聖女に失恋した狼王の兄ですが、震えるウサギ騎士を溺愛することになりました
ナヌークと聖女であるトーコの儀式が終わり、半年が経った。
王位継承も無事終わり、若い王のもと、獣人王国は活気づいている。
前王である父の病で不安がっていた王国民に、笑顔が戻ったのは良いことだ。父も重責から解放された安心感からか、母である元聖女と離宮で穏やかに過ごせている。
そうなると、世間の関心はもう一人の王子である俺に向いてくる。
婚約者は不在、年頃の王子に舞い込む縁談は腐るほどあるが、どれも手が伸びない。なぜなら、俺はトーコのことが好きだからだ。
あれほどまでに芯の通った、強い女性は今までに見たことがなかった。
どの令嬢も家柄の権力を笠に着ているだけ。高慢で、贅沢。
どれだけ所作が美しかろうと、トーコの気高さには敵わない。だからどんな女性も、魅力的に映らない。
そう、思っていた――。
△△
「縁談、ですか」
離宮にいる母に呼ばれたら、何をおいても駆けつけるのが俺の信条だが、これは意外な一言だった。
「ええ。マフィには申し訳ないけれど……どうしても、会うだけ会って欲しいの。リエブル家のお嬢さんなんだけど」
「……」
家名だけで察した。
獣人王国全土に書簡伝達をする、のが公的な役目。警戒心が強く夜行性のことから、裏では諜報活動もしている。表の情報伝達と合わせると、握っている機密は数知れない、無視できない家柄だ。
「とっても良い子なの。無理にとは言わないから。ね?」
笑顔だが、有無を言わさない迫力がある。
前王は武功を誇り堂々たる体躯だが、母には逆らえない。その理由が分かった気がした。
「かしこまりました」
「よかった! じゃ、お茶会を開くから。来てね」
「……はい」
「そう耳を垂れないで。あなたの好きなもの、用意しておくから」
狼獣人たる自分に誇りを持っているが、感情を隠しようもない性質だけは、呪っている。
「お気遣い、ありがたく。失礼いたします、母上」
腹の中がズドンと重たくなった気がした。
△△
お茶会、という名目だが実際は顔合わせである。
目の前には、真っ白で長い耳を頭の上にぴんと立てた、ピンク色のドレス姿の令嬢が座っている。
テーブル越しでも、ずっと小刻みにぷるぷる震えていて、気の毒で仕方がない。顔のほとんどが目だろうかと思うぐらい大きな、黒目がちの瞳が潤んでいるから、余計だ。
「……良い天気だな」
「は、はい」
相手のことが分からないから、天気のことしか話題がない。だがそれも、終わってしまった。
さてどうしたものかと思いながら、目の前のブルーベリージャムがたっぷり乗った鹿肉にナイフを走らせる。俺の大好物だ。
「ピエレット嬢。取って喰いなどしないから、皿の上のものを片付けよう」
肥え太ったウサギは確かに美味い。目の前の令嬢は、非常に華奢だから、心配になる。
「はい」
彼女が真っ先にブルーベリージャムの乗ったスコーンにフォークを入れたのを見て、俺は何となく嬉しくなる。好物が同じなのは、良いことだ。
この場から逃げ出さないのも、根性があって良い。だが、いつまでも目が合わないし、手どころか全身が震えている。声も小さいし、話題を広げることもない。
(つまらない女だ。トーコなら、矢継ぎ早に色々な話をするのに)
無意識に比べてしまうことに、滅入ってしまう。
弟の妻に懸想している自分には、嫌悪感しか湧かない。
「あの、殿下」
無心で鹿肉を食べていたら、話しかけられた。
「なんだ」
「美味しい、ですね」
「ああ」
「……」
また話は終わってしまった。つまらないが、政略結婚など、そのようなものだろう。
何年経っても番に夢中な父と弟のような例は、もはや稀だ。
色々な種族同士が婚姻し、王族といえども狼の習性は薄まってきている。――だから俺は、これで良い。
結局ほとんど会話を交わさないまま、顔合わせは終わった。
――だが後日、まさしく脱兎の勢いで中庭を走っていくピルエット嬢を見かけて、俺は度肝を抜かれることになる。
格好は、騎士服。
帯剣もしている。
いったいどういうことだ? と頭の中に疑問が次々湧く。
「お転婆ピルが、また走ってら」
「どーせまた生意気な口をきいて、班長怒らせたんだろ」
たまたま近くを通りかかった近衛騎士の会話に、俺は耳を疑った。
お転婆、生意気。
先日のお茶会の彼女とはまったくイコールにならない。
「おい」
犬獣人の二人に話しかけると、さっと顔を青ざめ頭を下げられてしまった。
それもそうだろう、俺は騎士団の統括もしている立場だから。俺が騎士の立場なら、各方面騎士団長の上司が背後からいきなり現れたら、動揺する。
「今の話、聞かせてくれ」
「え、ピル、また何かしちゃったんでしょうか」
「悪い奴じゃないんです。暴走気味ってだけで」
――ますます、先日のピルエット嬢と一致しない。俺は混乱した。
「……あとで、訓練場に来るよう言っておいてくれ」
それだけ伝えて、その場を後にした。騎士服へ着替えるために。
△△
半刻後の訓練場に、小柄なウサギの騎士が一人、立っている。
白く長い耳は頭頂でぴんと立っており、ふわふわの丸い尻尾に、帯剣。
そわそわ落ち着きなく震える様子は、どう見てもピルエット嬢だ。
「ピルエット嬢」
「はひゃい!」
甲高い声と共に、びょん! と飛び跳ねられた。こちらを振り向く彼女の、黒目がちの瞳がうるうるしている。びびらせてしまった、と罪悪感が募る。
「呼び出してすまない」
「いいえ!」
びし、と騎士礼を返されたので、俺は逆に安心して口を開くことができた。
「所属を」
「はっ! 近衛第三班です!」
王宮内庭園警護。
口が固く家柄の良い者しか配属できない。そういう意味では、ピルエット嬢は適していると言える。だが――。
「手合わせを」
「ぎゃ!」
「不都合でもあるのか?」
王族のレディを守る立場だ。ある程度の手腕がなければ、話にならない。
「ございませんっ」
「ならば」
俺は訓練場脇のスタンドに、雑に何本も挿してある、トレーニングソードに手を伸ばした。騎士の持つ剣と同じ重さと形状だが、素材は木だ。
手頃そうな一本を抜き、投げ渡す。ピルエット嬢は、慌てた様子で受け取った。
「一本。腕試しだ」
「……承知しました」
――正直に言おう。彼女の剣の腕はそこまでではなかった。ただ、逃げ足が素早い。
俺の視界を振り切るように、縦横無尽に駆け回る脚力は、賞賛に値する。だが、いかんせん持久力がない。第三班配属は、納得だ。遠征にも向いていないだろう。
「そこまで」
「っは、っはい、あり、がとう、ござ、いまし、た」
「水を飲め」
肩で息をするピルエット嬢に、俺は水筒を差し出す。
紅潮した頬には汗がじっとりと浮かび、またも潤んだ瞳で見上げられて、ドキッとした。
「はだん、ですか」
「ん?」
はだん、とは何だろうと俺は首を捻る。
しばらく考えて、ようやく『破談』の二文字が浮かんだ。
「なぜそう思った」
「あたしは……令嬢じゃない。走り回ってる方が、向いてる。けど、強くない。他に何も、ない……です」
「そうだな。強くはないな」
「っ」
目の中にたっぷりと浮いた涙が、今にもこぼれ落ちそうだ。
俺は、自然と手を彼女の頬に添え、親指でそれを拭っていた。衝動的な行動に、自分でも驚く。
「だが、努力したのだろう。足が速いという特性を活かした戦い方だ。しかも、誰かを守ることに特化している」
「お分かりに、なるのですか」
「ああ。撹乱。その一点に集中しているように見えた」
「あたしの役目は、聖女様方を守ること、ですから。自分で、志願しましたし」
「なるほど」
女性ならば、近くで守ることができる。
もしかして母は、彼女を知っていて勧めてきたのだろうか。――あり得る。
「ブルーベリージャムが美味い店がある」
「え……」
「今度、行ってみないか」
「はい!」
ピルエットは満面の笑顔で、びょん! と飛び跳ねた。
(……可愛い)
△△
それからはお互いの時間が合った時に、王都の散歩をした。
ブルーベリージャムだけでなく、季節のフルーツを使ったジャムを探したり。観劇したり、お茶をしたり。
同じ冒険小説のシリーズを追いかけていると知った時は、話が盛り上がりすぎて乗合馬車に間に合わず、馬で送っていった。
ピルエット嬢を前に乗せると、耳の先端が視界で揺れる。
フワリとした質感に誘われて、思わず鼻の先で触れた。
首筋が赤くなったから、気づかれていただろうが、知らないふりをしてくれた。そういった細やかな気配りに、俺はどんどん甘えてしまうのを実感していた。
「母上。婚約を進めてください」
「ふふ。分かったわ」
――順調に行くかと思ったが。俺は狼の本性を甘く見ていた。
離宮からの帰り道、ついでだとピルエット嬢の様子を見るため、訓練場に寄ってみる。
近衛の訓練時間に合わせたから、はたして彼女の姿を見つけた。
だが、親しげに肩に腕を回す同僚がいる。
耳の形状からいって、狐だろう。
遠慮なく頭をわしゃわしゃと撫で、ピルエットも嫌がってはいない。笑いながら振り向いた二人の、顔の距離が近い。
今にも口付けができそうな――吐息のかかる距離だ。
久しぶりに、俺の尻尾の質量がいつもの三倍になった。
「ピルエット嬢」
「ん? びゃ!」
俺の姿を見つけると、彼女は動揺し飛び跳ねた。狐も慌てて手を離すが、もう遅い。
「はあ。はしたない女性とは思わなかった」
「……え」
「がっかりだ。失礼する」
「え、ちょ、ま」
頭では分かっている。ただ親しいだけだ。騎士たちのコミュニケーションでしかない。だが、腹の底から怒りがとめどもなく湧いてくる。
トーコとナヌークが目の前でいくらくっつこうと、そんなことは思ったことがない。微笑ましい、愛しい、もっと見ていたい。
だが今のこの気持ちはなんだろうか。
また離宮に逆戻りだ。進める、ではなく、断る、と言い直さなければ。
「あれ、マフィ? どこ行くの?」
廊下を歩いていると、ナヌークに声をかけられた。
一人で、背後に護衛を二人従えている。
「ナヌークこそ」
「僕は、会議が終わって休憩するところ。久しぶりに、一緒におやつ。食べない? ブルーベリージャムも用意するから」
普段は国王としてきりっとしている弟だが、俺の前ではこうして甘えるのがずるいと思う。
「……分かった」
少し冷静になりたかったから、ちょうど良い。俺は素直に、頷いた。
「んおおお。マフィが嫉妬するとか、すっごいね!」
だが話を聞くやいなやそう驚かれて、誘いに乗ったことを後悔した。弟の、興味でらんらんと光る目に見つめられるのは、大層居心地が悪い。
「嫉妬?」
「うん。狐くんかわいそう。今頃ぶるぶる震えてるんじゃない? 兄さん顔怖いし」
「はん。嘲笑っているだろう」
滑稽だ。ウサギに入れ込む狼など。
――そうか、俺は惚れているのか。ようやく、腑に落ちた。
顔が熱くなる。羞恥でいたたまれなくなってきた。
「わ。今自覚した感じ!?」
「っそうか、これが」
「そう! 恋ってやつだね! よかった〜」
「よかった?」
「だって兄さん、トーコに憧れていたでしょう」
「知っていたのか」
「もちろん。でもそれは、恋じゃないんだよ」
ナヌークは、穏やかな態度でティーカップを口に持って行く。
「恋、じゃない?」
「うん。ただの憧れ。恋ってさあ、ぐっじゃぐじゃの強い感情とも向き合わないといけない。兄さんには、それがなかったもんね」
強い感情に翻弄される経験は、確かに今が初めてだ。
「許してあげてよ。あれはピルエット嬢の処世術だから。ウサギは舐められる。ましてや女の子だからね。穏便に言うこと聞いていないと、逆に後が怖い。僕はそういう環境も何とかしたいと思っているよ」
ナヌークの訳知り顔に、俺は複雑な思いがしている。国王として、色々な情報を把握し前に進めようとしている姿勢。愛する伴侶を持ち、兄ですら諭せる器量。何もかも――
「あ、間違えないでよ兄さん。僕がこうしていられるのは、兄さんの威厳あってこそ、だからね」
ふふ、とナヌークは微笑むと、俺の背後を顎で指した。
振り向くと、顔面蒼白の騎士たちが横並びで、まるで罰せられるのを待っているように立っている。
「恐ろしい騎士団統括の婚約者候補に無礼を働いた、って自らああやって出頭するの。すっごいね」
「からかうな」
「からかってないよ、真面目に言っている。兄さん――マフィ殿下のご威光と武功あってのこと。心から尊敬している」
「弟に諭されるようじゃ、この俺もまだまだだな」
「はい。お茶会はお開き。あの後始末、よろしくお願いしますよ、閣下」
「ご命令、心得た」
国王からの命令とあっては、動かないわけにはいかない。
俺は立ち上がり、騎士たちに近づいて行く。
列の一番右端にピルエットがいることに気づく。徽章から判断するに、左から序列順に並んでいるのだろう。
「何用だ」
「は! 陛下とのお茶会をお邪魔してしまい、大変申し訳なく」
「前置きはいい。本題に入れ」
気の毒なぐらい唇を震わせながら、近衛三班の班長と思われる犬獣人が、喉をごきゅんと鳴らした。
「は! ……閣下の婚約者候補とは知らず、狼藉を働いたと自己申告した騎士をこのように連行いたしました。いかような処分もお受けする所存です!」
言い分は正しいが、足りないと感じた。
「俺の婚約者候補だから、か?」
「……は」
班長が軽く首を傾げる。それだけで頬を殴ってやってもいいぐらいだが、かろうじて我慢した。
「ならば、他の女性騎士に対しては、今後もあのような態度を貫く。そう受け取ったが」
「っいえ、そのような」
「貴様らにも、この際だから言っておく。近衛は誇り高く、聖女様をお守りする立場である。だが、立場だけではない」
トーコと出会わなければ持ちえなかった価値を、俺は他者に伝えなければならない。
改めてそのことに気がつき、言葉を発する。今は俺の立場からの強制力でいい。いずれ、文化として根付くように。
「聖女様が愛するもの、全てを。お守りする者たちでなければならない!」
全員の背筋が伸びた。意味は通じただろうか。
「誇りを持て。普段の行動から、品位と節度を大切にしろ。良いな」
「は!」
「懲罰については、後ほど通達する。分かったら、下がれ――ピルエット嬢は、残れ」
びしりとした騎士礼を受け取り返礼すると、騎士たちの同情の視線を全身に浴びたピルエット嬢だけが、その場に残った。
黒目がちの瞳に、涙が浮かんで溢れそうになっている。ふるふるしたまつ毛に、紅潮した頬。
「はあ」
思わず出た溜息に、ピルエットの肩が大きく震えた。
「……その顔はやめろ」
「あの、どんな顔でしょう」
「可愛い顔だ」
「え?」
「守りたくなる。許したくなる。俺は、その顔に弱い。ああきっと、初対面で惚れていたんだな」
びょん! とピルエット嬢が飛び上がったので、俺はすかさず空中で捕まえた。抱き上げた、とも言う。
「他の男に触れさせるな。狼の番は生涯に一人だぞ。肝に銘じろ」
「はひゃい!」
ついに頬に溢れてきた涙を、唇ですくう。両手が塞がっていたからだ。
「しょっぱいな」
「ひゃあああ」
真っ赤で身をよじる様も、喰いたいぐらいに可愛い。
「うーわ。兄さん、尻尾ぶんぶんだ。初めて見た!」
弟のからかいも、耳には入らない。目の前の小さなウサギに夢中だからだ。
――後から、ピルエットが俺のファンだと母上に熱弁していたと知って、ますます愛おしくなった。恋心に上限はないらしい。
後日、婚約が成立したと離宮の母から呼び出しがあった。ついでにと、一緒にお茶をする。
「ふふふ。良かったわ。護衛なのかノロケなのか分からないんだから、あの子ったら。見た目も強そうでかっこいい、剣の腕もすごい、あの筋肉に包まれたいって毎日毎日聞かされてみなさいよ」
「ほう。ではこれからは、本人から直接聞くようにいたしましょう」
「あらあら。やっぱり、狼ねえ」
ちらりと横目でみると、護衛の女性騎士が顔を真っ赤にして、ぷるぷる震えていた。




