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第四話 深淵の改造手術と、平和の対価

 蒸気都市ヴァルカンの中央プラント。

 その最深部にある魔導炉制御室は、死のごとき静寂と冷気に包まれていた。

 暴走寸前だった大魔導炉は、アビスが指を弾いた瞬間、分厚い氷の殻に覆われ、完全に沈黙していた。

 室温は急速に低下し、先ほどまで熱気地獄だった空間は、吐く息が白くなるほどの極寒の地へと変貌していた。

「……た、助かった……のか?」

 部屋の隅で震えていた労働者の一人が、呆然と呟いた。

 確かに爆発は免れた。

 だが、すぐに別の絶望が彼らの顔を曇らせた。

 炉の火が、消えているのだ。

「でも、炉が止まっちまったぞ……」

「この街の動力源だぞ!? これじゃあ工場も動かないし、暖房もつかない!」

「外は氷点下だぞ……俺たちは、このまま凍えて死ぬのか……?」

 ざわめきが広がる。

 蒸気男爵が、ここぞとばかりに叫んだ。

「そ、そうだ! 見ろ! この悪魔め!」

 男爵は燕尾服を震わせ、アビスを指差した。

「貴様は爆発を止めたつもりかもしれんが、我が都市の心臓を止めてしまったのだ! これでヴァルカンは死の街となる! 貴様こそが破壊者だ!」

 リディアも困った顔をした。

「あ、アビスさん……どうしましょう? 溶かしますか? でも溶かしたらまた爆発しそうだし……」

 アビスは、月光のような銀髪を鬱陶しそうにかき上げると、冷ややかな視線で周囲を一瞥した。

 その深紅の瞳には、慈悲も同情も一切ない。

 あるのは、所有権を主張する支配者としての傲慢さだけだった。

「……うるさい」

 その一言で、場が凍りついた。

「少し静かにできんのか、下等生物ども。……俺様の鼓膜が汚れる」

「な、なんだと……貴様、自分が何をしたか分かっているのか!?」

「それがどうした?」

 アビスは退屈そうに言い放った。

「貴様らが凍えようが飢えようが、俺様の知ったことではない。 生かすも殺すも、支配者たる俺様の気まぐれ一つ。感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いはないな」

 極度の傲慢。

 この世の全ては自分の所有物。

 だからこそ、それをどう扱おうが自分の勝手だという、揺るぎない理屈。

「で、でもアビスさん!」

 リディアが食い下がった。

「このままだと、宿の暖房も止まっちゃいますよ? せっかくの高級ベッドが台無しです!」

「……む」

 アビスの眉がピクリと動いた。

 それは聞き捨てならない。

 せっかく確保したスイートルームが、極寒の部屋になるのは許容し難い。

 冷たいシャワーなど、魔人の美学に反する。

「……チッ。面倒な」

 アビスは舌打ちを一つ鳴らすと、氷漬けになった魔導炉に歩み寄った。

 そして、その美しい手を氷の表面にかざす。

「男爵と言ったな。貴様が作ったこの炉……設計思想が三流だ」

「な、なに!?」

「無駄な排熱、無駄な振動、無駄な煤煙。エネルギーの六割を『騒音』と『ゴミ』に変えて垂れ流している。……美しくない。見ていて吐き気がする」

 アビスの指先に、赤黒い魔力が収束する。

 それは修復の光ではない。破壊と、強制的な改変の光だ。

「教育してやる。……ひれ伏して見ろ」

 アビスの手が、氷を貫いて炉の本体を掴んだ。


 ギギギギギギギギッ……!!


 炉に刻まれた術式そのものが、アビスの圧倒的な魔力によって無理やり書き換えられ、蹂躙され、作り変えられていく。

再構築リビルド。……従え、鉄屑」

 ドクンッ! 炉が大きく脈動した。

 次の瞬間、覆っていた氷が一瞬にして蒸発し、目もくらむような閃光が走った。

 光が収まった時、そこに鎮座していたのは、以前の無骨で錆びついた鉄塊ではなかった。

 白銀に輝く、一枚岩のような滑らかな柱。

 継ぎ目一つなく、排気口すら存在しない。

 そして何より――「無音」だった。

「な……?」

 技師が震える手で計器を確認し、絶叫した。

「しゅ、出力安定……い、いや、以前の十倍です! なのに、燃料消費ゼロ!? 排熱ゼロ!? 振動ゼロ!? ……あり得ない、物理法則が歪んでいる!!」

 アビスは、汚いものを触ったかのように手を払った。

「内部構造を全て書き換えた。熱も音も出さん。ただ純粋なエネルギーのみを生み出すよう、概念ごと固定してやった。これで煤煙も騒音もない。……俺様の視界と聴覚を汚す要素は消えた」

 そう。彼は人々を救うために直したのではない。

 「自分の美学に反する汚い機械」が存在することが許せなかった。

 ただそれだけの理由で、人類の魔導技術を数百年分飛び越えるオーバーテクノロジーを生み出してしまったのだ。

「あ、悪魔め……。神の領域を、こうも安々と……」

 男爵は腰を抜かし、床にへたり込んだ。

 恐怖。

 圧倒的な力の差を見せつけられ、もはや言葉も出ない。

「さて」

 アビスは、氷のような冷たい瞳で男爵を見下ろした。

「炉は動かしてやった。……次は、貴様が俺様の不快感を拭う番だな?」

「い、命だけは! 金ならある! この街の全てをやる!」

「金? 地位? ……くだらん。そんなゴミをよこして、俺様をさらに不快にさせる気か?」

 アビスが一瞥すると、男爵の身体は軽々と宙に浮いた。

「俺様の安眠を妨害し、不味い空気で毛並みを汚し、あまつさえ俺様の所有物である人間どもを勝手に間引こうとした罪。……万死に値するが、特別に許してやってもいい」

 アビスは懐から、一枚の紙を取り出した。

 ホテルのルームサービスのメニュー表だ。

「この『特濃ミルクプリン』。……これを今すぐ、街一番の職人を叩き起こして作らせろ。 俺様とリディア、そしてそこの小僧テトの分までだ。 最高級の材料を使え。カラメルは苦めだ。少しでも味が落ちれば……」

 アビスの指先が、男爵の心臓部分に触れる。

「次は、貴様の心臓を『永久凍結』させて、この部屋のオブジェにしてやる」

「は、はひぃぃぃぃ!!」

「期限は三時間だ。……失せろ」

 アビスが拘束を解くと、男爵は転がるようにして逃げ出した。

 その背中を見送りながら、アビスはふと、窓の外の気配に眉をひそめた。

 だが、今はプリンのことしか頭になかった魔人は、その微かな違和感を無視することを選んだのだった。


 ◇


 数時間後。

 『鋼鉄の休息亭』のスイートルームにて。

「ん~~~っ! 美味しいですぅ~!」

 リディアは、顔をほころばせて山盛りのミルクプリンを頬張っていた。

 その向かいでは、テトもおっかなびっくりスプーンを動かしている。

 そして、上座のソファには、優雅に脚を組んだアビス(人間形態)がいた。

 部屋の隅では、男爵と数人のパティシエたちが、処刑を待つ囚人のように震えながら土下座していた。

「……悪くない」

 アビスの一言を聞いて、男爵たちは一斉に崩れ落ちる。

「合格だ。……下がっていいぞ。俺様の視界から消えろ」

 男爵たちが逃げ去った後、リディアは真面目な顔で切り出した。

「――それで、アビスさん。男爵さん、これからどうしましょうか?」

「どうするも何も、奴はもう抜け殻だぞ」

 アビスは退屈そうに答える。「俺様の『力』と『恐怖』を骨の髄まで刻み込んでやった。奴は二度と逆らわん。……奴にとって俺様は、この世のどんな法律よりも絶対的な『掟』になったからな」

 アビスは鼻で笑った。

「奴の技術力と組織運営能力は本物だ。殺してしまえば、新たな権力争いが生まれ、街は混乱する。 ならば、奴を生かし、俺様の『庭』の管理人として働かせるのが効率的だ。 ……リディア、お前の名前で『不可侵条約』を結ばせておいた」

「条約?」

「ああ。『この街は勇者リディアの保護下にある』という宣言だ。これで他の軍閥も手出しできん」

 こうして、蒸気都市ヴァルカンは、勇者リディアの(そして裏では魔人アビスの)支配下に入った。


 ◇


「……あのさ、アビスの旦那」

「『様』をつけろ」

「へい、アビス様。……俺、決めたよ」

 テトはスプーンを置き、真剣な眼差しを向けた。

「俺、あんたらの旅について行く」

 昨日のアビスの「力」と、今日の「支配」。

 それを見て、テトは確信したのだ。

 この人たちとなら、本当に世界を変えられるかもしれない、と。

「……まあ、いいだろう。気の利く下僕がもう一人くらいいても悪くはない」

「よーし! それじゃあテトくんも正式にパーティメンバーね!」

 リディアが取り出したのは、一枚の古びた羊皮紙。

「次の目的地はここ! 大陸南部の『美食王の遺跡』!」

「……ほう。古代の『伝説のスパイス』か。悪くない」

 アビスがニヤリと笑う。

 新たな仲間と、新たな目的地。

 蒸気都市での騒動は、彼らの旅のほんの序章に過ぎない。


 ◇


 アビスはプリンの最後の一口を飲み込むと、ふと窓の外へ視線をやった。

 その紅い瞳が、微かに細められる。

(……なんだ、あの視線は)

 向かいのビルの屋上。

 そこに、へばりつくような粘着質な視線と、微弱だが歪んだ魔力の気配があるのを、アビスは最初から気づいていた。

 敵意ではない。

 だが、獲物を狙う獣のような、あるいは信仰対象を見る狂信者のような、ねっとりとした気配。

(……不快な虫だ。潰すか?)

 アビスは指を動かそうとした。

 だが、すぐにその手を止めた。

(いや、面倒だ。殺気がないなら放っておけ。今は満腹で指一本動かすのも億劫だ)

 アビスは視線を切り、ソファに深く体を沈めた。

 彼は知っていた。

 どれだけ見つめられようと、羽虫が巨象に何もできないように、その視線の主も自分には何もできないことを。

 だからこそ、彼は「無視」を選んだ。

 それが、後にどれほど面倒な事態を引き起こすかも知らずに。


 ――屋上の影。

 ボロボロのローブを纏った女性、セレスティア。

 眼鏡の奥の瞳は、寝不足のように充血しているが、そこには異様な興奮と恍惚が宿っていた。

「……あぁ、目が合った……目が合ったわ……!」

 女は、荒い息を吐きながら、自身の体を抱きしめるように震えた。

「あの魔力……あの、理不尽で、強引で、それでいて完璧に美しい術式の書き換え(ハッキング)……! 間違いないわ。私の……『神様』だわ」

 アビスが「炉の暴走を止める」という気まぐれを起こした代償。

 それは、新たな信者(ストーカー)――人類最強の魔術師にして重度の魔法オタク、セレスティアを呼び寄せてしまったことだった。

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