笑った顔が気持ち悪い」
「あんたの前で一度も笑ってないだろ」
「ウーパールーパー」
「え、小学校の頃のおれのあだ名……」
「これが死神の力です。あなたの過去はすべて見えるんですよ。女の子に呼ばれて満面の笑みで返事したら、別の子を呼んでいたことがありましたね……」
「ああ……あれは、恥ずかしくて死にたくなったな……」
「そうでしょう、そうでしょう。では」
「いや、本当に死にたいわけじゃないから。力の使い方も下手だな」
「最近、ちょっと太りましたね……」
「もういい。付き合ってられん。じゃあな――」
おれは呆れてため息をつき、一歩踏み出した。
だが、その直後だった。
頭上から凄まじい衝撃が叩きつけられた。視界が真っ白に弾け、おれは一瞬意識を失った――いや、死んだのだ。
どうやら、すぐ近くのビルから人が飛び降りたらしい。おそらく死神は、別の誰かにも声をかけていたのだろう。
死神はおれと、その飛び降りた男の首根っこ――魂を掴み上げると、生き生きと笑った。




